26 光明
本来は聖職者なので許されないはずだったが、アマデウスが許可を下したためにみんなで遊びほうけていた。アマデウスが好きにしても構わないと言った理由は最初はわからなかった。アマデウスはその理由を言わないし、アドルフも聞かない。エルンストやフレデリックなんかは理由を尋ねていたが、アマデウスの事だから真実を伝えることはないだろう。
ずっと、何か重大な事を隠しているのは知っているから、今更秘密が一つくらい増えたって大したことはない。恐らくアマデウスは、自分を含めアドルフもクリストフもみんな、“死刑執行人”が解散してしまった時の事を考えて、そう言ったのだろうと仮定した。
聖職者と言うのは特別な職だから、実際問題社会に出れば他の職で役立つことなど全くない。だからアマデウスが学ばせたものは聖職とは全く違う事ばかりで、仮に聖職から離れることになっても、例えばオリヴァーならIT企業で働けるだろうし、クラウディオは工業系ならどこでも働ける。アドルフやクリストフなんかは、銃の扱いや戦闘に長けているから軍人でもいいし、それ以外にもマルチリンガルなので翻訳も出来るだろう。二人は官職についていたし、指揮や武器の手配もしていたから、公務員だって商社だって働ける。子供の頃は勉強ばっかりで、10歳を過ぎたら戦闘訓練に明け暮れた。文武両道と言えば聞こえはいいが、そのどちらも人並み以上でなければならない理由が存在した。
彼らはヴァチカンでは疎んじられていた。若い世代はそうでもないが、高位の者達からはとくに。だから彼らは人よりも優れていなければならなかった。人よりも劣って、陥れられたり辱められたりすることがあってはならなかった。自分から卑屈にならずに済むようにそれぞれ才能を磨いておけば、誰も文句を言わないし言えないし、言わせる気などなかった。ただ吸血鬼のアマデウスが育てているというだけの理由で、迫害されることに甘んじる気は一切なかったから、境遇に難があってもそれ以外の人格や才能が人より優れていれば、アマデウスや自分自身を嫌いにならずに済む。そうしてアドルフもみんなも努力を重ねてきたから、それでも彼らに難癖をつけて、しまいには人格まで攻撃しだす人間なんかは、かえってその者の方が人として劣っているように見えてきた。今更怒るのも面倒くさくなってクリストフなんかは嘲笑すらしたし、アレクサンドルは憐れんでいたくらいだ。笑ってごまかして適当にその場しのぎをして、聞きたくない言葉は聞こえなくなるという技術も体得できたので、それはそれで良かったとすら思っている。結局文句を言ってくる人間たちはアドルフ達にとって大事な人間ではないから、傷つけられる理由もなければ素直に怒ってやる義理もないので、感情を消費してやるに値しなかった。感情の消費量を自分で調節できるようになったのはまだ子供の頃だったが、我ながら可愛気のない人間に育ったとクリストフと自嘲した。
自分達が疎んじられる理由はアマデウスがヴァチカンにおいて異質だという事もあるが、アドルフたち自身にも何かあるような気はする。だけどその理由をアマデウスは一切語らないし、アドルフも聞きたくないから尋ねない。聞いてしまったら恐らく後悔することになると、なんとなくわかる。
アマデウスはウソつきだし、人間ではないし、ところどころ狡いと思う。だけどそれらは、自分達が愛されているが故と言う事もわかっているから、アマデウスを困らせるような質問はしないことにしている。兄弟のように育った仲間たち、父親の様に育ててくれたアマデウス。家族を失いたくないから、みんな何かしら質問を避けて相互に接触しない部分を持っている。
それで安穏と暮らしていけるならいいのだが、たまにそれで本当にいいのかとも思う。彼らは本当の家族と言う物を知らないから確証はないが、本当の家族と言う物は秘密を隠したまま一生傍にいていいのだろうかと疑問に思う事はある。彼らにとって相手に対し秘密を持つことは思いやりでもあるが、虚偽の偶像を愛することは家族としては誤りなのではないかと感じる。
だからいつか真実をアマデウスから直接話してくれるのを待っているのだが、どうやら彼は一生話す気はないらしい。アマデウスは勿論クリストフや誰かに聞いてみようと考えたこともあったが、その事も誰にも話したことはない。とりあえず直接殺害に手を下した者くらいは復讐を遂げようかとは思うが、そうすることでアマデウスや友人が迷惑すると考えると、未だ実行に移す気にもなれないし、何より実行犯の手掛かりがようとして知れなかった。
