五章 不本意な剣狼の女王チームVSリティル、雷帝親子
双子の風鳥の極悪人・ビザマ 対 風の王・リティル
十四代目風の王・イン 対 雷帝・インファ、煌帝・インジュ
剣狼――風の領域に住まう、オオカミの姿をした精霊獣。創世の時代から、風の精霊とは密接に関係し、初代とは共闘関係にあった。その後の王たちを見守ってきたが、すぐに死んでしまうがゆえに、関わりは持たなかった。
剣狼の女王は、フツノミタマという、グロウタースのウルフ族に酷似した姿の、野蛮な女性だ。彼女は、ひょんなことから現在の風の王であるリティルを気に入り、彼との契約の下、花の姫・シェラを守っている。
守っているのだが……フツノミタマは、目の前にいるものを見つめて、深くため息をついた。
ここは、剣狼の谷と呼ばれる、剣狼の集落だ。
「うぬら、わらわが今、どういう立場におるのか、わかってやっておるのかえ?」
様々な生き物の骨で作られた椅子に座った、毛皮で胸と腰しか隠していない野生じみた出で立ちの女性は、ジロリと珍しく人型をとっているティルフィングに問うた。
彼の傍らには、風の王妃を横抱きに抱いたビザマがいた。シェラをどこぞから攫ってきたことは、容易に知れた。
「フツノミタマ、おまえがリティルの剣狼だということは知っている。故にここへ来た。おまえは、アクアとの離婚の経緯を知っているか?」
この女王・フツノミタマをおまえ呼ばわりとは、一度死んでも性根は変わらないなと、フツノミタマは呆れた。だが、こういう輩は好物だ。リティルの縁でなければ、剣狼にスカウトしていたと、フツノミタマは目を細めた。
それにしても、なんと言った?とフツノミタマは首を傾げた。
「離婚じゃと?アクア――シェラとリティルが、とな?何を言うておる。二人は未だ、仲睦まじいぞえ?」
フツノミタマは、驚いて真っ向から否定した。そして、そう思うに至った経緯を詳しく聞いてみた。
「おぬし、それはシェラがリティルを想ってついた偽りじゃ。物理的には確かに、一心同体ゲートを失のうておるが、心は離れておらぬ。わかったら、返してやらぬか!リティルはすでに、帰還しておるぞえ?」
フツノミタマは、頭痛がして額に手を当てると、リティルを庇った。それを聞いても、ビザマは信じた様子がなかった。
「五年、離れていたというのは?」
「それは、仕事じゃ!リティルも、やりたくてやったわけではないぞえ!」
フツノミタマは、思わず身を乗り出した。肘掛けの猿の頭蓋骨に、彼女の獣じみた長い爪がギリッと痕をつけた。
「知らぬじゃろうが、風の仕事は長期にわたるものもあるのじゃ。インなんぞは、いつ帰ってきておったのか、わからぬ状態じゃったぞえ?」
懐かしいと、フツノミタマは、腕を組むと椅子に深く腰掛け直した。
「フツノミタマ、邪魔をする」
ビザマの背後、天幕の出入り口の布を上げて、彫像のように美しい風の精霊が、遠慮なく入ってきた。
「おお、噂をすれば、イン!……?!!??!」
「フツノミタマ、美人が台無しだぞ?」
ビザマは、オオカミに戻ったティルフィングに、目覚めないシェラを託しながら、驚いたり、目をすがめたり、首を振ったりしているフツノミタマの様子に、思わず笑った。シェラを託されたティルフィングは、腹をつけて寝そべると、シェラのソファーになった。
「う、うるさい!おぬし……何奴?」
警戒気味のフツノミタマの様子に、来客になど興味がなかったが、彼女の様子があまりに大げさで、ビザマは出入り口に視線を向けた。
「……イシュラースには、裏技があるのか?それとも、リティルがねじ曲げたのか?」
立っていたのは、金色の長い髪を緩く束ねた、冷たい瞳の美しい精霊だった。その背には、風の王だけが生やすことの許された、オオタカの翼があり、ビザマは彼を知っていた。
彼は、リティルの父である、十四代目風の王・インだ。
だが、彼の魂はリティルが継いでいて、彼の心はビザマの魂と共に、輪廻の輪に帰ったはずだと、ビザマは思い出していた。
「どっちも否じゃ!リティルはすこぶる真面目な風の王じゃ。不穏な奴め。十五代目風の王の命を脅かす者であるならば、このフツノミタマ、命を賭けて、おぬしを討ち取ってくれる!」
インと思わしき精霊は、記憶の中にあるとおり、無表情で冷たい瞳をしていた。だが、違和感がある。姿形はインだが、気配が違う。フツノミタマは、この気配をよく知っている気がした。最近もどこかで――
「記憶の混乱がある。我の中に王の証が感じられないが故、代替わりをしたことはすでに理解している。フツノミタマ、そなたは風の王を観察していた。状況の説明を要請する」
「インじゃな。おぬし、紛れもなくインじゃ。よかろう。説明してやろうぞ。心して聞くがよい」
……………………
「長い」
ビザマとインは、フツノミタマの前に胡坐を掻いて座っていた。彼等の前には、鉄瓶に入ったお茶と茶托に乗った湯飲みが置かれていた。湯飲みには、グロウタースのある島の、四季を彩る花々が描かれていた。
「何故おぬしまで聞いておるのじゃ?そして、文句を言うでない」
この目の前にいるインは、なぜかまるっきり、リティルとの事が抜け落ちているようで、リティルとの関係性から説明してやる羽目になり、フツノミタマは何度もお茶を、がぶ飲みした。
「のう、インよ、わらわも共に行く故、十五代目に会いに行かぬか?主のことじゃ、何か掴んでいるやもしれぬ」
フツノミタマは、この提案にインはすぐ乗ってくると思った。この状況、共闘したほうがいいことは合理的なインならば、すぐに理解できただろうからだ。しかし、インは少し俯いた。そして、ややあって口を開いた。
「記憶にないというのに、リティルのことを思うと、心がざわめく。あまり会いたくない相手だ」
インは珍しく困惑しているようだった。
「イン、オレはあなたを知っているぞ。その様子では、オレのことも忘れているのか?」
「一度目の死の記憶までが、我の持っている記憶だ。その後、二度目の死までの記憶はない。ただ、そなたからは懐かしさを感じる」
「そうか。それは寂しいが、懐かしく思ってくれるならば、それでいい。イン、リティルと面と向かって会いたくないのならば、オレの謀に乗らないか?」
ああ、こやつ、わらわまで巻き込むつもりじゃな?とフツノミタマは呆れた。フツノミタマは、ビザマという男のことはよく知らない。リティルに敵対していたくせに、最後はその命を賭けて、リティルを救って死んでしまった。なかなかに興味をそそる男だったが、ティルフィングの相棒で、リティルが父と慕う男故、剣狼へスカウトできなかった。
行動を共にすると、ますます欲しくなってしまいそうだが……
「ビザマ、おぬし魂がないようじゃが、どこぞへ落としたのかえ?」
興味本位で、ビザマの魂を見てやろうと、覗いたフツノミタマは、彼の中に魂がないことに気がついた。
「魂を落としてそれでも動いているのならば、それはゾンビという化け物だ。なるほど、オレはゾンビというヤツか」
ビザマは、開き直っている様子だった。インも見てくれたが、フツノミタマと同じ見解だった。
「魔物の気配はしないが、確かに魂がないようだ。こんな事例は我も初めてだ」
風の敵ではないとインが言ってくれ、ビザマはそれを聞いて、いくらか安心したと答えた。
「ふむ、十五代目になってからというもの、妙な事件が度々起こるでのう。してビザマ、シェラに何をしたのかえ?一向に目覚めぬが」
「半分氷漬けにした」
「おぬし!女子の体に傷がついたらどうしてくれる!手は……温かいのう。体は……顔は……」
フツノミタマは慌ててシェラの前に跪くと、その体を確かめるように触り始めた。
「体温は戻してやった。心配いらん」
「ええい!黙れ!無体なことをしおって!」
怒るフツノミタマの隣に、スッとインが膝を折った。そして、壊れ物でも扱うような手つきで、眠るシェラの額に手の平を当てた。
