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アヴァリ の一族 悪役令嬢と聖堂騎士  作者: 時任雪緒
1 邂逅と侵略―おままごと
8/31

8 アダージェット



 アドルフはとにかく、イラついていた。

「お嬢様ご覧ください! 本日は薩摩切子のグラスをお持ちしました!」

「わぁ、クララ気が利くわね。綺麗なグラスは血が一層おいしく感じるわー」

 クララとシャルロッテのピクニックに、死刑執行人シカリウス総出で付き合わされる――――in 戦場。

「みんなが戦ってる姿を見て見たいわー」

 と暢気にシャルロッテが言って、勿論全員で大反対したが、いつの間にか車に潜り込んでいた。途中で降ろしてやろうかとも思ったが、そうするとサイラスに怒られそうだったので渋々連れて来たのだ。

 シャルロッテはちゃっかりビニールシートや茶器の入ったバスケットを持っているし、クララも血の入ったクーラーボックスを手にしたピクニック仕様だ。お出かけだからとしっかり二人ともおめかししている。

 これから戦場に赴くという極度の緊張感を挫かれた死刑執行人たちは、顔を覆って項垂れるしかなかった。

 戦場は山間部の既に廃坑となった坑道。そこにノスフェラートの「地下の者」が数名生活をしているとの通報を受けて、やってきた次第だ。

 敵が化け物の場合、人間である彼らは物量を投じたとて勝てる確率は低い。だから隠れて近づき、結界を張って動きを抑え込み、そこに攻撃を畳み掛けると言うのがいつもの戦闘スタイルだ。

 一見卑怯のように感じるが、闘争において卑怯とは賛辞。アドルフ曰く、「他人の嫌がることをする、それこそが戦闘の極意!」だそうだ。

 坑道の出入り口は4つ。内3つは侵入と同時に発破をかけて潰してある。残り1か所から一塊になって進み、見つけたノスフェラートを一人ずつ全員で射殺していく。敵が圧倒的に強くても、一人を数名で徹底的に潰すというスタイルは、戦闘においては常套かつ有効な手段だ。が、彼らに勝手についてきたシャルロッテ達に(しかもイザイアが2人の乗るトロッコを押す羽目になった)初っ端からペースを乱され、現在苦戦中である。

「テメーらもう帰れ!」

 全員の心の声を代弁してアドルフが怒鳴りつけるも、「やぁよ」と素気(すげ)無く断られる。ノスフェラート達も一応武装していたのか、直接攻撃を仕掛けて来るよりも銃で応戦してくる。死刑執行人たちは物陰に隠れて何とかやり過ごしているが、坑道のど真ん中でシャルロッテとクララは銃弾の飛び交う中マッド・ティーパーティだ。

「あぁもう! ただでさえアイツに関わりたくねぇのに!」

 歯噛みするアドルフの隣でクリストフがマガジンを再装填しながら尋ねた。

「あー例の件? 恥ずかしいんだー?」

「うるせーよ!」

 例の件とは手紙の件だ。クリストフだけには話した。勿論それもあるのだが気になるのはそれとは別件だ。

「あっちの影に一人隠れてるわよー」

「うるっせぇな!」

 秘跡を受けた、鏡に映らないタイプの化け物でも映るグラスの映像を頼りに、物陰から腕だけ出して発砲する。が、レオナートが改造してくれた大口径のマシンピストル「Cz75 SP-00Custom “PHANTOM”」から放たれた銃弾は、敵の耳を削いだだけだった。

「ウソ!」

「うわ、課長が外した」

「珍しっ。どした」

 敵が敵だけに一撃必殺がモットーだったのに、リーダーのアドルフが外してしまうという失態に、周りにも動揺が広がってしまった。

「うるせーなもう! たまたまだろ! テメーら気合入れろ! バカ女たちに惑わされんな!」

 発破をかけると「ハイハイ」と周りは返事をしたが、クリストフだけが隣で、「それはお前だろ」と冷静にツッコんできた。

 あぁもうやだ。帰りてぇー。

 職務放棄したくなったアドルフを悩ませるのは、シャルロッテ。



 数日前、手紙の件でシャルロッテと話したあと部屋を出たアドルフは、途中でクリストフに遭遇した。アドルフの様子がいつもと違う事に気が付いて、心配そうにしていた。アドルフを心配するのはクリストフくらいだ。彼がいつも虚勢を張って、普段から一人で何でもできてしまうから、みんながアドルフを心配することはないし、またアドルフも心配されることは嫌いだ。だから、クリストフだけは心を許せる唯一の存在で、いつもなら「なんでもねーよ」と黙る所なのだが、色々と考えるところもあって話してしまう事にした。

