慌てて扉を開けてはいけない。
「雄太様、私が作ったものがあります。こちらをお召し上がりください。」
「ああ、ありがとうございます。クラウスさん。助かります。」
白髪をオールバックにして、豊かな口ひげを蓄えた執事が屋敷の奥から現れた。
この老人はクラウスさんと言ってリリーナたちと一緒に転移してきた。
異世界人の中で一番普通で常識がある。
手に持った皿にはサンドイッチが載っており、俺はそれを掴むと一気に頬張った。
「ほ、ほうひいへふ。(おいしいです)、ふはりは (2人は)?」
「リリーナ様とユイ様は朝食の後すぐにお婆様がいる上の畑へと向かわれました。」
俺の家は目の前に道路を挟んで海に面している。裏には小高い山があり、その斜面に畑はあった。
ゴクンと口の中のものを飲み込む。
「今日は夏野菜を植えるんだったかな。」
「そのようです。苗もの屋からキュウリやトマトなど届いておりましたし。」
「昼は暑くなりそうだね。早く行ってまず雑草から抜かなきゃ。」
隣で俺をボーっと見ていたプリムの頭をもう一度チョップした。
「ごちそうさまでした。おい、今日もやることはたくさんあるんだからな。イタズラばっかりしてないで働けよ。」
「エ、エヘへ。だって雄太をからかうと楽しいんだもん。」
そう言いながら腕にしがみついてきた。くそっ、いちいち仕草が可愛いやつだ。そうじゃなかったらこれまで受けた数々の悪事を許すことはできないだろう。
「私は昼食のお弁当を作って向かいますので。」
「わかりました。昼飯、楽しみにしてます。」
プリムと一緒に屋敷を出ると、畑へと続く坂道を2人で歩き始めた。
―――
「遅いぞ!」
畑につくなりユイが不機嫌に話しかけて来る。
「見ろ、私と姫様だけで草は抜き終った。男はやっぱり役立たずだな。」
「う、すみません。」
つい謝罪の言葉を口にする。俺のバカ!ユイの圧力に負けて悪くもないのに謝るなんて。
「ユイ、そんなに突っかからないの。仲良くお仕事しましょう。」
「姫様、私はまだ昨日の受けた屈辱を忘れておりません。」
「まったくもう。いつまでも過去のことにこだわっていてはいけませんよ。雄太さん、お婆様にキュウリとトマトを植えるから支柱を用意しておけと言われているのです。どうしたらよいでしょうか?」
トマト、キュウリは成長する際にツルを伸ばす。それを巻き付ける網を張るため支柱を立てなければならない。
これにはその辺の竹を切るのが手っ取り早いだろう。
「えーっと、あそこを見てください。」
畑の傍にある竹やぶを指差す。
「緑色の細長い木がたくさん生えてますよね。あれ、竹って言うんですが、あれを切って支柱にします。」
竹は野菜の栽培に限らず様々なことに使える便利な代物なのだ。
「けっこうな数必要ですか?」
「2~30本は必要ですかね。」
「わかりました。ユイ。」
「はっ、私の出番ですね。姫様から頂いたこの名剣ヴァレンタイン、その切れ味をとくとご覧に入れましょう。」
ユイがいつも大切に持っている剣、ヴァレンタインって名前なんだ。
それにしても、たかだか竹を切るのに名剣を使うなよ・・・。
「おい、雄太。男のお前がいかに無能か教えてやろう。」
ユイは竹やぶの前に立ち剣を構えた。そして素早く水平に振り払った。
そよ風が間をすり抜けていく。
次の瞬間、目の前にあった何十本という竹が次々と倒れていった。
「すごーい。」
プリムが感嘆の声を上げ、パチパチと拍手をしている。リリーナは「さすがですね。」と満足そうだ。
もの凄い技を見せられ、俺の心は絶望する。
うう、あんな簡単に硬い竹を切ってしまうなんて。俺の体なんか豆腐を切るようなものだろうな。
下手に彼女に触ると命が危ない。できるだけ近づかないようにしよう。
「さ、竹とやらは用意できました。早速拾って支柱にしましょう。」
ユイは得意げになって剣を納める。そして倒れた竹を掴むと引きずりながら畑へ動かし始めた。
「貴様もさっさと手伝え。」
ユイが顎を動かす。
「わかったよ。」そう言ってユイの脇を通り抜けようとした時、彼女の手の辺りでニョロニョロと艶めかしく動く生き物に気が付いた。
俺は思わず、「あ、蛇。」と口に出してしまう。
「キャアッ!」
これまで聞いたことのない可憐な叫びが響き渡った。そして・・・、
トンッ。
胸に何か柔らかいものが飛び込んで来る。見ると恐怖で顔を引きつらせたユイだった。
まずい、彼女に触ると殺される!