「……霊力も体にも異常はない。花の姫は戦うような精霊ではない故、疲れたのだろう。しばらく安静にしろ」
「ほお、おぬしセクルースの精霊に、興味がないと思うておったが、花の姫には詳しいのじゃな」
インは少し、瞳を曇らせたがポツリと言った。
「花の姫は、風の王を乱す存在だ」
「なんだ?色っぽい言い方をするな。あなたの時代にも花の姫がいたのか?」
「レシエという姫がいた。シェラが目覚めたということは、彼女は役目を終え、輪廻の輪へ逝けたのだな」
インの表情のない瞳に、愛しさが浮かぶのを見て、フツノミタマは驚いた。そして、ちょっとからかってやりたくなった。
「ほおー?おぬし、ほお?」
「短命の我らには、過ぎた存在だ。血塗られた手では、哀しみしか運べない」
永遠の風の王になるかと思われた、十四代目風の王・イン。リティルはまだ、彼の生きた時間の、半分も生きていない。
浮いた話のなかったインは、世界のゲートである神樹を抜けるたび出会う、花の姫に思いを寄せていたのかと思うと、なんとも切ない。
そっとシェラの頬を撫でたインは、急に顔を上げるとビザマを見た。
「ビザマ、花の姫、返してやれ」
「はん!迎えにこさせる」
五年もほったらかしにした罪を、償わせてやる!と、ビザマは子供のように怒っていた。
「感情的じゃな。じゃから、主のせいではないと、言うておるに。面倒なヤツじゃ。ミストルティン!ミストルティンはおらぬか?」
女王の声に、一頭のオオカミが現れた。彼を見たビザマは、剣狼の見た目はソックリだなと思った。ティルフィングと契約していなかったら、この谷で彼を見失えば見つけられないなと思った。フツノミタマは、やってきたオオカミに、限定解除と呟いた。
「お呼びですかな?お嬢様」
女王の前で人型になったミストルティンを見て、ビザマは思わず湯飲みを落としそうになった。ミストルティンは、初老のスーツ姿の礼儀正しそうな男になったからだ。とても、戦えるようには見えなかった。
「お嬢様はよせというに。まあ、よい、ミストルティン、風の城に伝言を持って行っておくれ。主に直接渡すのじゃ。くれぐれも、副官、補佐官、ルディルのアホには渡すでないぞ」
フツノミタマは、その場で手紙を筆でサラサラとしたためると、執事にしか見えないミストルティンに渡した。
「かしこまりました」
ミストルティンは一礼すると、オオカミに戻り風のように走り去った。
「望み通り、リティルに迎えに来させてやろうぞ。ただし!ビザマ、これで返してやるのじゃぞ?しかし、おぬしらこれからどうするのじゃ?」
「決まっている。リティルに斬られてやるのさ」
そんなことかと、ビザマは腕を組んだ。
「ドヤ顔で何を言うておるのじゃ!おぬし、曲がりなりにもリティルの父親じゃろう!」
「父親になった覚えはない!オレはリティルの宿敵だ。それに、それ以外に終わらせる方法があるのか?オレは死者だ。自分が死んだ記憶もあるからな。まったく迷惑な話だ。誰だ?眠りを妨げたヤツは!」
「それを調べたら、よいではないかえ?殺し合うより有意義じゃ」
フツノミタマは、額に手を当ててため息をついた。
「同感だ」
「イン、そなたはどこで目が覚めたのじゃ?何か目的があるのかのう?」
「ガラスのような翼のある少年と、交戦していたようだった。我に助けを求めた存在がいたようで、気がついたらそこにいたような状態だ」
ガラスのような翼?レイシか?とフツノミタマは思ったが、インは彼のことを知らない。交戦していたようだったというのは、なぜ戦っていたのか、それすらわからないということか?と解釈して、フツノミタマはこっちも問題だなとため息をついた。
「目的なしかえ?おぬしら、リティルと交戦してもよいから、終わったら主と話をしてもらうぞよ」
「生きろと?面倒だな」
「気が進まない」
「ええい!決定じゃ!逆らうというなれば、この谷の剣狼全員に相手をさせるぞえ!」
フツノミタマが拳を肘掛けに振り下ろすと、肘掛けの飾りだった猿の頭蓋骨が割れてしまった。
リティル達が風の城に帰ると、ルディルとゾナが待っていた。
そして、開口一番、ルディルに謝られた。
「すまん。ビザマにシェラを攫われちまったわ」
「はあ?どうしてビザマが、シェラを連れていくんだよ?」
「それがなぁ、おまえが来なかったことに、腹立ててたみてぇだったぞ?」
ルディルは何が何だかわからんと、頭を掻いた。
「オレとやりたかったのか?あいつ、何考えてるんだ?インリーは?」
リティルは、あからさまに怪訝な顔をした。父親だと豪語していたが、あのビザマの行動は、リティルにもわからないらしいなと、ルディルは思った。
「手ひどくやられてな、寝かせてきた」
「え?インリーが?ビザマって、そんなに強いの?」
インリーが負けたと聞いて、レイシが信じられないと声を上げた。
「強えーなー。今のオレでも正面切ってだと、五分五分じゃねーか?」
あいつを出し抜けるのは、ノインかインジュくらいだなと、リティルは腕を組んだ。
インジュは「ボクです?」と、柔らかな切れ長の瞳を瞬いた。
リティルは「おまえの動き、トリッキーだからな」と答えた。インジュはますます、腑に落ちない顔をしていた。女性的な容姿で、華奢なのに、インジュは体術を駆使して戦う。その拳の威力は、象をも一撃で倒すほどだ。それを、彼の見た目からでは、とても想像できないだろう。
「加えて、ティルフィングの限定解除だ。不意突かれて、魔法が間に合ってねぇな。おう、リティル、インリーもうちょい鍛えてやれ」
剣狼の限定解除?っと、リティルは声が裏返るほど驚いていた。そして、ティルフィングか……と呟いた。じゃあシェラとインリーじゃ勝てないなと、リティルは苦々しく俯いた。
「インリーな、籠城か追いかけっこのほうが得意なんだよ。罠張り巡らせて徐々に力を削いでいって、最後に大魔法って戦い方なんだ。退却を選択しなかった、シェラのミスだぜ?」
それもまた珍しい。シェラがインリーの戦い方を、活かせないわけはないのだ。その戦い方を伝授したのが、シェラなのだから。
リティルがインリーのところ行ってこいと言うと、レイシは頷いて応接間を後にした。
インファもセリアを寝かせてくると言って、インジュを伴って、レイシを追うような形で出て行った。
「ノインとフロイン、別任務か?」
残された、ルディル、ゾナ、ユグラは、リティルに座れと促されてソファーに腰を下ろした。皆が座るのを見計らって、リティルは、シラサギが持ってきてくれた、ワゴンに用意された紅茶を、手ずから淹れた。
「ノインは、インに乗っ取られて、セリアとフロイン蹴散らして、レイシと戦って飛んでったらしいぜ?フロインは気絶してたからな、オレの中に戻したんだ」
リティルはティーポットから紅茶を注ぎながら、振り返らずに答えた。
「あ?イン?サレナじゃねぇの?」
たしか報告では、サレナが出たと聞いたが……とルディルはリティルを振り返った。
「あ!」
ルディルの言葉に、ユグラが突然大声を出して立ち上がった。
「おわ!何だ、急に」
「あのね、あのね!ノインがサレナにキスされて、フロインに消し飛ばされたとき、変な感じになってたの!」
「「はあ?ノインがサレナにキスされたって?」」
男二人に、机越しとソファー越しに詰め寄られて、ユグラはドスンッとソファーに尻餅をついていた。ゾナはただその様を傍観していた。
「修羅場か?修羅場になったのか?」
あいつ、そんなにボーッとしていやがるのか?と、ルディルは大げさに面白がった。
「フロインにキレられて、現実逃避してインになっちまったのかよ!」
ルディルとリティルは顔を見合わせて、ないなと言って頷くと、ルディルは腕を組んでソファーに座り直し、リティルは紅茶の用意を再開した。
