四章 暴走の風VSレイシ
第一ラウンド 傀儡の風・サレナ 対 風の騎士・ノイン、雷帝妃・セリア、風の王の守護鳥・フロイン
第二ラウンド 暴走ノイン 対 空の翼・レイシ
レイシは、帰還したリティルに割り振られた通り、大地の城に来ていた。
リティルは迷わず炎の城を選び、ルディルは水の城を頼まれた。レイシは、残りを担当することになったにすぎない。
おまえは何が来ても、そこそこ戦えるだろ?と、リティルに言われてしまったら、気張らないわけにはいかない。インジュが一緒に来たそうだったが、復活したてのリティルにつけと、ルディルが有無を言わせなかった。それは、わかっていたことだった。誰も何も言わなかったら、オレが提案してたとレイシは、風の城でのやり取りを思い返していた。
大地の城には、ノイン、フロイン、セリアが向かっている。オレ出番あるのかな?と思えるメンバーだった。行ったらもう終わってるかもなと、お気楽に考えていた。
大地の城で、戦闘になっていたら主に、ノインの加勢をするはずだった。
「うーん、これ、話が違うよね?」
レイシは、片手に炎を纏った大剣を構えながら、対峙した者を見つめていた。目の前にいるのは、どう見ても、風の王の補佐官だった。
「レイシ、防げなくてごめんね」
背後で十二才の少女の姿をした、緑の巻き毛の精霊が震えていた。頭に生えた、緑色の縞模様の、白い虎の耳の毛が逆立っていた。尻に生えた虎の尾も、忙しなく行ったり来たりしていた。
「ユグラ、これってさ、どういう状況?ノインどうしたの?」
「あたし……おかしいと思って、調べる為に受け入れたんだけど、手に負えなくて……」
「うわああ!ユグラ!できれば、何されてああなったのかだけ教えてよ!」
睨み合っていたが、動かないレイシに痺れを切らしたのか、ノインが仕掛けてきた。なんとかグルリとノインの周りを炎の壁で包み、これでしばらく猶予があるだろう。
「ハア、怖い怖い。セリアとフロインやったのって、ノイン?」
ユグラの操る触手のような太い蔓で絡め取られて、気を失っているフロインとセリアを、レイシはチラリと見た。
「うん……ノインに……」
これは、風の仕事だと、ユグラにはわかっていた。けれども、リティルが不在で、初代風の王のルディルが代理をしてくれているといっても、彼は現在太陽王だ。いろいろ勝手が違って、苦労していると聞いていただけに、もう少し調べてから報告しようと、安易に考えてしまった。
ユグラは、メリシーヌとエセルトから、どう考えても怪しい話を持ちかけられた。
ブローカーという者が、代わりに戦ってくれる、言わば私兵をくれるというものだ。
二人は、リティルが大地の礎で、五年の眠りを余儀なくされたことを、気に病んでいた。だが、リティルが自己犠牲で仕事を行うことは、今に始まった事ではないし、城にはインファやノイン、太陽の城には元風の王のルディルもいる。彼等はきちんと話し合いを持って、リティルがその術を使う事を決めたのだから、気にする必要もないのにと思った。
彼等は私兵がいれば、風の城の魔物狩りの手助けができると、無邪気に喜んでいた。リティルを案じ、助けたい気持ちはわかるが、その行為は職務を逸脱していないか?とユグラはボンヤリ思った。リティルがいない今、二王の暴走を宥めるのはユグラの仕事だ。ユグラは、どうしたものかと一人考えていた。
ユグラは、二代目の大地の王だ。先代がどう死んだのかはよく知らない。
リティルは仲間として頼れて好きだが、彼に対してそれ以上の感情はない。いや、持ってはいけないと一線を引いていた。それなのに、リティルは深入りしようとするメリシーヌとエセルトではなく、ユグラを頼ることが多かった。
なぜなんだろうかと、ユグラは疑問に思って、リティルに聞いたことがあった。
――リティル、あたしは大地と風を天秤にかけたら、迷いなく大地を選ぶわ。なのにどうして、あたしを頼るの?