歯を食いしばり目をつぶった。しかし、いつまで経っても痛みはこない。恐る恐る目を開けるとポロポロ涙を流し、彼女は震えていた。
あれ、なんだ?この人、なんか可愛くないか・・・?
「まったく、ユイはこんなのが怖いの?可愛いのに。」
プリムがユイの手から落ちた蛇を拾い上げる。そして遠くへポーンッと投げ飛ばした。
「もう大丈夫、蛇はいなくなったよ。」
ユイは「そ、そうか。」と言って深呼吸をして落ち着きを取り戻した。それにより自分が今どんな状況にいるかわかってしまう。
「キャアッ!!」
また可憐な叫び声が響いた。
ドンッ。
俺は気がつけば地面に寝転ばされていた。ガッと頭を足で踏みつけられる。ユイは剣を抜き放ち、喉元へと突き付けた。
「ききき貴様、また、さ、触ったな!?」
「い、今のは不可抗力。これこそ事故だ!!」
「問答無用!」
「ギャアアアッ!!!」
ユイの容赦ない鉄拳が降り注ぐ。リリーナは「あらあら。」と言いながらユイを止めるわけでもなく微笑んでいた。プリムはすでにどこかへ遊びに行ってしまって見当たらない。
ボコボコにされ地面の上でシクシク泣いている俺に婆ちゃんが傍に来て言った。
「雄太、仕事しな。」
あんまりだ。
―――
「いてて。」
畑の傍に生えている柿の木の影に入り、クラウスさんが持って来てくれた弁当を食べていた。プリムはさっさと食べ終わり昼寝を始めている。俺は殴られて腫れ上がった唇を痛みに耐えながら動かしていた。
「ユイさんの男嫌いは異常ですよ。一体どうしたらそんな風になるんです?男性と喋ることはできるのに。」
ユイは「うるさいっ」と言って横を向いてしまう。それを見たリリーナはクスクス笑った。
「1年前まではユイはこんなことなかったんですよ?白百合騎士団は女性しかいませんが、騎士をやっていると男性と一緒の任務に就いたり、訓練したりしますからね。」
「ひ、姫様!?何を言うつもりなのです。」
「先ほどの暴行は雄太さんがちょっと可哀想でしたからね。少しは教えてあげてもいいかなと思いまして。」
教えてくれるなら是非知りたい。原因がわかれば対処方法も思いつくかもしれないし。
「姫様、あ、あの・・・。」
うまく言葉が出せなくなりユイはうつむく。そんな彼女の様子をリリーナは面白がっているようだった。
「こう見えてもユイはバツイチです。」
予想外の一言が放たれた。
「へ?」俺は素っ頓狂な声を上げる。プリムを寝かしつけていた婆ちゃんは「おやまぁ。」とつぶやいた。ユイの顔は熟して真っ赤になったトマトみたいになっている。
「名のある公爵に嫁いだのです。しかし、新婚初日に事件は起きました。」
ま、まさかそこでひどい暴力を受けたとか?
「私の家で結婚式を行い、彼女は初めて公爵の家へと行きました。そこで言われるがまま部屋へと通されると・・・。」
ゴクリ、俺は生唾を飲み込んだ。
「そこに現れたのは彼女が生きて来た中で見たことのない醜悪な内装、卑猥なオブジェ、そして変態的な格好をした公爵だったのです。」
ユイは顔を上げていることができず両手で覆って地面に突っ伏した。
「逃げられないよう外からはカギをかけられていました。ヒタヒタと迫って来る公爵。その手が触れた瞬間!彼女の中でスイッチが入りました。公爵を殴り飛ばし、部屋を破壊して逃げ出してしまいました。」
「だって、あんなの誰も教えてくれなかったから!」
涙交じりの大声を出すユイ。彼女は本当に純真だったのだろうな、そう思った。
「もちろん離縁となり、公爵の名誉を傷つけたということでユイは苦境に立たされました。そこを助けたのが私というわけです。」
婆ちゃんはユイの背中をさすりながら「つらかったね。」と声をかけている。
「と、言うわけで、その日からユイは男嫌いとなりました。後天的な物なので会話はできます。でも、触れられると公爵の手の感触が蘇るのでしょう、反射的に身を守ってしまいます。」
と言うことは俺が命の危険を感じるようになったのはその公爵のせいってことか。許せない。どこかで会ったらパンチを一発ぶち込んでやる。
「ちなみに蛇も苦手です。毒の沼で大蛇に襲われてから。」
もしかして、ユイさんってとんでもなく臆病なんじゃ・・・と、言い出しかけたが慌てて口を押えた。
―――
その日のうちに支柱を立てて網も張り終えた。やはり俺と婆ちゃんが2人でやるよりとてつもなく早い。人手があるって素晴らしい。
ユイは男をボコボコにできる力があるし、リリーナは手先が器用だ。
プリムは笑顔で走り回って癒しを与えてくれる・・・わけあるか。働け!
