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三章 炎の王、狐の剣士VSインファ、ゾナ

炎の王・エセルト、フォルク族の傭兵・ドルガー 対 雷帝・インファ

                         時の魔道書・ゾナ

乱入 風の王・リティル、煌帝・インジュ

観客 無常の風、司書・ビ・ウジ

 炎の領域は、砂漠と火山しかない暑い場所だった。

炎の王・エセルトの居城は、火山の中にある。炎の城の玉座の間は、風の城の応接間よりも無機質で、岩山を掘り抜かれた洞窟、もしくは坑道のようなそんな印象を受けた。

「隠す気すらないとは、どう反応したらいいですかね?」

炎を纏った、風船のような筋肉の巨人が、彼からすればとても小さな狐の獣人の男と、仲よさそうに談笑していた。

その姿を一目見たインファは、ため息をつくとゲンナリした。

「これが反乱の意志表明になるということを、気がついていないのではないかね?リティルの過去を、正しく理解しているとは思えないのでね」

「あれは、ドルガー。で、いいんですよね?」

応接間にある肖像画で姿を知ってはいたが、インファはゾナに確認した。ゾナは頷いた。

「死んだはずの友が、笑ってそこにいるというのは、いささか複雑な心持ちだよ。そして、あれは、何なのかね?」

あれは――と言いかけたところで、こちらに気がついたエセルトが、その丸太のような赤い腕を振り上げて、気さくに声をかけてきた。

「インファにゾナ、仕事帰りかい?ここに寄ってくれるなんて、ボクは感激だね」

ズシンズシンと、地響きを立てながらニコニコと人の良さそうな赤い巨人が近づいてきた。

「エセルト、単刀直入に質問に答えてください。彼が何者なのか、あなたは知っていますか?」

彼?エセルトは一度、玉座のそばから動いていないドルガーを振り向き、再びニコニコしながらインファに視線を戻した。

「ああ、ドルガーはリティルの父親なんだね。ところでリティルは帰ってきたのかい?ドルガーに会わせたら、きっと喜ぶよね」

これが、普通の反応なのだろうか。エセルトにリティルを傷つける気持ちが、微塵もないことが、窺い知れた。それよりもむしろ、リティルを喜ばせたい気持ちに溢れていた。

「エセルト、風の精霊は喜びはしないよ」

「なぜだい?懇意な者には、いつだって会いたいものじゃないのかい?」

ゾナは、努めてエセルトのみを視界に入れようとした。ドルガーは、ゾナの親友だった男だ。グロウタースの双子の風鳥島。ゾナはかつて、その島のカルティアという国で宮廷魔道士をしていた。ドルガーは、カルティア海岸で、当時十才だったリティルを拾って、育てた男だ。

 ドルガーは自宅で殺され、その無残な遺体を当時十三才だったリティルが見つけた。その時リティルの心は酷く傷つき、表面上立ち直るまでに二年かかった。あの時その場に居合わせなかったことを、悔やみ続けたリティルが、やっと自分を許せたのは、それから四年後のことだった。

その思い出は、精霊となったリティルにとって、遙か彼方の過去だ。それは、ゾナにとっても年月だけでいけば、同じだった。だが、ゾナは彼の死に疑問を持ち、納得できていなかった。彼がもし、自らあんな死を選んだとしたら、許すことはできないと、思ってしまっていた。

死人に口なし。彼に問うことができないことが、ゾナにとって救いだったというのに。

「少なくともオレは、会いたくはなかったよ」

ゾナにコバルトブルーの瞳で睨まれて、エセルトは怯んだ。

「エセルト、あなたに反乱の容疑がかかっています。それが、風の答えですよ」

「そんな、まさか!インファ、リティルは本当に望まないのかい?突然の別れだったんじゃないのかい?」

「そうですね。突然の別れだったと、記憶していますよ。それ以上のことは知りません。知りたいとも思いません」

インファは風の中から槍を抜いた。

 過去を、知りたいとも思わない?自分の言葉に、インファは思わず自嘲気味に笑ってしまった。今、妃と補佐官の過去を気にして、大人げない態度を、とってしまっているというのに。

セリアと先代風の王・インの過去――それを暴いて、どうしたいのか、インファはわからなかった。それを知って、打ちのめされても、彼女を――セリアを手放せるはずもないのに。

暴いて傷つけて、それで満足?過去は消えず変えられない。見るべきではない。知るべきではない。わかっているのに、真っ赤な顔をして逃げてしまうセリアを、捕まえて抱きしめられない。ノインに気安く抱きつくセリアの心は、本当は、どこにあるのか――

 隣でゾナが魔道書を開く音に我に返り、インファは槍を構え直した。

数秒の逡巡。ドルガーを見据えたインファの脳裏から、もう最愛の者の姿は消えていた。淡泊だと自分でも思う。獲物を目の前にすれば、もう惑わされることなどない。

「かばい立てするのであれば、あなたも断罪しますよ?彼は、紛れもなく風の獲物ですから」

リティルのように魂の穢れまでは、インファには見えない。見えないが、ドルガーに関して言えば、そんな特殊な目は必要ではなかった。

「ドルガー、わかっていますよね?あなたは、どこに隠れていたんですか?」

風の王の両翼の鳥、生の翼・インサーリーズと死の翼・インスレイズ。

二羽の鳥達は、肉体から離れた魂を、日々、命を生み出し帰る場所である、生命の大釜・ドゥガリーヤに送り届けている。素直に導きに従うのなら、インサーリーズが導き、この世に居座ろうとするのなら、インスレイズが狩る。彼は後者の鳥の世話になるべき魂だった。彼女らの目から逃れられる魂はいない。そのはずだった。

存在を見極める目――それは、風の精霊であれば普通に持っているものだ。インファもその目で、生者死者を瞬時に見極めて、導き、狩りをしている。

 インファは、戸惑うエセルトの隣をすり抜けると、ドルガーに歩みを進めた。

「あなたを、父さんに会わせる?寝ぼけないでくださいよ。会わせるわけないでしょう?」

彼をリティルに会わせる。それは、エセルトの考えで、彼のものではないのかもしれない。インファは、槍の切っ先をドルガーに突きつけてみた。

「選んでください。風の導きを受け入れるか否か。あなたは、風の王の導きを拒否した、死者の魂です」

リティルはもうすぐ帰って来る。帰ってきた途端に、こんな仕事をさせるのは、風の王とはいえ酷だ。ならば、あとで知られて怒りを買っても、信用を失っても、リティルが帰って来る前にこの処理をしてしまいたかった。

 抵抗してほしくなかった。そんなインファの願いむなしく、ドルガーは剣を抜いた。


 ドルガーが剣を抜いたのは、傭兵として抵抗なく敗北を認めるわけには、いかなかったからだ。それに、この美しい精霊は相当に腕が立つと見た。戦ってみたかった。

時折、頭がボンヤリする。睡魔とは違う何かが襲ってきて、その直前まで考えていたことさえわからなくなる。

「聞いていますか?」

ドルガーは、不愉快そうにこちらを窺いながら槍を構える、金色の雄々しい翼のある男を見返した。何か話をしていたのか?とドルガーは思ったが、各々武器を構えながらする話とはどんなものなのか。

「御託はいい。始めようぜ?」

彼はますます不機嫌そうに、その切れ長の瞳で睨んできた。

「オレはインファ。風の王・リティルの副官であり息子です。ドルガー、風の導き、受けてもらいます」

インファの体から、金色の風が放たれた。怒気を含んだそれから顔を庇いながら、この風を知っているような気がした。

――親父!