家族が殺されて自分だけがヴァチカンに連れてこられた。ならば目的は最初から自分にあったのだと仮定した。だとすればやはり、昔からこの国に根付いているマフィアの存在が浮かんでくる。未だに人を攫って人身売買をしている組織なんてザラにある。
最初はその組織が子供を攫って、アマデウスが組織から自分達を買い入れたのだろうと思っていた。だがよく考えてみると、アドルフもクリストフもイザイア達もみんな、アマデウスの姿を認識できる。アマデウスがヴァチカンにいる間は、その聖域の力の為に誰の目にも認識できたが、本来アマデウスは霊力や魔力を持つ人間にしか認識できないはずだった。
自分達には全員、何らかの力が備わっている。アマデウスは力を持つ人間を選別して買い入れたのか――――否。それは間違った推理だとすぐに気付く。アドルフやクリストフなら選別のしようもあった。あの時二人とも5歳だったが、オリヴァー達は1歳にも満たなかった。その年齢でどのように力を持っているか選別する手段があるのか。
それだけがずっとわからなくて、でも一つだけ思いついた可能性――――両親。
両親、若しくは片方だけでも力を持っていると判別できれば、その子供も力が遺伝している可能性はある。その可能性に行きついたと同時にはじき出される結果は、「アマデウスの命令によって両親が殺害された」という事に他ならない。
何故殺害しなければならなかったのか、何故自分達を必要としたのか、その理由は全く分からない。クリストフの兄は殺害されたのに、彼だけは生かされた。レオナートの妹は殺害されたのに、彼だけは生かされた。
どうして。
どうして?
わからないことだらけで、だけど既に分かりきっていることが一つだけ。
本当の事を知ってもきっと、自分はアマデウスを嫌いになれないと思うし、嫌いになりたくない。真実はアドルフが予想しているよりも残酷かもしれないが、アマデウスの命令で自分の両親が殺されたことも数年前に気付いたし、それを知っても尚彼を敬愛する感情に変化はない。
子供の頃に両親の復讐を誓ったものの、アマデウスが両親の仇だと気付いた頃には既に、アマデウスは両親以上に親になっていた。アマデウスが自分達に真心を持って愛してくれた十数年間を振り返ると、彼の贖罪は十分に果たされていると思えた。
「アディの推理は7割正解よ。聞きたくもないでしょうけど、聞いてもらわなきゃ困るの。あなた達を無闇に傷付けることになっても、悪いけど知ったことじゃないわ」
シャルロッテが言った。
「お前が言おうとしていることは、俺達の出生と、ヴァチカンに来た理由なんだな」
「お嬢様、言わないって言ったじゃないですか!」
クララが今にも泣きそうな顔をして、シャルロッテに縋った。教皇、カメルレンゴ、アマデウス、サイラス、シャルロッテと死刑執行人。必要な人は全員集めて、カメルレンゴとアマデウスの協定なんて潰してやろうと考えた。
「いいえ。あぁ、内容はそうよ。だけど話すのは私じゃないわ」
縋り付くクララを離すとそっと小さな手を引いて、クレメンス16世の前へ連れて行った。
「クララはね、あなたと同じ瞳の色をしているでしょう?」
それは、疑似的な。
「あなたと子供を作った気になりたかったの」
「子供がいれば、君も淋しい思いをせずに済んだかもしれないね」
微笑んだクレメンス16世が、クララの頭を優しく撫でた。
「可愛い子だね」
「私みたいにとびっきり可愛くて、ファウストみたいに優しい子なの。アディやクリス達の為に泣けちゃうくらいに」
「お嬢様……」
クララは喜んでいいのかどうしたらいいのか、戸惑うばかりでシャルロッテを見上げていた。
後ろからクララを抱きしめて、今度はカメルレンゴに振り返った。
「カール」
「……なんでしょう」
「教皇がファウストだって知って、改めてあなたの名前を見た時、私は涙が出る程嬉しかったわ」
シャルロッテも最初は気付かなかったが、後で気づいた。会って確信した。写真ではわからなかった、眼鏡の奥の琥珀色の瞳、優しさの残る面影。何より、シャルロッテと再会した時の、驚きと感慨に満ちた表情は、かつて愛した恋人の物に他ならなかった。