 クリストフもカテリーナの存在は知らなかったので驚いていたが、「そうか」と少し切なげに笑った。

「よかったな、お嬢優しくて」

 耳を疑った。

「優しい? どこが? スゲェ嫌味だろ」

「えっなにが?」今度はクリストフが同じリアクションをした。

 シャルロッテの前で泣いたのは、自分でも失敗だったと思う。でも、その後話して少し落ち着いたし、その点に関しては感謝してやってもいいと思った。日頃の恨みはかき捨て、それなりに分別はあるのだが、アドルフが腹を立てたのは。

「あのよ、カテリーナさんの話聞いてさ、普通の感覚ならレクイエムとか歌わねぇか?」

 問題は選曲だ。シャルロッテが歌ったのは、バッハの「マタイ受難曲39番」。ここはモーツァルトの「レクイエム ラクリモーサ」の方がカテリーナを追悼するにはふさわしいというのにだ。

 確かにな、と唸るクリストフも当然聖職者なので「マタイ受難曲」の歌詞は知っている。


 

   Erbarme dich, mein Gott,            

   憐れみたまえ、我が神よ!

   un meiner Zähren willen !          

   我が涙ゆえに、

   Schaue hier                    

   私をご覧ください。

   Herz und Auge weint vor dir bitterlich.  

   心も目もあなたの御前に泣き濡れている。



 ペテロの否認の後に歌われるこのアリア。キリストが捕縛された後、「お前はキリストの従者ではなかったか」と詰問されたペテロは、保身の為に「そんな人は知らない」とウソを吐く。その裏切りを見越していたキリストの言葉を思い出し、罪悪の為に涙するペテロを謳ったアリアだ。

 保身の為にキリストを裏切った憐れなペテロを、彼は可哀想な男だから憐れんでやってくれ、神よ。そう言う歌だ。

 シャルロッテがこの歌を歌ったのは、カテリーナがヴァチカンを去って数か月後、彼女の訃報を聞いて、彼女が死んだのは自分のせいだと自責の念に駆られたアドルフが、自棄になって彼女を忘れようと、他の女で紛らわしていた愚行を責めていた。

 彼女を真に思うならその死を悼み、彼女の死とアドルフの愛と、その為に抱えた悲しみと罪悪を素直に受け止めるべきだった。シャルロッテは、アドルフがそれらから逃避した弱さを糾弾したのだ。

 アドルフがバカをやった、その心の弱さを憐れんでやってくれ、カテリーナ。「マタイ受難曲39番」の歌の通りに。

「な? 嫌味だろ?」

 同意を求めるアドルフに、クリストフは苦笑した。

「確かにな。でもお前はお嬢が正しいと思ったから、俺に話そうと思ったんだろ。やっと彼女を思い出にする気になって、俺に話して決意を固めたかったんだろ」

「……うっせ」

 見透かされて不貞腐れるアドルフに、またもクリストフは苦笑させられた。

「お嬢は優しいなー。アディを立ち直らせてくれて」

「バカ。あれだって絶対策略の一つだ」

「だとしても、お前の為にはなっただろ。お嬢に感謝しなくてもいいけど、その点は得したと思っとけ」

 言われて思わず眉を寄せた。

「損得の問題かよ?」

「損得でいいだろ」

 クリストフは若干小賢しいところがある。そう言う部分は小憎らしいと同時に、案外好きだったりする。ひねくれ者で猜疑心が強く、正直者で正義漢のアドルフとは正反対で、小賢しく世渡り上手で腹黒なところがあるクリストフとは、正反対だからこそ相互にない物を補い合って切磋琢磨する――――そう言う親友だ。