親しげな誰かの、笑い声を聞いた気がした。思い出せない記憶の彼方――。

ここはどこで、自分は誰なのか。それすらわからないのに、この体は、インファの鋭い突きを難なく躱していた。

そうそう、これこれ。ゾクゾクと心が躍る。思った通り、インファは強い。彼なら、望みを叶えてくれそうだ。

望み?何だったかわからないが、ドルガーは口元にニヤリと笑みを浮かべ、インファと切り結んだ。


 風の王・リティルの名に反応しない?

インファはその事実に戸惑っていた。彼が亡くなったのは、リティルが十三才の頃……。

最初の一撃は躱され、ドルガーの反撃をインファは槍の柄で弾いた。

彼が亡くなってから、ざっと五百年から五一五年の月日が流れていることになるのかと、インファは冷静に思った。

こんなに長く、グロウタースの魂がこの世に残ったままになった事例はない。ないと思いたいが、リティルはあまり迷魂狩りのことを話題にしないから、オレが知らないだけかもしれないなと、インファは思った。

 リティルが言っていた。魂は、体から離れるとすぐに劣化が始まり、放っておくと、記憶も意識も崩れて、ただ生前の欲望を満たそうと動く、悪霊になってしまうと。

悪霊となる魂の多くは、個人に執着や未練を残していて、風が間に合わなければ、執着や未練を残された個人をだいたい殺してしまう。

――何か器があっても、悪霊になるんですか?

応接間の机で書類の整理をしていたリティルに、インファは尋ねた。

――肉体は魂の入れ物だけどな、どっちも唯一無二なんだ。グロウタースの民の肉体は、精霊と違って完全な物体だからな。精霊みてーに、魂さえ無事なら、霊力が回復したら復活するってものじゃねーんだよ

無理矢理何かに魂を入れたとしても、劣化が緩やかになるだけで、止まらないとリティルは言っていた。だから、蘇らせる事は無理だとも。

――死んだら、輪廻の輪に乗る!それが、命の理なんだよ。辛くてもな、見送らなけりゃならねーんだよ

リティルはそう言って、無理に笑っていた。

 もう、リティルがグロウタースの民だったころの魂は、全員輪廻の輪に乗っている。何度も生と死を繰り返している者もいる。

それらすべてを、見送って、リティルはたまに寂しそうにしていた。グロウタースで過ごした記憶が、未だにリティルを悲しませている。それらの記憶を、かけがえのない宝物だと言いながら、リティルは歴代王の中で一番、精霊がグロウタースに関わることを厳しく取り締まっていた。リティルは、永遠を生きる精霊が、グロウタースの有限の命に触れて、消えない哀しみを心に刻むことがないように、守っているのだ。

死という別れは、必ず、精霊とグロウタースの魂とを分かつから。

 そんな父の姿を知っているから、インファはよけいにドルガーに怒りが湧いた。こんな、悪霊になって、それで、リティルに会いたいなどと、どの口が言うのか!と八つ裂きにしたくなった。あなたは、風の王・リティルの父親でしょう!と、説教したかった。

雰囲気、口調――ドルガーはリティルにソックリだ。こんな、リティルに大きな影響を与え、死を持ってその心を砕いた男。まだ、父を苦しめ足りないのか?とインファは憤っていた。

 生前はそれなりに強い剣士だったようだが、戦い続けてきたインファが、苦戦する相手ではない。隙を捉え、インファの槍がドルガーの心臓へ吸い込まれる。

「!……エセルト……仕方ありませんね」

ブンッと風を切る低い音がして、インファはドルガーへの攻撃を中断すると、瞬間白い華奢な剣へ槍を変化させていた。襲ってきたのは、エセルトの太い腕だった。ドンッと床が陥没して、インファの姿を砂煙が掻き消した。

彼の岩のような拳を頭上で受け止めたインファは、エセルトを睨みながら小さくため息をついた。床は粉々なのに、インファは平然と立っていた。

「すまない、魔法を破られてしまったよ。代理の君に命じられれば、より強力な時魔法を使えるが、どうするかね?」

ドンッと風の塊を放って、エセルトの巨体を押し返すと、インファは翼を広げ、ゾナのそばに降り立った。風の王の監視下にあるゾナは、時魔法の使用を制限されている。風の王と副官の許可がなければ、使用範囲を広げられない。

「あなたは引き続き、エセルトを牽制してください。魔道書の魔法だけでやれますよね?」

「承知した。だが、長引けばおそらく、リティルが来てしまうと思うがね」

ゾナは、手にした懐中時計の縛られた魔道書を、再び開いた。

「ここを選ぶと思いますか?」

白い剣から槍に変化させながら、インファは炎を纏ったエセルトと、どこかボンヤリ佇むドルガーを見据える。

「三択だと、君も気がついているのではないかね?」

エセルトの反乱要素は、ドルガーだったが、水と大地には誰がいるのか、さすがにインファもゾナも、今の段階ではわからなかった。けれども、確実に何かと、向かった皆は戦闘を強いられるだろう。こちらもツバメを飛ばしたが、ルディルのもとに、すでに情報は溜まっているだろうか。リティルが帰って城にいるのは、ルディル、リティル、レイシ、インジュ。十分、3カ所に散らばれる四人だ。誰がどこへ加勢に行くのか、他の城に誰がいるのかわからないインファには、推測は無理だった。できれば、リティルには、シェラのほうへ行ってもらいたい。

「意地でも一抜けします。行きます!ゾナ、よろしくお願いします」

翼を広げ、天井近くへ飛ぶが、ここは天井が低い。急降下のスピードは稼げそうになかった。だがしかし、立ちはだかるエセルトを、ドルガーから引き離すことが目的だ。天井近くに舞い上がったインファに、エセルトは掴み掛かってきた。

