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Canonシリーズ

Sentimental White Day

作者: 藤夜 要

 何かと多忙の“二股生活”ではあるが、取り敢えず今年の今日は、どうにか表稼業の専念を死守出来た。

 昔から思うことだが、なぜ皆は菓子業者の陰謀にこうもあっさりはまるのだろう。日本の国民性に時々憤りの溜息が出る。バレンタインデーは世界規模のイベントで今更感が一杯なので、この際諦めるとしよう。だがしかし、ホワイトデーなんぞは、日本の飴業者達がバレンタインを模したと誰もが知っているはずなのに、どうしてそう簡単に乗っかるのかが、辰巳としては非常に理解し難い。

「しかも、実際に届けられるものがキャンディだったためしがないし」

 克美が風呂に入っている間に、ゴソゴソと紙袋の中身をチェックする。今年の最大サイズは、六十センチ四方。これは多分、北木からのものだろう。北木は先日、克美が買い出しに出ている時間を狙って彼女の行きつけの店を訊きに来た。彼女の好きなブランドのロゴが入った包装紙とその大きさから、このところ店でもここでも「欲しい」と散々ごねていたスプリングコートのような気がする。せっかくパステルオレンジの綺麗なフレアが出るコートを買ってやったのに、

『あれは、やだ! 女々し過ぎてる!』

 という一言で箪笥の肥やしになった。

「女だっつーの」

 北木も北木だ。克美を甘やかし過ぎる。案外打たれ強い奴だと気付いたのは三年前。あれだけ泣いて泥酔して、それに付き合った自分まで胸の痛む思いをしたはずなのだが。北木が何もなかったかのように再び『Canon』へ顔を出したときには、正直なところむかついた。

「……むかつく筋合いじゃあないんですけどねぇ」

 兄貴として、多少妬けてしまうのはしょうがない。普通だよな、これは、多分。

 辰巳はそんなふうに自分を正当化する理由を見つけながら、プレゼントを包む包装紙を傷めずに開封できそうなテープの繋ぎ目を探していた。

「何一人でぶつぶつ言ってんだよ」

「のぁ!」

 突然克美に声を掛けられて驚いた拍子に上がった肩が災いし、ビリっという嫌な音が手許から響いた。

「あー! お前、何勝手に人のプレゼント開けてんだよ、返せコラ!」

 そんなつもりはなかったのに。ちょっと、包装紙の端っこに爪が引っ掛かっていただけなのに。

「開けてない! お前さんが急に声を掛けるから、びっくりしたら爪が引っ掛かって破けただけじゃないか」

「うっさい! じゃあなんで爪が引っ掛かったんだっつうの。開けるつもりで紙の端っこをつまんでいたせいだろうが!」

 克美はそう言い返しながら、辰巳の手から、件の大きな包みを取り上げた。

「ほかは勝手に開けてもいいけど、これはダメ!」

 ほかはいいけど、ってどういう意味だ。

「北木さんのは、ちゃんとボクが自分で開けるんだから」

「やっぱ北木クンからなんだ、それ」

 つい、ぴくりと左の眉が吊り上がる。克美がそれに気付いたのかどうかは解らないが、喜んでいる割には、北木からもらったそれを自分の後ろに落ち着かせ、ほかの包みを開け始めた。

「あれ? 開けないの?」

「あれはいいの。中身は大体想像つくから。それよりこっちを先に片しちゃうの!」

「何怒ってんの?」

 なんとなく不機嫌なのは、実はこちらのほうなのだが。克美はそんな辰巳の胸の内にはお構いなしに

「はい! 辰巳はこっちを開ける!」

 と包み半分をまとめてざざざ、と辰巳の前にスライドさせた。




「クッキーの詰め合わせ、マッターホルンオリジナルのプチケーキセット、マックの口紅十二本セットにアメジストのネックレスが五つ」

「ちっ、ボクがそっちを開ければよかった。こっちは信大テニスサークル部員一同のサイン入りクッション、本人の写真入りフォトスタンドが八つ、共通百貨店の商品券一万円分プラスショーツとブラのセット付きが十三セット。十三ってなんだよ、縁起でもないし」

 そう言って不機嫌な声を出す割に、真新しい真っ赤なショーツを頭から被ってふざける克美は、かなり痛々しいおバカに見える。

「被りなさんな……。つか、すごいな、それ。ほとんど衣類としての機能を果たせそうにないし。克美の髪の毛、すっけすけ」

 履くの? と訊いたら殴られた。

「見せる宛ても気もないのに、こんなちっさい布切れ誰が履くかっつーの!」

 そうあけすけに言われると、こっちのほうが気恥ずかしくなるのだが、まだ年の割には幼い克美らしいと言えば克美らしい。じゃきじゃきとゴミ箱の上でそれらに鋏を入れる彼女の見ているうちに、なんとなく湧いていた不機嫌な気分が、少しずつ収まり始めていた。