 一つ息を吐いて、話を続けた。

「アイツに、忘れるなって言われた」

「そうだな。気が済むまで想っときゃいいと思うぜ。辛いだろうけど。その内また彼女のような人に出会うだろ」

「カテリーナさんみたいな人ねぇ」

 思い出して、少し苦笑した。

「どんな人だった?」

 呼ぶ子を引くと、いつも嬉しそうに玄関先から駆けてきた。それを見て、自分が来るのを待っていてくれたのだと、喜んでいる自分を知った。聖職者として育ったために、世俗的な事にはあまり触れたことがなかったから、芸能や舞台の話なんかはとても興味深く聞いた。恋人だった議員の事や、政治の話も聞いた。彼女にはたくさんの事を聞かせてもらって、一回り以上も年上だったから、最初の内は恋愛対象と言うよりは、人生の先輩と言った目で見ていた。母親と同じ名前だったこともあって、あまり深入りしてはいけない気がして、意図的にそう思っていた部分もある。

 彼女が一時的にヴァチカンに滞在しているのだという事は最初から聞いていた。すぐに別れが来ることは最初から知っていた。だから最後に思い出が欲しいという彼女と夜を過ごしたのは一度きりで、そうなりたいと思っていたわけではなかったが、彼女がヴァチカンを去ってから、アドルフの心の中にいつも彼女が住んでいて、彼女はどうして過ごしているか、そればかり考えた。

 一人で寂しがってはいないだろうか、一人を怖がってはいないだろうか、天気が悪いと雷に怯える彼女を思い出して、体の弱い彼女を心配して、出来る事ならもう一度彼女に会いたかった。あの夏の日の様に語って、時々アドルフをからかって悪戯っぽく笑う彼女の笑顔を見て安心したかった。

 彼女はとても優しかった。舞台女優らしく通る声をしていて、年上らしくいつも余裕があった。

 私、お料理得意なのよ。あなたが来ると思ってスコーンを焼いたの。でもあなたの事を考えてたら夢中になって忘れてて、焦げちゃったわ!

 アドルフと違って、自分の感情を隠さない、そう言うところが好きだった。

 そう、あなた神父さんなの。偉いわね。だけどね、いつも人の懺悔を聞いてばかりではいけないのよ。あなたも語らなければいけないのよ。あなたみたいな人って、案外悪魔に憑りつかれてしまうんだから。何でも一人で背負ってはダメよ。人を頼りにすることで、あなたを責める人なんかいないわ。あなたが頼るのを待っている人が、きっと身近にいるはずよ。

 虚勢を張ったりせず、弱さを嫌わず、自分の弱さすらも愛する高潔で強い彼女が、好きだった。

 さよならなの。もう会えないの。あなたに会えなくなるのはとても寂しいけど、素敵な思い出が出来てうれしかったわ。

 死ぬとわかっていてそれを一切告げずに隠し通し、最期まで笑顔でウソを吐いて演技し続けていた彼女が、好きだった。

「レベル高ぇなー。そんな女なかなかいねーぞ」

「だろ? 他の女なんて頭空っぽで見た目ばっか繕って、媚びる事しか考えてねぇし、自分の都合を押し付けてくる奴ばっかだったし。カテリーナさんがいい女すぎて他がカスにしか見えん」

 アドルフはそう言うが、クリストフはカテリーナに対してもう一つ感想を持った。

 アディは別れた後もどこかで会えるかもって期待してただろうに、彼女は二度と会えないってわかってて、何も言わなかったんだな。

 それはアドルフを悲しませないように、とのカテリーナの優しさでもあるだろうが、同時にとても狡猾だと思った。カテリーナはアドルフを愛したから、病気だと知れたら同情しかされなくなるから、それを恐れた。アドルフの心が自分から離れていかないように、巧妙に演技した。クリストフがそれに気付いても、彼女に恋をしてしまったアドルフは、格言通りそれに気付かない。 

 恋は盲目って奴か。確かにそんだけ頭の回る女に惚れたら、他の女なんてカスに見えるかもなぁ。勿体ねー。

 そう考えて、ちょっとだけ説得を試みることにした。

「いやいや、お前がその女たちに惚れてたら、そう言うのが可愛く見えるんだって」

「はー? そんなの微塵も興味わかねぇ」

 可愛くて清楚で優しくて女らしい、という皮を被っているだけの女が一番退屈だったりする。もれなく遊びカテゴリ行きで、一度関係を持ったら後は呼び出すだけだ。飽きたらそれで終わり。