その大きな手をスルリと躱し、インファはこっちだと言いたげに、槍の柄でエセルトを突いた。さすがに遊ばれていることに気がついて、苛立ったその背後を取り、インファは特大の雷の玉を放った。爆発に巻き込まれ、蹌踉めいてゾナの前に膝をつく様を見届けると、インファは、ボンヤリこちらを見上げていたドルガーに、急降下で奇襲をかける。

刃が合わさる瞬間、ハッとドルガーの瞳に光が戻るのを、インファは見た。


 金色の光が、目の前の霧を晴らすように舞い降りた。そして、突如襲ってきた殺気に辛うじて反応し、ドルガーは切っ先を逸らす。

「は?おまえ、風の精霊か?」

「はい?聞いていなかったんですか?さっき名乗りましたよ?」

そんなに驚かれたら、調子が狂うなと、インファは剣を弾いて間合いを取った。

「ここへ来てから、どうも大半意識がねーみてーなんだよ」

「それは、あなたが悪霊だからです。亡くなってから約五一五年ですから、正気に返ること自体驚きですね」

さっきまでのあなたは、ただただ戦闘を楽しんでいましたよ?と彼は言った。そして、彼はハアとため息を付くと、気が進まない様子だったが、インファだと名乗ってくれた。

「あなたは自分のことを、理解していますか?」

こちらに鋭い視線を向けるインファから、個人的な感情を感じる。彼とは初対面のはずだが、意識のない間に、機嫌を損ねることをしたのだろうか。ヒシヒシと怒りを感じていた。

「いや。ただ、ここに来れば、リティルに会えると聞――」

瞬間、インファの瞳に殺気が宿った。鋭い突きを慌てて躱す。驚いてインファを見ると、俯いた彼は何事かを呟いた。

「――ませんよ……」

そして、顔を上げると叫んだ。

「あなたを、父に会わせることはできません!」

ドルガーは耳を疑った。

父さん?誰が、誰の?鋭い二撃目を剣で軌道を逸らして避けながら、ドルガーはインファを見た。怒りと、気遣い?の入り交じった瞳だった。

「リティルの――息子?」

「……そうですよ?」

なぜだかインファは、肯定しづらそうに答えた。そしてその理由を察する。

「ああ、似てねーの気にしてるのかよ?」

言われ慣れているはずだった。今更なのに、なぜかリティルの息子だと、声を大にして言いづらかった。

ドルガーは知らないようだが、十四代目風の王・インに似ているインファは、しばしばインに間違われた。皆、風の王が交代したことを知っているはずなのに。風の精霊だから、死者を蘇らせられるのだと納得され、リティルは苦笑しながら、それはタブーだぜ?と毎回否定していた。そして、血を分けた息子だと言っては、驚かれた。精霊達も、血縁者が容姿的に似ることを知っていた。似てない、似てないと、言われ続けた。

リティルが風の王になって百年くらいは、そんな感じだった。あれから長い月日が流れて、知名度が上がって、最上級精霊まで上り詰めたリティルを、誰も史上最弱の風の王とは見なくなった今日、風の王・リティルの傍らにいる雷帝・インファを、先王のインと間違う者もいなくなった。

 ドルガーのこの反応は、久しぶりで、今更拗ねることもないというのに、五年リティルと飛んでいないことが、思いの外辛かったようだ。インファにとってリティルは、やはり父親で、副官は王のそばにいるものなのだ。あの広すぎる応接間に、リティルがいないことが、苦痛だった。

今日は城にいて、リティルをみんなで迎えるはずだった。大きな仕事を一人でこなして、やっと帰ってくる父を、労うつもりだった。

リティルは帰ってきただろうか。誰もいない城で、ルディルの報告を受けて、そして何を思うのだろうか。

「おかえりなさい」と言いたかった。戦い続ける風の城にとって、この言葉は、何よりも大事なのに!それを、一番言いたい相手に言えず、ここでこんな不愉快な者に対峙させられている現状が、さらにインファを苛立たせていた。

 ドルガー……彼が、父さんの父親?息子にこんな酷いことをして、それで愛されようと?ふざけていると、インファは憎しみが湧くようだった。

「インファ、落ち着きたまえよ」

イラッとした所に、背後からゾナの手が肩に置かれた。エセルトとはもう決着がついたようだ。見れば、青い炎の龍がエセルトを縛り上げ、その様子を二頭のドラゴンが興味深そうに監視していた。炎の王が炎に負けるとは、ゾナも存外彼の行いに腹を立てているようだ。エセルトは、悪いのは自分だからドルガーを許してくれ!と叫んでいたが、インファとゾナは、それを無視することにした。理解しない彼と、これ以上会話しても、時間の無駄だからだ。

 すみませんと、小さく呟くインファに、ゾナはフッと静かに微笑むと、隣に並んだ。

「ドルガー、その軽い口、変わらないようだね」

「ゾナ、おまえまでオレの敵なのかよ?」

「ああ。紛れもなくね。風の城に与する者として、君の存在を捨て置くことはできないのだよ。さあ、わかったら、風の導きに従いたまえ」

「容赦ねーなー」

「ここに居座って、どうするつもりなのかね?君の死後、リティルがどんな目に遭ったのか、知らない君を、オレもインファ同様会わせたくはないのだがね?」

これ以上失望させないでくれと、ゾナはドルガーを睨んだ。冷静さを取り戻したインファは、ドルガーの死は自分のせいだと、自分を責めて壊れていくリティルを、ゾナは一番そばで見ていたのだったなと、思い出した。

その当時――十四才の自分を、リティルは絶対に語らない。その当時を知っているゾナは、どんな気持ちで、その頃リティルを見守っていたのだろうか。出口の見えない闇。そういう踏み外し方をしなかったインファには、その危うさがわからない。けれどもリティルは、どうしようもない闇を知っている。知っているからこそ、多くを導けるのだろうなとも、インファは思っていた。

 リティルの抱きしめる腕の温かさと安心感に、皆落ちる。インファも、気をつけなければ涙の一つも、誘われてしまう。子供に戻って、小さな父に縋ってしまう。

風の王・リティルの、本人も気がついていない、抱きしめることで発動する固有魔法・無償の愛。冗談めかして名付けたのは、ルディルだ。面白いから黙ってろと、ルディルに言われて、彼の言葉を聞く必要はないのだが、インファはリティルに告げないでいた。

教えてしまったら、無駄に抱きしめられそうで、それはそれで怖いから。

 ゾナが、一歩ドルガーに近づいた。ダメだなとインファは思った。自分で思っていたよりも、心に余裕がない。こんなに思い通りにならない自分は、本当に久しぶりだった。

「ドルガー、答えてくれたまえ。君はあの時、自分を優先したのではないのかね?ビザマと繋がり、彼と戦い、わざと負けたのではないのかね?」

ドルガーを殺したのがビザマであることは、わかっていた。ビザマは強い。当時敵対していたゾナは、リティルを追い詰める為に、ドルガーは殺されたのだと思っていた。ドルガーの、亡骸のそばに落ちていた金色の羽根。これ見よがしに残されたそれは、誰が殺したのかを、リティルに知らしめる為に、わざと残されたように感じたからだ。