あなたの周りにいる協力精霊とは違うと、無防備に信頼しているリティルに、知っておいてほしかった。風の仕事は大半、命のやり取りだ。背中を預ける者を間違えれば、命取りになる。ユグラには、大地の責務より大事なモノはないのだから、信用しちゃダメだと釘を刺したかった。だがリティルは、今更何当たり前のこと言ってるんだ?と笑った。
――だからだよ。おまえは、絶対に職務放棄しねーだろ?オレの協力要請以上のことは絶対にしねーからな。安心できるんだよ
リティルは軽いが、真面目に誰よりも風の王を理解していた。そして誰よりも、グロウタースを、世界を愛していた。
各力の司である精霊の王が不在となると、例えば代替わりしたのが大地の王なら、グロウタースは一時大飢饉に見舞われる。次の王が目覚める空白の時間、大地は機能停止して、王がまだいたときに与えてくれた、余力のみで運営しなければならなくなるからだ。それは、他の精霊では肩代わりできない。四大元素は、基本的な力故に、その影響力が大きく、失われれば、グロウタースの多くの命を道連れにしてしまうのだ。
短命な風の王は、空白の時間の影響を最小限に留めようと、準備をしているが、上級精霊でしかない他の三王には、そんな真似はできなかった。
――エセルトとメリシーヌ。あいつらは自分がいなくなったときのことを、わかってねーんだよ。代替わりしたことがねーからな。ユグラ、おまえはオレ達四大元素の王が、換えがきく精霊だってこと知ってるよな?それに、不在になったとき、何が起こるのか、それをちゃんと理解してる。だからおまえは絶対に職務放棄しない。だから、誰よりも信用できるんだよ
リティルの言葉に、ユグラは思わず顔の熱が上がった。十五代目風の王はタラシだと、そんな噂は聞いていた。これか!と思って、すでに手遅れなことを悟った。
――なあ、ユグラ、エセルト達がオレに隠れて何かやらかそうとしたら、止めてやってくれよ。おまえら、オレ抜きでそういう話たまにしてるんだろ?
三王は、茶会と称して、大地の城に集まり、風の話をしていた。ユグラが仕切っているわけではないのだが、一番リティルの事を知っていると、二王に押しかけられているのだ。
――バレてた?あの二人は呆れるほどリティルが好きなのよ。あなた、二人がそのうち風の仕事に手を出してくるって、思ってるの?
――ああ。あいつらは、純粋無垢で優しいからな。ユグラ、あいつらを死なせないでやってくれ。命を賭けるのは、オレ達だけで十分なんだからな
世界がその姿のまま存在する為に、汚れすぎたモノを掃除する、風の精霊。誰も、彼等の代替わりを望んでいない。ユグラだって、同じだ。哀しいことを言わないでと、言いたかったが、ユグラはその言葉を飲み込んだ。
――リティル……しょうがないわね。あなたの邪魔させないから、存分に飛んで
――ハハ、ありがとなユグラ
リティルの笑顔が、とても眩しかった。
リティルの笑顔を曇らせたくないから、何とかしたかった。
これが何なのか突き止めてからでも、風の城への報告はいいと思っていた。まさか、こんな結末になるなら、何が何でもブローカーから、品物は受け取らなかったのに。
傲りがあったのかな?とユグラは自分自身に失望していた。あたしは、リティルの信用を裏切ったのだと、悔しかった。
ブローカーからユグラのもとへ送られてきたのは、うつろな目をした女性だった。
禍々しい力を感じて、彼女は本当に忠実な私兵なのだろうかと疑うほど、触れがたい容姿をしていた。
オオカミの耳と尾――この姿は、グロウタースの民である半獣人種、ウルフ族だなとわかった。
ウルフ族?何か、記憶に引っかかるような……ユグラはそう思いながら、所々紫色に変色した肌の彼女を、しげしげと観察していた。この暗い紫色の変色は、なんなのだろうか?ユグラはその肌に何気なく触れようとした。
「ユグラ、邪魔をする」
「ノイン!と、フロインとセリア?どうしたの?」
急な来訪だった。ノインだけでも珍しいが、奥方とセリアもなんて、風の城に何かあったのだろうか。
まだ、名も尋ねていないウルフ族の女性から目を離し、ユグラは声のしたほうへ視線を向けた。
