ケアキ坂を
まだ薄いケヤキの葉が、アスファルトに柔らかな影を落としている。
息切れ。
重いペダル。
なんだって、たった一つの町を越えるだけでこんなにも坂道があるのだろう。そう心の中で悪態をつく。
後ろから同じような息切れが聞こえたかと思うと「津軽!お先ぃ!」と、悪ガキで有名な幼馴染みにしたり顔で抜かされた。
それほどではないが、やはり毎度のことながらムッとする。
ヤツは、下手したら全国大会レベルの実力を持つサッカー部の部員。かたや僕は科学部の幽霊部員。スペックが違うのだ。
そっと自分に言い聞かせて、それでも高校までの最後の登り坂を意地でも登りきってやろうと、立ちこぎでペダルを踏みつけた。
日中暖かくなってはきたが、やはりまだ凛とした冷たい朝の空気を浅く吸っては吐く。微かに花の香りがするのを頭の片隅で認識する。
最後のひとこぎ。
坂の頂上。
重いペダルから解放されて、ふわりと体が浮くような感覚と同時に、目の前に大きな景色が広がった。
町一番の坂を越えた瞬間、青と薄紅の世界に移り変わる。
春の淡い青空と綿菓子みたいに薄い雲。
街路樹の桜が、一つ一つの花弁さえ判別できないほどに咲き誇る。
視線を外に向ければ、遠く隣の隣街にそびえ立つ、千六百メートル級の超高層ビルが見える。
ここ数十年、技術は大きく進歩した。地震大国である日本においても、千メートルを超える超高層ビルが次々と建設された。それは、遠くからでも見えるほど巨大な存在感を放ち、強い振動を与えたくらいでは割れることのない超強化硝子が太陽光を反射して青く光っている。
昔、と言ってもそれほど遠くない昔。百年ほど前に青いバラが開発された。青い発光ダイオードも開発された。
世界は青に染まっていく。
冷静沈着で知的で、どこか時間経過を遅く感じさせる、自然界に決して多くはない、
孤独な、青色に。
浅くなった呼吸を落ち着かせるため、すぅっと大きく深呼吸をした。タンッと軽く地面を蹴れば、緩やかな下り坂を自転車の車輪はくるくると回る。
くるくるくるくる、
薄紅の世界がしばらく続く。
ここ数日、この坂を下る度に酸欠でぼぅっとする頭で「勿体ない」といつも思う。
いつからかは正確には分からないけれど、僕が生まれる何十年か前。日本は、息がつまるほどに美しく切ないこの花と共に、新年度を迎えていた。桜は別れと出逢いの象徴だったのだ。なんと風流なことだろう。ただ暑くて色が濃い季節を出逢いの季節とするよりよっぽどいい。