しかし、それにしてはビザマの行動は不可解だった。

ビザマは、ドルガーを失ったリティルを監視していた。そして、こちらの監視の穴をつき、リティルを守ってくれていた節がある。

リティルはビザマを慕っている。それが、答えのような気がしていた。

リティルを裏切ったのは、ドルガーではないのか?ゾナは、風の城の応接間に飾られた絵を、そんなことを思いながら見上げていた。

「証拠はあるのかよ?オレがおまえの言うようなこと、したっていうな」

「君は、病に冒されていた。それが、理由ではないのかね?君は戦士だ。病に殺されるくらいなら、戦って果てたいと、そう思ったのではないのかね?ビザマは、君の願いを十分叶えてくれる相手だった。君の死は、自殺ではないのかね?」

――雷帝殿、自ら命を絶つことを、あなた様はどう思っておいでで?

ゾナが突きつけた言葉に、ある人から問われた問いが、インファの中に蘇る。あの時は、どう答えていいのか、わからなかった。風の精霊は、輪廻の輪を見守る特性上、自ら死を選べない。インファ自身、考えたこともなかったからだ。

あの時は、あなたが後悔しているのなら、してはいけないことだったのでは?とそういう言い方に逃げた。だが、今は、ふてぶてしく開き直るドルガーを前にして、問いに答えられる。

慕ってくれる人を思い描けるのならば、その死は選んではいけない!と。

インファは知っていた。ドルガーの死が、自殺であることを。

 それを知ったのは、偶然だった。

あるとき、イシュラースの半分である夜の国・ルキルースから、インファを名指して通信が入ったことがあった。相手は、記憶の精霊・レジナリネイ――レジーナからだった。記憶を見たリティルの様子がおかしいから、迎えに来てほしいとのことだった。

今日は仕事じゃなかったのか?と思いながら、その場をちょうど帰ってきたノインに預けて、レジーナの所へ飛んだ。


 万年桜の園――永遠に散る桜の夜を再現し続ける部屋。

その場所が、レジーナの住まいだった。

黒地に桜の花が舞い散る振り袖を着た、十七才の少女は、微睡んだ瞳に不安を滲ませながら、座り込んで動けずにいるリティルの背中に、ぎこちなく触れていた。

「インファ」

「こんばんは。何を見せたんですか?」

「帰ってない、魂、探す。でも、見られない」

「………………誰かの記憶を、見ようとして、見られなかったと、そういうことですか?」

ええと、と、インファはレジーナの言葉の理解に努めた。

「途中」

途中?見始めたはいいが、最後まで見られなかったと、そういうことのようだ。風の王のリティルが見られないほど、残酷な記憶だったのだろうか。それとも、淫らな記憶?インファは、珍しく想像できなくて、リティルに月並みな言葉しかかけられなかった。

「大丈夫ですか?どうしても知りたいことなら、オレが代わりに見ますよ?」

「――へ?あ、インファ?おまえ今日城担当だろ?どうしてここにいるんだよ?」

真後ろでレジーナと話していたというのに、インファが、座り込んでいるリティルの隣に膝を折り、話しかけるまで、父は気がつかなかった。

「そのつもりだったんですが、レジーナに呼び出されました」

ノインが戻ったので押しつけてきたと伝えると、リティルは笑った。

「ハハ、そっか、悪い悪い。何でもねーよ。ちょっと、考え事してたんだ。じゃあ、帰ろうぜ?」

スクッと立ち上がったリティルに、おかしな点はなかった。それが余計に、インファに違和感を与えた。これはたぶん、全力で感情を悟られないようにしているなと、インファは察したが、その気持ちを汲めばいいのか、暴けばいいのか、決めかねた。

 レジーナがフウッと手の平の花びらを吹いて、風の城への扉を開いてくれた。行こうとリティルに促され、インファは後に続こうとしたが、レジーナに腕を取られた。そしてその耳元へ、彼女は囁いた。

「ドルガー、魂、帰って、ない」

手を離したレジーナは、身長よりも長い髪を風になびかせながら、ジッと微睡んだ瞳で、インファを見つめていた。

風の城に引き返したあと、リティルは普段通りで、気にはなったが、レジーナの言葉を胸に留めることだけを選択した。リティルに誰の何の記憶を見せたのか、レジーナに尋ねれば彼女は教えてくれる。だが、それは過去を暴くことに繋がってしまう。

リティルが何を想い、尋ねたのか、そして、なぜ最後まで記憶を見ることができなかったのか、それを暴いてしまう。リティルの精神が、風の王になったときのまま、十九才なのだとしても、インファには父親だ。その父が隠したことを、暴く勇気は、当時まだ百年ほどしか生きていなかったインファにはなかった。

 けれども、ドルガーという男のことは、表面上だけでも、知っておかねばならないなと思った。

過去と、魂が帰っていないことは別問題だ。本当に帰っていないのなら、それは輪廻の輪が、正しく回るように守っている風にとって、許してはおけないことだからだ。

 インファは、風の城の図書館とは別にある、書庫に降りた。

風の城の奥底、長く冷たいらせん階段の先にある、死者の名と一生が書かれた書――鬼籍の納められた書庫。

風の王と副官、補佐官以外、近づくことさえ禁じられた、風の城の禁忌を納めた場所だ。

「シャ・ファン」

翼を広げたハゲワシの浮き出した、鉄の扉に向かい、インファは門番の名を呼んだ。

『副官殿。そろそろ貴殿が来ると、思うておった』

鉄の扉に浮き出したハゲワシの首が動き、ない眼球がこちらを見た。声は、妙に生き生きした老人だった。

「そうですか。父はここでも、一悶着起こしていましたか」

『若き王じゃ、大目に見てやらんか。だいたいの事情は察しておろう?副官殿、ワシに命じぬか?』

あなたも父を甘やかすんですねと、インファは困って笑った。

しかし事情か。と、インファは思った。レジーナに問わなかったインファには、予備知識はなかった。安易に推測するなら、ドルガーという人物は、リティルの亡くなった養父で、風の導きを拒否して、迷魂となっている。と、そういうことなのだろう。

