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歴史短編小説群

木綿の裃、絹の羽織

作者: 塔野武衛



それは対照的な身なりと言うべきだった。八十にならんとする老人は粗末な木綿の裃を身に纏い、それに対して二十歳そこそこの若殿と思しき男は絹の羽織など身に着けている。しかもそれは若殿ばかりでなく、彼に従う近習達も残らずそうした豪奢とも言える格好をしていた。身なりだけを見れば、この老人がいかにも身分賤しい人間に見える所だ。

 だがその老人からはこの場の若者達にはない独特の気品と威風が感じられた。よくよく見ればその体には幾つもの傷跡が見え隠れしている。既に天下泰平成って久しいこの時勢ではあり得ない光景と言えた。何しろ日本国で最後に合戦が行われたのは今から十七年も前、島原の乱まで遡らねばならないのだ。まして関ヶ原合戦や慶長の役などは、五十年以上も昔の出来事だ。しかしてこの老人は、その全ての戦役に参加していた。それがこの老人と若殿との面会が成った理由だった。

 明暦元年、一人の青年が初めて薩摩の地に足を踏み入れた。名は島津綱久。薩摩藩二代当主光久の嫡子であり、国許への帰国が初めて幕府より許可されたのだった。既に幕府は藩主や重臣の妻子を証人、即ち人質として江戸に居住させる政策を定着させており、綱久もその例に漏れなかった。

 それ故に、彼は薩摩の地というものを知らない。だから将来自分が統治すべき土地について時には自ら足を運び、時には古老より話を聞くなどして知識を深めねばならぬ立場にあった。この古兵と言うべき老人を召し寄せたのも同じ理由による。しかもこの老人は単なる在地の古老とは格が違う。何しろ彼は出水地頭の任を長く務め、なおかつ国許の家老の座に列する重臣の地位にあったからだ。山田昌巌。それが彼の名だった。

「本日その方を召し寄せたのは他でもない。そなたに尋ねたき儀があるのじゃ。一つは高麗国泗川における戦。今一つは関ヶ原の退き口についてだ。江戸から国許への下向が決まった時、是非とも昌巌より物語を聞くべしと、そう言われた故にな」

「それは、光栄至極に存じ奉りまする」

 老いてなお、気品を失う事のない風貌の老人は小さく首を垂れる。然る後に目を細めて歴々を見回す。まるで何かを検分するかのように。訝しむ綱久に、昌巌は目を瞬いて詫びるように再び小さく頭を下げた。

「いや、失礼を。近頃目が悪くなり申して、こうでもせねばお歴々の顔や装いを見る事が出来ぬのです。どうぞ、ご容赦のほどを」

「……まあ、それはよい」

 綱久は素早くその話題を打ち切り、すぐに本題に引き戻そうとする。

「泗川での島津の大勝はわしも子供の頃から聞かされておる。何でもそなた達は雲霞の如く押し寄せる唐人や高麗人どもを紙のように造作もなく斬り伏せて、首級を獲るのは河原の小石を取るよりも容易い有様だったそうな。祖父慈眼院様は自ら何十何百という敵を討ち取って傷一つつかなかったとか。そなたも歴戦の古兵なれば、幾つもの首級を稲の如く刈り取ったのであろうな」

 だがこの言葉に対する昌巌の反応は綱久の想定の外にあった。数寄者のような気品は何処かへ消し飛び、鋭い眼光で綱久を睨むように見据えたのである。その静かな、だが凄まじい迫力に綱久と近習達は思わずびくりと震えた。とても八十手前の老人とは思えなかった。

「……誰がそんな臆病な事を申したのです」

 その声も、静かだが明らかな憤激の色が混じった声だった。綱久は困惑しながら、反駁を加えようとする。

「臆病? 勇ましい語り口では……」

「誰が、かように臆病な嘘偽りを若殿に申し上げたのです」

 昌巌は有無を言わせぬ口調で繰り返す。近習達は不安気に顔を見合わせた。

「何が臆病な嘘偽りだと申すのだ」

 綱久が不機嫌に問い質す。

「その全てがです。確かに我々は夥しい大軍と戦い、多くの首級を得ました。しかしそれは間違っても容易い戦などではなかった」

 そして彼は、小さな溜め息と共に朝鮮における己の記憶の一部を披歴する。綱久も不服ながら押し黙り、老人の話に耳を傾け始めた。




 それは見た事もない光景だった。否、果たしてそれを現世の光景と言ってよいのかわからない。眼前に広がるは、人の波。その全てがこちらに対し明確な殺意を向け、口々に鬨の声を上げている。まるで地獄の軍勢のような恐ろしさだった。