ユグラは、送られてきた私兵を城の奥へ入れることを躊躇って、玄関ホールにいた。
ほとんどの建物の壁が、木に侵食され、崩れ、天井に至っては、木々の梢が屋根の代わりをしていて穴だらけだった。森に飲まれる廃墟の城――それが大地の城の姿だった。
ユグラは、ちょうどいいから彼女のことを、ノインに聞いてみようと、彼等の到着を待った。するとノインは、不自然に立ち止まった。後ろにいたフロインとセリアを守るように、片手を水平にあげて。
「ユグラ!彼女から離れろ!」
ノインの鋭い声に、え?とユグラは身をすくませた。彼についてきていた二人も、どこか驚いた顔をしていた。固まったユグラは、鋭く飛来した金色の風に、小脇に抱え上げられていた。そして、彼は送られてきたばかりの私兵と切り結んでいた。
「サレナ……!」
剣を弾き飛び退いたノインは、苦しげに名を呼んだ。彼女を見つめていたユグラは、大きく瞳を見開いた。
彼女――サレナの背中に、雄々しい金色のオオタカの翼が生えたのだ。その翼は、ところどころ禍々しい紫色に犯されていた。
あり得ない。ユグラは、ノインの小脇抱えられたまま、瞳を見開いてカタカタ震えていた。
彼女の背中の翼。オオタカの翼は、風の王の証だ。それを、なぜ、ウルフ族の女が持っているのか、その異様さはすぐにわかった。
「セリア、フロイン!ユグラを連れて逃げろ」
ノインはサレナを突き放すと、即退却に転じた。そして、セリア達に合流する。
「何言ってるの?わたし達が逃げなくちゃならない相手なら、あなただって逃げなくちゃならないじゃない!」
正論だ。正論だが、大地の王を危険にさらすわけにはいかない。それも正論だろ!とノインは、不毛な言い合いをしなければならないことに、辟易した。ここに共に赴いたのがインファだったなら……そう思わずにはいられなかった。
「おまえは、少しは補佐官の命に従ったらどうだ?」
「あら、わたしはリティル様の暗器よ。納得できなくちゃ、補佐官様には従えないわね」
強気なセリアの態度に、ノインはユグラを背中に庇うように下ろしながら、ため息をついた。こんな跳ねっ返りは、頼まれても無理だ!とノインは、セリアとの仲を疑っているインファを恨んだ。確かに、最近のセリアの態度は目に余ったが、彼女を転がせるのはおまえしかいないのに……インファと気兼ねなく話せない今が、ノインには一番辛かった。
リティルのいないストレスを、ノインでは和らげてやることはできなかった。インファの心が疲弊していっていることに、ノインは気がついていたが、どうしてやることもできなかった。インファを癒やし支えることは、雷帝妃であるセリアの仕事だったが、意気込みとは裏腹に、悩みを抱えていたセリアには荷が勝ちすぎた。
優秀で恋愛に不向きなインファでは、セリアの悩みに気がついてやれない。ノインはただ、相談に乗っていただけだった。
それなのに、よりにもよって、セリアとの仲を疑われてしまった。そんなに追い詰められていたのか?と、ノインはインファの心細さに、気がついてやれなかったことを悔いた。
風の王の副官。それが、雷帝・インファという精霊の存在理由だ。存在理由が揺らいで、インファは、心を正常に保つことが難しくなっていたのだ。その脆さを知っていたのに、ルディルがいてくれたこともあり、ノインは油断していた。大事な相棒を、支え損なってしまった。
「リティルは不在だろう?王に等しい権限を与えられている」
ノインは無駄だとわかっていたが、それでも主張してみた。だが、セリアはフンッとそんなノインに、挑戦的な態度を改めなかった。
「関係ないわ。わたしはリティル様から自由に動いていいって、言われてるし!彼女は何?知り合い?」
「セリア、顔をよく見ろ。見覚えがあるだろう?」
顔?セリアはマジマジと、立ち尽くすサレナに視線を向けた。
『肖像画……彼女は、ビザマの妻ね。けれども、肖像画と随分違うわね』
「彼女は、夫のビザマによって、風の王の証の一時的な保持者にされた。リティルは、彼女を討ち、王の力を取り戻し、風の王になった。あれは、風の王の証によって動いている、死体だ」
――インも知らない父さんの過去。知りたいですか?