「こりゃ、ノインは捕まえて調べてみねぇことには、何飲まされたのかわからねぇわ。ドルガーの方は片付いたのか?」
「親父はな、オレと無常の風がずっと追ってた悪霊だ。糸はつけたからな、獲物がかかったら釣り上げてやるぜ!」
「なんだそりゃ!悪霊?おまえ、大丈夫か?」
ドルガー、親父ィズだよな?とルディルが案じた。リティルは一括りにされた父親達に笑い、そうだと頷いた。
「ハハ、大丈夫だぜ?もう、怒りなんかとっくに通り越してるぜ。やっと見つけたって、喜びの方が大きいくらいなんだ」
ルディルは、リティルから紅茶の入ったカップを受け取りながら、彼の様子を観察していた。その笑顔が穏やかで、達観しているようで不安になった。
「リティル、次にまみえたなら、あまり話をしないほうがいい。無駄に傷つくことはないのでね」
ドルガーの話が出たことで、ゾナが控えめに警告してきた。過去が過去だけに、心配するよな?と彼の警告を素直に受けた。
「ありがとな。ゾナ、オレ、全部知ってるんだ。だからな、気使わなくていいんだぜ?親父のことは、無常の風とやるから、おまえは城で待っててくれよ」
「承知した。ところで、ユグラ嬢、サレナが何かと言っていなかったかね?」
ゾナが優しく、ユグラに尋ねた。
「ええと、上手く説明できないんだけど、サレナの体がフロインに壊されたとき、文字になって消えていったように見えたの」
「文字、ねぇ……」
ルディルが足を組み直しながら、顎を撫でた。
そんな魔法あったか?と考えていると、城の奥へ続く扉が開いた。戻ってきたのはインファだった。インファは翼を広げると、扉から十数メートルの距離を、一気にソファーまで飛んできた。
「おう、インファ!セリアと仲直りできたか?」
「何のことですか?」
ジロリと睨まれて、ルディルはまだなのかと、組んだ膝の上に頬杖をついた。インジュを置いてきたということは、心配はしているんだなと少し安堵した。
「インファ、それ、ホントなのかよ?」
セリアと喧嘩中で、その原因がノインだなどと、リティルにとっては信じられない事態だった。何があったらそうなるのか、普段の副官と補佐官を思い浮かべる限りは、想像がつかなかった。
「それとは何ですか?それより父さん、無常の風をここへ呼んでください」
今すぐ!とインファの瞳がそう言っていた。帰って早々、雷帝の怒りまで買うことになるとはなーと、リティルは苦笑いした。そして、左手首にしていたブレスレットに、そっと呼びかけた。
ザアッと夜だとわかる暗い風が立ち上り、膝裏まである黒い長い髪を、ポニーテールに結った、四十才くらいの男性が姿を現した。頬はこけ、目は落ちくぼんではいたが、切れ長な金色の瞳には鋭い光があった。無常の風・ビ・ウジだった。
白い刺繍のオオタカの羽根の舞う、サイドに深いスリットの入った純白の長衣に、長ズボンを合わせた、見慣れない服装をしていた。
「おう、久しぶりだな。相変わらず辛気臭ぇ面していやがるなぁ」
「ルディル様、お久しゅうございます」
ビ・ウジは、スッと両手を胸に当て礼をした。
「ガハハハ、堅いねぇ。リティル、オレは一旦帰るわ。明日の朝には顔出してやる。それまでに、方針固めとけ」
方針固めとけ?関わる気満々なのかよ!と、リティルは苦笑した。だが、好意は受けておこうと思った。これでも、顔には出していないが、復活したてで、これは自業自得だが血を多量に失って、倦怠感で今すぐ寝たいくらいだった。
「ああ、悪いな。ハルによろしくな」
リティルは、ルディルの妃の名を口にした。彼女は夫と共に太陽を動かしている。彼女がいてくれるために、ルディルはこうして、風の城の世話を焼けるのだった。
ルディルは紅茶を飲み干すと、じゃあなと言って、笑いながら玄関ホールへ飛んでいった。
それを見送って、ではオレもとゾナが腰を上げようとした。
「ゾナ、おまえはいてくれよ。この城を出る気ねーだろ?さすがに手伝わせられねーけど、知っておいてもらいてーんだよ」
城の主にそう言われてしまったら、留まらないわけにはいかなかった。ゾナは腰を下ろしたものの、初めて見る精霊に少し落ち着かなかった。
風の精霊ではないゾナにもわかる。彼からは芳しい香の匂いに混じって死臭がしていた。煌びやかで美しい風の精霊の裏の顔。いや、彼等は、初めから狩る者だ。裏でも表でもなく、彼等は死神だ。
リティルは、無常の風のことを知ってくれているユグラを、鳥と遊んでてくれと言って、中庭へ出した。ユグラは顔見知りのビ・ウジに、ペコリと会釈すると中庭へ、紅茶とお菓子の入ったバスケットを持ったシラサギと、向かっていった。
ゾナは、ビ・ウジの背にある、骨だけになった翼を見つめていた。それにしても、これだけあからさまな者もいるのだなと、無遠慮に観察してしまった。
「始めてよろしいので?」
背筋を伸ばして立ち上がったビ・ウジは、静かに言った。
「ああ、頼むぜ」
「御意」
そうして、ビ・ウジは淡々と話し始めた。
ドルガーの魂は、彼が死んだときからずっと行方不明であること。
それには、死霊使い、ネクロマンサーなどと呼ばれる魔道士が、関わっていること。
ネクロマンサーに魂が囚われるとき、無常の風には通常それがわかるが、ドルガーの魂が捕まったとき、風の王が不在の時期で、力が半減していて捉えきれなかったこと。
そして今まで、ネクロマンサーが魂を動かすことを待っていたこと。
ドルガーの魂を見つけたら、風の王の血を与えてネクロマンサーへの道しるべを作る算段だったことなどを、ビ・ウジはスラスラと語った。
「それで、あの狂気かね?」
ゾナは、ジロリと思わずビ・ウジを睨んだ。生前親友だった男が、その息子に襲いかかる姿など、しばらく夢に見そうだ。リティルに何か考えがあるのだろうと、あの時は堪えたが、直視しがたく、もう少し子供だったなら、エセルト同様邪魔をしてしまっていたと思う。
「気は進みませんでしたが、確実な手であったこと、ご理解いただきたく」
気が進まなかった?表情の動かないビ・ウジを見ていると、思わず怒りをぶつけそうで、ゾナは極力彼の顔を見なかった。
「ネクロマンサーについては、我が片割れ、シャ・ファンが観測中ですので、しばしお待ちを」
「ああ、引き続き頼んだぜ。ビ・ウジ、疲れただろ?もう戻ってくれ。ついてきてくれて、ありがとな!」
インファは、ずっと表情の動かなかったビ・ウジが、柔らかく微笑むのを見た。雰囲気が和むのを感じて、ゾナはビ・ウジに視線を向けた。そして一瞬瞳を見開き、そしてハアと小さくため息を付いて俯いた。彼の本心が、自分やインファと同じであることを、その表情から知ったからだ。
「いいえ。リティル殿、おかえりなさいませ。やっと、言えまする」
「ハハ、ただいま!」
リティルはその言葉に、嬉しそうに明るく笑っていた。その笑顔に、ビ・ウジはしばらくホッとしたように微笑んでいた。が、我慢しきれなくなったのか、膝を折ると、リティルをギュッと抱きしめた。そして「五年は長すぎまする」と安堵したように瞳を閉じて、呟いた。リティルはその言葉に笑ってごめんと返して、ビ・ウジの背をポンポンッと叩いた。
ゾナはその姿に驚いた。だが、それはいつものことのようなリティルの振る舞いに、ビ・ウジは紛れもなく仲間だと思った。
ビ・ウジはグロウタースの民の魂だ。若いリティルは、彼から見ても危ういのだろうなと、インファは思った。それでも懸命に、過保護にしないようにしている様を見ると、手放しがたい魂だなと思ってしまう。インファは彼に、いや、彼等に罪の意識をなくして、輪廻の輪に乗ってほしい。矛盾しているなと、優秀なだけにビ・ウジを見ていると思ってしまう。
ビ・ウジは、さっさと鬼籍の書庫へ帰ってしまった。
そう言えばと、インファはふと思った。
「父さん、彼等のこと、オレとノイン以外知っているんですか?」