カメルレンゴが、ハッとした顔をした。
「……私の、名前は……」
クレメンス16世が優しく笑った。
「そうだよ、ロッテを忘れられなくて、彼女から名前を貰ったんだ」
カメルレンゴの名前、カール・トバルカイン。カールと言う名は、“シャルロッテ”のドイツ系男性名。裏切ったまま、その裏切りを償う為に神事に尽くしてきた。ずっと忘れられなかった、忘れてはいけないと思っていた――――シャルロッテ――――だから、その名を養子にした息子につけた。
「カール、私の息子よ」
クレメンス16世に改めて呼ばれて、カメルレンゴは少しだけ姿勢を正した。
「私がお前を引き取った理由は、お前には話したね」
「はい」
「では、その者達にも話すがよい。お前の事も彼らの事も全て。お前が話さないのであれば」
そう言ってクレメンス16世がシャルロッテを見るので、視線を合わせてカメルレンゴに悪戯っぽい笑みを向けた。
「私が話して、あなたの脅迫もぜーんぶ台無しにしちゃうけど、いいかしら?」
カメルレンゴはその言葉に戸惑ったが、アドルフがシャルロッテを訝しげに見た。
「待て。なんでお前が知ってるんだ?」
さぁ、と適当に相槌を打つと、「やめてくれ!」とアマデウスが叫んだ。
「頼むから、言わないで。カール、ロッテ、お願いだから、言わないでほしいんだ。別に、このまま、僕は死んだって構わないから……聖下、どうか……」
嘆願するアマデウスに、クレメンス16世は首を横に振った。
「悪いが、ザイン・ヴィトゲンシュタイン枢機卿とカールとの盟約よりも、私とロッテの盟約の方が優先だ」
「盟約?」
アドルフは聞く気でいるのか、アマデウスを抑えるようにして割り込んだ。
「大事な事なの。でもあなた達にとっては、聞きたくもない話だわ。だけどあなた達が聞けば、叔父様は生きることを許される。叔父様はカールとそう言う約束をしたのよ。あなた達は、叔父様に生きていてほしい?」
「……当たり前、だろ」
「では、聞く覚悟はある?」
「……正直、ある程度の予想はしてる」
「そう。みんなは?」
クリストフは何となく予想はついたようだったが、クラウディオ達はわからないようで、戸惑いを隠しきれない様子だった。それを見渡して、一点で目を止めた。
「レオ」
「……なに?」
「あなたの妹が殺されたのはね、教皇庁に女は必要ないから。ただそれだけの理由よ」
レオナートは目を見開いて、驚愕のあまり言葉を失ってしまった。
「可哀想にね。あなたまだ幼かったのに、一生懸命妹を守ろうとしてた。それなのに引き離されて、妹だけが殺された。これから聞く話は、そう言う話。どう? 聞きたい?」
微笑みかけるシャルロッテに注がれる物は、明らかに憎悪の含まれた視線で。
そんな話は聞きたくないと。
聞きたくもなかったと。
忘れていたかったのにと。
早々と彼らには嫌われてしまったようで、シャルロッテは笑うしかない。
「聞くの聞かないの、どっち?」
「そんな話、聞く必要ないだろ!」
激昂したフレデリックが銃を向けてきたが、それを止めたのはアドルフだった。
「やめろ。聞かなきゃ猊下を死なせるって、ロッテは言ってんだよ」
その言葉にフレデリックは苦渋の表情をして銃を下ろしたが、一層シャルロッテには憎しみが寄せられた。とりあえずシャルロッテ的には、アドルフの言葉はナイスフォローだったのでにっこりと笑っておいた。
殺伐とした病室の様子に戸惑っていたカメルレンゴを見上げた。
「さぁ、準備は万端よ。どうぞ?」
そう言って、カメルレンゴにアマデウスのオフィスで見つけた書類を放り投げた。それを見てカメルレンゴは顔色を変えてシャルロッテを睨んだが、シャルロッテは笑って返した。
「ほら、早く言いなさいよ。私の名前を受け継いだ、私のボウヤ。こっちのボウヤ達の遺伝のなんたるか、受け継がれる物を証明する証拠はここにあるわ。あなた本当はわかってるんでしょ? 自分がそうだから、叔父様がひた隠しにしてきた秘密を知られても、アディ達もあなたの様に在るであろうと。そう考えたから叔父様に取引を持ちかけた。そうでしょ? 本当は話す気だったんでしょ? ただそれが今じゃないというだけで。そうでしょ?」