あるとき、インファにそう言われた。インも知らない?そう言われて、インに対抗心が湧いてしまったノインは、インファから件の本を受け取った。ここに書かれているのは、一部だとインファは言っていたが、リティルがどうやって風の王になったのか、ノインはそれを知ったのだった。そして、リティルの心に住み着いて、二人三脚だったインが、ビザマに奪われて不在の間、リティルが散々な目に遭わされていたことも知った。
「えっ!じゃあ、あの人は風の王の力を持ってるの?今でも?」
彼女は過去だ。彼女の魂も肉体も、当になくなっている。彼女が何者なのか、現段階ではノインにも明言はできなかった。
「あり得ないが、不完全な風の王の魂を感じる。ユグラ、あれをどこで手に入れた?」
「送られてきたの!知っていたら、受け取ったりしなかったわ!」
ノインは、そうだろうなと思った。ユグラは、他の元素の王より慎重だから。
「送り主は誰だ?」
「わからないわ。ブローカーとだけ名乗ってて。怪しいから、何なのか調べようと思ったの。そうしたら、あなた達が来て……」
ユグラは唇を噛んだ。怪しい話に乗る前に、風の城に情報を流すべきだったと、初動を違えたことを悟った。調べるなんて悠長なこと。これは初めから、手に負えない事案だったのだ。
「君はどうやら、ブローカーとやらに警戒されたらしい。間に合って幸いだった。下手をしたら、消されていたかもしれない」
振り向かないノインの言葉に、ユグラは青ざめた。そんな危険を冒していたなんて、思いもよらなかった。そして、風の城は、本当に守護者なのだと目の当たりにした。彼等は言わないが、メリシーヌとエセルトのところにも、誰かが行っているのだろう。危険を察知して、守る為に飛んでくれているのだ。ユグラは、ごめんなさいと謝り、そして、来てくれてありがとうと言った。そんなユグラに、ノインは振り返らないまま、仕事だ。と短く言い、そして、無事でよかったと言った。セリアは、ヨシヨシと抱きしめてくれた。
『腐敗の力……ノイン、わたしと相性がよさそうよ?』
クンッと匂いを嗅いだフロインが、そっとノインの隣に並んで立った。
「偽りとはいえ、あれは風の王の魂だ。君には傷つけられない。フロイン、ルディルに、リティルの過去が暴かれているかもしれない、至急レジーナを訪ねろと連絡してほしい」
フロインは頷くと、サッとノインの背後に隠れた。
「ノイン、わたしもやるわよ。リティル様、やっと帰って来るんだから、哀しい顔、させられないわよ!」
だったら、雷帝と仲直りをしろ!と喉まで出かかったが、ノインは何とか飲み込んだ。
インファはどうやら、インとセリアの関係を訝しがっているようだが、彼の思う事実はない。ただ、二人はほんの短い間、師弟関係だっただけだ。セリアはその昔、呪われていた。一日の命を繰り返す呪いの為に、過去のほとんどの記憶を失っている。セリアにインとの思い出は残っていないだろう。けれどもセリアは、インを頼っていた昔と変わらず、インの生まれ変わりであるノインを頼っていた。記憶を失っていても、彼女の魂、心がそれを覚えているらしかった。
「王の戦いに、入る隙はない」
「王だったことなんて、ないくせに」
セリアは、ああ言えばこう言った。インファはもしかすると、こんなやり取りも羨ましいのかもしれない。
インの面倒見のいい性格を、ノインも継いでしまっていた。不安から頼ってくるセリアを、突き放すことができなかったことで、察しのいいインファを苦しめてしまった。
リティルの不在で、インファはいつもはある余裕を失っていたことも、災いした。
セリアは昔から、生命奪取という固有魔法を嫌っていた。記憶をなくし、その固有魔法も、忘れてしまったようだなと思っていたが、まさか、あんな発動の仕方をしてるとは思わなかった。