「ん?んー?知らねーかもな。ゾナも初対面だったよな?」
「そうだね。オレはこの城にきて、日も浅いものでね」
ゾナにも刺激の強い精霊だった。彼の真っ白な服が、存在の異様さを際立たせているような気がした。
感受性が鋭いレイシは、姿を見ただけで倒れるのでは?と心配になる、生粋の死神だった。
「あいつらは、鬼籍の書庫の番人だからな。普段なら、インサーとインスで事足りるんだ。あいつらが出張るような事は、本来あっちゃいけねーんだよ。オレもあいつらを表だって使うのは、今回が初めてだしな」
裏ではちょくちょく使ってたけどと、リティルは言った。
「リティル、なぜオレに引き合わせたのかね?」
「言い訳、聞きたかったんだろ?」
ドルガーにわざと襲われた理由。ゾナは、ハアとため息をついた。
「すまない。風の仕事に口は出すまいと思っていたが、あれは――」
「はは、ごめんな。シェラには特に見せられねーよな……」
リティルは遠い目をして、噛まれた首をさすっていた。
「シェラ姫が攫われたと言っていたが、居場所に目星はついているのかね?」
「ああ、たぶんな」
リティルは少し疲れたように、ソファーの背もたれに頭を乗せた。本当は眠りたい。だが、シェラが絡んでいては、寝ているわけにはいかない。リティルは、玄関ホールに続く扉を見やった。
そして、つぶやいた。
ほら、来たと。
来客は、青みがかったオオカミだった。
オオカミがソファーにたどり着く頃、城の奥へ続く扉が開いて、レイシとインジュが戻ってきた。二人は翼を広げ、ミストルティンに少し遅れて、ソファーにたどり着いた。
「フツノミタマお嬢様のお守り、大変だな、ミストルティン。ん?わかったよ。ミストルティン、限定解除」
立ち上がって迎えてくれたリティルの前で、ミストルティンは人型をとった。皆には聞こえなかったが、オオカミ姿のミストルティンとリティルは、何か言葉を交わしたらしかった。
ラウンジスーツを着こなした老紳士は、礼儀正しく一礼した。
「仕事ですから。お嬢様からの文です」
リティルは紙に包まれた、蛇腹折りされた手紙を取り出した。
「読めますかな?」
ニッコリ微笑むハの字髭の紳士に、リティルは頼りない笑みを返した。
「……はは、なんとかな。………………ハハハハ!いいぜ?行ってやるよ!」
達筆な筆書きの手紙を読んだリティルは、突然笑い出してグシャッと手紙を握り潰した。
「リ、リティル?」
ビックリしているインジュに向かい、リティルはポイッと握り潰した手紙を投げた。インジュは慌てて受け取ると、丁寧にシワを伸ばしながら、インファに手渡した。
「インファ!今から剣狼の谷に、シェラを奪い返しに行ってくるぜ!」
ギラリと殺気を漂わせたリティルの様子に、インファは、手紙にサッと目を通した。
「父さん、待ってください。ミストルティン、これは一人で来いということですか?」
「いいえ、相手は最低でも二人ですから」
そうですかと、インファはレイシとゾナを順に見た。
「ゾナ、レイシ、王が不在の間、城を頼めますか?ユグラの相手と、ケルゥとカルシエーナの首尾も、聞かなければなりませんが、頼めませんか?」
「情報があれば、まとめておくとしよう」
問題ないと、ゾナは言ってくれた。
「えー、オレ城担当なの?じゃあさあ、ルキの所行ってきてもいい?」
夜の国・ルキルースの王である、幻夢帝・ルキとレイシは仲がいい。レイシはレイシで、手がかりがないかルキを当たってくれるようだ。インファはニッコリ笑った。
「ええ、遊んできていいですよ?」
さて、あとはと、インファは、自分は蚊帳の外を決め込んで、クッキーを食べてニコニコしているインジュに、視線を合わせた。
「インジュ、付き合いなさい」
「はい?ボク、役に立ちます?」
白羽の矢を立てられて、インジュは怖ず怖ずと問うた。
「前に言っていた、タマネギの皮むき、お願いします」
「タマネギ……ノインが相手なんです?」
「インです」
「インって、リティルのお父さんの?剥いちゃっていいんですね?」
楽しそうに笑ったインジュの瞳が、オウギワシのそれだった。
剥く?剥くって何を剥くんだ?と、リティルは変な想像しかできなかった。
「おいおい、何か怖えーよ。けど、イン相手に対策あるのかよ?」
あいつ、オレより強えーぞ?とリティルは言った。インは、初代の次に強かった風の王だ。烈風鳥王と呼ばれるようになったリティルでも、彼の強さに一歩手が届いていない故、リティルは現在歴代三位の強さを誇る王だ。インは、上級精霊だった。そんな彼に、最上級精霊となったリティルでも、強さ的には劣っている。
今、ノインを乗っ取ったインは、全盛期の力を持っているはずだ。正面からやり合ったのでは、とても敵う相手ではなかった。
「対策というほどのものではありませんが、ダメ元ですね」
「期待してるぜ?雷帝親子。ゾナ、城は閉じていくからな、侵入者には容赦しなくていいぜ。玄関ホールの鳥達にもそう言っとくから、何かあったらよろしくな」
「承知した。朗報を待っているよ」
ゾナの言葉に、リティルは笑って答えた。出動しようとするリティルに、レイシが駆け寄りノインの仮面を手渡した。受け取ったリティルは、レイシの頭をポンポンッと軽く叩き、任せろよと言って、笑っていた。
「では参りましょう」と、ミストルティンに優雅に促され、三人の風は玄関ホールに向かって行った。
帰ってきたところで慌ただしいなと、ゾナは皆を送り出して息を吐いた。それで、何が書いてあったのか?と、ゾナはインファが開いて置いていった手紙を拾い上げた。
『親愛なる風の王
主の捜しモノは剣狼の谷にて、預かっている
返してほしくば、尋ねよ
だが、先代の風と、怒り狂うオオカミが立ちはだかるだろう
リティル、わらわも困っておる。助けてたもれ
剣狼の女王』
怒り狂うオオカミ?ビザマは何に腹を立てているのだろうかと、ゾナは首を傾げた。
しかし、彼も酷なことをしたものだ。シェラは数日前からソワソワしていた。中庭に向かっているこの、聳えるようなガラス窓を見上げては、ため息を付き、リティルが帰って来るのを心待ちにしていた。そんな彼女の様子に、皆、切なさを感じて、心のやり場に困ったものだ。
そんなシェラを攫い、リティルを煽るとは、再会後は、応接間の温度が一、二度上がりそうだなとゾナは思わず笑った。これで、城の雰囲気も元に戻るだろう。
たった五年だ。その五年、リティルが不在だっただけで、城は徐々に歯車を狂わせた。やはりリティルが必要なのだ。世界にとっても、この城にとっても、十五代目風の王・リティルが、必要なのだ。
剣狼の女王は、胃が痛くなってきた。
リティルがシェラを迎えにきて、ビザマとインと話をしてくれて、それで、万事解決の予定だった。
「ごめんなさい……」
目の前には、やっと目を覚ましたシェラがいた。目覚めてくれたことは喜ばしいのだが、彼女をリティルに会わせていいものか、悩ましかった。
「イン、これは治るのか?」
「一時的なものならば。強制的に戻すことはできるが、精神にどんな影響があるかわからない。今は見守るより他ない」
シェラは、自分が花の姫であることはわかっていたが、それ以外の記憶を失ってしまっていた。リティルの名には、辛うじて反応するので、リティルに会えば、もしかすると思い出すかもしれないと、今は祈るしかなかった。
「ビザマ!そなたが無体を働くから、こうなったのじゃ!反省せい!」
「はん!あのバカがアクアを五年もほったらかすからこうなるのだ!オレのせいではないな!」
両者一歩も引かず睨み合った。そんな二人の様子にため息を付き、インはシェラを見下ろした。
「体に、異常はないか?」
「ありません。ありがとうございます。お二人は、仲がよろしいのね」
シェラは花が綻ぶように笑うと、ビザマとフツノミタマの言い合いを、楽しげに見つめていた。