カメルレンゴは書類の束を握り潰して、奥歯を噛みしめた。
「あなたと言う人は……!」
「全てが終わってから大団円なんて迎えられないの。今やらなきゃダメなのよ。叔父様に命を助けてもらった恩返し、したいんでしょ? 本当はこの事件が片付いてから全てを話して、ファウストに懇願して叔父様をヴァチカンから解放してあげたかったんでしょ? そうよね? だけどそうは問屋が卸さないのよ。ごめんなさいね?」
そう言ってシャルロッテが嘲笑した瞬間に、しゃんっと金の輪の音が響いて、クララの顔の横を掠めた。羊飼いの杖、金の装飾が施された杖から抜かれた剣が真っ直ぐに、シャルロッテの胸を突き刺していた。
「お嬢様!」
「ロッテ!」
すぐにクララが振り返って見ると、じわじわと血が服に浸透していて、その剣先が心臓を貫いていることに気付いた。それを見て、シャルロッテは口元から血を吐き出しながら笑った。
「とってもイイ剣筋だわ。引退しちゃったなんて勿体ないわねぇ。心臓を突かれたのは久しぶり。だけどゴメンねカール」
剣を握って、シャルロッテはずぶりと自ら引き抜いて笑った。
「私、一回死んだくらいじゃ死ねないの。なんてことないわ、あと何千回か、何万回か。頑張ってみる?」
「化け物が!」
「カメルレンゴ!」
40代の男性とは思えない、信じられない速さでフェンシングの突きを繰り出そうとするカメルレンゴに、慌ててアドルフが掴み掛って止めに入った。
「やめてください!」
「離しなさい!」
「やめろと言っているんです! 俺は、あなたの話を聞きたい!」
縋るようにアドルフがそう言って、カメルレンゴは抵抗を緩めた。それを見てアドルフも、掴んでいた手を離した。
「お願いです、カメルレンゴ、アマデウス様。本当の事を、教えてください。もう、ウソはうんざりだ」
アドルフはどこか泣きそうな顔をして、アマデウスの前に膝をつき、手を取ってキスをした。
「覚悟は、しているんです。だって、今更でしょう? 俺は、あなたを愛しています。あなたを父として愛しています。だから、あなたと本当の家族になりたい。隠し事は、もうやめにしませんか?」
その言葉にアマデウスは大粒の涙を流して、その場に泣き崩れてアドルフを抱きしめた。
「ゴメン、ゴメンね、アディ。お前が、気付いてるのわかってたけど……でも」
「俺だけ知ってても意味ないでしょう? みんな、驚くとは思います。でも、今更あなたを嫌いになれそうにありません」
「でもっ、お前はお母さんのこと、すごく大事に思ってる……」
「母の思い出はとても大事です。ですがアマデウス様は――――あなたは、俺の父親です」
アドルフも腕を回して、あやすようにアマデウスを抱きしめた。アドルフがカメルレンゴに視線を移して促すように頷くと、観念したらしく座りなおして書類を広げた。
シャルロッテは相変わらずニコニコしていたが、相変わらず死刑執行人から睨まれていて、落ち着かない様子のクララがずっと手を握って、ずっと沈黙していたと思ったらサイラスはものすごく不機嫌だ。一応サイラスのご機嫌取りをしておこうと思って、傍に寄って腕を組んで立つと「心配するな」と言いたげに溜息を吐いた。
深く深呼吸をして、深く溜息を吐いて、カメルレンゴが語り始めた。
「君たちは、“パヴァリア啓明結社”という組織を知っていますか?」
パヴァリア啓明結社とは、急進的な社会改革思想を持ち、徹底した自由と平等を唱え、反キリスト教、反王制を唱え、一種のアナーキズムを主張した。そして、原始共産主義的な共和制国家の樹立を主張した、今から約300年前に結成された秘密結社である。
ある種、オカルティズムの筆頭として名を馳せているこの秘密結社だが、当時は当たり前であった教会と王族の支配から人民を解放し、人民たちが人民の手によって国家を樹立することを望んでおり、その為に血なまぐさいことをするような組織ではなかった。
この結社は創立当初においては、そんなに過激な結社だったわけではない。また、初期においては政治的な色彩も薄かった。創立時においては、学者の知的サークル的な色彩が強かったのである。
この結社の本来の在り様は平和的な物であったが、科学と学術、共産主義的共和制国家への啓蒙と言うのは、教会と王族にとっては危険思想に他ならなかったし、何よりも創設者の意図に反して組織が暴走した。その為にこの結社はたったの10年で没落してしまうのだが、色んな意味で名前を売ってしまったが為に、同じ名前を名乗る秘密結社――――模倣犯の様なテロ組織まで現れ出した。