まさか、霊力の交換――情交の最中に発動して、インファから霊力のみならず、生命力まで奪ってしまっていたなんて。それをセリアから、打ち明けられたノインは、それでインファが、超回復能力の研究を始めたのかと合点がいった。そして彼は、生と魔の交換を編み出した。それで、解決したと思ってしまったのだ。
記憶がなくても、セリアの性格は、インの記憶にある彼女と変わらない。
昔は使いこなしていた生命奪取を、暴走させてしまっているセリアは、インファに引け目を感じていることは容易に想像ができた。だが、精霊大師範と称えられる優秀すぎるインファには、セリアの後ろめたさ、恐れがわからないのだ。
吸い取られても、平気なのだから気にするなと、ケロッとしている。おそらくそんなインファの態度も、セリアが、後ろめたさを打ち明けられないでいる、要因の一つなのだろう。
彼女の相手が、オレやリティルだったなら、きっとわかってやれたのだがなと、ノインは思った。
セリアには、オレを頼らないで、インファに話せと言ってきたが、拗れてしまったところを見ると、言えなかったのだなとノインは察した。
片づいたら話そう。ノインは仕方なく、重い腰を上げざるを得なかった。
さて、サレナを片付けなければならないが、このまま滅してしまっていいものかと、ノインはサレナを観察した。
「――……」
サレナが何かを呟いた。そして、その瞳から涙が流れ始めた。
「やめろ」
ノインは瞬間距離を詰めると、持っていた剣を自身へ向けたサレナの手を掴んでいた。
「――……」
聞き取れないほど小さな声で、彼女は涙しながら何かを呟いた。その声を聞こうと、ノインは無意識に、サレナに顔を近づけた。サレナが、泣き濡れた顔を上げた。彼女は、ビザマとリティルを想って、よく泣いていたなと、インの記憶にあるサレナが思い出された。
『ノイン!』
怒気を含んだ風が突っ込んできて、サレナの体は引き裂かれていた。ノインは、倒れる彼女に無意識に手を伸ばしたが、掴んだその手は、精霊の文字となって分解し消えていった。
オウギワシの爪で、サレナを一瞬で葬り去ったフロインは、流れるように人の姿に再び化身し、キッとノインを睨んだ。
そして、次の瞬間、ノインの頬を平手打ちしていた。拍子に、仮面が飛びカランッと小さな音がした。ノインは、何が起こったのか、理解できなかった。ゆっくり目の前のフロインに視線を戻すと、彼女は、こちらを睨んだままボロボロと泣いていた。
彼女の右耳で、バラの花からトーン記号の飾りのついたピアスが、哀しげに光を返しながら揺れていた。あのピアスは、婚姻の証としてノインが贈ったものだ。ノインの左耳には、オウギワシの羽根をモチーフにしたピアスがあった。それを飾った左耳たぶが、少し、痛い気がした。
「フロイン……?」
フロインはいつもニコニコ笑っていて、戦闘以外で怒りを露わにすることはなかった。そんな彼女が、怒って、そして泣いている?ノインはフロインを見つめたまま、思考が停止していた。
「フ、フロイン!今のは、不可抗力だと思うわ!うん!」
セリアが大いに焦りながら、擁護してくれたが、ノインは自分が何をされたのか、思い出せていなかった。
「ノイン、えっと、大丈夫?」
「……今、何があった?」
トテテテと近寄ってきたユグラが、窺うように見上げてきた。そんなユグラに問いかけると、ユグラはうっと押し黙った後、口を開いた。
「あの人に、キスされてた。ねえ!体、大丈夫?」
キス?そんなものされたか?とノインは驚いていた。
あの時、彼女の声を聞こうとして顔を――
――……
誰かの声が聞こえる。その声に、耳を傾けて――
「ノイン?ねえ、大丈夫?」
セリアは、固まってしまったノインの顔を覗き込んだ。
セリアセリテーラ?なぜここに?ノインはそんなことを思って、戸惑った。彼女が呼ぶ、その名は誰の――?
