七章 ネクロマンサーVS葬送チーム
ラウンド1 悪霊ドルガー 対 風の王・リティル
ラウンド2 幻惑の暗殺者・長女・エネルフィネラ
次女・スワロメイラ 対 風三人
ラウンド3 ネクロマンサー・ラジュール 対 無常の風、門番・シャ・ファン
風三人
ネクロマンサーの潜伏先は、意外な場所だった。
炎の城――炎の王・エセルトの居城だ。
「ルディルがしめたメリシーヌは、ユグラの話じゃメソメソ怖がって、閉じこもってるって言うし、エセルトのヤツ、目、つけられちまったかな?」
「ドルガーがヒョッコリ帰ってきたんだと思います。それで、何か琴線に触れるようなことを言われて、丸め込まれたんですよ。あの人、信じられますか?父さんと死者を会わせて、喜ばそうとしていたんですよ?」
「風の精霊が死者と会っても、殺し合う未来しかないが、エセルトはそんなことも忘れてしまったのか?」
「最初は死者だって、思ってなかったんだろうけどな。エセルトは、何だってオレと親父を会わせようとしてたんだ?オレと親父が関わりあったのなんて、遙か昔だぜ?」
今更だろ?とリティルは言った。グロウタースの双子の風鳥島で生きた短い時。その中の九年が、今のリティルを作った。忘れたくても忘れられない、幸せも確かにあったが、後悔と哀しみが色濃く残る記憶だった。だとしても、年月がリティルの心を、落ち着かせてくれていた。
「死してなお会いたいと思うは、人の情よ。ドルガーとやら、貴殿になんぞ用でもあったのかもしれぬぞ?」
心当たりはないのか?と問われ、リティルは怪訝な顔をした。
「さあ、どうだろうなぁ。親父は、戦いの中で死にたくて、ビザマを利用したんだ。あの時、オレのこと思ってたかどうか、今更知ってもどうにもならねーよ」
「怒っておるのか?」
「ああ、怒ってるなぁ!親父が自殺したせいで、ゾナもビザマもオレも、その命に翻弄されたんだ。オレが邪魔だったなら、手放してくれたほうがよかったぜ」
当時、真相を知らなかったらリティルは、ドルガーがビザマに殺されてしまったのは、自分のせいだと思い込み、ある意味心を病んだ。リティルの思い出したくない過去だった。
「己の命を己で絶つことは罪深いか……ワシは、理由になってしまったほうじゃ。やはり、償いきれるものではないのう」
シャ・ファンは、哀しそうに空を仰いだ。
「シャ・ファン、おまえが償い続けてるのは、それなのか?聞いていいか?おまえが背負ってる命は、一体誰なんだよ?」
「それについては語れぬが、ワシが先に死したせいで、部下だった男が心を病み、首を、のう。その男は、ワシの娘の夫となるはずじゃった。ワシの死は、逃れられるものではなかったのじゃが、その男との別れ方が問題じゃった。死者は、生者に会ってはならぬ。雨の音を聞くと、それを思い出すのじゃ」
雨――リティルにも、雨の記憶があった。忘れてしまっていた記憶だったが、懐かしい者達に会ったために、呼び起こされていた。それも、あまりいい記憶とはいいがたいが……。
「ワシは、死霊使いと縁があってのう。故に、ルディル王に拾われたのじゃ。死霊使い、許してはおかぬ。何度でも、屠ってくれる!」
逃さないと拳を握るシャ・ファンが、無常の風でいる理由は、償いだけではないんだなと、リティルは思った。そしてふと、隣を飛ぶインに視線を合わせた。
「なあ、父さん、ネクロマンサーってヤツは、生きてるのか?」
「不死者だ。死者の魂に近づきすぎて、半分生者、半分死者という状態に陥っている。滅しなければ、永遠に生き続ける魔の者だ」
「その魔法、風の精霊以外の精霊でも、使えたりするのか?」
「その魔方陣を知っていれば、できないことはないが、精霊にはメリットがあると思えない。風の精霊と争いたいならば、別だが」
「確かにな。いやな、ラジュールがネクロマンサーなのかと思ったんだよ。レジーナをそそのかしたのはラジュールなんだろ?記憶を消されたシェラは、暗示にかかりやすい状態だった。そこにあの死霊騒ぎだ。死霊を使ってシェラに、変な記憶を植え付けたのは間違いねーんだよ。ラジュールがネクロマンサーなら、全部自分でできるだろ?」
「その可能性はあるが、リティル、答え合わせといこう」
インが視線を眼下へ移した。見下ろすと、火山の火口にある、四肢をしまった大亀にしか見えない、炎の城が見えた。
「父さんは、ネクロマンサーと戦ったことあるのかよ?」
オレ、初めてなんだよな、ちょっと、緊張するぜとリティルは、珍しく不安そうだった。
「ある。すべてグロウタースでだったが。感情移入はするな。皆、哀しみを背負っている。ところでリティル、それはわざとか?」
「ああ?何がだよ?」
全く気がついていない様子で、リティルはインを見上げた。こんなに自然に、親子をしていたのだなと、インはやはり自分を意外に思った。
「我を父と呼ぶ」
「へ?オレ、呼んでたか?うわ……悪い、気をつけるよ。無意識って、怖えーな」
記憶ないのに、迷惑だったよなと、リティルは本当にすまなさそうだった。思えば、リティルは、インをすぐに受け入れていた。補佐官としてそばにいたノインと、外見が変わらないせいかとも思ったが、どうも違うようだった。まるで、インとずっと一緒にいたような、そんな素振りで、父さんと自然に呼んでくれていた。
「構わない。少しくすぐったいが。ノインを、そう呼ぶことがあるか?」
「ねーよ!罰ゲームかよ!あいつをウッカリ父さんなんて呼んじまったら、しばらくからかわれるぜ?そういうヤツなんだよ、ノインは!」
「我とは違うと?」
意外だった。外見が同じ者を、性格が違うとしても、こんなに別人として、認識できるものだろうか。そしてインは、インファが教えてくれたことを思い出した。体を失っていたインは、リティルの心にいて、そして導いていたと。残念ながら今はいないとも。
では、そうなのかと思った。話はできなくなっても、インは、今でもリティルの心の中にいる。リティルにしてみたら、今目の前にいるインは、心から抜け出しているだけ。だから、ノインと混同しない。別々にいるのだから、混同のしようがないのだ。
未だに我を?そう思ったら、心が温かくなった。ああ、我は嬉しいと思っているのか?と、インは自分の感情に驚いていた。記憶はないはずなのに、思い出せないだけで、確かにここに、あるのかもしれない。危ないなと思った。これ以上リティルといると、手放しがたくなってしまう。ノインに返さなければならない体なのに、彼と争ってしまいそうだ。
「ああ!別人だぜ?間違いようがねーくらい、インとノインは別人だ!ああ、あいつを思い出したらイラッとしてきたぜ!行こうぜ!」
どうして、いなくなったんだよ!とそんな怒りを感じて、インは小さく笑った。記憶にない来世の自分が、記憶にない自分の息子と上手くやっているらしいことを知って、インは嬉しいと思った。レシエと結ばれていたなら、そんな未来もあったのだろうか?いや、精霊では望んでも実現できはしないかと、インはリティルの背中を見ながら、炎の城へ舞い降りた。
炎の燃える、様々な音が絶えずする炎の城は、少し声を荒げないと会話がしにくい。
インは物静かで、リティルは彼の声を聞く為に、自然と寄り添う形になっていることに、気がついていないのだろうなと、後ろで見ていたインファは思った。その姿は父にまとわりつく子供その者だった。
インファがインと話していても、ノインと話すそれとあまり変わらない。違いと言えば、ノインはよく笑うが、インは表情すら動かないところくらいだろうか。
「リティルは、イン王と時間が重なっておったのか?」
「インは、父さんの心にいて、風の王として育ててくれたと言っていましたよ?」
「それは、不思議な親子じゃな。イン王のあんなに楽しそうな顔は、初めて見る。あれを見ると、死者との邂逅も悪くないと思えてしまうのう」
シェラを奪われて、どんな危険な精神状態かと案じていたが、インがその心を代わりに支えていることを、シャ・ファンは感じていた。
「その考えは危険ですね。しかし、インは死者ではありませんよ。今でも父さんの心に生きる、幻です。彼が消える時、父さんは笑って、またなと言うと思います。問題なのは、ビザマとドルガーですかね?彼らとの別れは、父さんの心に傷を残すでしょうから」
何度も同じ痛みを受ける必要はないと、インファは言った。
所詮、死を受け入れることなどできない。大切な者にもう二度と会えないのだという、喪失感は消えることがないのだから。一度死者に会ってしまったら、もう一度と思ってしまう。離れがたく思ってしまったら、引き返せない。
故に、死者を蘇らせようとする反魂や、魂を捕らえて保存しようとする、ネクロマンシーを行う者が、後を絶たない。
風の精霊は、輪廻の輪を守る為、彼等の相容れない正義と戦い続けなければならない。そして勝つのはいつも、風の精霊だ。その恨みに、シェラが利用されたのだとしたら、到底許せるモノではないなと、インファは人知れず奥歯を噛んだ。