 慶長三年九月、二度目の朝鮮侵攻を行った日本の軍勢は危機的な状況にあった。この時期に明・朝鮮連合軍は日本側の拠点に大攻勢を仕掛け、一気にこれを殲滅しようと躍動していたからである。

その拠点の一つたる泗川に陣取る島津軍は七千余の兵力しかない。それに対する敵は数えるのも嫌になるような兵力だった。後に本国に報告された兵力は二十万余、朝鮮側の記録では三万弱と言うが、いずれにせよ守りを固める島津軍にとって実際の敵の兵力などわかりようがない。ただ、絶望的とも言える状況になりつつある事だけがはっきりとわかっていた。

 大砲と鉄砲の轟音が響く中、突撃の命令を待つ本隊には重苦しい雰囲気が漂っていた。それはそうだろう。援軍の望みはなく、数万もの敵と干戈を交えねばならないのだ。それ故に背水の陣との意識は高められたものの、それでもこの嫌な雰囲気を払拭出来るほどではない。鉄砲の数で勝り、かつ効率的に運用する事で辛うじて戦線を支えているようなもので、少しでも優位が崩れれば一気に押し切られる事だろう。

(或いはここが、俺の墓場になるのか)

 育ちの良さが顔立ちにも表れている二十前後の若武者も、必死に震えを抑えながらそんな思いを禁じ得なかった。これが初陣という訳ではなく、この地で幾度か場数を踏み、武勲も重ねている青年だ。それでもこの恐ろしい光景は、彼の恐怖心を煽らずにはいられなかった。ましてここは故郷から遥か遠い朝鮮の地なのだ。

(こんな所に白骨を晒すのはいやだ)

 その思いもまた、彼の闘争心を萎えさせた。何処とも知れぬ地で、誰に葬られるでもなく腐り果て、白骨と化するなど誰だって御免蒙りたい所だ。せめて死ぬなら先祖代々の墓に葬られたいと欲するのが人情であろう。だがそのささやかな望みすら、叶えられるかどうか甚だ心許ないのが現実だった。

 人間は弱気になればなるほど泥沼に嵌り込むように悲観的な考えに陥ってしまうものだ。ましてそれが生き死にの場なら尚更の事。無用な思考は死を招くとわかっていても、悪い考えを断ち切る事が出来ない。この時の青年もその例外ではなかった。このまま眼前の大軍に飲まれるが如く、彼の心もまた不安と恐怖に飲み込まれるかに思われた。

 ぴしっ。

 不意に頬に痛みが走った。じわりと熱が走ったようになる。一瞬青年は何が起こったかわからず、ふっと上を見上げた。

「わか、さま」

 目の前には馬上の若武者が居た。手には鞭が握り締められ、その顔には不敵とも軽薄とも取れる笑みが浮かべられている。青年とはほぼ同じ年恰好だが、その堂々たるや歴戦の兵を思わせるものがあった。

「そこな怖気づくたわけは誰かと思えば、弥九郎ではないか」

 意地悪く若殿が言うのに、弥九郎と呼ばれた青年の顔が痛みではなく含羞で真っ赤になる。

「山田民部有信と言えば、世に隠れなき薩摩隼人よ。一度は大友の、二度は豊臣の大軍を一手に支え、遂に城を明け渡す事のなかったまことの『ぼっけもん』だ。然るにお前のその様は何だ。有信に倅が居る事は知っているが、かような臆病者など俺は知らぬ」