「お前の趣味変わってるなー、普通はそう言う女がモテるのに」

「モテるために『そう言うポーズ』を取ってるのが嫌いなんだよ。俺は知性の欠片もねぇ女は嫌いなの」

「ひねくれてんなお前」

 クリストフはどこか呆れた。頬杖をついて不貞腐れたようにアドルフが言う。

「本当に清楚で可憐で優しくて可愛い女なんて、俺はクララくらいしか見た事ねぇぞ」

「確かにな。クララは本物だ」

「化け物でガキじゃなけりゃ完璧だったなークララ」

「そーか? ガキでもいいじゃん可愛いから。化け物じゃなけりゃなー」

 顎を乗せていた手から顔を離して、クリストフを見た。

「何お前、ロリコン?」

「クララなら合法だってお嬢が言うし」 

「合法……うん、確かにな。でも吸血鬼じゃねーか」

「そーなんだけどクララ可愛いじゃねーか。袖引っ張って遠慮がちに見上げてくる顔とか、スゲェキュンキュンする」

 何を思い出したのか、ニヤニヤするクリストフに今度はアドルフが呆れた。

「……お前がロリコンだったとは知らんかったわ。お前の趣味こそ変わってるぞ」

「別に趣味じゃないけどよ、クララが人間だったらなーと思う事はある」

「人間じゃねーからなー。もう最初から対象外だろ」

 そう言うとクリストフはどこか神妙な顔つきになった。

「だなー。仮にも天敵だしなー。なにこれ。ロミオとジュリエットみたいな気分になって来た」

 クリストフがバカなことを言い出すので、思わず声を上げて笑った。

 つられて笑ったクリストフが、何かを思いついたような顔をした。

 要するにコイツは、年上で計略的で知的な女がタイプなのか。つまりアディは、自分よりキレる女に振り回されたいんだな。なるほど、アディに振り回される女じゃ退屈する筈だ。

 そう考えて質問した。

「知的な女が好きだって言うなら、お嬢は?」

 クリストフ的には考察にぴったりマッチした物件だと思ったが、アドルフはその質問に、千切れんばかりに首を横に振った。

 確かに彼女の知性は認める。部屋に入ってきてアドルフの纏う悲壮に気付いたのか、シャルロッテは少し目を瞠って、すぐに切なげな表情をしてアドルフを抱きしめて「いいのよ」と言った。普段なら腕を張って突っぱねただろうが、その時のアドルフは精神的に狭窄していたし、誰かに縋りつきたかったのかもしれない。それを見透かしてシャルロッテはそうしたのだろうと思う。