そんな若い心の副官を盗み見て、シャ・ファンは憂いをその金色の瞳に浮かべていた。
シャ・ファンには、風の王たちに黙って捜しているある魂があった。そして、それにビ・ウジも巻き込んでいる。
ネクロマンサーを許さない心は本物だが、それを行う魔道士、その魔法を追いかけるのは、私的な理由も存在していた。初代風の王・ルディルは知っている。彼はたぶん、真面目に仕事するならいいと、そう思ってくれていたのだろう。
あれから幾度も王が替わった。初代を除く歴代最長の時を生きたインに、話そうと思ったが、その矢先、彼は散ってしまった。
そして、リティル。まだインの生きた時には半分も満たない時しか生きておらず、歴代最年少、その心は危うい。だが、このネクロマンサーを退治できたら、シャ・ファンは話そうと決めた。
無常の風が罪だとして背負う、ある魂にまつわる物語。
名を分けて、今なお留まり続ける二つの魂の、滑稽な命の話。
それを聞いて、リティルはなんと思うのだろうか。彼がもし、我々を送るというのなら、それに従おう。そして、後を託そう。
小柄で頼りない。けれども、歴代誰よりも光り輝く、力強く生きている十五代目風の王・リティル。守ってやらねばと思う一方で、彼ならばと跪ける不思議な魅力の王。
シャ・ファンは、真っ直ぐ進んでいくリティルの背を見つめ、口元を引き締めた。
「よお、エセルト。苦しそうだな?助けてやろうか?」
炎の城の玉座の間は、円形の大ホールだ。床に敷き詰められたつるつるしたモザイクタイルが、炎のトカゲを描いている。岩をくり抜いたかの様なゴツゴツしたドーム状の天井。それを支える柱も、岩から削り出したかのように無骨だ。壁の向こうでは、飛び交う炎の龍がマグマに沈んでは、また、生まれていた。
「リティル……ごめん……」
うずくまった巨人は、鎖を幾重にもかけられて、その体から霊力を奪われていた。彼を取り囲み、霊力をむさぼる悪霊達の中に、ドルガーがいた。
「死んでまでこの世に残ろうとするようなヤツは、自分勝手って相場が決まってるんだよ。これに懲りたら、迷魂に手出すなよ!それで、ネクロマンサーはどいつだ!」
リティルが、両手にショートソードを抜き放った。小柄な王を囲み、風の精霊達も各々武器を手にする。
『リティ・ル……』
もう、正体を失ったドルガーが、突っかかりながら名を呟いた。
「その発音で呼ばれるの、久しぶりだぜ?新たに目覚めさせてやるから、大人しく眠れ!」
リティ・ル――グロウタースの言葉に訳すと、目覚めだ。リティルは、初代を除く歴代王の中で唯一、イン――風という名を持たない王だった。
言葉にならない叫びを上げて、悪霊達が襲いかかってくる。リティル達は一斉に地を蹴り、翼を広げた。
「親父……あんたには、一度も勝ったことなかったな。やっと勝てるぜ?悪く思うなよな!」
狐の獣人であるドルガーは、獣同然の猛々しさで、リティルに剣で斬りつけた。それを受け止めて、リティルは笑った。哀しそうに。
「親父!どうして、オレを置いて逝ったんだよ!もっと、一緒にいたかった!それなのに……どうして!」
血の色に染まって、瞳すらなくしたドルガーには、もはや答えるだけの理性も知性もなかった。
「会いたくなかった……オレ、親父にだけは、会いたくなかったよ!」
自分で選んだ死なら、潔く輪廻の輪に乗って、次の生へ産声をあげて欲しかった。
自分で選んだのに、オレに会いたかったって?ふざけてると、リティルは思った。
だったらなぜ、あの時、死を選んだ?未練なんてなくなるくらい、一緒に生きればよかったじゃないかと、怒りが止まらない。もう、届かないとしても、叫ばずにはいられなかった。
「リティル……!ドルガーは、死にたかったわけじゃない。仕方なかったんだ!」
エセルトは、叫んでいた。ドルガーがビザマと戦って、死を選んだことの理由を、エセルトは聞いていた。それをリティルにわかってほしくて、エセルトはドルガーに会わせたかったのだ。それがもう、すでに無意味なことだとはわからずに。
「うるせーよ!病がなんだ!まだ、生きられただろ!親父は戦士として死にたかった。それだけが、真実だ!」
リティルは襲ってくるドルガーの剣を弾き返しながら、エセルトに叫び返した。
「君……それ知って……」
ドルガーは、不治の病だった。もう、あまり時間が残されていなくて、リティルを残して、逝かなければならないことに悩んでいた。あの時リティルはまだ十三才だった。出会った十才の頃、父親を奪われてここへ来たと言っていた。死に別れたのか?と聞くと、違うといい。奪われたと繰り返した。これ以上問うても、お互いに混乱するだけなので、会えないのだなということだけ理解して、それ以上は問わなかった。
慕ってくれる無垢なリティルが可愛くて、ドルガーは、離れなければならないことを、言えなかった。
そんなとき、ビザマが尋ねてきた。そして、リティルが風の王であることを知った。このままでは、生き残れないとハッキリ言われ、ドルガーはそうだろうなと思った。
リティルは前向きなのは結構だが、命をやり取りするには無垢すぎる。剣の筋もよく、秘めた力も強かったが、その心に野生の獣がいなかった。ビザマに共闘を持ちかけられ、その時は考えさせてくれと別れた。そのすぐ後、リティルの産まれた場所を尋ね、ビザマの話の裏を取ったとき、ドルガーはこの命の使い道を思い付いた。
そして、ビザマをあの日、呼び出した。
「知ってるよ!親父の魂が行方不明だってわかったとき、全部調べたぜ!」
迷魂となる魂には理由がある。ネクロマンサーに捕まる魂には特徴がある。
それは、死んでも死にきれないほどの未練だ。それにつけ込んで、ネクロマンサーは魂を捕らえる。
「親父は!未練まみれだった!オレのこと、逝ききれないくらい思ってたんなら、死ぬべきじゃなかっただろ!」
リティルの剣に金色の光が宿り、ドルガーを弾き飛ばした。地に伏したドルガーの前に、リティルは立つと、切っ先を突きつけた。
「あんたの命で、オレは……オレの中のオオタカは目覚めた。ありがとな。親父のおかげで、オレは風の王として戦う力を手に入れられたぜ!あんたのくれたこの刃で、逝けよ!」
目覚めたのは、容赦なく命を奪えるオオタカだけではなかった。当時、ウルフ族の肉体を持っていたリティルは、オオカミまでもが目覚めて、襲ってくる凄まじい暴力の衝動に耐えなければならなくなった。
リティルの剣が振り上げられた。エセルトは、目を逸らした。全部知っていて、それでもなおドルガーを殺せるリティルが、彼の事が、初めて怖いと思った。
エセルトには、それが悪霊と成り果てた大事な父親へ、リティルができる最大の慈悲だと、愛だということが、わからなかった。ここで斬ることが、ドルガーを救う唯一の方法であることがわからない。愛を貫くリティルが、血のような涙を流していることを、エセルトは知らない。
これが、風の精霊なのだ。四大元素で唯一、死を与える力。産まれる力を持たない精霊。
仲間だと思っていたが、ユグラがいうように、風は違うのだ。ボク達とは!エセルトは、簡単に思ってしまった。それが、リティルがユグラを頼り、エセルトとメリシーヌを遠ざける理由だった。
「リティル!らしくない戦いをするな!」
その声に、エセルトは瞳を開いた。二人の間に入り、リティルの剣を代わりに受け止めていたのは、長い三つ編みを揺らした、ウルフ族の男だった。
「泣くな」
キンッと音が響いて、リティルは弾かれ間合いを取らされていた。インリーと変わらない体型なのに、その剣は重く力強かった。
「泣いてねーよ!……って、泣いてるか。邪魔しやがって、なんだよ?ビザマ!」
リティルは、グイッと涙を拭った。
「ハハハハハ!こんなことだろうと思って、止めに来てやったのさ」
ビザマの背後でドルガーが動いた。あっとリティルが身構えると、ビザマはクスリと笑って、小さく何事か唱えながら片手で冷気を操り、ドルガーを氷壁に閉じ込めてしまった。そのまま、ビザマはユラリと、エセルトに視線を向けた。鋭い殺人者の瞳に、エセルトは息を飲んだ。
「おい、そこの巨人!貴様、リティルに苦痛を与えたな?こいつに、苦痛を与えていいのは、オレだけだ。覚えておけ!」
「勝手なこと言ってるんじゃねーよ!おまえにだって、そんな権利あるかよ!」
ビザマはリティルに向き直ると、こちらを見据えたままツカツカと近寄ってきた。なんだよ?と、リティルは身構えた。
ビザマとはこれまで、敵対しかしてこなかった。剣狼の谷から共に風の城に帰る間、ずっと言い争っていた。喧嘩腰でなくどう話せばいいのか、わからないくらい再会したビザマは口を開けば、挑発ばかりだった。まるで、庇護していた、インとサレナと三人で、確かにリティルの親代わりだったころを、忘れろと言うかのように。
「悪かった。ドルガー殿を殺したこと、それだけはオレにとって想定外だった。おまえから、二度も父親を奪うことになるとはな。よく、持ちこたえたな」
――リティル、この先何があっても、オレはおまえの親父だ。親父だからな!