体を失い、心だけの存在になって、幼いリティルの中にいたインは、助けを求めるサレナを、一度も助けてやれなかった。インならば力になれることでも、まだ庇護を必要としていたリティルではできようはずもなく、リティルはただ困って、大丈夫だよと繰り返していた。
そんな二人を、リティルの中から見ていることしかできずに、何もしてやれないことをインは、歯痒く情けなく感じていた。その感情の記憶はなくても、インと記憶を共有するノインは、それを察していた。
――助けて……イン!リティルとビザマを、助けて……!
サレナが叫んだ言葉が、心を塗りつぶす。その記憶はないのに、彼女は自分の命が消えるその時、インを呼んだのだと、ノインは唐突に思った。
過去、双子の風鳥島での遠い記憶。
インこそが、ビザマをそそのかした黒幕だとも知らずに。体のない、心だけの精霊に、サレナは命の火が消えるその時、ビザマとリティルを助けてと懇願したのだ。
あの時聞いてやれなかった願いを、聞き入れたくなる。翻弄されてしまった憐れな女の、最後の願いを今度こそ。
「――離れろ」
「え?」
「オレから離れろ!」
――すまない、リティル……抗いようが、ない――……
呼び覚まされてしまったノインの元の名の心が、不完全ながら目を覚ました。
一撃だった。
セリアもフロインも、ノインの放った風に切り裂かれてしまった。ユグラが無傷なのは、セリアとフロインが咄嗟に守ってくれたからだ。
セリアの身代わり宝石が砕けて、霧のように広がって、ノインの視界を塞いでくれた。
ユグラはその隙に、二人を蔓で確保して、ノインの体も縛り上げた。
レイシが来たのは、我を失ったノインを縛ったままにしようと、幾重にも蔓をかけるユグラと抵抗するノインの攻防の最中だった。
レイシは戸惑いながら、庇って立ってくれ、ユグラはやっと安堵した。安堵の隙をつかれ、蔓を断ち切られ、レイシは、状況を把握できないままライオンの野生の殺気を放って、ノインを牽制した。そして今、ノインはレイシの作った炎の輪の中だ。それも長くは保たない。
「ノインが離れろって?何かに入られたのかな?えー?オレじゃ傷つける以外、何もできないんだけどなー」
あのノインが相手では、手加減なんかとてもできない。だが、レイシの魔法は殺傷能力が高く、下手をすれば怪我ではすまないかもしれない。どうしよう?一番来ちゃいけないところに、オレ、来ちゃったかも。と、レイシは困っていた。
ヒュンッと風きり音がして、レイシの炎は消されていた。
あ、中暑かったよね?とレイシは謝りながら、再び大剣を構えた。
「?」
肩で息をして、俯いているノインに違和感があった。
あれ?ノインって、髪長かったっけ?インファと同じ、金糸のような長い髪の影になって、俯いたその顔は全く見えなかった。
「ユグラ、離れてて!で、できたら風の城に連絡して!」