「オレに、そこまでの権限はありませんよ。それにあなたは無情ですからね」

使い方を誤れませんと、インファは再び笑った。

『無常の風の理は、ただただ無情。十五代目のお気に召さぬようじゃがなぁ』

「そんなことはありませんよ。父は、ご老体の身を案じているだけです」

拗ねてみせるなど茶目っ気のある物言いをするが、インファは彼が恐ろしい風であることを知っている。彼等が動くとき、世界は震えることになる。

『クカカカ!貴殿も引退しろと?償いも終わらぬに、逝けぬなぁ』

「あちらも同じ事を言いそうです。では、シャ・ファン、彷徨う魂のリストをお願いします」

『承知。気になる者の鬼籍は、中におるビ・ウジに尋ねられよ』

鉄の扉は開かれ、インファは暗がりに足を踏み入れた。

扉が閉じられると、インファを本物の闇が包んだ。そっと両手を差し出すと、淡い金色の輝きに包まれた、羊皮紙が落ちてきた。迷魂のリストだ。

名を、上から辿っていたインファは、レジーナの言った名――ドルガーを見つけた。だが、同じ名の他人ということもあると、思い直した。父の父親が迷魂などと、やはり思いたくはない。もしドルガーだったとしたら、死してから百年あまりの年月が経過していることになる。ということは、もう、悪霊に?

『雷帝殿』

闇の中から、物静かな、シャ・ファンよりも、だいぶ若い男の声がインファを呼んだ。

「ビ・ウジ、このドルガーという人物の鬼籍を見せてください。……どうしました?」

ビ・ウジは、シャ・ファンと違い、おっとりしているが優秀な司書だ。気配は目の前にいるが、無言になってしまった彼に、インファは問うた。

『いえ。リティル殿も先日、同じことを小生に命じたので』

ビ・ウジは、初対面でリティルの事を陛下と呼び、その呼び方はこそばゆいからやめろと言われ、名前で呼ぶことを約束させられていた。腰の低い彼は、恐れ多いと食い下がったが、リティルに敵うはずもなかった。

「そうですか。その人の鬼籍を見て、父はどんな様子でしたか?」

これは、疑いようもなく、迷魂は養父・ドルガーだと、インファは確信した。

『ひどく、取り乱しておいでで。シャ・ファンがやむを得ず外へ』

鬼籍を見ただけで?確か父さんは、ドルガーの死因を知っていたはず、と、インファは不思議に思った。ドルガーは、ビザマと戦い、そして死んだのだとインファは記憶していた。

「ビ・ウジ、まだ何かあるんですか?」

ジッと佇む気配に、インファは顔を上げた。

『雷帝殿、自ら命を絶つことを、あなた様はどう思っておいでで?』

ビ・ウジは、糸で閉じられた本を二冊、インファに手渡した。手渡したといっても、その手は闇で見えなかった。

ビ・ウジの問いに、インファは、命を自ら絶てないオレに聞きますか?と困って笑った。

「風の精霊であるオレには、難しい問いですね。そうですね……少なくとも、あなたが後悔しているのであれば、やってはいけないことなんでしょうね」

ビ・ウジは、考え込むように黙ってしまった。

「ビ・ウジ、引退してもいいんですよ?」

『小生の償いは、まだ終わっていないので』

そうですかと、インファは優しく笑った。それにしても、なぜ、ビ・ウジは二冊の鬼籍を持ってきたのだろうか。そう思いながら、インファは何気なく表紙の文字を読んだ。

一冊にはドルガーと。そして、頼んでいないもう一冊には、ビザマとあった。

 この姿なき風の二人は、元々グロウタースの民の魂だ。どういう経緯か、初代風の王がスカウトして、それからずっとこの鬼籍の書庫の門番と司書をしている。

詮索されたくないのか、生前の名ではない。生前の名を聞いても答えてくれない。犯した罪とともに捨てたのだと、二人とも口を揃えた。インファは、声から年齢はだいぶ違いそうだが、二人は生前深い関わりがあったのだろうなと思っていた。

とはいえ、シャ・ファンは今の状態を気に入っているらしく、老体だなんだと冗談を言いながら楽しくやっている。

ビ・ウジは、後悔が深いのか、その声はいつも控えめで哀しげだった。インファは彼のことをリティルと話したことがあったが、父には、詮索はしてやるなと釘を刺されてしまった。二人は、理由はどうあれ、望んでここにいるのだからと。

 インファは、二冊の本に視線を落とした。ビ・ウジは、鬼籍の中身について、多くは語れない。ビザマの鬼籍をわたしてくれたのは、何かを知っているが語れない、彼なりの気遣いなのだ。言われたことしかできない召使い精霊とは違う対応に、何か憂いを抱えているらしいビ・ウジに、深入りしたくなってしまう。だから、インファは彼が苦手だった。


 ビ・ウジの計らいで、インファは、ドルガーの死の真相を知った。

鬼籍には行いしか書かれていないが、それで十分だった。ドルガーは、ビザマの剣を奪い、殺された偽装をして自殺している。それが真実だった。

後に、リティルはビ・ウジにドルガーの魂の捜索を命じたが、捕まえることができなかった。その事実を、インファは知らなかった。

無常の風には迷魂を捕捉する固有魔法がある。それで捕捉できない魂はないはずだ。リティルはずっと、シャ・ファンとビ・ウジと共に、秘密裏にドルガーの魂を捜していた。

無常の風の二人は、決着は自分の手でつけたいという、王の気持ちを汲み、副官と補佐官にさえ、話さなかった。

 インファは、ずっと昔にした、無常の風とのやりとりを思い出し、ますます憤っていた。

「インファ?ドルガーとは、初対面ではないのかね?」

普段冷静な彼が、感情的なことに、ゾナは違和感を感じていた。妃のことがあったとしても、これは?ゾナはインファの背に、落ち着けと言いたげに手を触れた。

「許せないんです。自分の命で他者を傷つけ、後悔もなくいることが、許せないんです!」

インファの脳裏にあったのは、あの哀しげな声の、姿の見えない家族のことだった。

ビ・ウジはたぶん、自ら命を絶ってしまったのだろう。だから、どう思っているか?などと問いかけてきたのだ。そしてそのことを今でも後悔している。

司書であるビ・ウジは、ドルガーの死の真相を知っていた。リティルに肩入れしている節のあるビ・ウジは、おそらくリティルを憂いてくれたのだろう。

「あなたは、風の王・リティルの父親ではないんですか?なぜこの期に及んで、父さんを苦しめようとするんですか!」

怒りをぶつけるインファに、ドルガーは薄く笑った。

「リティルは、オレの思惑通り、壊れてくれたらしいな。ビザマも、そのあと、やりやすかったんじゃねーか?」

ゾクッと、ゾナはかつての友の言葉に、悪寒を感じた。彼は騎士として国に仕えた後、ゾナのいる国にやってきた。

グロウタースの次元の大樹・神樹の聳える、双子の風鳥島――リティルの生まれ故郷。

ドルガーはその大きな島の、砂漠の国でリティルと三年、親子として暮らしていた。

――ゾナ、永遠の時間の重さ、覚悟しとけよ?