「申し訳、ありませぬ」

 青年は俯いた。目の前の景色が歪むのを若殿に見られたくなかった。声の震えを懸命に止めて絞り出すのが精一杯だった。

「止めぬか、又八郎」

 重々しいしわがれ声がする。思わず青年は顔を上げた。その拍子に瞳から雫が飛び散る。だが顔を上げぬ訳には行かなかった。仰ぎ見るべき主君がその場に現れたからだ。

「これまで重ねた弥九郎の武勲はお主も重々承知しておる筈。無闇に愚弄する事は許さぬ」

「愚弄? いえ。俺はただ少しばかり発破を掛けてやっただけの事です。そのようなお言葉は心外ですな、親父殿」

 父の叱責に、島津忠恒は肩を竦めてみせる。その顔には変わらず不敵な笑みが浮かんだままだ。それを見た父義弘は露骨に顔をしかめた。

「何を偉そうな事をほざきおる。朝鮮に渡る前、酒に女に蹴鞠にと遊び呆けておったのは何処の誰だ」

「……今更昔の話を蒸し返すものではありませんよ、親父殿」

 今度は忠恒が顔をしかめて見せる番だった。

「これは戸次道雪殿も申しておられたという話だが、本来弱い兵卒などはおらぬ。人は誰しも死を恐れるもので、それを克服して戦えるかどうかは大将の器次第。弱兵が居るならばそれは悪しき大将なのだ。だから仮に弥九郎が臆病風に吹かれたとて、それは弥九郎ではなくわしの責と言うべきであろう。第一、お主は……」

「ええ、まあ親父殿の考えられる通りですよ」

 忠恒が元の軽薄気味な笑みに戻り、青年に向き直る。だが、その目だけは軽薄とは遠い光を放っていた。

「俺は親父殿のように優しくはない。見込みもない輩に発破を掛けてやったりはしない。例えそれが昔から知っている仲であってもな。わかるな」

「はい」

 青年の目に涙はなかった。あるのは決意と戦意の炎だけだった。

「不肖、山田弥九郎有栄。父有信、ひいては島津の武名に傷をつけぬよう、死力を尽くし奉りまする」

「うむ」

 有栄の返事を受けた忠恒の笑みから軽薄さが消えた。代わりに表れたのは、少年時代から知る『弟』を見るそれだった。

「やっと、俺の知る男の顔になったな。なに、その昔叔父上は数倍の軍勢で攻め寄せる龍造寺を完膚なきまでに叩きのめし、大将首まで奪い取る活躍を為したのだ。同じ事が親父殿に出来ぬ筈はない。そうですな、親父殿?」

「他人事のように言いおるわ」

 その時、ひときわ凄まじい轟音が天地に響いた。三人がその方向に目を向けると、敵軍の側で火薬庫だったと思しきものが爆発、炎上していた。流れ弾か何かで火薬に火でも点いたのだろう。敵軍は周章狼狽し、大混乱に陥っている。

「どうやら天が味方したらしい」

 忠恒がにたりと笑みを浮かべた。それは打って変わって冷酷な狩人の眼差しだった。

「俺が先陣を務めましょう。親父殿は後からゆるりと来られるが宜しい。弥九郎もな。唐土の武者どもにひと槍馳走仕らん」

 そう言うなり馬に鞭を入れ、あっという間に駆け去ってしまった。異議を差し挟む暇もなかった。

「幾つになっても堪え性のない奴だ」

 呆れたように見送る義弘。だがその顔は戦意に満ちている。次の瞬間、全軍に響かんばかりの大音声が上がった。

「法螺貝を吹けい! 今こそ薩摩隼人の底力を天下に示す時ぞ! 敵は大軍なれど統率もままならず右往左往するばかり! 一気に突撃し、敵を突き崩すのだ!」

 それに応えるように、地響きのような鬨の声が上がる。今までの重苦しい雰囲気など消し飛んでいた。そこには戦に燃える熱気だけがあった。

(流石は殿だ)

 心から湧き上がる熱い何かを感じながら、有栄は思う。勇将の下に弱卒なし。彼が先程述べた言を、彼自身が実践して見せたのだ。今や戦いに、死に怯える者は一人も居ない。そこに居るのは死兵だった。

 そして島津軍は城から打って出て、戦列を乱した連合軍に殺到した。忠恒や義弘も自ら槍を取って敵を殺し、有栄も忘我の境地で敵を討った。こうしてひたすらに敵を押し込んでいったら、いつの間にか敵は四散し、戦場には山となった死体が転がっていた。それが有栄にとっての泗川の大戦の全てであった。




 昌巌の語り口に、綱久達はいつしか神妙な面持ちで聞き入っている。それは彼らがそれまで聞かされていた誇大なまでの勇壮なる武勇伝とはまるで質が違っていた。そこに武勇や功績を自慢するという趣は微塵も感じられず、淡々としながらも生々しい戦の現実だけが語られていた。

「人は誰しも心の中に恐れを抱いておるものにござる。それを嘘偽りや大言壮語で覆い隠すは、己を臆病者と言い立てるのと同じ事。戦は講談の類ではございませぬ」

 静かな昌巌の言に、綱久達は一言も反論出来なかった。

「……ところで若様におかれましては、中馬大蔵という者の名をご存知ですかな」

 いきなり話題を変えられ困惑しながらも、綱久は頷いた。既にこの世の人ではないが彼もまた関ヶ原生き残りの勇士であり、数多くの豪放な武勇伝を持つ薩摩の『ぼっけもん』として名は聞いた事があった。