「大いに、気が合っているようだな」
インは、ビザマ達に向けた視線を、再びシェラに戻した。背筋を伸ばして立つ、可憐な姫。彼女の髪には、オオタカの羽根の形をした金色の髪飾りが飾られていた。これが、十五代目との婚姻の証かと、インは思った。随分巧妙な作りで、十五代目の想いの深さが窺い知れた。
忘れられる……その痛みを、インも知っていた。花の姫・レシエには、想いを告げられなかったが、彼女の想いは受け取っていた。
――イン、私は、あなたをお慕いしておりました。これでもう、私はなくなってしまいますが、最後に、あなたに想いを告げられてよかった
一方的だった。告げられた想いに答えることができないまま、インもまた死地へ赴くしかなかった。
十五代目風の王・リティル。我が、我の魂を使って生み出した、次の風の王。インは実感のないまま、しかし、ここにある魂が他人のものであることは理解でき、フツノミタマの語ってくれた昔話を否定する気はないが、そんな行動を取った自分自身が信じられなかった。しかし、我が手に入れられなかった幸せを、手に入れて守っている十五代目には、感謝しなければなとインは思った。
「イン、そんなに見つめては、頭に穴が開いてしまいます」
クスクスと笑って、シェラはインを見上げた。
「許せ、髪飾りの細工があまりに巧妙で、それをそなたに贈った者のことを考えていた」
「髪飾り?あら、本当に!けれども……思い出せません。こんなわたしと会って、その人は大いにガッカリなさるでしょうね」
シェラは髪飾りを外し、その細工の見事さに喜んだが、すぐに顔を曇らせた。
「そんなことはない。そなたの記憶が戻るよう、尽力するだろう」
そう、リティルなら――そう頭をよぎって、なぜ知らないのに、確信しているのかと不思議に思った。
「ありがとう。イン、あなたはその人の事を知っているのですか?」
「関係があったようだが、我も失っている。記憶に関する何かが、起こっているのかもしれない」
だとするなら、夜の国・ルキルースにいる記憶の精霊・レジナリネイを疑うのが自然だなと、インは思った。
シェラは慣れた手つきで、髪飾りを頭に飾り直した。記憶は失っても、毎日行っていたことは体が覚えているようだなと、インは、これならば心配いらないかもしれないと思って、ホッとした。ホッと?二人の事を覚えていないのに、二人の仲を案じている心に、インもまた、何かを思い出しそうな気がした。
不意に、天幕の外から、オオカミの遠吠えが響いた。
その声は、徐々に大きくなっていく。来賓を歓迎するファンファーレのようだなと、インは思った。女王の契約者だという十五代目は、剣狼達にも慕われているようだと、インは感じた。
「来たようじゃな。ビザマ、イン、思うとおりにするがよいぞ。リティルは受けてくれるでのう」
さっさと行けと、フツノミタマは椅子に座ったまま、ホコリでも払うように手を振った。
「さて、楽しませてもらおう!」
ビザマはギラリと殺人者の暗い瞳に、殺気を宿した。
「血の気の多い男だな」
「そういうあなたも、楽しそうな顔をしているぞ?」
「十五代目に、興味が湧いた」
「先攻は譲らんぞ?」
「邪魔をする気はない」
二人の背を見送り、フツノミタマは頬杖を突きながら、長いため息を付いた。
これで面倒事から解放されると思うと清々したが、リティルは、あれらのお守りもするのか?と、帰ってきたばかりだというのに、いささか可哀想な気もした。
「仲良しめ!シェラ、ここにおれ。記憶のないそなたには、奴らの遊び、ちと刺激が強いじゃろうからのう」
しおらしく、天幕に留まるシェラに、本当に記憶がないのだなと、フツノミタマは悲しく思った。普段のシェラなら、リティルの姿を見る為に、走り出ていきそうなものを。
「シェラ、わらわはそなたを、リティルに会わせとうない。五年待ったのは、リティルも同じじゃ。そなたに逢いとうて、逢いとうて、たまらなんだであろうに」
ミストルティンに伝言を頼み、そろそろ戻るだろう時間での来訪。リティルが、手紙を読んですぐここへくる決断をしたことが、容易に知れた。
「そんなに……」
「そんなにじゃ。そして、シェラ、そなたも今日を焦がれておったぞよ?覗いてみるかのう?夫の姿を見れば、思い出すやものう」
フツノミタマは立ち上がると、裸足で出入り口までくると、シェラを手招いて覗いて見よと言った。シェラはどこか緊張気味に、布の隙間から外を覗いた。
リティル達は尖った山を平らに切ったかのような、草木の生えない、赤茶色のテーブルマウンテンを飛び越えると、丸くくりぬかれたかのような剣狼の集落へ舞い降りた。バオバブの木の生える、赤茶けたテーブルマウンテン地帯唯一のオアシスだ。
リティルの姿を見つけた剣狼達が、ピョンピョン跳びはねながらじゃれついてきた。
「大人気ですね」
代わる代わる剣狼達にすり寄られて、リティルは撫でてやるのに忙しかった。
「はは。名前を間違えずに呼んだら、懐かれたんだよ」
「わかるんです?ボクには、みんな同じに見えます」
青みがかった灰色の大きなオオカミたちは、一頻り風の王に挨拶した後、遠吠えを始めた。物悲しくよく伸びる声だった。
「剣狼達は、元グロウタースの民の魂なんだ。女王・フツノミタマが選んで、風の王が許可した戦士の魂なんだよ。オレが見分けつかねーわけねーだろ?」
「名まではわかりませんが、オレも見分けくらいはつきますよ」
「ボク、葬送の能力低いですよねぇ?」
風なのに……とインジュは、自信なさげに俯いた。
「当たり前だろ!おまえは、真逆じゃねーか。葬送の力があるだけ、オレには不思議なくらいだぜ」
「お父さんも、生の翼じゃないんです?」
なのにどうして、ボクだけ?とインジュは不満そうだった。
「そっから説明させるのかよ?生の翼は、生きる為に狩る鳥だ。生きている者を守る為に戦うってことだよ。死の翼は、死をわからせる鳥だ。死んでるのに留まろうとする者と戦うんだ。どっちも葬送の力なんだよ。それでおまえは、産まれるだ。根本的に力がオレ達とは違うんだよ」
「でも、風の精霊……ですよね」
「ああ。おまえはな、オレ達の気が狂わねーようにいるんだよ」
リティルは背伸びをして手を伸ばすと、インジュの頭を撫でた。
「え?どういう――」
どういう意味?と最後まで聞けなかった。
巨大なバオバブの高い梢が作り出した、頼りない日陰が、赤茶けた大地にモザイクのような模様を描いていた。集落の真ん中にある天幕から、二人の気配が出てきて、インジュも一気に気が引き締まった。
「ビザマ!シェラは無事なんだろうな?」
ビザマの足下に、一頭の剣狼が付き従っていた。それを見たリティルは、ティルフィングのヤツ、よっぽどビザマが気に入ってるんだなと思った。
「体は無事だな。だが、精神はどうかな?」
ビザマは不敵に微笑んだ。
「シェラに何かしたのか?」
「さて、聞き出してみたらどうだ?」
「ああ?おまえ、風の王を舐めすぎじゃねーか?ぜってー聞き出すからな!」
覚悟しろよ!とリティルは、両手にショートソードを風の中から抜き放つと、ビザマに斬りかかった。
正面から低空飛行で切り込んだリティルは、目の前に薄氷の壁が立つのを見た。ぶつかってもよかったが、急旋回して避ける。
「ほお、これを避けるのか?」
薄氷の壁の影からビザマがヌッと姿を現し、長剣が振るわれた。
「おまえなぁ!昔のままだと思うなよ!」
リティルはビザマの剣を頭上で受けながら、薄氷の壁を壊した。砕けた氷は、鋭い刃の様にビザマに降りかかった。ビザマはフンッと鼻で笑うと、降りかかる氷をスウッと手で撫でた。リティルはゾクッとして、慌ててビザマを突き放した。砕けた氷はつららへ成長し、リティルに鋭く突き刺さってきた。リティルは上から襲ってくるそれらをギリギリで飛び退き躱し続ける。乾いて堅くなった大地に突き刺さり、つららは砕けていった。