心ある者は、どれだけ月日を重ねても、過去から逃げられはしないのだな。と、ゾナはリティルが言った本当の意味を、今理解していた。

押し寄せてくる過去は、後悔や痛みが大半で、リティルも同じなのだろう。

 リティルは、たまに本当に寝てきたのか?と思えるほど早く応接間に姿を現し、机に向かっている。ゾナの定位置は暖炉のそばの肘掛け椅子で、魔道書の化身である為に、眠るときは魔道書に戻る。物音に目を覚ますと、強制的に人の姿になってしまうことを、コントロールできるようになるといいと、現在研究中だ。

――うわ!おまえ、いたのかよ?

――ここにいろと言ったのは、君ではないかね?風の王。眠れないのかね?

――ん?ちゃんと寝てきたぜ?

笑みを浮かべるリティルに、それ以上踏み込めなかった。リティルが笑顔ですべてを隠すようになったのは、いつからだったか……。ドルガーを唐突に失って、わかりやすく道を踏み外した時、彼が今何を想っているのか、とてもわかりやすかった。

皆、リティルの笑みを好くが、何を考えているのかわからなくて、ゾナは――嫌いだった。

「エセルト、やはり、死者とは邂逅するべきではないよ」

リティルよりも長く、ドルガーとは一緒にいた。普段短絡的な物言いのくせに、案外物事をよく見て知っている。風の王として幼すぎるリティルを、一緒に導いていけると思っていた。それを、彼は、自ら切り捨てて逝った。

彼の死はやはり、自殺だったのだとゾナは認めざるを得なかった。

「ドルガー、オレはリティルに仕える魔道書。そして今は、友人として、そばにいる身なのだよ。君の自己満足のために、リティルを過去へ連れて行かせはしないよ!」

「ゾナ?何を――」

ゾナの左手の上に乗っていた魔道書が、独りでにページを繰り出した。ページに宿るコバルトブルーの光を見て、インファは慌てた。

オレも感情的になってしまったが、ゾナもかなり感情的だと、インファは驚いた。

「未来へ、君の時を押し流そうではないか。無常の塵となって消えたまえ!」

ゾナの決意は固く、インファには彼が大人の精神をしているが為に、止められなかった。

けれども、許可なくそんな力を使えば、風の王との約束を破ったとみなされ、よくて風の城から追放、悪くて亜空間への幽閉だ。

させてはいけない。なのに、動けない。伝わってくるゾナの失望が、とても哀しくて――

「わああああ!何してるんですかぁ!お父さんも、止めてくださいよー!」

落っこちるように慌ただしく、金色の塊が視界に躍り込んできて、インファは我に返った。眼前に現れたインジュは、まるでお手でもするかのように、ゾナの魔道書に手の平を置いた。溢れだしていたコバルトブルーの光が瞬き、薄れて消えていった。インジュの固有魔法・反属性返しが、ゾナの魔法を無力化したのだ。

「おまえら、寝不足なのかよ?ちゃんと寝ないとダメだぜ?イライラするからな!」

背後に、力強い存在感が降り立った。インファとゾナは、同時に振り返った。

そこには、困ったように笑うリティルがいた。リティルの姿を見て、インファは心が急激に冷静になるのを感じた。思わずインファは、風の王・リティルに向かい、片手を胸に一礼していた。

「インジュ、下がれ」

「は、はい!」

リティルの穏やかな声に、インジュはピンッと背筋を伸ばすと慌てて従った。声色に似合わず、リティルからは思わず膝をつきたくなる重い威圧が放たれていたからだ。

「やっと見つけたぜ?親父」

インファとゾナの間を抜けて、リティルはドルガーの前に立った。

さて、死神の仕事を始めようか?リティルは、やっと見つけた獲物を前に、暗く微笑んだ。


 ドルガーの魂が帰っていないことを告げられ、それからずっとリティルは捜していた。

無常の風は、行動時間に制限があり、一定時間で鬼籍の書庫に戻ってしまう。攻撃力も機動性も高いが、インサーリーズとインスレイズのように、命じたことを永遠には遂行できない。

 リティルは、無常の風とインサーリーズ達――迷魂葬送チームと、長きに渡り一つの仕事をしていた。

「迷魂が見つからねーなんて、そんなことあるのかよ?」

鬼籍の書庫の中で、リティル達は密会していた。

『普通の状態ならば、あり得ません』

金色のクジャクのインサーリーズが、慈愛に満ちた声で答えた。

「だよな。普通なら、無常の風の是生滅法から、逃げられる魂はいないからな」

世界の空気をすべて震わせ、迷魂をあぶり出す、無常の風の固有魔法・是生滅法。彼等の魔法は全方位でなおかつ次元すら越える。逃れる術などないはずだった。

「で?裏技があるのかよ?」

『禁呪・ネクロマンシーじゃ』

闇の中、シャ・ファンが忌々しげに答えた。

「ネクロマンシー?それって、死霊使いとかいうヤツか?」

『知っておいでで?』

控えめに、ビ・ウジが意外そうに言った。

「これでも風の王だからな。オレ達風以外に、魂を捕まえられる奴がいるっていうのか?ホントかよ?」

『本当だよ~ルディル様の代に魔法作っちゃった魔道士がいてぇ、それからずっとウチら定期的に狩ってるよー!』

軽いノリで、金色のフクロウのインスレイズが答えた。

「へえ、オレの代になってからはあったのかよ?」

『リティルの代になってからはまだ、遭遇しておらんな』

シャ・ファンが答えた。ビ・ウジも相方に同意した。

『そういえば、ありませぬ』

「おまえら、ネクロマンサーの気配とか、わかったりしねーか?」

『死霊使いが魂を捕らえる時、独特の悲鳴が響き渡ります。それを聞き漏らさなければ、わかるのですが、風の王空席の期間の間は、私たちの力は半減しておりました。ドルガー様の魂のことと、時期は一致するかと存じます』

静かにインサーリーズが告げた。

「てことは、完全に見失ってる状態ってわけか……」

リティルは黙り込んでしまった。

『……一つだけ、捕捉する方法がありまする。ネクロマンサーの使役する悪霊に、王の血を飲ませることができれば、小生らはその血の匂いを追えまする』

「オレの血?それ、誰にも言えねー手だな。けど、悪霊に力を与えちまうことにならねーか?」

『うむ。諸刃じゃ。だが、おぬしなら我らを率い、狩れるじゃろう?』

クカカカ!と、シャ・ファンは高らかに笑った。

生前は、将軍と呼ばれていたらしいシャ・ファンは、老人の姿で有事の際は具現化するが、惚れ惚れするほど強い。

相方のビ・ウジは、シャ・ファンより若く、鍛え抜かれた肉体を持っているが、病的に細く儚げだ。頼りなさを感じるが、対峙した者は、侮れば確実に地獄を見ることになるだろう。彼も、シャ・ファンと同じ軍人であり、彼よりも階級は低いが優れていたのだから。