でも一番助かるのはクラウスさんの存在だ。ご飯は作ってくれるし、掃除、洗濯などの家事もこなす。この老執事が来てくれたことに感謝してもしきれない。
全員が泥まみれになって屋敷へと戻って来た。中に誰もいないはずなのに声をかける。
「ただいま~。」
後ろにいたクラウスさんが返事をしてくれた。
「お帰りなさいませ。お風呂の用意はできていますので、姫様たちから先にお入りください。」
一緒に農作業をしていたはずなのにいつの間に。そんな執事の仕事っぷりに感動を覚える。
「ありがとう。クラウス。ではお婆様、ユイ、プリム、一緒に入りましょう。」
「わ~い!お婆ちゃん、背中流してあげるね。」
「はいはい。ありがとうよ。プリムちゃん。」
プリムが婆ちゃんの手を引きながら浴室へと向かっていく。微笑ましい光景だな。
「ひ、姫様。従者が一緒に入るなど・・・。」
「何を遠慮しているのです。私とお風呂に入るのは嫌なのですか?」
「い、いえ、そんなことは。」
「では参りましょう。」
立場をわきまえようとしたユイをリリーナが手を引っ張って浴室へと連れて行く。微笑ましい光景だ。
「我々はご一緒というわけにはいきませんから、紅茶でも煎れましょうか。」
「ありがとうございます。クラウスさん。」
椅子に座って用意された紅茶を飲む。それは疲れた体を芯から温めてくれる味だった。
ホッと一息ついていると俺のスマホが鳴っているのがわかった。画面には『牛田』と表示されている。こいつも俺と一緒で田舎に出戻ってきた男だ。高校の同級生でもある。
「もしもし?」
電話口からは元気のいい声が返って来る。
「お、雄太!今日の仕事は終わったか?お疲れ。大丈夫だと思うけど確認で電話したんだ。今日青年会の会議だからな。もちろん覚えているよな?」
しまった!忘れてた。
「ももも、もちろん。覚えている。えーっと、何時からだっけ?」
「やっぱり忘れてたな。18時だ。今度オープンするスーパーにどうやって対抗するかって話だからな。お前にみんな期待しているんだからな。遅れるなよ!」
そう言って電話はプツリと切れてしまう。時計を見ると17時30分を示していた。
「まずい!こんな汚れたままじゃ行けない。早く風呂に入って着替えないと!」
慌てて立ち上がり、猛然と風呂場へダッシュした。クラウスさんが「あ、今は・・・。」と言ったが聞こえなかった。
バンッ。
扉を勢いよく開ける。そして脱衣所へと飛び込んだ。
「き、貴様・・・。」
あ、あれ?なんか桃源郷が見える。
タオルで前は隠れていたものの、柔らかそうな肌をさらけ出したリリーナとユイがそこにいた。
「こ、これは事故です。」
うん。事故なんだから。故意じゃないんだから。
くるりと踵を返し、自然とその場を立ち去ろうとする。
「自分から勢いよく入って来て、事故もくそもあるかー!!」
その言葉を聞いた後の記憶がない。目を覚ましたのは夜中だった。
―――
ユイ
リリーナを守る騎士。白百合騎士団の団長 (らしい)。
年齢は21歳。
極度の男嫌いで触られることに拒絶反応を起こす。
実はバツイチ。
騎士というだけあって力は強く、体は見た目がっしりしている。だけど、触ると柔らかい。
特にお尻は・・・
リリーナからもらったという剣ヴァレンタインを大切にしており、片時も離そうとしない。
(だけど竹を切るのに使ったりする。)
――――