そう言ったドルガーの心を、本当は理解していた。残り少ない命、全部使って、風の王として必要な心を目覚めさせてくれた。ドルガーがあのまま一緒にいたら、リティルはきっと間に合わずに、シェラを失っていた。あの時の戦いは、そういう戦いだった。
理解している。あの時、ドルガーが死んだから、今のリティルがいる。
わかっている。ドルガーに愛されていたことを、知っている。
「!……耐えるしか、ねーじゃねーか!全部失っても、親父が死んだのは、オレのせいだっていう思いは消えなかった!逃げて、逃げて逃げて!どこへ逃げたって、オレのせいで死んだ親父の顔から……晴れ晴れとしたあの顔から逃げられなかったんだよ!生きるしかなかった。襲ってくる怒りと殺戮の衝動……耐えるしかなかった。親父の教えだけは、死んでも守らねーといけねーって思ったからだ!それだけが、支えだった!」
ドルガーを失って、二年間の暗闇。誇ることのできない、消し去りたい人生の汚点だ。
オレのせいで親父が死んだ!だから、生きなければならないとリティルは、必死に生きた。
ドルガーは、未練まみれだったのに、悔いはないと言いたげな、晴れ晴れとした、笑顔ともとれる死に顔だった。その死に顔が、何度も、何度も何度も、無意味に相手を殺しそうになるリティルの手を止めた。ドルガーは、自分の心を偽って、最後に笑うことで、リティルの心を護り続けたのだ。
最後の時、親父の心に、オレはいた。わかってるさ!オレは、今でも、親父に愛されてるんだ!
リティルはビザマを睨んだ。
「感情に支配されて、命を奪うな!本当に奪っていい命なのか、見極めろ!辛かったよ。同時に目覚めた、オオカミとオオタカが、獲物の殺し方を教えてくれた。親父の教えとゾナがいなかったら、オレは殺戮の魔物になってただろうな!」
ビザマは、許されるつもりはない。
幼いリティルから、風の王の証を奪い取った時、ビザマは彼にとって絶対悪になろうと誓った。残された九年という少ない時間の中で、苦痛を与えることでしか、力を引き上げてやれなかった。ドルガーが、自身の願いと命を使って目覚めさせた闘志は、予想以上に獰猛だった。それでもリティルは、正しい心を守り通してくれた。
許されるつもりはない。リティルを風の王にするために、多くの幸せを踏みにじったことは、事実なのだから。
「おまえは、あれだけのことをされたのに、優しく育ったな。アクアも、いい男を選んだよ。オレの人生に悔いはない!」
ビザマに後悔があるとするならば、それはドルガーのことだった。
彼に会いに行ったとき、戦うつもりなどなかった。元騎士であり、その後傭兵として島中を歩いていたドルガーなら、リティルの野生を解き放ち、それを制御する術を教えられると確信していた。そばで教えられないビザマはあのとき、ドルガーを協力者にしようとしていたのだ。
しかし、ドルガーの命は風前の灯火だった。
残り少ない命に、ドルガーは焦っていた。いつまでも純粋無垢で、力はあっても、実践では通用しない心のリティルを、彼は持て余していた。
話を聞いたドルガーの取った行動は、ビザマでさえ想定外だった。
ビザマはすでに、リティルの信用を裏切り、リティルが絶大な信頼を寄せていた、インという父を奪っていた。その穴を埋めていたドルガーを、まだ幼いリティルから奪えばどうなるのか……ビザマには恐ろしい賭けだった。だが、ドルガーは強引だった。
結果は、予想以上の成果で、リティルは風の王として揺るぎなく目覚めた。
そして、今も風の王として風を支配している。今となっては、こんなに嬉しいことはない。
「ずっと考えていたよ。ここにこうして立たされたことに、意味を持たせるにはどうすればいいのか。オレはとっくに終わっている。苦痛しか与えられなかったおまえに、今更何をしてやれるのか。このまま再び終わったのでは、おまえに傷しかつけられないだろう?そんなこと、本意なものか!リティル、目をつぶれ。最後に、おまえの心を守ってやる」
ビザマは、立ち尽くすリティルから剣を奪った。風の力を秘めた、風の王の剣。ドルガーに教えられ、数々の死闘を経て洗練された、リティルの剣技と共に磨かれた、鋭い刃だ。
この刃は、あの肖像画にも描かれていたなと、ビザマはふと思った。
「リティル、アクアを頼むぞ?手放せば、今度は化けて出てやるぞ!」
ビザマはトンッと軽く踏みきり、しかし驚異のジャンプ力で、リティルから一瞬で大幅に距離を取っていた。
「ビザマ!」
バサバサッと三つの影がリティルの前に舞い降りて、リティルとビザマとを隔てた。
「リティル、目をつぶってやれ」
インがリティルの両肩に手を置いて、視界を遮った。
「できねーよ!これが、オレの仕事だろ!風の王の、仕事じゃねーのかよ!どうして、寄って集って、オレのこと、ガキ扱いするんだよ!」
行く手を遮ったインの手を振り払い、リティルは鋭く翼を広げていた。そこへ、シャ・ファンが襲いかかってきた。前から両腕を押さえられ、床に背中から落とされた。
「子供扱いなどしておらん」
「じゃあ、なんだよ!親父は悪霊だぜ?オレが狩らないで誰がやるって言うんだよ!オレしか……オレしか、いねーじゃねーか!」
リティルは風を放ってスルリとシャ・ファンの下から抜け出ると、ビザマに向けて飛んだ。
「っ!インファ……!」
頭上から槍と共にインファが攻撃を仕掛けてきた。空中で急ブレーキをかけて攻撃を避けると、インファはリティルの前で槍を構えた。
「父さんに、悪鬼の振る舞いは似合いませんよ。ビザマに甘えてください」
「できねーって……言ってるだろ!」
「受け入れてもらいます」
斬りかかってきたリティルに、インファは片手をそっと突き出した。リティルは、目に見えないほど細かい力を無数に感じた。風の糸だ!と悟ったときには、縛り上げられていた。抜け出そうともがくが、背後にインの気配を感じると共に、彼の腕に囚われていた。リティルはビザマが、氷壁に閉じ込められたドルガーの前に立つのを見た。
もう、間に合わない。声以外、彼に追いつけるものはなかった。
「ビザマああああ!オレは!おまえを恨んでねーよ!わかってるんだぜ?ずっとずっと!オレを守ってくれてたよな?あの雨の日のこと、あれ、あれは、おまえだった!覚えてるんだ!ビザマ!オレ、おまえに!おまえに……!」
ごめん?それとも、ありがとう?ビザマに想うことはリティルにも複雑で、一言で言い表せなかった。父と、呼ぶことはできないが、ビザマは確かに父だと思う。人生のすべて使って、望まない道を、リティルとシェラの為に歩いてくれた。そんな彼に、望まないことをさせてしまったと悔やむことはあっても、恨んだことはない。そして、今ならわかることがたくさんある。
雨の日の路地裏。暴漢に囲まれた十四才のリティルは、相手を殺してしまうことに臆して、反撃できずに殴られていた。しかし嬲られすぎて未熟な理性がキレて、殺戮の衝動に心が支配されそうになった。反撃に出たリティルの剣を、急に割って入ってきたフードの男は、刃を躊躇いなく素手で掴んで止めた。雨に滲んでいく血の赤に、リティルに理性が戻った。
――何をそんなに怯えている?そんなに力まなくても、おまえなら、これくらいの力で乗り切れるぞ?
フードとマフラーで顔を隠したその人は、剣を取り上げると、リティルに拳を握らせた。そして、真似してみろと暴漢達に素手で立ち向かった。戸惑うリティルにも、暴漢は襲いかかった。
――大丈夫だ、自分を信じてみろ!所詮非力なおまえの拳だ。死にはしない。遠慮はいらん!
頷いたリティルは見よう見真似で、初めて素手で戦った。魔道士であるゾナには、教えられない戦い方だった。
あの雨の日のことを、ビザマも覚えていた。
大国の宮廷魔道士だったゾナでは、四六時中リティルを監視して守れない。
ドルガーを奪うしかなかったビザマは、時間の許す限り危ういリティルを監視していた。
クエイサラーの宮廷魔導士だったビザマも、立場はゾナと同じだったが、ゾナは宮廷魔導士の職務と共に、影という裏の組織のボスでもあった。彼と比べれば、ビザマにはまだ自由があった。そして、ビザマには、風景を映し出しゲートを開く魔導具である、千里の鏡があった。現在風の城にあるその鏡は、元はクエイサラーにあったのだ。
共闘関係のクエイサラー王も、リティルを守らなければならないことを理解していて、最大限の自由を、ビザマは与えられていた。
あの雨の日、やむを得ず手を出したビザマは、絆されそうになった。このままリティルの側に立って、教えられたなら……しかし、シェラを守らなければならなかったビザマには、できなかった。
暴漢を撃退し、疲労と安堵で意識のもうろうとしていたリティルを、残して去るしかなかった。それでも、ゾナが駆けつけてくれるまで、ビザマはマントで、壁を背に座り込んだリティルを、雨から庇ってやっていた。その時にはすでに、リティルに意識はなかったと思う。
――おまえはやれる。心配するな、大丈夫だ
リティルにかけた言葉だったのだろうか。自分自身に言い聞かせたのかもしれなかった。
時が流れ、十五才のリティルは殺戮の衝動をきちんとコントロールし、明るく笑うようになった。もう、大丈夫だなと確信して、ビザマはリティルを監視するのをやめた。そして、心置きなく、リティルの敵として彼の前に立ち続けられた。
リティルは、風の奏でる歌を歌い始めた。死者が、迷わず逝けるように、心穏やかに眠れるように。伝えきれない想いを乗せて。
風の奏でる歌――この歌には力がある。風の精霊と、風の精霊が教えた者だけが歌える、特別な歌。聴く者の心に、様々に作用する魔法の歌。
リティルはこの歌を、心根一つで様々に歌うことができる。
もう、リティルの代わりに手を汚す、ビザマに手向けられる事は、これしか残されていなかった。意識も正体もなくしたドルガーを、リティルが救うには、力あるこの、風の歌を手向ける以外に、もはやできることはなかった。
心穏やかに、優しく歌いながら、リティルの心は叫んでいた。
『届け!届いてくれよ?ビザマ!親父!オレは今でも!』
――さよなら 止まない雨
――手の平を 空に掲げれば 金色の光が 君にさす
――恐れない わたしには 言葉がある
――歌え 君のくれた言葉を 今こそ 響かせて
――青空の向こう 君に この歌が届く――……
歌うリティルの両目を、背後のインの大きな手が塞いだ。
造語の少ないリティルには、この言葉しか思い浮かばない。
オレは今でも、愛してるよ!