「相変わらずやることがキツいね。せっかく贈ってくれたのに。何も捨てちゃうことないだろ?」

「だって下心が見え見えじゃん。それに、どうせ半分以上ジョークだろ?」

 でなきゃ、こんな独りよがりで受け取る側の気持ちを考えていないプレゼントを贈るほど、悪いお客達じゃないからさ、と言った、最後のほうは笑っていた。

 いつの間にか、そうやって巧く客とやり取りができるようになっていたようだ。考えてみたら、もう二十三歳。むしろこれが普通だろう。

「取り越し苦労だったみたいだな、俺。去年、一昨年と続けて俺が店を空けちゃったから、去年のプレゼントのエスカレートっぷりを見て心配だったんだけど」

「心配?」

「みんな、俺がいないのをいいことに、どんどん過激になってるし」

 克美がブチ切れて客と喧嘩をするんじゃないか、という言葉にも、彼女はもう食って掛からないようになっていた。

「だって、今のボクはもう解るもん。これがみんななりの“お礼のプレゼント”なんだ、ってこと」

「そうなんだ?」

「うん。だってボク、知ってるもん」

 バカなプレゼントを贈る彼らが、慣れない女物のコーナーで女性店員に真っ赤な顔をしてあれこれと尋ね、本命宛てのプレゼントを選んでいるのを見掛けたこと。ガイドブックを手に、必死でスイーツの有名店を調べている姿。目当ての女の子がどの子かを伝えながら、

『彼女なら何を贈ると喜んでくれるんだろう』

 と克美に相談して来る子もいるらしい。

「そういうのの、お礼なんだよ。こんなのにお金を使うくらいなら、彼女を連れて店に来てくれればいいのにね」

 そしたら、チーズケーキセットだけで安く上がる分、彼女のためにお金を使ってあげられるのに、と笑った横顔は寂しげだった。

「さーてっ、本命プレゼントは、ちゃんと自分で開けるんだっ。辰巳ー、早く風呂入っちゃってよ。今日はボクが掃除当番なんだからさっ」

 克美はそう言って北木からのそれを抱えると、自分の部屋へ入って行った。こちらの顔を見ずに、さっさと部屋へ入ってくれてよかった。

「そーですか。そっちは秘密ですか」

 一人ごちながら、辰巳も着替えを取りに一旦自室に引き上げた。




 風呂から上がり、楽しみにしていた新商品のビールを開ける。グラスを片すのも面倒なので、缶に口を付けながら克美の部屋をノックした。

「克美、上がったー。掃除よろしく」

「……」

 返事がない。また気紛れか、甘えてこっちに振ろうという魂胆だろうか。

「こら。またサボるのか。起きてるのは解ってるんだぞ。朝飯当番をお前さんに変えちゃうぞ」

 それでも返事をしないどころか、扉の隙間から漏れて来ていた部屋の照明の光まで消えた。

「わがまま。超絶わがままさんの降臨だな。朝飯当番こそ絶対やらせるぞー」

 これみよがしにそんな独り言を零してから、仕方なく風呂場に戻り、掃除を済ませた。リビングへ戻る途中で、ふと克美の部屋の前で立ち止まる。

「……ひく」

 そんなしゃくり上げる声が辰巳の耳を微かにくすぐった。

「克美?」

 ノックをしても相変わらず返事がない。

「克美、入るよ?」

 そう断ってから、ドアを開ける。間接照明すらオフにして、真っ暗闇が広がった。部屋の電気をつけようとスイッチに手を伸ばすと、克美がまるで見えているかのように、

「つけないで」

 と辰巳を止めた。そんなに広い部屋という訳でもない。まっすぐ歩けばベッドサイドにたどり着く。そのまま暗がりの中で歩を進め、枕元のスタンドをつけてベッドサイドに膝をついた。

「なーにコソコソ泣いてるんですか?」

 布団に包まったまま顔を見せない蓑虫に、おどけた口調で声を掛ける。この子はあからさまに心配をすると、余計に気を遣って話さなくなる。なんでもないような顔をして、蓑虫の布団の上からぽんぽん、と頭を撫でた。

「……あれ」

 克美がそう言って布団から右腕だけを出して指差したのは、辰巳が買ってあげたパステルオレンジのスプリングコートと、それとよく合う明るいブラウン系の、克美がそれほど嫌がりそうにない丈のタイトスカート。インナーはワインレッドと思われる赤っぽい色の上品なデザインのカットソー。それらがフローリングの上にコーディネイトされていた。

 床に放り出されたままのカードに気付き、辰巳はそれを手に取り目を通す。

『友達チョコの御礼です。北木がコーディネイトした服を買って来てしまったからしょうがないから、とでも言って、辰巳さんからのプレゼントもちゃんと袖を通してあげてくださいね。北木』

 それは、辰巳を想う克美の気持ちごと克美を慕う想いと、彼女の好みや言うに言えない諸々をすべて見通した上でのメッセージだった。その文面から、北木の克美に対する想いの深さがこれでもかというほどに溢れて来る。