 アドルフの目的を的確に見抜いた点でも、「マタイ受難曲39番」なんかを謳う品性の高さも、その頭の回転の速さ、洞察の鋭さ、思慮の深さは素直に賞賛に値する。

 が、いかんせんシャルロッテはプライドが高く高飛車で、自己中心的で我儘だ。それ以前に人間ではない。

「ねぇよ、アイツはねぇよ。つか俺的には、アイツの頭はどうかしてると思う。むしろ怖えぇ。たまに心読まれてるんじゃねーかと思うぞ」

「あ、それは見ててスゲェ思う。つか読んでるだろ確実に。そう言う能力なのか、はたまた経験値の差かは知らんけど」

「怖えぇわアイツー」

「あー化けの皮が剥がされるのが?」

「ちげーよ!」

「つかもう剥がれてるみてーだぞ。アディは硝子の少年だってお嬢が言ってたって、クララに聞いた」

 それを聞いてショックを受けるアドルフだったが、俄かに怒りすら感じてきて、拳を握った。

「ムカつく……アイツ絶対俺の弱み握ったと思ってゆすりたかりしてくるんだろうな」

 その文句に首を捻りながらクリストフが宙を仰ぐ。

「どーだろーな? 俺なら普段は全然気にしてない風を装って、絶妙なタイミングで脅迫するけどな」

「お前性格悪っ」

 のけ反って文句を言うアドルフに、「ハッハッハ、今更」とクリストフは笑い飛ばした。確かに今更だった。クリストフはこういう奴だ。


 話がここまでなら、戦闘中のアドルフが手元を狂わせるような事はないのだ。問題はその数日後だった。アマデウスにサイラスを呼んでくるよう言いつけられ、4階の奥、城主の部屋であるマスタールームに足を運んだ。最上階のその部屋は他の部屋と設えが異なり、豪奢な装飾が施されたマホガニーのドアは重い両開きの物で、凝った装飾の真鍮のドアノブが付いている。

 そのドアをノックしようとすると、中からサイラスの声とシャルロッテの声が聞こえた。親子で何か話しているようだが、邪魔していいものか。そう考えたが、命令優先と考えなおしてもう一度ドアに手を伸ばそうとした、その時。

「ええ勿論。だって私、アディを愛してますから」

 耳を疑った。

 え、うそ。聞き間違いだよな。だってなんか、旦那爆笑してるし?

 言葉の通りならサイラスが爆笑しているという状況は全く符合しない。恐らく何かの聞き間違いだと思う事にして、少し時間を置いてドアをノックした。返事を受けてドアを開け、サイラスを呼びつつチラリとシャルロッテを見ると、にっこりと微笑まれる。それもいつもの事なのだが。

 な、なんか怖えぇ……。

 アドルフらしくもなく怯えた。なんとなく血の気が引いていくのを感じながらドアを閉め、サイラスと共に階段を下りていくと、なんだかサイラスが笑っていた。

「なにか?」

「いや、小僧が盗み聞きをしていたのだと思うと、可笑しくてな」

 この瞬間、心房が爆発したような錯覚を起こしかけた。

「ははは、まさか。私は何も聞いておりませんよ」

 まるで、心臓が頭の中で鼓動しているんじゃないかと思うほどに鼓動したが、何とか営業スマイルで言い繕った。しかしサイラスはやっぱり笑って言った。

「そうか? 目がウソを吐けていないぞ。はぁ、いずれお前が私の義理の息子になると思うと、実に嘆かわしい。はははは」

 バレたー! つか気が早い! いやそれ以前にならんけど! そして何故笑う!?

 いよいよ混乱しつつ必死に脳内でツッコんだものの、ますます血液が枯渇していく感覚を覚えながら、深い溜息を吐く。

 やっぱコイツら怖えぇー!

 あの親にしてこの子ありとはよく言った物である。思わず背筋がぞっとした。

 が、その後のシャルロッテの態度に変化はないし、アドルフも考えを改めて不誠実な事をしなくなった。それを誰よりも喜んでいたのはアマデウスで、「なんかアディが聖職者らしくなった」などと言っていた。そういう会話を聞くたびにギクリとしてシャルロッテを見るのだが、シャルロッテは聞いていないのか気にしていないのか、全く興味なしと言った風で、要するに相変わらずだった。