ビザマは、氷壁に閉じ込めたドルガーの前に立った。
リティルの歌を背中で聞きながら、ビザマはフッと笑った。
「ドルガー殿、オレ達の息子は、心配なほどお人好しに育ってしまったな。オレ達には、打算が確かにあった。その時点で無償ではないんだ。気に病むことも、背負うこともないのにな。特にオレは、申し開きできないくらい極悪人だ。それなのに許すか?風の王のあいつが?どこまであいつは、バカなんだ?」
オレが代わりに罪を背負うんだから、許していいだろ?と明るく笑うリティルの声が、聞こえてきそうだ。そして、あろうことか、父親として慕ってくれているなんて、死んでいたビザマには思いもよらなかった。
実の娘にさえ、愛情を注げなかった。ただ血が繋がっているだけの父親だったのに、実の娘には、恨みしか抱かせられなかったのに、血の繋がらないおまえは、オレを父と呼ぶのか?俯いたビザマの口元に、切なく哀しい笑みが浮かんだ。
「さて!汚い大人の最後は、我々でつけよう」
ビザマは、リティルから奪ってきた剣の刃に、指を滑らせた。短かった刃が長く伸びた。
――リティル、子を守るのは、親の務めだ。親となったおまえにはわかるだろう?オレ達の風の王
ビザマは、ドルガーを拘束している氷壁を左手で撫でた。氷壁は砕け、自由を得たドルガーが倒れてくる。それを受け止めると、ビザマは、ドルガーの背中にリティルの剣を、深々と突き立てた。密着していた自分の体をも貫きながら。
「風達、オレの我が儘を聞いてくれたこと、感、謝――す・る――……」
瞳を閉じて笑ったビザマの体が、精霊の文字となって分解していった。ビザマが消え失せ、支えを失ったドルガーが蹌踉めく。間髪入れずに飛び込んできたシャ・ファンの手が、ドルガーを貫いていたリティルの剣の刃を掴んだ。夜を思わせる黒い風が刃を染めた。このまま、彼と繋がる死霊使いをあぶり出すのだ。
「――やっと導いてくれるのかよ?待ちくたびれたぜ?」
シャ・ファンは、僅かに瞳を見開いた。悪霊となった者が正気に返るなど、今までに一度もなかったからだ。
「変なのに捕まっちまって、リティルに、謝っといてくれよ。オレはもう、自分じゃ言えねーからな」
ドルガーの緑色の瞳が、穏やかにシャ・ファンを見ていた。
ああ、思い出す……自分が死んだときのことを。
ドルガーはあの時、呼び出したビザマに、不意打ちを仕掛けて、両者は言葉なく死闘へ誘われた。
ドルガーより百才も年下のビザマは、一対一の死闘というものに慣れていなかった。そして、室内という、この狭い空間での戦いにも。それは、ドルガーにとって都合がよかった。
ビザマはここで、死ぬわけにはいかない。ならば、その剣が鈍ることはない。こちらから、余計なことを言わなければ。
しかし、ビザマの剣には迷いがあった。ここで、この人を殺してはいけないのでは?そんな心を感じた。
迷いがある。それすらも、ドルガーには都合がよかった。剣を交えてわかったが、ビザマは相当に腕が立つ。彼の心が決まってしまったら、もしも殺さない選択をされてしまえば、それを実行するだけの実力があった。悔しいが、ビザマはドルガーよりも強かった。
ドルガーは、ビザマの攻撃を誘った。まだ混乱の渦中にあったビザマは、難なく乗せられてくれた。ビザマの剣をその体で受けたドルガーの姿に、ビザマは瞳を見開いた。自分が乗せられたことに、この瞬間気がついたのだ。だが、もう、手遅れだった。
――ドルガー殿!
――はは、ハハハハ!あんた、強えーな。悪・いな――オレには、もう、時間が――ねー、んだ。だから……
ドルガーは、動揺していたビザマの手から、剣を奪い取った。そして、自殺だとわからないように注意しながら、切っ先を心臓へ向けた。どんな傷をつければ、そう見えるのか、ドルガーは熟知していた。それだけの数を、人もモンスターも殺してきたのだから。ただそれは、合法だっただけだ。だから、ドルガーは国の英雄で、ビザマは極悪人なのだ。命を奪った。その行為自体は二人とも変わらないのに。
魔導士でないドルガーには、風の王という精霊がどんな精霊なのかわからない。だが、闘志が必要な精霊であることだけは、どこか必死なビザマの様子から察していた。
純粋無垢で、明るくて、優しい心を持ったリティルを、血で穢さなければならないことが、ドルガーには後ろめたかった。だが、そうしなければ死しか残されていないのなら、相手の背負うモノを打ち砕き奪ってでも、生きて、ほしかった。
――リティルの野生……注意、しといて・くれよ?あいつは……おまえの期待、裏切らねーよ。ああ、この剣、回収、忘れる・なよ?
ビザマが止める間もなく、ドルガーはひと思いに、自分の心臓を貫いた。倒れたドルガーから、ビザマは言われた通り剣を抜き、即座に逃げてくれた。
薄れていく意識の中、ドルガーは、懐からリティルの羽根を取り出した。それを血で穢し、これ見よがしに置いてやる。これで、リティルには、ここに誰が来たのかわかるはずだ。
――ごめんな……オレは……明日明後日、死ぬ命なんだ。おまえに、声の綺麗なお姫様、守らせてやるには、その為にオレができることは、こうするしかねーんだよ
意識が途切れる。脳裏にあるのはリティルの、明るい笑顔だけだった。
――リティル……憎しみと怒りを知れ。優しさはおまえ、それ以上いらねーだろ?ってくらい、すでに持ってるからな。あとは、醜いもう半分だ。わかってやれよ?憎しみと怒りに、おまえのその優しさで寄り添ってやれよ?それが、おまえの闘志の形だ
オレ、壊れてるのか?と思えるくらい、リティルのことしか、思い浮かばなかった。
たった三年だぞ?と自分でも呆れた。会いたかった。最後に、もう一度会いたかった。
――リティル……もっと、おまえと、一緒に、生きたかった……
開け放された扉の光に向かって、ドルガーはぼやけた視界で、手を伸ばしてしまった。ドルガーは偽りの笑顔を浮かべながら、最後の願いは叶わないまま、事切れた。
あの時は冷たい闇が襲ってきて思わず抵抗したが、今回は違った。ドルガーは、ああ、本当の死は、こんなに暖かいんだなと思った。
ドルガーは、刃を握っている老人を見た。随分、格好いい男だなと、こんなときだが思ってしまった。そして、リティルを見上げた。リティルの周りには、護り共に戦ってくれる者達がいる。それが知れて、ドルガーはホッとした。
あの時は、自分で選んだことだったが、リティルを残して逝くことに気が気じゃなくて、死んでも死にきれなかった。だが、今は、やっと心から笑える。
歌が聞こえていた。ドルガーはこの曲を知っていた。リティルが、笛で奏でていたからだ。本当は歌詞があって、歌なんだけどと、リティルは当時言っていた。
歌ってみろよと言うと、下手だから嫌だと、一度もリティルの歌を聴いたことがなかった。
下手だって?すげー上手いじゃねーかと、ドルガーは優しく誘うような歌声に、魂を委ねた。ああ、そういえば、あの笛、ビザマにもらったって言ってたなと、ドルガーはそんなたわいないことを思い出した。
じゃあなと、ドルガーの晴れやかに笑った顔が、淡い光に包まれて霧散した。後には、シャ・ファンの掴んだ黒く染まったリティルの剣だけが残された。
釣りは成功した。死霊使いはここへ来る。
シャ・ファンは、天井を見上げた。そこには、インファとインに囚われたリティルがいた。労しい。父と慕う者達と再会させられたあげく、彼等との別れを強要された。
死に別れる痛みは、やがて月日に薄れる。思い出が遠くなって、忘却が、残された者に再び前へ足を踏み出させる。
リティルも、そうしたつもりだったことだろう。ドルガーの魂との再会が、痛みしかもたらさないことをずっと覚悟していた。その決意を汲んで、シャ・ファンはリティルにドルガーを討たせてやるつもりだった。
気が変わったのは、リティル達を玄関ホールで待っていた時だった。
そこに、ビザマが現れたのだ。
――ドルガー殿は見つかったか?その死神然とした翼、あなたは無常の風というヤツだろう?