 ――ただ、守りたかっただけなのに。

 辰巳の心まで軋み出す。克美はまるで、籠の鳥だ。辰巳という名の檻に閉じ込められて、飛び立つことができないでいる。早く手離さなくてはと思いながら、予定より三年以上も自分の手の内に留めさせたままでいる。


 辰巳は大きく深い溜息をついた。溜息とともに自分の雑念も全部吐き出す。

 考えたところでどうしようもない。翠に赦されない限り、克美が今の涙とはまた別の意味合いの涙を流し続ける。独りにしたら、また心が壊れてしまう。決して自分のエゴじゃない。

 自分にそう言い聞かせて、思考を現状に切り替えた。

「泣くくらいなら向き合ってあげたらいいじゃないか。一度断ったからって、それをひっくり返しちゃダメ、なんてルールはないよ。人の心は変わるんだから」

「違う! なんにも解ってない癖に、いろいろ言うな!」

 突然がばっと起き上がった克美の顔はぐしゃぐしゃで、大きな瞳を見開いて眉を一層吊り上げた。その弾みで瞳が大洪水を起こし、髪が乱れて頬にべったりと張りついた。そんなありのままの彼女を見て、思わず苦笑が漏れてしまう。

 解らないはずがない。何年一緒に暮らしていると思ってるんだ。

 克美のそれは、女性の自覚を持ってまだ間もないとき特有の、恋に恋をしている憧れに過ぎない。早くそれを通り過ぎ、本当に相手を見つめて愛せる誰かを見つけたらいい。それが北木であれば、彼ならば辰巳としてはほかの奴らより信頼できる。

「解ってるさ。北木クンを好きになれたらいいのに、なれない自分がいるんだろう?」

 こんなに丸ごと受け止めてくれるいい男なのに、ほかの客達と同じように、愛想良く受け取りながら影でこっそり処分する、そんな自分を許せない。心まで処分してしまうみたいで、鋏を入れられなかったのだろう。

「北木さんの気持ちを弄んでるみたいで、こんなボクは、嫌いだ」

 辰巳の胸にもたれながら、顔を見せずに克美が言う。

「弄んでいる悪い女が、こんな不細工な顔して泣くはずないでしょ」

 彼女の長い髪を手櫛で梳きながら、あやすように辰巳は言う。

「……気持ちって、いつかは変わるかな。ホントに、いつか心が軽くなる日が来るのかな」

 彼女が胸元で呟いた。辰巳にではなく、独り言でもなく、まるで辰巳の上っ面の向こうにある胸の奥深くへ問うように。

「大丈夫。時間と環境と、気の持ち方次第で、幾らでも変わっていくはずだよ」

 胸の内を覚られまいとするように、彼女を引き剥がしてそう答えた。頬に張りついた髪を整えながら、安心させるように微笑を投げてやる。涙の乾いた克美を見て、安心したのはむしろ辰巳のほうだった。

「辰巳から、プレゼントもらってないや」

 涙が乾いたと思ったら、ちゃっかりしたことを言い始めた。くるくると気持ちが変わる。そんなところが、まだまだ年の割には子供だと思う。子供のままであることにある意味とても安心する。そんな言葉が浮かんだ途端、自分でも「何を安心するんだ?」という疑問が湧いた。

「俺は菓子業界の陰謀に乗るタイプじゃないんでね」

 泣きやんだなら、それでいい。いつもの元気な克美に戻れるなら、それでいい。部屋に戻ろうと腰を上げるために、ベッドへ手をついて前屈みになったとき。

「ボクが二十歳過ぎてから、全然しなくなったよね。『家族のキス』」

 その言葉が耳に入ると同時に、温かで柔らかな感触が唇を包んだ。頬を挟む手は、昔のような幼子の小さなもみじの葉のように華奢でふくよかな感触ではなく、それが辰巳の心の鍵を開けようと企んでいるようにそっと頬を撫でていく。

 噤んでいた口が開き掛け、右腕が彼女の腰を捉えようとしたそれより一瞬早く、その温もりが引き剥がされた。

「たまには子供に戻って甘えたいときもあるんだぃ! さんきゅっ、おやすみ!」

 克美は自分の言いたいことだけ言うと、ばさっと布団を被ってまた蓑虫になった。やり場のない辰巳の右腕は、そのままなんとなく彼女の頭へ運び、一撫でしてから自分の元へと戻すしかなかった。

「おやすみ」

 辰巳のそれには、克美からなんのリアクションもなかった。




 ホワイトデー。なんて厄介なイベントだ。

「今日は、おねーさん達のところへ遊びに行っても、プレゼントがないと遊んでくれない日なんだろか」

 一人ぽつりと呟きながら、部屋の隅で克美の処分を待っている克美へのジョーク混じりのプレゼント達に視線を向けた。

「どうせ処分するんだよなー。なら、役に立ってもらおうか、キミたち」

 辰巳は哀れなプレゼントたちの中から幾つかを失敬し、夜の花街へと出掛ける準備をする。二度と蛇にはならないと誓ったのに、危うく同じ過ちを犯すところだった。

 持て余したものを吐き出すために、辰巳は忍び足で部屋を出て行った。

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