 クリストフが言った事もあるし常々シャルロッテを警戒していたのだが、そのせいで思わぬ事をイザイアに言われた。

「なんか最近さぁ、課長ってばお嬢の事チラチラ見てるよね。気になんの? もしかして惚れた?」

 それは全くの誤解だったので、大層驚いた。

「違う違う! そう言うんじゃなくて!」

「わームキになって怪しいんだ。あ、だから女遊び辞めたんだ?」

「違う違う! それは別件で全然違う!」

 全力の拒絶もイザイアには信じてもらえず、「頑張ってねー」と励まされる始末だった。仕舞にはクリストフにも「ハッハッハ、ドンマイ」と励まされて、心の中で泣いた。


 本人が状況について行けない間に、何故か四面楚歌になってしまったアドルフだったが、さらに追い打ちをかけるように戦闘に水を差されて、調子が狂いっぱなしだ。

「なぁクリス」

「あぁ?」

「俺帰っていいか?」

「何言ってんだお前、ふざけんな」

 やっぱダメか、と落胆していたら、シャルロッテとクララが悲鳴を上げた。何事かとトロッコを見ると、血塗れになっている。

「お父様に貰ったグラスがー!」

 薩摩切子のグラスに銃弾が当たって割れたらしい。まるで殺人現場のごとく血まみれになったトロッコの中で、シャルロッテは怒り心頭に立ち上がった。

「大体アンタ達がさっさと片付けないからよ! あんな三下に手こずって、アンタら本当にプロなの!?」

 なぜか死刑執行人が怒られる。

「うるせー! つかお前らが邪魔なんだよ! 帰れ!」

「弾外すような奴に言われたくないわよ! もういい! アンタら下がってなさい!」

「あぁ!?」

 言いながらシャルロッテはトロッコから降りてきて、クララには顔を出さないように言いつけてトロッコに押し込んだ。シャルロッテは銃弾をその体に受けながらずかずかと歩を進めていく。シャルロッテの体に当たった銃弾は、まるで鋼鉄の板に当たったかのように潰れてその場に転がり落ちる。傷一つないシャルロッテの服と体、その白魚の様な掌から取り出した物は「ダーインスレイヴ」と名付けられた紅い魔剣。

 シャルロッテが下段の構えを取った。その瞬間、視界からシャルロッテが消失し、気が付くとノスフェラートの隠れていたコンテナの影から血飛沫が上がっている。

 断末魔と、悲鳴と、血飛沫が上がる音が、断続的に耳についた。シャルロッテが殺戮をしている、その瞬間を一切目で捉えることが出来ない。それほどの速度であちこちから紅い血潮が立ち上り、やがて坑道の中は静寂に包まれた。

 その静寂は、自分の心臓の音が耳に着く程で、流れ落ちようとする汗が肌の肌理(きめ)を辿っている感覚さえも、音を伴っているかに感じた。

「はい、お仕舞」

 顔や髪、全身に血を受けたシャルロッテがそう言って、剣を仕舞いながら戻ってくる。その姿に誰もが呆気にとられ、息を呑んだ。

 黒髪の先からぽたりと零れ落ちる赤い血が、シャルロッテの白い肌に一層鮮やかに映えた。目に入った血を拭うそのさまは、まるで血の涙を流しているかのように見えて、シャルロッテの邪悪な、あるいは神聖なその姿に、アドルフはその瞳を捉えられて動かすことができなかった。全身が総毛だっていた、喉がからからに乾いた。心臓の痛烈な拍動が、しかしそれは不快なものではなく、その拍動でより高揚する精神が、「ただの化け物」であったシャルロッテの評価を、明らかに高みへ変化させたことを知った。

「お、お嬢様……」

 震える声でクララが言って、ようやく我に返った。

「あーベタベタするわー。早くお風呂入りたいわー帰りましょ」

 クララが怯えているのに気付いて、すっかり魅入ってしまっていたアドルフの隣から、すかさずクリストフが救護用の布をシャルロッテに渡し血を拭くように言った。シャルロッテはそれを笑顔で受け取って、まるで何事もなかったかのようにクララに「お片付けの時間ねー」と微笑みかけた。

 以前シャルロッテが言っていた。イザイアが撃たれた時、シャルロッテはその敵の吸血鬼の話を聞いて機嫌を悪くした。

「吸血鬼のくせに銃を使うなんて、吸血鬼を冒涜しているとしか思えないわ。そんな矜持すらも持たない半人前に殺されたのでは、アンタ達も浮かばれないわねぇ。死なないことを祈ってるわー」

 シャルロッテは至高の吸血鬼。半人前の化け物は、存在すらも許し難い。彼女にとっては虫けらに等しい、少なくとも彼女の目にはそう映っている。だから、グラスを割られたくらいで殺戮をしてしまう。

 なめていた。彼女のプライドの高さを。

 それが今は畏敬すら感じる。

 あぁ、この女は。

 無傷で返り血を浴びて、優しくいつも通りに微笑む冷酷無比なシャルロッテ。

 その姿を見て背筋をゾクリとさせるものが、恐怖ではなく芸術的興奮であることが自分でわかった。

 ――――ロッテはなぜこうも、美しい。

 孤高の美、矜持、斜陽の王女の美学。

 アドルフはしばらくの間、その芸術的なシャルロッテの様相に心酔していた。

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