恐れを知らない男だと思った。語り合うに値しないと、去ろうとすると、彼は言った。
――あなたは、リティルの味方か?あのバカを、守る心があるか?あいつは誰に似たのか、心の許容範囲以上のことをしようとする。なんだあの気色悪い笑みは!そうは思わないか?
シャ・ファンは振り向いた。シャ・ファンは、ビザマのことを知っている。大量虐殺を自身の手で行った、今現在もグロウタース・双子の風鳥島に伝わる大罪人だ。鬼籍にはその行いしか書かれていない。どんな狂った男なのかと思っていたが、リティルが彼を父として慕っていることも知っていた。
――あのバカは、オレのやったことまで背負って、恨めばいいものを、何を血迷ったかオレまで父親だと抜かしているらしいな。ああ、捕まえて悪かった。世間話をしようというんじゃないんだ。オレは偽りの魂でな、幕を引かねばならんのだ。それで、オレの幕引きと共に、ドルガー殿も連れていきたいが、それは、オレにも可能か?
大真面目であることは、その真っ直ぐな瞳でわかった。
――リティルを守ると?なぜじゃ?
――父親なのだ、当然だろう?まあ、オレが言うと怒られそうだな
仕方がないと笑うビザマに、託したくなった。
風の王の務めだからと、リティルにやらせるのは容易だ。彼にはその覚悟があるのだから。しかし、心は確実にすり減る。そうして死んでいった歴代の王たちと同じく、リティルもやがて、自身の纏う死の香りに自分の死を見るようになる。
それを遅らせようとして何が悪い?消えゆく者に託して、何が悪い?
守りたい者を守って、何が――
シャ・ファンは、ビザマの企みに乗った。そして、その企みにインファとインは、迷う素振りすらなく乗った。
インファは、それが正解だと思ったわけではなかった。
ビザマに押しつけても、リティルが傷つくことは回避できないからだ。風の糸は解いたが、リティルが、自分の翼で飛べないくらい打ちひしがれていることが、感じられた。インが手を放せば、リティルは床まで落ちるだろう。そして、自分で起き上がれるかどうか……
「リティル、いつまで泣いている?しっかりしないか」
おや?とインファは顔を上げた。今リティルを支えている精霊が誰か、わかったからだ。
「ここからが本番だ。ネクロマンサーの策にはまってどうする?落ち込むのは、すべて終わってからにしろ」
インが、涼やかに笑ってリティルを支えながら、体を離した。
「ノイン……?ノイン!おまえ、戻って――!」
ガバッとリティルが彼の両肩を掴んだ。目に溜まっていた最後の涙の雫が、リティルの頬を伝い落ちた。ノインは、そうしてできた涙の筋を、そっと拭ってやった。
「ああ、我ではもう手に負えないと、インに呼ばれた。おまえは、そんなに甘えたのか?」
インと同じ顔で、涼しげにノインは笑った。
「ああ?そんなわけ!……あったかもな……」
父さん父さんって、遠慮なく呼んでたよと、リティルはどこか恥ずかしそうだった。
「仕方のない。リティル、しゃんとしろ!それから、風の王、無断でおまえのそばを離れたこと、詫びる。許せ」
「そうだぜ?心配したぜ?インが、おまえを感じられないって言ったときは、ホントにどうしようかと思ったんだぜ?」
本気で安堵するリティルに、ノインは声を出して笑った。
「フッハハハハ。心配させてしまったようで、すまなかった」
本当は、手の平に感じたリティルの涙で目が覚めた。リティルが泣いている?そう思ったら、急激に意識が覚醒していた。ノインは、リティルの心を守ることを、インに誓っている。打ちひしがれる主君を奮い立たせ、前を向かせることが、リティルとの約束だった。そんなノインの活に、リティルは答えてきた。
インは、ノインの意識の覚醒を感じて何も言わずに、身を引いた。インの見たすべての記憶を置き土産に。我はリティルの心に戻る。そう言われた気がした。
「リティル、戦えるか?」
「ああ?当たり前だろ!その為に来たんだからな!」
強がるリティルに、ノインはフッと涼やかに笑うと頷いた。
「来るぞ!衝撃に備えい!」
衝撃?咄嗟に反応できなかったインファとリティルを庇い、ノインが片手で風の障壁を展開した。鎖で拘束されたエセルトの前の空中に、血塗られた魔方陣が描き出された。
血痕印だと、リティルは思った。リティル自身は初めて見るが、風の王の受け継がれた知識の中にそれはあった。
魔方陣の中心から、多量の血が噴き出し玉座の間を濡らした。
その吐き出された血の中から、ズルリと女の影が立ち上がった。
「宝石の精霊・ラジュール」
ノインが呟いた。
見下ろしたリティルの目に映ったのは、半身の肉を失った骸骨のような妖艶な女だった。
雨が降っていた。
「やまないですねぇ。これじゃ、今日は帰ってこられないです」
インジュは絨毯の上に座って、暖炉のそばの椅子に寄りかかっていた。
「雨だから帰還できないということは、ないのではないのかね?しかし、酷い雨だね」
寄りかかられているゾナが、膝に開いていた魔道書を閉じながら、中庭に面した窓を振り向いた。
「大丈夫なんでしょうか?」
「誰の心配を、しているのかね?」
「リティルです。帰って早々変な事件に巻き込まれて、その上、迷魂狩りなんて……」
「わかっているから、副官とインも共に行ったのではないのかね?」
それに姿を見せなかったが、あの無常の風もついて行っているはずだ。
インジュは寂しそうに、泣きそうに、ゾナを見上げた。そして告げた。
「ビザマ、逝っちゃいました。ドルガーもです。そんな状態で、今日帰ってこられなくて、壊れたりしないですよね?」
ボクも行けばよかったと、インジュは膝を抱えた。
「二人は、逝けたのかね?」
「はい。葬送の能力低くても、ボク、これでも風の最上級精霊ですから、わかっちゃうんです」
インジュは膝を抱えて、リティルの歌が聞こえたと呟いた。
「ビザマ、言うほど怖い人じゃなかったです。リティルがあの人の事許して、自分がその罪を引き受けた気持ち、わかるような気がしました。リティルは、ドルガーに怒ってましたけど、ドルガー、魂がちょっと欠けてました。どうしてなのか、知ってるんじゃないかって、ボク、思うんです」
インジュは、肖像画を見上げた。この絵は戒めだと、リティルは言っていた。
この絵は、インジュの父・インファが、レジーナの記憶を元に描かせた。描かれた四人の姿は、リティルが彼等との最後の別れのときに見せた表情を、使ったと言っていた。
インジュが「亡くなった時期が、みんな違いますよね?」と疑問をぶつけると、インファは優しく微笑んで「皆さん、最後に一堂に会してるんです」と、内緒ですよ?と言って、一枚の念写を見せてくれた。
記憶の中の瞬間を写真の形にした念写。そこに映し出されていたのは、何か、魔方陣のような模様の描かれた、大きな丸い石の前に、四人が立っている場面だった。皆は、この絵にあるような笑顔を浮かべていた。
念写の中には、確かにドルガーがいた。彼の魂は、彼が亡くなったときから、行方不明だったというのに。これもドルガー、あれもドルガーなら、ここに写っているドルガーは残留思念か何かということになる。そしてインジュは、今し方輪廻の輪に乗った彼の魂が、少しだけ欠けていることに気がついた。ドルガーは、もしかすると、ネクロマンサーに捕まったとき抵抗して、それで魂が少し欠けてしまったのかもしれない。その魂の欠片が、この念写の中のドルガーではないのか?憶測だ。根拠なんて何もない。
けれども、もしそうだとするのなら、最後の時に駆けつけたドルガーはちゃんと、リティルの事を思っていたのでは?関係ないかと、インジュは思い直した。
インジュには聞こえていた。
リティルが、心に秘めながら、泣きながら魂で叫んだその声。
『ビザマ!親父!オレは今でも!愛してるよ!』
リティルは怒っていても、ドルガーに愛されていたことを知っている。なら、そんな真相なんて、些細なことだ。リティルは、探し続けた養父の魂を、救った。もう、過去はそっとしておこう。
インジュは、改めて肖像画を見つめた。
「オレが血にまみれて飛ぶ理由を、間違わない為に。そう言ってました。ゾナ、風の王は、そんなに背負わなくちゃいけないんです?」
「リティルは初めから風の王ではないのでね。心が、グロウタースに近いのだよ。君は、理解しているのではないのかね?殺さない殺人鬼」
「それは、みんながボクを甘やかしてくれてるだけです。ボクは、この城の誰よりも穢れてますよ。ゾナ、知ってるじゃないですかぁ。ボクは、リティルが命じればどんな残虐な事も、平気でできますから」
リティルが命じることは、絶対にないけどと、インジュは暗い瞳で自嘲気味に笑った。そういう使い方をされないから、ボクはリティルの盾になったんですと、顔を上げたインジュは柔らかく微笑んだ。
「あの」
控えめな声に、インジュは肘掛けに手を置いて体を引き上げた。
「どうしたんです?」
インジュが首を傾げて、ゾナの向こうに座っているシェラに尋ねた。シェラは、少し困ったような顔で、手にしていた本を表紙が見えるようにこちらに向けた。
「この本に書かれていることは、創作ですか?」