現代においては悪名にすらなってしまったが、その組織の創設当初の思想を受け継ぎ、自由な学問と科学を追求し続けた残党がいた。
「正確には残党の残党と言ったところです。それが私の両親であり、あなた方の両親」
「えっ!? ウソでしょ!?」
「いいえ、事実です。“悪魔崇拝の政治的陰謀結社”、教会からはそうレッテルを張られている組織のリーダーが、私の父。今から30年程前ですか、残党は教会から攻撃を受けてほぼ壊滅しました。ちなみにその時の指揮を執っていたのはザイン・ヴィトゲンシュタイン枢機卿――――あぁ、当時は大司教でしたね。30年前の事件から逃れた残党を狩ったのは、20年前の私です」
カトリック教会はパヴァリア啓明結社の存在を許しはしなかった。神のもたらした物質を変化させる科学を嫌い、人類は全て平等であるという思想を嫌った教会にしてみれば、許し難かった。残党たちはあくまで創設当初の思想を受け継いでいたので、決して政府や教会にとって脅威を齎す存在ではなかったが、絶対的に潰してしまわなければならない理由が浮上してきたのだ。
その理由となったのが、カメルレンゴの父で残党のリーダーを務めていたヨハン・ツヴァイク・カラヤンが、この結社の創設当時のメンバーの末裔であり、また高名な科学者であったことも原因だった。当時拠点としていたのはオーストリアで、彼自身大学で教鞭をとるほどのインテリだった。その中での学閥、人種的政治的宗教的な差別が、学問の舎の中にまで持ち込まれていることを大いに嫌った。オーストリアやハンガリーは国を挙げてジプシーを批判していることもあり、そう言った紛争や内乱は東欧では頻発しており、それもまたツヴァイク教授の嫌うところであった。
同志を集め、創設時と同様に結成された同名の組織は「共同平等協和的な思想を育て、その思想者を政府や教会、大学に送り込み徐々に懐柔し、内側から数十年かけてゆっくりと改革を行う」という、あくまで創設者の意志を汲んだものだった。
しかし結局は、パヴァリア啓明結社――――イルミナティは暴走する。極論すれば、ツヴァイク教授の思想には「バカが上に立ってはいけない」という物に発展してしまって、結社は「人工的人類進化」を理想とした科学的検証を目指すようになる。科学とカバラなどの魔術を融合し、人体実験を行うようになった。そうして精製した薬物をメンバーの夫婦者に投与し、その細胞から優性の物を摘出して人工授精し、肉体的にも頭脳的にも、一般より優れた人種を作り出そうと試みた。
「そうして人工的に作り出された、プロトタイプの第1号が私です。生まれながらに魔力を持ち、子供の頃から人より多くのことが出来ました。私と言う成功例を得て父は、本格的に実験に移行した」
「教授は、自分の子供にも人体実験をしていたんですか!?」
「ええそうですよ。そこまでの事をしてしまったから、教会に目を付けられることになった。人間が人間を作るなんて、許されるのは母親だけ。人工的に人類を作り出すなんて神の領域ですから」
驚きのあまり、まともに相槌も打てないでいる彼らを見渡して、カメルレンゴは息を吐いた。
「いつだって、神の領域に手を出そうとした者は堕天するのです。神話のイカロスも、人間に知恵を齎した“グリゴリ”も」
グリゴリとは聖書の偽典に登場する天使で、元々は人間を監視する為に遣わされた天使だった。だがグリゴリ達は人間の娘を娶って、一人残らず人間界で放蕩し、その知識を人類に振り撒いてしまった。それに怒った神はグリゴリを堕天させ悪魔に貶める。悪魔となったグリゴリ達は腹いせに人間界にやってきては人間に悪魔の子種を孕ませ、また科学や魔術を人間界に齎し、不要な知恵を付けた人間界を混乱に陥れようとした。
「父達からはグリゴリと呼ばれていました。天使の意味なのか悪魔の意味なのか、今となってはもうわかりませんが。グリゴリとは“監視者”を指すものですから、人間界を監視する役割を担って作り出された一人目が私」
それを聞いて、アドルフの脳裏に浮かんだもの。
――――愛してるわガブリエル。私の天使。
あぁもしかして。