最後のつららを無力化し、飛び退いたリティルの背後からビザマは斬りつけていた。
「これくらい避けろ」
「すぐ治るからいいんだよ」
ビザマの剣は、リティルの左翼を深く斬りつけていた。その傷をものともせずに、リティルは空へ舞い上がった。そして、切っ先をビザマに突きつける。
リティルが突きつけた切っ先に、風が集まり始めた。それに答えるように、左手を突き出したビザマの手の平には、氷塊が形作られた。
魔法は同時に放たれ、空で激突する。氷塊の砕かれる音と風が空気を裂く音が、しばし周囲の一切の音を掻き消した。
魔法が消え去る前に、ビザマは剣を構えた。こちらに真っ直ぐ落ちてくる気配を、捉えていたからだ。
「ビザマ!目的はなんだよ?」
切り結びながらリティルが問うた。
「目的などないな。すでに死した身だからな。誰がオレを目覚めさせたのか、調べるのがおまえの仕事だろう?」
「丸投げかよ!で?シェラがなんだって?」
二人は打ち合う手を止めずに、息も乱さずに会話を続けた。
「記憶喪失だな。記憶がなくなるほど、辛い目に遭わせたのか?おまえ」
「はあ?記憶がなくなるほどヒドイ目に遭わせたのはおまえだろ!なあ、治るか?」
「知るか!だが、協力してやる。ありがたく思え!」
ギインッとビザマは、力任せにリティルを突き放した。そして、間合いを取ろうとするリティルに斬りかかった。
「イシュラースで、どう協力してくれるっていうんだよ!いらねーよ!大人しく、眠てろよ!」
ギリギリと鍔を合わせて、二人は競り合った。
「ならば斬り殺せ!」
ビザマに睨まれて、リティルは一瞬躊躇った。
「失望させるな。リティル!」
リティルを弾いて、ビザマは間髪入れずに突きを放つ。躊躇ったくせに難なく反応して、突きの軌道を逸らされる。リティルの真っ直ぐ見つめる金色の瞳。リティルの左手の刃が襲ってくるのを、ビザマはニヤリと微笑んで待っていた。これでいい。もう終わったのだから、ずっと終わっていたかった。
「……何のつもりだ?」
リティルの剣は、ビザマの首を断つすれすれで止まっていた。
「おまえを殺す、理由がねーんだよ」
試合放棄してるんじゃねーよと、リティルは戦う者の瞳で、未だビザマを睨んでいた。
それなのに、数多命を殺してきたはずなのに、リティルの瞳には陰りが一切なかった。不本意に、殺すための刃を握らされたはずなのに、リティルは今でも、瞳の輝きを守り続けていた。殺戮を快楽とする、殺人者の暗い瞳。相手をねじ伏せ、蹂躙する高揚感。ビザマは、それに支配されなければ戦えない。リティルは、それに支配されずに、優しさと、正義と悪に翻弄されない正しさを失わずに、目の前の魂と対峙していた。
誇り高き風の王――魂を導く、標の鳥。世界を守る、雄々しき翼――
ビザマは、ビザマ自身は守れなかったモノを守り、戦場に立っているリティルを、眩しく誇らしく思った。人生を賭けた甲斐があったなと、もう、本当に最後の未練もなくなってしまった。
「理由ならあるだろう?オレは、死者だ!」
「死者の匂いがしねーんだよ。おまえ、魂もないぜ?何なんだって聞かれても、答えられねーけど、少なくとも風の敵じゃねーな。悪りーな、風の王は、やたらめったら殺すわけにはいかねーんだよ」
現時点で、引導は渡してやれない。そう言ってリティルは、刃を退いた。
風の敵ではない。それは、インにも言われていた。だが、ビザマは納得いかなかった。
「では、どうしろというんだ?オレにはもう、目的がない。ここにいる意味がないんだぞ?」
「そう言うなよな。この際だ、ちょっとくらい仮初めの生、楽しもうぜ?インの方も何とかしねーといけねーし、二人とも風の城に来てもらうぜ?」
「フンッ!面倒な!」
ビザマも仕方なく剣を収めると、腕を組んであからさまに不機嫌な顔をした。死んでいるのだから、それ以上の答えなどない!と言い張るビザマに、真面目かよ?と、リティルは苦笑した。
確かに、死んでいたかったという、ビザマの不満はわかるが、リティルには彼を殺せなかった。それはビザマが父親だからではなく、罪がないからだ。風の敵ではない。その一言に尽きた。このままというわけにはいかないが、送るのは今ではなかった。
戦闘の終わりを感じて、遠巻きにしていたティルフィングが近寄ってきて、ビザマの手に背後から鼻を当てた。ビザマはそんなティルフィングの頭に、自然に手を置いて撫でていた。ビザマとティルフィングの様子に、五百年以上経っているというのに、ずっと共にあったかのような絆を感じた。
原因を究明して、送らなければならないのに、切ないじゃないかと、リティルは思ってしまった。けれども、送らなければならない。ビザマが言った、オレは死者だという言葉もまた、真実なのだから。
リティルは何気なく空を見上げた。そして、ハッとして剣を構えた。
「なあビザマ、ティルフィング、風の仕事、ちょっと手伝ってくれよ」
戦闘態勢に入ったリティルの様子に、何だ?とビザマが空に視線を向けると、ボロボロの布のようなモノが舞っていた。
ビザマと十五代目の戦いを、観戦するつもりだった。インは戦いたいのではなく、十五代目を観察したかっただけだった。
「ノイン」
その名に反応したのではなかった。その声と気配に、顔を向けたにすぎない。そこに立っていた青年の姿を見て、インは少し驚いた。彼が、鏡を見なくても、自分に似ていることがわかったからだ。
「オレのことも、わからないんですね?」
「そなたは?」
「十五代目風の王・リティルの息子。雷帝・インファです。あなたのその体の精霊の、主ですよ?」
主?ということは、この体は守護精霊?だが、この姿は?インは、自分の知っている容姿そのままの姿に、困惑した。同じ魂を持っていない限り、インという姿で守護精霊を作り出すことは不可能だからだ。
「混乱しますよね?聞けば聞くほど混乱すると思いますので、一戦どうですか?」
「回避できるのであれば、回避したい」
「あのー、殴ったら思い出すって事ありません?ボクは、ノインに早く戻ってもらいたいです」
インファに、インジュが並んだ。表情は柔らかいが、戦いたくてウズウズしているような雰囲気を、インはインジュから感じていた。
「すみません。それには同感なんです。ノインは風の王・リティルの補佐官ですから、無断でいなくなられては、困るんですよ」
インファは笑顔を浮かべて、白い華奢な剣を抜いた。何か、それだけではない何かを感じる。彼とは初対面のはずなのに、彼に何か恨みを買っているような?
「タマネギの皮むきは、ノインで試したかったです。ああ、でもこのさい、あなたでもいいですよぉ。剥かれてください!」
ザワッと、キラキラ輝く金色の髪の、女性のような容姿の青年の雰囲気が変わった。そして彼は、素手のまま襲いかかってきた。
「見えてますよぉ?風の糸……」
インジュは何かを掴むような素振りをした。プツンッと切れるような小さな衝撃を、インは感じた。この細い糸が、彼には本当に見えているようだ。そしてそれを、彼は触れただけで消し去っていた。
「風の糸……タマネギみたいです……剥いても剥いても身が出てこないんです……でも、届かせますよぉ?ノインを、取り戻す為に!」
インは、周りに張り巡らせた神経が断ち切られて、徐々に風景が見えなくなっていくのを感じていた。こんな魔法は初めてだった。
面白い魔法だなと、観察していると、間合いにインファが現れた。
「あなたは、セリアセリテーラを知っていますか?」
片手で振るわれた白い剣は、切れ味がいいらしい。受けたインの長剣が、僅かに刃こぼれした。
セリアセリテーラ?懐かしい名だなと、インはすぐに、ピンク色の髪の、儚げな容姿の精霊を思い出していた。
「知っている」
「関係を教えてください」
「語るほどの関係ではない」
――ねえ、恋ってどんなもの?