何を熱心に読んでいるのかと思っていたが『ワイルドウインド』だったのかと、ゾナは思った。作者不明の謎の本。リティルとシェラを主軸に書かれた、創作だが創作ではない本だ。
「いいや。史実だよ。インファに聞いていなかったのかね?その本に書かれているのは、君とリティルの馴れ初めなのだよ」
「えっ!そんな本があるんです?シェラ、読んだら次貸してください!」
ハッピーエンドが大好物な、受精させる力の精霊は、鋭く反応していた。
「あ、あの、あの……ダメ……です」
シェラは本を胸に押し抱くと、しどろもどろにそれだけ言うと俯いた。
「貸してくださいよぉ!本の中でも、イチャイチャしてるんです?だから、恥ずかしくてダメなんて言うんですか?いいじゃないですかぁ。今更ですよぉ」
インジュは上機嫌で、機敏にシェラのもとへ飛ぶと、彼女の座る椅子に縋って、上目遣いに下から見上げていた。インジュに、女の子にしか見えない顔でねだられて、シェラは何も言えずに、困っていた。
「いいや。リティルは逃げ回っていたよ。追いかけていたのはシェラ姫なのだよ」
「?今も、シェラの方が押してません?あ、すみません。五年前まででした」
ちょっかいをかけるのは、リティルの方が多かったが、インジュの目にはそう見えていた。
癖なのか、リティルは隣にいてくれるシェラに、本当にしょっちゅう触っていた。デスクワークが疲れたーと言って、シェラの肩に寄りかかり、紅茶を飲みながら、たわいない会話をしながら手を握ったり、抱き寄せたりしていた。どれも自然でクリーンで微笑ましくて、見ていて恥ずかしくならないのだが、シェラから触れるときは違って見えた。
愛しそうに触れるので、それに遭遇するとドキッとしてしまう。シェラには自覚があるのか、あまり皆の目があるところでは、自分からリティルに触れなかった。
人目がなかったら、どんな展開になるのか、いつか覗いてやろう!とインジュは思ったりしたが、邪魔しては悪いなという心もあり、実行に移してはいなかった。破壊の精霊・カルシエーナに、気にならないかと問うと、彼女は真顔で、もの凄く甘いキスしてると、教えてくれた。見ちゃったんです?と問うと、インジュが産まれる前は、隠してたけど、結構遭遇したと言われた。今は、たぶん周到に隠してると思うと、カルシエーナは言っていた。
「あの、本当に……?」
「無理に信じる必要はないと思うがね。リティルも、望みはしないよ。ただ、読んでみて感想はあるかね?」
シェラは本を膝に置くと、そっとその表紙を撫でた。
「シェラの、気持ちが、わかるのです。たぶん、彼女はこう言って、こんな行動を取るのだろうなと、先読みできてしまって……不思議で……」
そして、そして、リティルが……好きになりそうで、何度も我に返った。
「本の中でも、リティルは無茶苦茶ですかぁ?」
「はい……もう、気が気じゃないわ。超回復能力で、なんとか生きてきたような状態よ」
どうして自分を大事にできないのかしら?と、シェラは怒ったように口を尖らせた。
「そうですかぁ。今とやっぱり変わらないんですねぇ。心配ですねぇ」
「ええ、とても」
シェラはため息交じりにそう言った。そして、ジイッと見つめてくる視線に気がついて、インジュを見た。インジュはニコニコ笑って、そうですかと頷いた。シェラは、なぜそんなに嬉しそうに微笑まれているのか、わからない様子で首を傾げていた。
「ゾナ」
二人のやり取りを、和んだ瞳で見つめていたゾナは、思い詰めた声に名を呼ばれ、振り向いた。振り向いたインジュは、え?とゾナを呼んだ者の顔を見て緊張した。
ゾナに声をかけてきたのは、雷帝妃・セリアだった。セリアは蒼白で、今にも倒れそうだった。尋常でない様子に、ゾナは思わず腰を浮かせた。
「セリア嬢?どうしたのかね?体調でも――」
額に手を伸ばしてくれたゾナの手を、セリアは両手で取った。そして、とった手をギュッと握ってきた。彼女はあまりゾナを頼らない。セリアに触れられたことのなかったゾナは、驚いた。危機感のある瞳で見つめられ、ゾナは戸惑うしかなかった。
「インファが……インファが、大怪我を負ってるの!ゾナ!わたしに許可を出して!インファの所へ行かせて!」
彼女の左右で違う青と緑色の瞳から、宝石のような涙がポロポロと流れ始めた。そう言われても、風の精霊ではないゾナには、この城の者を動かす権限はなかった。命を出せる王、副官、補佐官の風三人は、城を閉じ、出撃してしまっている。もう一人命を下せる者は、記憶喪失でその資格を失ってしまっていた。ゾナは城への侵入者にのみ、城の者を動かせる権限を得ているにすぎなかった。
「わたし……わかるの。インファのこと、わかるように霊力を忍ばせてたから!お願い!行かせて!」
インファが死んじゃう!と、セリアはゾナの手を握ったまま、泣きながらその場に座り込んでしまった。
「お父さん、危ないんです?お父さんが危ないってことは、リティルも危ないですよねぇ?」
猫のように、ゴロゴロ喉を鳴らしそうな雰囲気だったインジュが、スクッと立ち上がった。シェラが彼を見上げると、インジュは薄ら笑みを浮かべていた。その瞳を見たとき、シェラはゾクッと背筋が凍る思いがした。彼の瞳が、血に飢えたオウギワシのそれに、変わっていたからだ。
「ゾナ、ボク行ってきますね。命令違反の罰は、リティルからキチンと受けますから」
クルッとインジュがシェラを見下ろした。そして、ニッコリ笑った。その瞳は、もうオウギワシではなかった。
「シェラ、炎の城へゲート開いてください。ボク、風の王の盾なので、行かないといけないんです」
お願いしますと、インジュは頭下げた。
シェラは頷いて立ち上がると、何もない空間にゲートを開いてくれた。おや?案外簡単に開いてくれたなと、インジュは思った。なぜわたしが?くらい、言われると思っていた。
「インジュ……」
ゲートに向かうインジュに、セリアが駆け寄ってきた。一緒に行きたそうなセリアを押し止め、インジュは柔らかく笑った。
ああ、こんなに泣かせちゃって、お父さん、しっかりしてくださいよぉ!とインジュは思いながら、最近喧嘩していた二人を、これで仲直りさせてやろう!と、お気楽に画策していた。お父さんが大怪我?たぶん、腕の一本や二本犠牲にしたって、あの人はケロッとしてますよと、インジュは、生き残って勝てればいいと瞬時に策を弄する、リティルの次に怪我しやすい潔い父を思った。
「大丈夫ですよぉ!お母さん、お父さんの命は、ボクがちゃんと守りますから!」
セリアは、不安そうにしながらも頷くと、インジュからそっと離れた。
行ってきますと、インジュはいつものようにゲートに足を――
「ええ?あわわ!ちょっと、これボク怒られるだけじゃすまないですよー!」
ドンッと背中を突き飛ばされたインジュは、ぶつかってきた者と共にゲートを越えていた。
宝石の精霊・ラジュールは、宝石三姉妹と呼ばれる、三人の娘の母親だった。
彼女達は、幻惑の暗殺者と呼ばれ、イシュラースで、知らぬ者はいないほどの知名度を誇る精霊だ。
長女・魔水晶のエネルフィネラ。次女・ラピスラズリのスワロメイラ。三女・蛍石のセリアセリテーラ。
彼女達の戦闘能力は、風の精霊に匹敵すると言われている。それが言われているだけではないことを、リティル達は熟知していた。
「インファ!」
リティルは、天井近くにいるインファを見上げて叫んだ。
「大丈夫です。ですが、急いでくれると、ありがたいですね」
インファは、空中に貼り付けにされていた。いつから張られていたのか、玉座の間には、時折炎の赤に煌めく透明な糸が張り巡らされていた。ラジュールに先陣を切って切りかかったリティルは、その糸の存在に気がついたが、すでに止まれないところまできていた。インファがリティルの襟首を捕らえて引き戻してくれ、難を逃れたはずだった。
「あら、リティル様を捕まえたつもりだったのに、残念ね」
楚々と姿を現したのは、水色の透き通った髪をポニーテールに結い、赤い袴を履いた清楚な女性だった。長女・エネルフィネラだ。
「エネルフィネラ、間違えたならインファ放せよ」
リティルを引き戻したインファは、幾重にも襲ってきた細い殺気に反応し、リティルを突き飛ばした。突き放されたリティルが振り向いた時には、インファは体中に糸をかけられ、刹那、空中へ引っ張り上げられていた。ギシッと嫌な音がリティルの耳に届き、血の赤と金色のイヌワシの羽根が視界に散った。手を伸ばす暇さえなかった。
今、空中にいるインファは強がっているが、体中に糸を絡まされて、ジワジワと締め上げられていた。肌が傷つけられて、糸に赤い雫が滴っていた。
「嫌よ。せっかく捕まえたのよ?喧嘩中だというし、旦那様の首、妹に贈ってあげたら悦ぶかしら?」
フフフフと、エネルフィネラは妖艶に微笑んだ。
ルキにラジュールが粛清され、彼女達の母の証をセリアが継承している。それからずっと、彼女達は風の味方だった。これまで何度も、共に戦った仲間だった。
だが、やはり、本物の創造主には逆らえないらしい。完全に洗脳されていた。彼女の操る糸は厄介だ。透明で見にくく、触れただけで切られるほど鋭利だ。そして、イタズラに断ち切ると切れた糸が硬化して、針のように突き刺さってくる。幸い、まだ張り巡らされた糸は少ない。今ならば、オオタカに化身すれば糸間をすり抜けて、インファを助けられる。 リティルが飛ぼうとすると、銀色の光が閃いた。