あれはもしかして。
両親も結社の残党だったのならば、「人工的に作り出された天使」と言う意味だったんじゃないか。
そう言う発想に至った瞬間、目の前がグラリと傾いた気がした。天地が反転するような、享けていた母の愛が、自分の期待を裏切ったかのような。
動揺するアドルフたちの様子を気にしながらも、カメルレンゴは続けた。
「教会に結社と私の存在が発覚し、ザイン・ヴィトゲンシュタイン大司教の指揮で研究所は襲撃されました。その時は私はまだ12歳でしたから研究には携わっていませんでしたが、当然処分される予定だったのでしょう。深夜でしたし寝ていましたし、私にはあの時何が起きたのかわかりませんでした」
研究所はツヴァイク教授の家の地下にあった。上階を制圧し、地下の研究所も破壊され、深夜に密かに研究を続けていた研究員たちは皆殺し、当然ツヴァイク教授と妻も殺害された。眠っていたカメルレンゴはその騒音で目覚め、怯えながらも階下に降りていく。そして見た物は暗がりの中、月明かりに照らされた何者か。全身を血で染め上げて、撃たれたのであろう銃創がじゅるじゅると修復していく様は、当時子供だった彼にとっては恐怖以外の何物でもなかった。
震えて声も出せずに、その場に座り込んでしまった彼に、近づいてくる。それでもうわかってしまった。
自分は殺される。
人工的人類だから殺されるのだ。
やはり父のしていたことは間違っていたのだ。
神に反旗を翻してはいけなかったのだ。
そう悟り、ぎゅっと目を瞑った、その時。
「待って下さい大司教! その子はまだ子供です! そんな子供まで殺してしまう事はありません!」
そう言って誰かが、きつく抱きしめた。
「しかし、トバルカイン長官、これは教皇聖下からの勅命です。殲滅しろとの仰せなのですよ」
「いけません、いけません。子供の彼が何をしたというのです。お願いですから、助けてあげてはくれませんか」
当時、教理省の長官に就任したばかりだったファウスト・トバルカイン長官――――今のクレメンス16世がそう嘆願した。それを聞いて指揮を執っていたアマデウスは、既に殺害した遺体を細かく分割し、誰の物ともわからないようにし、子供も殺害したと虚偽の報告をした。
「そうして私は父上に引き取られました。イルミナティの事も何もかも、後から父上に聞かせていただきました」
死んだ事にされた為、ヴァチカンの戸籍を取得する時に名前も変えた。カールと名乗るようになって、両親を失ったことはとても嘆かわしかったが、彼は生まれながらに発達した頭脳を持っていたためか、ツヴァイク教授たちの所業が常軌を逸していたこともわかっていた。
教会の中でカールの事を知る者は彼に辛くした。
堕天使。
悪魔。
そんな中傷は日常茶飯事で、子供の彼を傷付けた。その度にファウストが抱きしめて慰める。
「お前は私の息子だよ。生まれなど関係ないよ。お前はきっと立派になるから、自分を嫌いになってはいけないよ。カールは、何にも悪くないのだから」
彼を引き取ったことで、ファウストもまた中傷に晒されていることを知っていた。それでもファウストはそんな事はおくびにも出さないで、カールを大事にして守った。
「父上のお役にたちたかった、どうしても。だから私は神罰地上代行に志願しました」
そう言ってカメルレンゴは、どこか自嘲するように笑った。
「因果なものです。その為にイルミナティの残党を、私自身が狩ることになった」
30年前の襲撃の際、その場にいなかった研究者や逃げおおせたメンバーは研究を続けていた。それが再び教会に発覚したが、カールの様な成功例はほとんど見られなかった。ツヴァイク教授の研究所の様に十分な設備のない研究では、生み出された子供の大半が失敗作。
「奇形だったり障害があったり、そんな子供がほとんどでしたよ。そう言う現状を見ると、ますますを以て自分と言う存在が不気味でした。しかし、6件目で事態が変わった」
そう言ってカメルレンゴがアドルフを見た。
「ガブリエル・フルトヴェングラーは間違いなく、成功例でした」
どくん、と心臓が脈打った。
「なぜ、実験の成功例だと?」
「君は泣きながら、亡くなったお母様に縋っていました。顔を上げて私と、ザイン・ヴィトゲンシュタイン枢機卿を見て怯えた」
どくどくと心臓がなっている。
恐怖?
