教育実習へ
まだ少し重たいです。
いつもより早い時間セットされたアラームを止め、目を覚ました香緒里は、母に付けられた傷をそっと撫でる。
あの日から毎日している。癖のようなものだ。
左の眉から頬にかけて真っ直ぐに付けられた傷は、眼球を傷つけることはなかった。
傷の深さからいって、眼球に傷がないなどありえない、奇跡だと運び込まれた病院で言われた。
だがそうではないと、香緒里は知っている。
母がこの目を潰そうとした理由も。
母に切りつけられたあの日から、十数年たっていた。母を亡くしてからも、同じだけ年月がすぎた。
母はあの後、自らの命を絶ったのだそうだ。
警察が色々と調べたようだが母の凶行の理由は結局わからなかったようだ。ただ憶測だけが噂になり、無理心中だの心を病んでいただのと無理矢理に理由をつけて広まっていた。
周りからは気を使われ腫れ物を触るように扱われた。
病院から退院後、香緒里は父の兄である伯父に預けられ、そのまま伯父夫婦に養女として引き取られた。2人には香緒里より3歳上の息子がいたが、娘も欲しかったのよ、と頭を撫でられた。
2人は優しく家族として迎え入れてくれ、兄となった従兄弟も妹として受け入れてくれた。
元々この家族とは近くに住んでいたこともあってしょっちゅう行き来をしていたのですぐに慣れることができた。
彼らが変に気を使わずに家族として扱ってくれたからだろう。
彼らのおかげでだいぶ普通の生活が出来るようになった。
あの日から異常に良く見え過ぎるようになった眼の事も全部話してある。
その辺の話は長くなるので今は割愛する。
大学生となった香緒里だったが、顔の傷はあえて隠してはいない。多少化粧で誤魔化しているが傷があるのはわかる。
凄い美人なのに、傷がなければなぁ、と良く言われるがそんな事は香緒里にとってはどうでも良い。
あまり笑わなくなったせいで時々怖いとも言われるがそれも気にならない。
色々と見え過ぎる目は感情の大部分を奪ってしまった気がしている。
また、傷痕をそっと撫でる。
傷痕が、母の愛ゆえであったと思うと隠す気にはならないのだ。たとえそれが、歪んだ想いであったとしても。
スーツを着て鞄を持って玄関に行くと養母がパタパタと追いかけてきた。
「忘れ物はない?ハンカチもった?ティッシュは?スマホは?」
実に心配性である。
もう子供ではないのに。
「大丈夫。全部もったよ。いよいよ今日から教育実習に行くんだから。昨日のうちに全部鞄にいれたよ」
「…そうね。しっかりものだもの、大丈夫よね。頑張って!」
少しだけ、香緒里の口角があがる。そして一瞬で元に戻って頷く。
「いってきます」
気を引き締め、家を出る。
今日から教育実習生として、母校である女子高へ2週間行くことになっている。
お世話になった当時の教師を思い出しながら。
担当の教師は気が合う人だといいなとも思いながら、高校への道を歩いた。