エネルフィネラを警戒していたリティルの反応は僅かに遅れ、一撃は凌いだものの、二撃目は右肩をかすめていた。彼女に気がつかないなんて、鈍っているなと、リティルは体の不調を自覚した。
「リティル、ごめんねぇ?ウチも、逆らえないわ。だから、ウチに殺されて!」
軽やかに踊るように切り込んできたのは、フワフワしたくせっ毛の小柄な少女だった。
次女・スワロメイラだ。
チャクラムという輪のような刃を両手に持ち、リティルにダンスの相手でもさせるように打ち込んできた。リティルは応戦するが、思いの外右肩の傷が深い。鈍った右側を突かれ、蹌踉めいた。五年前ならこんな傷、超回復能力だけで瞬時に癒やせたのに!と、リティルは歯痒さに奥歯を噛んだ。
「リティル、インファを解放しろ!」
彼女の刃をリティルの代わりに受けたのは、長剣を抜いたノインだった。ノインの言葉に頷くと、リティルはオオタカに化身して糸間を見極めながら、インファめがけて飛んだ。
キンッとノインの剣を弾き、チューブトップに、足首ですぼまる、ふんわりとしたズボンをはいた、エキゾチックな軽装の少女は、猫のような身のこなしで地に降り立った。
「あらやだー!ノインったら、インのコスプレ中?ねえ、なんでもいいからウチのこと、止めてくれる?」
「スワロメイラ、本心と嘘が入り乱れている。何があった?」
スワロメイラは、ラジュールに逆らい捨てられた過去がある。そんな彼女は、インともリティルとも友人だった。スワロメイラは、洗脳に抵抗しているらしく、発言に乱れがあった。
「急だったのよ。いきなりお母様が現れて。ねえ、リティル鈍ったわねぇ。ウチなんかにあんなに斬られて。今のリティルなら、ウチでも殺せちゃうわねぇ」
ニヤリと、スワロメイラは凶悪に微笑んだ。切れ味を増した彼女の刃に、冷静に対応していたノインだったが、エネルフィネラの糸が徐々に忍び寄るのを感じていた。この糸の森の外にいるエネルフィネラを押さえなければ、やがて身動きが取れなくなってしまう。
それには、目の前のスワロメイラを退けなければならないが、切って捨てるには躊躇いがあった。躊躇うほどの蓄積された時間が、彼女とノインとの間にはあった。ノインにとって彼女は、大事な友人だった。
「躊躇っちゃダメよ。ノイン、今ならまだ出られるわよ?ウチら、不死身なのよぉ?」
スワロメイラは笑いながら、自らの刃を首に向けた。行けと言ってくれたことがわかったが、ノインは咄嗟に剣を持ち変えると、柄を彼女の腹に叩き込んだ。カランッと、スワロメイラの手から刃が落ち、ノインは力を失った体を抱き留めた。しかし、スワロメイラを見捨てられなかった為に、脱出の道を失っていた。
「あらあら優しいわね。でも、忠告は聞いておくべきだったわねぇ」
鋭い殺気がノインの周りを飛び交った。ノインは、少しでも動けば切られる糸の牢獄に、閉じ込められていた。
さて、どう料理してあげようかしら?と、気を失ったスワロメイラを胸に押し抱いたノインの前に、エネルフィネラは立った。
インファは、救出されてもしばらくは動けないだろう。そんなインファを抱えてでは、リティルもこちらの加勢には来られない。さて、どうするか。ノインは鋭い瞳で、優位に立っていることで警戒を怠っている、エネルフィネラを観察していた。
「優しいのは悪いことじゃないです。スワロは友達ですもん、傷つけたくないのは当然じゃないですかぁ?」
気配と声は、突如エネルフィネラの頭上に現れた。ハッと見上げたが、時すでに遅く、エネルフィネラは一瞬で床に倒されていた。
「すみません。大人しくしててくださいね」
一撃でエネルフィネラの意識を奪ったのは、ここにいるはずのないインジュだった。インジュはスワロメイラを組み敷いたまま、切れ長の瞳に硬質な光を宿して、戦場を注意深く見つめた。術者を失い、玉座の間に張り巡らされた糸は、切れて消えていった。糸の消失を確認して、インジュはハアと安堵のため息をついた。そして、すみませんといいながらエネルフィネラの上から退いた。
「インジュ!なぜここへ?」
駆け寄ってきたノインに、インジュは困ったよう苦笑した。
「お母さんが、お父さんが大怪我して大変だって泣いちゃいまして。無断で来ちゃいました。役立ちましたぁ?ノイン」
インジュは、インの姿のままのノインを、間違えずにその名を呼んだ。柔らかく微笑んだインジュは「おかえりなさい、ノイン」と言った。
「ああ、礼を言う。インジュ、インファとリティルを癒してやれ」
ノインはふと、インジュの髪に止まる一匹のモルフォ蝶に気がついた。だが、それには触れないことにした。
「はい。あの、ノインは?」
「オレは本丸だ」
ノインはそう言うと、スワロメイラをエネルフィネラの隣へ寝かせ、風の障壁を使い彼女達を檻に閉じ込めた。目を覚ました彼女達に、また襲われないための処置だった。ノインの風の障壁の強度は、なぜにこんなに硬いの?と疑問なほど強固だ。スワロメイラとエネルフィネラでは、破ることはできない。
「ボクは行かない方がいいですかー?」
「おまえは来るな!エセルトを頼む。悪霊達に、かなりの霊力を喰われてしまった」
インジュは、城の奥へ向かうノインの背に声をかけた。半分わかっていた答えだった。インジュは頷くと、インファを支えて舞い降りてきたリティルのもとへ飛んだ。
二人のもとへたどり着くと、確かにセリアが言っていたようにインファは重傷だった。
輪切りにされなかったのが不思議なくらいで、とくに、首の傷が酷かった。
これは……冗談ではなく危険だったなと、インジュは青ざめた。
「あわわ、お父さん、しっかりしてください。今癒しますから」
インファはしゃべることもできずに、小さく咳き込んでは血を吐いていた。リティルも無傷ではなく、血は止まってはいたが右肩の傷は癒やしきれていなかった。
「シェラ、お願いします」
シェラ?インジュの言葉に、二人は顔を上げた。フワリと気配が膨張し、インジュの髪に止まっていた蝶が化身を解いた。清楚なドレスのスカートが柔らかく翻り、彼女の黒い髪がパサリとその肩に滑り落ちた。紅茶色の気丈な硬い瞳が、真っ直ぐリティルを見つめていた。
「シェラ……?」
リティルは信じられない瞳で、どこか怒っているような彼女の顔を凝視していた。
「動かないで」
シェラは言葉少なく、両手を二人にかざした。感じ慣れた温かな力を感じ、瞬時に二人の傷は跡形もなく消えていた。花の姫の固有魔法・無限の癒やしだ。
「リティルが危ないって言ったら、ついてきちゃったんです。もお、ビックリですよぉ」
インジュのため息交じりの言葉に、リティルはえ?と思わず視線を向けた。
「違います」
シェラはピシャリと言い放つと、ツンッとそっぽを向いた。そんなシェラの様子にも、嬉しそうに笑うリティルを、インジュは見たのだった。
「ハハ、ありがとな。インジュ、シェラの事頼むな。オレ達はまだ、仕事があるんだ」
「はい。エセルト診てますから、無事に戻ってくださいよぉ?じゃないと、お妃様達、泣いちゃいますからね!」
インジュの言葉に、インファとリティルはチラリと視線を合わせ、そして笑った。
「死にませんよ。セリア、泣いてくれたんですか?そうですか、やっと仲直りできそうですね。インジュ、助かりましたよ。ありがとうございます」
インファは立ち上がると、座ったままこちらを見上げている息子の頭に、ポンと手を置いた。ハイと言って、インジュは柔らかく微笑んだ。
「でもな、命令違反の罰は受けてもらうぜ?ルールだからな」
リティルの言葉で、インジュはうなだれて、はい……と答えた。
行きましょうと、インファはリティルに声をかけ、二人は飛び立った。
「リティル!」
舞い上がったリティルは、シェラに名を呼ばれ、空中で振り向いた。
「憎しみは消えません。けれど、無事に戻って!」
怒ったような顔で、シェラはそうリティルに叫んだ。
「はは、ハハハ!ああ、戻るさ!オレ、死なねーからな!」
リティルは信じられないような顔をしていたが、次の瞬間嬉しそうに笑い出した。そして、いつもの明るい笑みを浮かべて手を振ると、インファと共に城の奥を目指して飛び去った。
「あなたが憎いわ……けれども、どうか、無事に戻ってきて」
――オレはずっと君が好きだ
耳に残った声が蘇る。その声が、憎しみを溶かしていく。何に従えばいいのか、シェラはまだ惑いの中にいた。
それでも、シェラは、そっと両手を胸の前で組むと、瞳を閉じた。
宝石の精霊・ラジュールは、半身が骨なのかと思われていたが、そうではなかった。
彼女の肉体は、なめらかな陶器の人形だったのだ。右半分の体は人口の皮膚をかぶせておらず、球体の関節が剥き出しだった。
「なぜに、風の王妃に手を出したのじゃ?」
妖艶な微笑みを浮かべたまま、ラジュールは何も答えなかった。白と黒の反転した瞳はうつろだ。娘達は、あんなに感情豊かで饒舌なのに、母親の彼女は、こんなに操り人形のような精霊なのだろうかと、シャ・ファンは思いながら、剣を振るっていた。ラジュールの周りには、無数の宝石が浮かび、シャ・ファンの攻撃を防いでいた。しかし、どうにも意志を感じられなかった。