ノインは優雅に待ち戦法だ。なのに、彼は咆哮を上げて、斬りかかってきた。いつも攻撃を誘われて、乗るまいと思っていても乗せられて、レイシは攻撃を華麗に避けられて反撃で沈められる。涼しい顔の彼に、一度も勝ったことがない。
だが、暴走して打ち込んできてくれる今の彼になら、いつもより粘れそうな気がする。
得意の三六十度神経のような、風の糸も、使ってはいない様子だ。
本当に何もないのかレイシは警戒し、彼の剣を大剣で受けることなくとりあえず、避けることにした。剣技も、でたらめに見えた。だが、力だけは強力で重い。ノインって案外力持ちなんだと、インファに似て細いのに、服の下は凄い筋肉だったりしてと、想像して笑ってしまった。
何とか太刀筋が見えるなと、レイシはやっとノインの剣を受けた。ゴッと、炎の乗った風が二人の打ち合った剣から放たれていた。
「あ、この城で炎はマズかったよね?」
でも、こんな攻撃大剣じゃないと怖くて受けられないしと、レイシは苦笑した。
「きゃあああ!あたしのお城ー!もお!気にしなくていいから、存分にやって!」
半分泣きながら、引火した箇所に、サボテンボールを投げて消化しながら、ユグラはレイシに叫んだ。
「アハハ、ごめんねユグラ。でも、ノインは止めるよ!」
ノインに弾かれて距離を取ったレイシは、両手で大剣を構え直した。
ノインは、大事な家族だ。何に精神を攻撃されているかしらないが、絶対に止めてみせると、レイシは冷たく鋭い瞳をさらに鋭くした。
ノインは、悩んでいると、隠しているつもりなのに気がついて、助言をくれる。素直になれないひねくれ者のレイシなのに、そんな態度に一度も気分を害した素振りなく、見守る者の温かい瞳でいてくれた。リティルに後ろめたくて頼れなかったとき、彼に散々助けてもらった。
それから、レイシの日課になっている、ノインの語る、今日の出来事。それが聞けないと、何かをやり残している様な気がして、眠れなくなる。
涼やかな大人なノインだが、あれでいて、結構怒る。怒ると本当に容赦なくて、そんなノインが格好良くてレイシは好きだ。
ハア……ハア……と大きく息をしているノインが苦しそうで、彼はたぶん今も戦っているんだろうなと思った。
ピィーと、レイシは短く口笛を吹いた。すると、首にかけていた金の鎖がシャラリと音を立てて浮き上がった。小さな翼の飾りのついた棒状のホイッスルだった。
婚姻の証に作ってと、インリーに頼んで作ってもらった笛だった。そして、この笛には、リティルから守るように言われて継承した、原初の風の四分の一が宿っている。
レイシが笛を吹くと、七つの色の七匹の妖精が具現化した。ワッとまとわりつかれ、ノインは鬱陶しげに腕で妖精達を払った。キラキラと妖精達は瞬き、瞬間真っ白な光に辺りは包まれた。ユグラもその光の眩しさに、目をつぶって顔を覆った。
――ごめん、ノイン!