 あの密会から月日は流れ、今日リティルは、風の城に帰って早々、ルディルから三王の居城の、どこへ行きたいかと聞かれた。感情を優先すれば、何が何でもシェラの向かった水の城だった。

だが、リティルの帰還を察知した無常の風から、ネクロマンサーが動き出したと囁かれ、炎の城を迷いなく選んだ。

あとは、迷魂葬送チームと遙か昔、打ち合わせした通りに動けばいい。

 リティルは、頬を汗が伝うのを感じた。

もう、吹っ切れたはずだった。五百年は、精霊にとっても長い時だ。今更、青かった少年時代に、振り回されることなどないと思っていた。

「はあ、どうしてなんだよ……?親父、あんたはオレのこと、そんなに疎ましかったのかよ!」

三年。たった三年だった。ドルガーと親子だったのは。

楽しくて、幸せだった。その記憶が、今、リティルの心を容赦なく、えぐっていた。

リティルの剣は、ドルガーの剣技だ。

リティルの物言いは、ドルガーの口調が移ってしまったものだ。

養子のレイシを育てられたのは、ドルガーがリティルを拾って育ててくれたからだ。

『――リティル殿』

頭の中に、ビ・ウジの声が聞こえた。リティルは、シェラにもらったブレスレットの玉の一つに、ビ・ウジの魂を入れてきていた。本当はシャ・ファンが来たがったが、彼では出しゃばるかもしれないからと、ルディルに言われてしまい、ビ・ウジが来てくれたのだった。

「ああ、大丈夫だ。おまえがついてきてくれて、心強いぜ?」

『勿体なきお言葉でありまする。さあ、小生がついております故、心置きなくやってくだされ』

努めて明るく言ってくれたビ・ウジに、リティルの心はいくらか軽くなった。普段は俯きがちなビ・ウジだが、リティルが会いに行くと無理に笑ってくれる。五年離れていても、変わらない皆の優しい気遣いに、帰ってきたんだなと実感する。

 皆がそばにいる。リティルは、ドルガーを見据えた。少しの間正気に返っていたようだが、すぐに意識はなくなるだろう。無常の風がそばにいてくれる為か、リティルの心は驚くほど穏やかだった。ドルガーを前にして、こんなに冷静でいられるほど、オレの心は狩りに染まったんだなとも思った。

「――だからなんだ?いいじゃねーか。オレは風の王なんだからな」

『……』

リティルのつぶやきが、ビ・ウジには聞こえていた。だが、何も言うことはできなかった。

歴代の王の中で、最年少のリティルは強い。だが脆い。慰めが必要なら、彼は書庫に来るだろう。強いリティルの心に、今は寄り添い、力になれればいい。何も言わずに、苦しみに寄り添ってくれる彼に、恩を返す為に。

 リティルが剣を抜いた。ドルガーの様子が、今までとは違っていることに、インファとゾナは気がついた。そんなドルガーに向かい、リティルが数歩歩みを進めた。

その目が、飢えた野生動物のように知性を失い、リティルの喉を、物欲しそうに見つめていた。

「オレの血がほしいのか?いいぜ?くれてやるよ!」

本当に、こういうことに躊躇いのない王だなと、ビ・ウジは思った。これだから、皆が心配するのだが、わかっていてやっているから、どうしようもないと、ビ・ウジは視線をそらした。

リティルは右手に抜いたショートソードを首にあてがうと、ニヤリと笑ったまま前へ引いた。風の刃は驚くべき切れ味で、リティルの首を切っていた。首にあてがわれたままの刃を、血が伝う。その赤を見て、ドルガーが襲いかかってきた。

「父さん!」

インファには、事前にとても言えなかった。ノインと同様、わざと襲われると伝えて、手を出すなと言っても、絶対に手を出してしまう二人の内の片割れだからだ。

リティルは振り返らなかった。インジュはビクビクしているが、リティルの願いは忠実に聞いてくれる。インファを押さえろと命じられたインジュは、すいませんと謝りながら容赦なく、自分の父親とゾナを、巨大なオウギワシに化身して捕まえていた。

床に押し倒されたインファは、リティルの傷ついた首に齧り付く、猟奇的なドルガーの姿を見た。

『あうう……思ったよりエグいです……。あのーまだですかぁ?え?ちょっ!ダメですよ!エセルト!』

ゾナの炎の龍を消し飛ばして、エセルトがインジュの隣をすり抜けた。

両足の塞がっているインジュは、エセルトがリティルの邪魔をする!と安易に想像できたが止める術がなく、焦った。ここで邪魔をされては、迷魂葬送チームとリティルが、インジュが生まれる遙か以前から計画していたことを、潰してしまう。そうなったら、エセルトは、申し開きの場すらなく、風の王に敵対した罪で、断罪されてしまうのでは?そう思って、インジュは青ざめた。

 リティルは抵抗なく、首に齧り付いて血を啜るドルガーの背に腕を回していた。リティルは、インジュの声と迫ってくるエセルトの気配に、少しだけ振り向いた。

オレを今更助けようっていうのか?リティルは、エセルトの浅い優しさをあざ笑った。

――ああ、しょうがねーヤツだな……

エセルトは、ビクリと巨体を震わせて、それ以上進めなくなった。二人を押さえる事に必死なインジュは、何事かと炎の王の背中を見つめていた。

「――インジュ、もういいぜ?」

リティルの普段と変わらない声が、エセルトの巨体の向こう側から聞こえてきた。インジュは化身を解くと、インファとゾナをやっと解放した。

「父さん!」「リティル!」

解放されたインファとゾナは、脇目も振らずにリティルのもとへ走ったのだった。


 インファとゾナが駆け寄ると、リティルは何もなかったかのような、笑みを浮かべて囓られた首を手で押さえていた。エセルトの巨体に隠れて見えなかったが、ドルガーはもうすでにいないようだった。

「ただいま」

リティルのいつも通りの明るい笑みを見て、インファはつられて言葉を返していた。

「おかえりなさい……ではありませんよ!オレに隠れて何を画策していたんですか?」

インファは、まだ血が止まっていないらしい、リティルの首の傷を確かめた。思わず目を背けたくなるような、酷い傷だった。肉を食いちぎられなかったことが、嘘のような噛み痕だ。ドルガーは獣人だ。人間や半獣人ならまだマシだったのにと、インファは顔をしかめた。しかしおかしい。リティルには超回復能力がある。だのに、傷が一向に癒えていかない。いや、徐々にではあるが、癒えていっているようだ。