エネルフィネラとスワロメイラの乱入で、分断されてしまったが、あちらは決着がついただろうか。
リティルのラジュールを追えという指示に従ったが、リティルの動きは悪かった。
五年のブランクがそうさせているのだが、一番の理由は王妃だろうなとシャ・ファンは察していた。
改ざんされた記憶はお粗末だったが、空っぽにされた上での改ざんだ。リティルも為す術なく、シェラを持て余した。受けられるはずの恩恵を受けられず、何より安らぎを失って、このままではリティルの心は、ジリジリと疲弊し、ついには命を奪われるだろう。
なぜ、花の姫に手を出したのか?そんなこと、知れたことだ。彼女こそ、十五代目風の王の弱点なのだから。
シャ・ファンは、改めてラジュールを見た。確かに、彼女がネクロマンサーのようだが、何か違和感があった。この陶器の体がそう思わせるのか、比喩ではなく操り人形のような気がしてならなかった。
「シャ・ファン!」
その声に、うつろだったラジュールが鋭く反応するのを、シャ・ファンは感じた。
スカートを翻し、ラジュールは裸足の足を踏みきった。シャ・ファンは、それを追わなかった。
ノインは、空中で静止した。目の前に、赤いドレスの女が現れたからだ。
「申し開きはあるか?ラジュール」
補佐官殿はご立腹じゃなと、シャ・ファンは彼を見上げて思った。インよりリティルを託されたと言う彼は、リティルを傷つけられると静かに怒り狂う。今回は、王妃も絡んでいる。ノインの怒りは、相当なものだろうなと、シャ・ファンは見守っていた。
「「イン、言った通りだったでしょう?心など、記憶一つでどうにでもなるのよ」」
ラジュールは、ノインとインを間違えた。無理もない。ノインは未だ、髪が長く、仮面をつけてもいない。ノインとは初対面のラジュールには、わかりようもなかった。
「シェラの事を言っているのか?彼女なら、リティルを案じて、王の待機命令を無視し、この城にわざわざ傷を癒やしに出向いてきたが?」
はったりだった。インの残してくれた記憶の中のシェラは、その気丈さ故にリティルを真っ直ぐ敵視していた。そんな彼女が、今、口にしたようなことをするために出向いてくれるとは、残念ながら思えなかった。インジュが誘って、ただついてきただけなのかもしれない。けれども、今必要なのは真実ではない。ノインはラジュールを静かに睨んだ。
「ラジュール、セリアの記憶を操作したのは、実験か?あの時彼女は、インに恋などしていなかった。セリアは、恋心に興味を持っていただけだ。ラジュール、なぜ風の王に固執する?」
セリアの受けた、一日の命を繰り返す罰。セリアに出会ってからノインは、そのことを度々考えていた。その罰は、彼女が恋をしたから受けたと聞いたが、インの記憶にあるラジュールが、そんなことで罰を与えるとは思えなかった。
あれが、記憶操作の実験だったことにたどり着いたのは、インだった。インは、昏倒したリティルを寝かせて部屋を出た後、セリアに近づいた。
そして、過去の記憶を大半失っていることを知った。そして、その理由も。セリアはその頃のことを、少しだけ知っていた。それは、戯れに記憶の精霊・レジーナに聞いたからだという。
ラジュールは、小箱に入ったダイヤモンドを使って、別の記憶を刷り込んでいたと、インに語った。しかし、その記憶はセリアが命を終えて次に目覚めると、もうなくなっていた。それがずっと繰り返されていたと思うとゾッとして、それ以上見られなかったと、セリアは俯いた。
不安や恐怖があるのなら、ノインを頼らず、インファのそばにいろと言うと、インファの負担になりたくないからと殊勝なことを言い出した。これ以上出しゃばるのは、どうかとも思ったが、インは過去の経験からセリアに忠告をしてくれた。
インは「インファは風だ。いつ別れがくるかわからない。せっかく心を繋いだのだから、遠慮するな」と、セリアに言ってくれた。
それでもセリアは、行動できなかったが、インに生命奪取のことを聞いたインファが、早速行動に移した。そういうところは、やはりインファだなとノインは思った。
ノインの言葉に、ラジュールはフフフと妖艶に微笑んだ。セリアのことは、あまり重要ではないらしい。話題を別の者達のことに変えてきた。
「「愛とは移ろいゆくモノ。そして、簡単に操作できるモノ。イン、レシエの告白、どう感じたかしら?」」
ここに立ったのが、インではなくて本当によかったと思った。シェラの変貌を目の当たりにした今、その逆もできるのだろうことは、冷静に考えれば理解できた。
「そうか。だがもう、終わったことだ」
ノインは長剣を突きつけた。レシエのホンノリ朱に染まった頬。インに想いを告げられてよかったと、優しく笑っていたその顔が、ノインの脳裏に蘇っていた。それが、偽りだったと、もう、ここにはいないインに知られなくてよかったと、ノインは切に思った。
インは、長く生きたが、その心は苦悩に満ちていた。冷たく凍った瞳は、彼の涙さえ氷り付かせていた。そんな彼を慰めていたのは、花の姫・レシエだった。
インは、レシエに「おかえりなさい」と微笑まれるためだけに、生きていた。
リティルを生み出し、息子の存在に本物の安らぎを得るまで、インを支えていたのは、ただその当たり前な言葉だった。
「「愛は、些細なことで憎しみに変わる。壊れていくそれは、極上の音楽のように、美しく儚いわね。グロウタースに悲恋が溢れるのは、皆、その甘美さを知っているからなのね」」ノインの刃が閃いた。ラジュールを庇い、宝石たちが身代わりに砕けて散っていく。
「一つ聞きたい。レシエに記憶操作を施したのは、いつだ?セリアを実験に使う前か?それとも、後か?」
ラジュールは高らかに笑いながら、答えてくれた。
「「そんなこと。何の為の実験かしら?」」
気安いセリアが、インの腕を取って神樹を越えたとき、そんな二人の姿を見て、世間知らずのレシエは誤解した。インがセリアを選んでいるのだと思って、傷ついた顔をした。彼女は、セリアが一日の命を繰り返す呪いを受ける以前から、インのことを好きだったのだ。ノインはそれを確信した。
「では、レシエの心は本物だ。おまえの記憶操作でできた、張りぼての想いではない。インファ!」
ノインが副官の名を呼んだ。キラリと輝く金糸のような風が、下からラジュールを襲った。彼女の周りにあった宝石たちが、風の糸に貫かれて次々に砕けていった。
「想いは記憶に依存する。それは否定しない。だが、たとえ記憶を失っても、持っていた感情は心に、体に宿り続ける」
ノインはそれを知っている。リティルの心を守るため、蘇らせられたインは死ぬことができなかった。苦肉の策で、リティルと過ごした日々のすべてと、今ここに蘇ってしまったという記憶をインは捨て、インという名すら差し出したのに、リティルを、最後の風の王にするために、何を犠牲にしても守るという、感情に薄かったインの、叫びのような嵐のような想いは、消えなかった。
ノインは、目覚めて割とすぐに、自分の存在が、インの蘇りの生まれ変わりであることに、気がついた。記憶を失っても、確かに、感情がリティルを覚えていたのだ。
――インには戻れない。だが、これからも、オレはおまえと飛ぶことができる!
ノインの背後に、力強い気配があった。
「そうだろう?リティル!」
ノインを飛び越え、リティルがラジュールに襲いかかった。リティルの目には彼女の魂が見えていた。それは、ラジュールの人形の体の中を移動していた。だから、ルキが粛清し損なったのだと、リティルは知った。
「あいつが忘れたなら、もう一度、出会い直すぜ!それで、もう一度、あいつに愛されてやるんだ!」
魂は、剥き出しの人形の右手の平に逃げた。リティルの剣は、それを確実に斬り砕いていた。ラジュールの体が、透き通った、七色に輝く塵となって、儚く消えていく。
「「消えない……憎しみの、記憶は、消え――な、い……」」
「それならそれでいいさ!愛と憎しみは、表裏一体なんだ。シェラの心に、オレがいるなら……構わないんだ!」
記憶の中で、シェラが愛しそうに笑いかける。もう届かない、最愛の人――
さよなら、シェラ。今まで、こんなオレを愛してくれて……ありがとう……
リティルの叫びが、空しく空気を震わせていた。
玉座の間に戻ると、インジュが駆け寄ってきた。
終わったんですね?とホッとして笑うインジュに、風三人は和んだ笑みを浮かべた。
シャ・ファンは、リティルのブレスレットに宿らせた。彼は、長く活動できなのだ。
リティルは視線を感じて、顔を上げた。
そこには、怒ったような瞳で、こちらをジッと見つめているシェラがいた。
「ご無事でなによりです」
シェラは固い声でそう言った。
「ああ、ただいま。シェラ」
リティルはシェラに、明るく笑いかけた。
さよなら、シェラ。君が、好きだよ
ラウンド1 双子の風鳥の極悪人・ビザマの乱入により
ドルガー 対 ビザマ 相打ち
ラウンド2 次女・スワロメイラ戦 勝者ノイン
煌帝・インジュ乱入により
長女・エネルフィネラ 対 インジュ 勝者インジュ
ラウンド3 勝者リティル