太陽光の混血精霊であるレイシは、光に目がくらむことがない。ノインの背後に回ったレイシは、彼の首めがけて剣の柄を振り下ろしていた。
ノインを眠らせて、城に連れ帰ることができれば、城の誰かが何とかしてくれる。
「え?」
捉えたはずだった。しかし、レイシの剣は、風の障壁によって阻まれていた。ゴッと風が吹き、ノインの長い髪を巻き上げた。レイシは、その風に吹き飛ばされ、慌てて足から着地した。膝を折らされ、慌てて顔を上げると、背筋を伸ばして立ったノインが、長い髪を鬱陶しげに撥ね除けていた。さっきまでの苦しそうな様子が嘘のようだった。
「あんた……誰?」
ノインが、ゆっくりとレイシに視線を合わせた。凍っているかのように、冷たい眼差しだった。しかし、怖くはなかった。瞳の奥に宿る確かな意志が、光を反射する氷のようで綺麗だなと思った。
「我が名はイン。第十四代風の王」
「え?それって……前世の……」
――ノインは、オレの父さん、インの蘇りの生まれ変わりなんだ
リティルの声が思い出された。蘇りの生まれ変わり?どういう状態なのか、ハッキリしなかったが、それを教えてくれたリティルの辛そうな、哀しそうな様子からそれ以上聞けなかった。
「我に、そなたと敵対する意志はない。約束がある故、暇乞いを」
「待ってよ!ノイン、オレのこと、忘れちゃったの?」
「許せ、我にそなたに関する記憶はない」
さらばと告げて、ノインは焼け落ちた天井の穴から飛び去ってしまった。
「ノイン……」
レイシは息を飲むと、ノインを追おうと翼を広げた。
「レイシ、ダメ!たぶん、追っちゃダメ!」
飛び立とうとしたレイシの背中に、ユグラが飛び乗ってきた。レイシの翼は偽物だ。背中に乗られては、形が揺らめいて翼の形を保てない。
「でも!ノインが!」
インだって?あのノインが前世に飲まれた?嘘だと思った。何かの理由で、そう装っただけだと思いたかった。でもあの眼差しは?ノインの、控えめな温かさがなかった。
ノインが、消えた?レイシはゾクッと悪寒がして、縋るように空へ向かってポッカリあいた穴を見上げた。
「嫌だよ。嫌だ!ノイン!」
力が欲しい。もっともっと――。もらった優しさを、その人に返せるくらい強く、なりたい。
どれくらいそうしていただろう。ユグラはレイシが座り込んだあとも、ずっと背中に抱きついていた。
「レイシ、こっちも散々みてーだな」
背後に、力強い気配が立った。
「父さ――ん?何、その血の痕!」
炎の城から引き返す途中、ゾナから連絡を受けて、リティルは雷帝親子と共に大地の城に寄った。先に帰れと二人に言ったが、一人にしておけないと言われてしまった。
見上げたレイシは、リティルの服が右側だけ血で汚れているのを見て、ギョッとした。
「ああ?ああ、帰ったら話すよ。で?ノイン、どうしたって?」
ノインと聞いて、レイシは俯いた。
「ノインが……インに、飲まれた……」
「イン?あいつが、ノインを?へえ、そりゃ父さんに会って、どういうつもりなのか、聞かねーとな」
思いの外穏やかにリティルは笑った。
「心配じゃないの?ノイン……凄く苦しそうで……セリア達に、オレから離れろって言ったって」
「ノインとインに、何か考えがあったのかもしれねーしな。オレは二人を信じるぜ?レイシ、心配するなよ!インがノインに何かしたんなら、オレがきっちり決着つけてやるよ。大丈夫だ。ノインは必ず帰って来るさ」
あいつは強いオレの補佐官だと、リティルは明るく笑った。その笑顔を見て、レイシは俯くと頷いた。声を殺して泣くレイシを、リティルはそっと抱きしめてやった。
ノインは、レイシに目をかけてくれてたからなと、リティルは心を痛めた。普段突っ張っているレイシは、本気でノインを連れ戻すつもりだったのだろうなと、思った。これは、悔し涙だ。
「レイシ、帰るぜ?ユグラ、おまえも来てくれねーか?」
城を空けることになるけどと、リティルは伺いを立てるように言ってきた。
「行く!これの責任の一端は、あたしにもあるから。ごめんね、ブローカーが怪しいこと、わかってたのに……」
「オレが帰ってきたんだ。解決してやるよ。ユグラ、情報しっかりくれよな」
うん!とユグラは元気に頷いた。
さて、今回の事象は何なのか。思わぬ者達が関わってきて、リティルは傷つくどころかどこかワクワクしていた。
ああ、オレもだいぶ病んできたなと、リティルはフッと自嘲気味に微笑んだ。
第一ラウンド 勝者 風の王の守護鳥・フロイン
第二ラウンド 勝者 十四代目風の王・イン