「君とはあまり行動したくないのでね。オレは先に帰らせてもらうとしよう」

ゾナはインファを退かせると、治癒魔法をリティルの首にかけた。そして、癒えたのを確かめると、早々にそばを離れようとした。

「ゾナ、今城には誰もいねーから、頼んだぜ?」

「……君も早く戻りたまえ」

ゾナは、リティルの顔を見ずにそれだけ言うと、瞬間移動を繰り返して飛び去った。

「はは、帰って早々怒らせちまったな」

『懇意な者を傷つけられる様を見せつけられ、平気でいる者などいませぬ。それに、あなた様は今、超回復能力も、満足に使えない有様ではありませぬか!見抜けなかった小生にも非はありましょうが、無茶は控えてくださりませ』

ビ・ウジにも怒られて、リティルはブレスレットにそうだなと苦笑して、ごめんと謝った。

「ビ・ウジ?あなた達も、一枚噛んでいるんですか?」

インファは彼の魂が、リティルと行動を共にしていることに驚いていた。それはそうだろうなと、リティルは思った。リティルは迷魂狩りを裏の仕事と普段言っていて、無常の風はほとんど動くことのない精霊だ。城の皆は、リティルが彼等を動かしているのをほとんど見たことがないし、尋ねていることもほとんどしらないだろう。二人の姿を知らない者が、大半なのかもしれない。

「インファ、帰ったら全部話すよ。今まで隠してて、ごめんな。今は、目の前の問題をかたづけようぜ?」

リティルは、エセルトを見上げた。インファもつられて見上げると、彼は立ったまま気絶していた。

「リティル、あの状況で何したんです?」

血を吸われながら、身動き一つできない状況で、エセルトの意識を一瞬で奪うなんて、ボクには無理だとインジュは思った。

「何って?ちょっと睨みきかせただけだぜ?」

リティルはいつも通り、人好きのする笑みを浮かべていた。怖いなこの人と、インジュは薄ら寒くなった。復活したてで、けれども、リティルはリティルだなと、インジュは主君の帰還を実感した。

「おーい、エセルト、そろそろ起きろよな!」

リティルは下から、股間しか隠していない巨人に呼びかけた。ハッと目を覚ましたエセルトは、笑うリティルを見て悲鳴を上げると尻餅をついた。ズズンッと部屋が揺れた。

「おまえ、何したのかわかってるか?」

エセルトは体を起こし、リティルの前に胡坐を掻いて見下ろした。体は遙かに大きいのに、彼より小さなリティルを前に、小さくなっていた。

「君……生きてる、よね?」

「ああ?あれくらいで、ビビるなよな。エセルト、半端な覚悟で、風の仕事に手出してんじゃ……ねーよ!」

リティルの解放した怒りが、ビリビリと空気を震わせた。インジュはあわわと真っ青になると、インファの後ろに隠れてしまった。そして、震えながら父の腕越しにリティルの様子を窺った。そんな息子の様子に、インファは小さくため息をついたものの、咎めることはせず、盾になったままでいた。

「まあ、今回は、ずっと捜してた野良魂を引っ張り出してくれたからな、許してやるよ。けどな、変な気回すなよな。帰ってきて即仕事させるとか、ねーだろ?」

もっと労れよ!とリティルは笑った。

「ごめんよ……彼に会えたら、喜ぶかと思って……」

「エセルト、風の王が、死者に会って嬉しいわけねーだろ?会っちまったら、狩るしかねーんだからな」

リティルの苦笑交じりの言葉に、エセルトはハッとして再び謝った。もう謝るしかない炎の王の姿に、彼がこちらのことを想っての行動だっただけに、これ以上叱れなかった。

「リティル、その、ドルガーは……」

「ん?悪霊だよ。見ただろ?オレの血、がぶ飲みだっただろ?ここに来たのが、インリーだったらって想像してみろよ。笑えねーだろ?」

エセルトはインリーが襲われる様を想像したようで、両手で顔を覆ってしまった。

悪霊が生者を襲い、生き血を啜ることは、精霊史が始まった時から生きている、古参の精霊であるエセルトも知っていた。エセルトは、リティルが襲われていると思い込んで、助けようとしたのだ。わざと血を与えたなどと、思い至るはずもなかった。

「エセルト、これに懲りたら、大人しく炎の王の仕事してろよ?知ってるだろ?精霊はそういう存在なんだよ。それ以外には、なれねーんだぜ?」

「でも、それじゃあ――」

――君もいつか――

与えられた仕事だけをこなしていれば、死などない世界にいる精霊という種族。

その中で、風の王だけが死と隣り合わせだ。それは、不公平じゃないか?とエセルトは納得いかない顔だった。

「おまえ、ルディルが風の王だったとき、心配なんかしてたか?」

え?とエセルトは顔を上げた。

「してなかっただろ?風の王は色々あって、オレで十五代目になっちまったけど、あいつが風の王のままなら、誰もオレ達を憂いたりしなかったんだよ。もう、考えなくていいぜ?オレは永遠に、風の王なんだからな」

じゃあなと、リティルは雷帝親子を連れてホールを出て行った。

「……それは、そうだけど……ボク達はもう、失うってことを知ってしまったんだよね」

エセルトは、リティルがシェラを連れて、風の城に帰還したときのことを思い出していた。

歴代風の王の中で、一番頼りなく見えたのに、その彼は、いつの間にか初代に匹敵する力を手に入れて、君臨していた。生きて、生きてやるんだ!と輝くリティルの眩しさに、精霊達は目がくらんでいる。彼を見ていると、自分にも何かできるのではないかと、持つことの許されないことを思ってしまう。

 彼が風の王になって、イシュラースの半分である、夜の国・ルキルースの王が代替わりした。ずっと哀しみの中で眠っていた夜の王・幻夢帝は心安らかに、二代目にその座を明け渡した。

そして次はこの昼の国・セクルース。初代幻夢帝が眠って、初代風の王が幽閉され、心を閉ざして閉じこもった昼の王・精霊王を、助け出した初代風の王と討ち、今はそのルディルが太陽王だ。

そして、世界に消えない恨みを抱き続けていた時の精霊までも、代替わりさせてしまった。

次は何を?次は何を世界から押しつけられて、リティルは飛ぶのだろうか。

その笑顔と優しさで、時の止まったかのようなこの世界を揺さぶりながら。


乱入により、無効。勝者なし

風の王・リティルは、釣りの餌を手に入れた!

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