「なぜ、隠すんですか?」
――楽しいの?それとも、哀しいモノ?
「語るべきことがない」
――イン、教えて?わたし、知りたいの
「ならばなぜ、彼女はあなたを特別な瞳で見ているんですか!」
殺気を感じて、インはインファを突き放して距離を取った。
特別な瞳?インは首を傾げた。セリアは不意に現れては、無邪気に力を振るっていた。生命奪取を使い、イタズラに対象を昏倒させては、つまらなそうにしていた。幻惑の暗殺者の三姉妹の中で、一番奔放だったと記憶している。
彼女だけが、インが花の姫を想っていることを知っていた。そして、その感情に興味を持っていた。
インはチラリと、インファの左手の薬指にある指輪を見た。彼女はどうやら、たった一人を見つけることができたらしいなと、嬉しく思った。と、同時に、早急に解かなければならない誤解を、受けていることを知った。
「誤解だ。彼女は我に、恋とは何かと問うてきた。それは、体験した者にしかわからないと、答えた。そうかと言って、セリアはしばらく我についてきた。しかし、そんなに長く共にはいなかった」
セリアに特別な感情はなかった。セリアが興味があったのは、インが持っていた焦がれる気持ちだ。彼女はインを、観察していただけだった。
「セリアは、あなたには気安いんです。オレのことは、避けるのにですよ?」
インは切っ先を下げた。セリアは無邪気で奔放で、たった一人を見つけたなら、まとわりついて、離れない恋愛をするものと思っていたが、意外にも本命には寄りつけないタチらしいなと、インは察した。
「ノイン、どうしてインになっちゃったんです?」
ノシッとインジュは、インに負ぶさった。戦意を失っていたとはいえ、インは背後にいた彼に気がつかなかった。なるほど、彼に糸を大部分切られてしまったらしい。体に押し当てられた手の平から、源の力を感じる。彼は、抵抗すれば痛いことしますよ?と、口調は穏やかなのに、隠さない殺気を漂わせていた。
「我を呼ぶ声がした。ノインを返してやりたいが、表面近くにはいないようだ。もっと、精神の奥深くを探さねば、見つけられない」
「どうすればいいんです?ボクで、役に立てますかぁ?あ、それすると、あなたは消えちゃいますね」
すみませんと、インジュは申し訳なさそうに謝ってきた。
「十五代目がいる。我は存在すべきではない。インファ、セリアを問いただせ。我との出会いは、生命奪取という固有魔法を巡ってだった。彼女はその魔法を使いこなしていたが、同時に毛嫌いしていた。彼女が我を頼るとき、それはその魔法で傷ついた時が多かった」
――イン……この力が嫌いなの!でも、この力がないと、戦えない!
そう言って縋ってきたのは、一度や二度ではなかった。インは風の精霊で、相談に乗ることはできるが、他の力のことまでは知らず、触れられず、ただ、セリアが落ち着くまでそばにいて、話を聞いてやることしかできなかった。
「生命奪取が原因……イン、彼女はどのようにあの魔法を使っていたか、知っていますか?」
インファにとっては、意外な答えだった。あの魔法は、特別な状況下でしか発動せず、被害はインファしか被らない。インファにとっては、取るに足らない魔法だった。それを、セリアが、インファを避けるほど気にしていたとは、思いもよらなかったのだ。
「手の平で相手に触れ、奪っていた。戦い方が、そなたに似ていた」
インは未だに背中に負ぶさっているインジュに、チラリと視線を向けた。目の前のインファに似た彼には、セリアの面影がある。インファとセリアは夫婦だ。とすると、背中の彼は、二人の子かとインは推測した。
「え?そうなんです?セリアはボクの、お母さんなんです!ノイン……知ってたなら、教えてくれてもいいのに……」
インジュはもう危険はないなと、インの背中から降りた。
「ノインはボクの先生です。正解を知ってるのに、絶対に教えてくれないんです」
インジュは拗ねたように、愚痴り始めた。そんなインジュに向き直り、インは言葉をかけた。
「正解を教えてしまっては、教示にならない」
「インは本当にノインなんですねぇ。同じ事言われました。リティルの事、思い出さないんです?インはリティルの、お父さんなんですよねぇ?」
「そのようだが、記憶がない」
「父さんのことは、思い出せないと思いますよ?」
剣を収め、インファが近づいてきた。どうして?と首を傾げるインジュと、こちらをジッと見つめているインにインファは言った。
「あなたは、ノインにその心を明け渡すとき、十五代目風の王・リティルに関する記憶を捨てました。あなたの中には、そもそも記憶がないんです」
「でも、ノイン、リティルとのこと知ってますよね?」
「記憶の精霊・レジナリネイですよ。レジーナに記憶を見せてもらって、知っているだけです。イン、和解成立ということでいいですか?」
「もとより我に、敵対の意志はない」
「それにしては、風の城を避けましたね。なぜですか?」
鋭いなと、インはインファを僅かに見下ろした。
「……十五代目に会いづらかった。記憶もないのに、おかしなことだ」
「繰り返すんですね。ノインが目覚めた頃も、そうやって困惑していましたよ。それにしても、あなたやノインとは、会話にしかなりません。ああやって、楽しそうな姿を見ていると、少し羨ましいですよ」
何事か叫びながら、剣を合わせるリティルとビザマに、殺意はなかった。あれではただの演武だ。じゃれて遊んでいるだけだ。そういう語らいは、インファにはできなかった。
「ウルフ族は戦闘民族だ。照れくさい時などは特に、面と向かっては会話できない」
「口を閉ざさないところだけ、見習いたいですね」
「お父さん、お母さんとそんなに険悪だったんです?あまりそうは見えなかったです」
いつもの追いかけっことは、様子が違うなと思ってはいたが、寝室別居はしていないし、母は、そばにいられる精神状態の時は、父のそばにいた。違和感はあったが、そこまで喧嘩しているとは、インジュは思っていなかった。
「喧嘩していることを、知らせることもないでしょう?違いますね、オレの場合は嫉妬ですかね」
「あ……それ、わかります。端から見ていて、どうしてお母さんは、ノインじゃないんだろうって――あわわ!すみません!」
風の王夫妻が目立つために、夫婦とは、互いに触れ合うものなんだなと、インジュは思っていた。その基準でいくと、気安く触れているノインとのほうがそれっぽいが、甘い雰囲気は皆無なんだよなと、インジュは不思議に思っていた。リティルに聞いてみると、セリアとノインのは、友情だろ?とそんな答えが返ってきた。そして、同性だったら問題なかったのになと、リティルは困ったように笑っていた。
「いいですよ……オレも思ってましたから」
インファは、インジュの言葉に力なく笑うと、俯いてしまった。インジュは「ボク、お父さんのこと大好きですよ!だから……えっと、すみません!」と必死だった。そんなインジュに、大丈夫と答えながら、インファは、セリアを想っていた。
セリアを捕まえた当時から、彼女はノインに気安かった。ノインに微塵も心はなく、恥ずかしいと逃げ回るセリアの心は、インファに向いていて、疑いようもなく平気だった。
だが、インファは、リティルと離れて、徐々に余裕をなくしてしまった。
セリアは、二人きりの時は触れてきたが、皆の目があると萎縮してしまう。それは、ずっと変わらない彼女の態度だった。だが、あの時、インファの心を傷ついてしまった。
それは、本当に些細なことだった。
風の城の中庭の東屋で、セリアはインファに気がつかずに、立ったまま背を向けてテーブルに向かって何かをしていた。気配を消したつもりはなかったのだが、彼女の髪に花びらがついているのに気がついて、何気なく取っていた。髪に触れられたセリアは、当然振り向いた。そして、インファの顔を見て、短く悲鳴を上げると、一瞬で真っ赤になった。インファは逃げ道を塞いではいけないと、さりげなく東屋の入り口から退いた。やはりセリアは、インファの横をすり抜けて、そして、フロインと中庭にいたノインの背中に、抱きついていった。一直線に迷わず。