「既にご承知かも知れませぬが、それは勇猛かつ豪気な男でした。戦場においては恐怖などないかの如く暴れ回り、時には亡き維新様にさえ遠慮のない振る舞いを為した肝の太い男でした。維新様も彼の事は大いに頼りにしておられ、泰平の世になった後は多くの二才が彼の話を聞く為に出水の屋敷に訪れたほどでございます。彼はその都度、喜んで自らの話を聞かせてやったそうです。しかし、関ヶ原の話だけはそうではなかった」

 昌巌が昔を思い出すように遠い目になる。身分こそ違えど嘗て共に戦った戦友の顔が蘇ったのだ。

「彼は関ヶ原の話だけは出来なかった。話そうとすると感極まって言葉が詰まり、何も話せなくなってしまったのです。他の話は出来ても、それだけは出来なかった。それほどまでに、あの退き口は辛い戦でございました」

 昌巌は瞑目し、何かに耐えるようにぐっと拳を握り締める。その総身は僅かではあるが震えていた。

「それがしとしては大蔵の分まであの退き口について語って差し上げたい所ではあります。あの戦は皆がなけなしの蓄えを擲って上方に赴き、地獄のような飢えと戦いながら生き延びた壮絶な戦。伝えられる者が伝えぬのは罪に当たりましょう。しかし」

 昌巌がその眼を開ける。一同に緊張が走る。その目は講談めいた朝鮮の役武勇伝の話が出て来た時と同じか、それ以上に厳しいものだったのだ。

「しかしそれには今から三日ほど絶食し、装いを改めて頂かねばなりますまい。今の有様では話した所で意味がござらぬ」

 その場の全員にとって、要領を得ない言い回しだった。だが異議を唱える度胸のある者は綱久を含めて一人も居なかった。その眼光の凄まじさたるや、戦場を知らぬ青年達を金縛りにして余りある代物だったのだ。

「絶食し、装いを改められよ」

 もう一度念を押すように繰り返す。自分達に注がれていた眼光が逸れ、皆が漸くまともに物を考えられるようになった。その上で彼らは何故昌巌がこんな態度を取っているのかを類推する。

 やがて彼らはその理由を悟った。二度目の発言の後沈黙を守る昌巌の視線は、ある一点に定められ離れなかった為だ。それは自分達の衣服だった。絹で作られた豪奢とも言える羽織。何故出水地頭・家老職という重臣である彼が粗末な木綿の裃などで此度の謁見に臨んだか。何故彼が最初に目を細めて自分達の装いを凝視していたのか。何故中馬大蔵の話を前置きに使ったか。その全てに、合点がいった。

「尚武を忘れ泰平に甘んじ、華美に衣服など着飾って贅沢にふける若造が、中馬大蔵をして絶句させるほどの過酷無残な敗走の何を理解出来るのか」

 口で語らずとも、その眼差しが雄弁にそれを物語っていた。山田昌巌の出水における統治の要諦が『勤倹尚武』である事を、綱久は今更に思い出す。近習共々、赤面せずにはいられなかった。




 五十年も経ってしまうと、最早それは歴史になってしまいます。高度成長期も、もう大方の人々にとってはただの歴史であって、実感を伴った話ではない。

 そしてそれは、家綱御世の下で泰平を謳歌する人々にとっても同じ事だったでしょう。その時代の若者にしてみれば島原の乱でさえ歴史の中の話でした。まして朝鮮の役や関ヶ原などは言わずもがなです。それがこの二つの逸話(元々は二つの逸話だったものを統合して再編成したのが今回の話です)を生み出す土壌になったのだと思われます。

 薩摩藩は表高こそ大藩のそれですが、現実には痩せ細った土地によって常に財政は逼迫していました。また山田昌巌有栄の出水統治も勤倹尚武を要とするもので、贅沢などもっての外でした。そこに若殿はともかく近習までもが絹の羽織など着て現れれば心穏やかでいられる筈はありません。

なおこの話は元々『黄金の鞘、汁の縫い針』と一纏めで書かれていたのですが、あの話での有栄とこの話の昌巌とではいささかベクトルが違う話である為、このようにして分割させて頂いたものです。理由は二つの話を読み比べれば察して頂けるものと思います。

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