――またか、セリア
ノインは困った顔で笑っていた。そのとき、オレはどんな表情をしていたのだろうか。こちらに気がついたフロインが、一瞬瞳を見開いて、慌ててセリアを引き離していた。フロインはどこか、オロオロしていた。
あの時、オレはどんな表情をしていたのだろうか?ただ、いつも通りの光景が、あの日はやけに寂しく見えた。セリアに、そばにいてほしかった。そんなことを、今まで一度も、彼女に言ったことはなかった。リティルならシェラに、平気で伝えることを、インファは、伝えることができなかった。あの時はただ、酷く寂しかった。
「セリアと我が、同性だったなら何の問題もなかった。我も誤解されたことがある。セリアはただ、友人として気安いだけだ。我は、セリアに、男に見られた事はない」
セリアがくっついてきて、いつものように神樹を通ってグロウタースに出たとき、花の姫・レシエが傷ついた顔をしたことがあった。その表情の意味を知ったのは、別れるその時だった。
インは、自分の気持ちを告げないことを決めていた。そして盲目となり、レシエに想われることを、まるで考えていなかった。
好きだったと言われて、彼女もそんな昔から想ってくれていたことを知った。けれども、彼女の告白が、二人の決めた、存在の終わりの時でよかったと思う。セリアが意図せず牽制してくれたおかげで、インは最後まで、彼女とぎこちなくならずにすんだのだから。
――おかえりなさい、イン
その言葉が聞きたくて、帰ろうと思った。十五代目も、きっと同じだ。彼は困難でも二人共に生きることを選んだが、たった一言、その言葉に救われる為に風の城へ帰るのだ。
そう思ってはたと、それを、十五代目が得られないことを、インは思い出した。
「……インファ、記憶の精霊とは懇意か?」
「十五代目は好かれていますよ?父さんとの記憶、見たいんですか?なくても、あなたなら問題ないと思いますけどね」
「我ではない。シェラだ。一時的とは思うが、記憶を失っている」
花の姫であることはわかるが、それ以外のことは、何もかも失っているとインは告げた。
「えっ!それ、ショックです!」
「なぜあなたが傷つくんですか?」
「だって、シェラのお帰りなさいヨシヨシ、してもらえないじゃないですかぁ!」
「子供ですか?頭を撫でられて、喜ぶ年でもないでしょう?」
「シェラは特別なんですぅ!抱きつかないだけ、いいじゃないですかぁ!」
「ケルゥなんてハグですよ?羨ましい!」とインジュは嫉妬を滲ませて憤った。インファは呆れて「あなたは、父さんには平気で抱きつくじゃないですか」と「そんなに羨ましいなら、母さんにも抱きつきなさい。許してくれますよ」と言った。しかしインジュは、なぜかシェラは恐れ多い……と遠慮していた。
「この分ならば、問題ないようだ」
「そうですね。母さんは風の城の無限の癒やしですからね。思い出してもらいたい全員が、皆で記憶を戻す方法を探します。それに父さんが、何が何でも思い出させると思いますし」
インファは視線を、話し込んでいるような、ビザマとリティルに向けた。あっちも終わったようだなと、安堵した。リティルが斬らなかったということは、ビザマは風の獲物ではないらしい。風はもう、彼を警戒していない。彼が風の警戒コードに触れてしまったのは、もしかすると、サレナだろうか。風の王の証を持っていたサレナは、存在からしてリティルと相容れない。そんなサレナを使役していたのが、ビザマだった。彼女が滅せられ、風は再び警戒を解いた?しかし……とインファは思った。そんなビザマが、一番危険なのでは?と、とても敵対して見えない、リティルとビザマの姿に、インファは危うさを感じていた。
インファは、何かを感じて空を見た。そして、ハッとして、槍を手に集めた風の中から抜いた。インも気がついたらしい。すでに長剣を抜いていた。
「あれ、何です?」
インジュは瞳をすがめながら、空から飛来するボロ布のような者達を観察した。
「死霊です!ネクロマンサーが動き出したようですね。インジュ!あなたは手を出さないでください!触れてもダメです!」
ワッと舞い降りてきた死霊を切り伏せたリティルが、蹌踉めいて膝をつく様を見たインファは翼を広げ、すぐさま加勢に行ってしまった。
触ってもいけないと言われてしまい、インジュはえ?それどうすれば?とオロオロした。するとインが、そばにいろと言ってくれ、インジュは素直に「はい」と答えたのだった。
「害虫どもめ!蹴散らしてくれる!」
剣狼の女王の怒声が響いた。女王も加わったことで、谷は乱闘となってしまった。
一人、戸惑う者を置き去りにしたまま。
シェラは突如空から飛来した禍々しい者に、当然の様に臆していた。
フツノミタマは、あれらが相当に嫌いなようで、瞳をギラつかせて行ってしまった。取り残されたシェラは、天幕の前で立ちすくんでいた。
フツノミタマに中へ戻れと言われたが、足が動かなかった。目の前で繰り広げられる、この死闘が、この空気を知っているような気がした。信頼してる誰かと共に、この恐ろしい光景の中を、駆け抜けていたような気持ちに襲われて、何かを思い出しそうな気がして、この場から動けなかった。
体が動かないのは、恐怖のためではなかった。こんなに恐ろしいのに?シェラは、矛盾する心に、混乱していた。
戸惑うシェラは、目の前に突如立った気配に、思わず視線を合わせた。
――……
まだ、日没までには時間があった。日は傾き始めていたが、オレンジ色に染まるまでにもまだ間があった。だのに、彼女は遮るもののない日の光の中、影の中にいた。
この世のモノではない?花の姫の事しかわからないシェラにも、彼女が命ある者ではないことがわかった。俯いて、打ちひしがれたように、こちらにゆっくり近づいてくる彼女に、シェラは思わず後ずさった。
「?」
シェラは彼女が泣いていることに気がついた。そして、何事か呟いている事も。哀しみがシェラの心に染みこんできた。思わず一歩を踏み出してしまったシェラは、周りを死霊に取り囲まれていることに気がついていなかった。
――許せない……
それは恨みの言葉だった。シェラには、すべてが仕組まれたことだとは、気がつくことができなかった。
自分が、記憶を失った意味も、目の前に現れた、この幽霊のような存在のことも。
――許せない……
「許せない」
――父を殺した……
「お父様を殺した」
――あの男……
「あの人」
死霊が、踊るようにシェラと彼女の周りを取り囲んで、ゆっくりと回っていた。
「シェラ!」
シェラと彼女の間に、金色の風が落ちてきた。泣きながらこちらを睨んでいた彼女の姿が、彼に遮られて見えなくなった。
「失せろ」
ドンッと金色の風が、小柄な彼から放たれていた。凄まじい風で、彼の黒いリボンで縛られた、半端な長さの髪が浮き上がるほどだった。風はシェラを避け、シェラの髪とスカートを揺らしただけだった。
あれだけ周りに満ちていた禍々しい空気は、彼の一撃で消え去っていた。
彼が振り向いた。シェラは、ボンヤリそれを眺めていた。
「シェラ!大丈夫か?」
本気で案じてくれる心を感じた。生き生きとした金色の立ち上る瞳が、真っ直ぐにこちらを見ていた。この、力強い金色の瞳を知っている。わたしは、この人を知っている!
「――許さない……あなたは、お父様を殺した仇です!」
シェラは叫んでいた。憎しみを込めて。憎しみに染まった、紅茶色の瞳の中で、リティルは呆然としていた。
ビザマ 対 リティル ビザマの試合放棄により無効
イン 対 雷帝親子 インファ戦意消失により無効
花の姫・シェラは、憎しみの記憶を手に入れた!