憤怒?
訳が分からなかったが体が震えた。
それを何とか抑えて、口を開いた。
「父と母を殺したのは、カメルレンゴですか?」
「アディのお父さんを殺したのはカール、君のお母さんを殺したのは、僕だよ」
アマデウスが言った。
「あの時君はまだ幼かったし、余程怖かったんだね。僕が近づいたら気を失ってしまった。それもあってか、君は僕達の事を覚えていなかった」
20年前、あの時。
時間はもう夜だった。ガブリエルは寝る時間で、お風呂から上がって母親が寝巻を着せてくれた。寝る前に父にお休みの挨拶をしに行こうと、父がいるはずのダイニングに行った。
母と連れ立ってダイニングに入ろうとすると、話し声が聞こえた。客でも来ているのか、と母が入室を躊躇って引き留めると、ガタン、と大きな音がして、「カテリーナ! 逃げろ!」と父が叫んだ。
その直後に破裂音、すぐにドサッという音が響いた。
母は、声を上げそうになったガブリエルの口をとっさに塞いで、すぐさまガブリエルを抱えて寝室に逃げ込んだ。母はガブリエルをベッドの下に押し込んで、切迫した表情で声を潜めて言った。
「いい? ガブリエル、絶対に喋ってはダメよ。ここから動いてはダメ。ここから出てはダメ。わかった?」
「おかあさん、おかあさんは? おとうさん、どうしたの?」
ガブリエルには、何が起きているのかが分からない。しかし、恐怖だけが募って、怖くなって、涙声で母に縋ろうとした。それを母は止めて、涙を拭って頭を優しく撫でた。
「シッ、静かに。心配しないで。声を出してはダメよ。ここにいるのよ。いいわね?」
「……うん」
母親は立ち上がり、クローゼットのドアを開けた。その瞬間に「客」が寝室に入って来た。ガブリエルは怖くなって、声を上げないように、自分で自分の口を手で覆い、ベッドの下から様子を覗き見た。
母は開けたクローゼットをゆっくりと閉めた。「客」が母に言った。
「そんなとこに隠したって無駄ですよ」
「狙いは、あの子なのね」
「あの子供も、ですよ」
「あの子は、私の子よ。なにもかも、あなた達にだって神にだって、くれてやるものなんかないわ。撃ちたければ撃てばいい」
「元より、そのつもりです」
そう言って「客」は母親の前に歩み寄り、銃弾を撃ち込んだ。母親はベッドの前まで引きずられ、クローゼットの前から血の尾を引いた。
クローゼットのドアを開けた「客」は、ガブリエルがいないことに驚いた。すぐにあちこち室内を探し始めるものの、ベッドの前には母親がいて気付かない。
わずかに意識の残った母は、ガブリエルを見つめて涙を零した。精一杯微笑んで、消え入りそうな声で、囁いた。
「ガブリエル、愛してるわ」
母はガブリエルに伸ばそうとした手を引きとめた。自分の行動でガブリエルの居場所を悟らせないために。涙を零して、瞼を閉じた母は、すぅっと力が抜けたようになった。
力の抜けた母の体から、血が流れてきた。フローリングの溝を辿って、ガブリエルのもとへ真っ直ぐに流れ込んできた。
それを見てガブリエルは恐ろしくなった。真っ赤な血が恐ろしくて、母が母でなくなったようで恐ろしくなった。そして、母の言いつけを破った。
ベッドの下から這い出て、母の体を揺すった。
「おかあさん、おかあさん」
呼んでも、反応はない。揺すられた体からは、衣擦れの音と、血の滴る音が響くだけ。
「おかあさん……ひっく、おかあさん」
泣いても、もう頭を撫でてはくれない。涙を拭ってくれた指先は、既に血に塗れていた。
「うわぁぁん、おかあさぁん、おかあさん」
号泣し、母に泣き縋るガブリエルに影が差した。顔を上げると「客」が立っていて、その手には銃が握られていた。
客が仲間と何かを言って、ガブリエルに近づいてくる。
涙で視界が見えない。
怖い。
たすけて。
誰か。
おかあさん――――。
そこで、ガブリエルの意識は途切れた。
「最初はね、君も殺す予定だった。だけどカールが、殺すのはやめようと言った。だから君は、君たちは僕が引き取った」
ぽろっと、アドルフの目から涙が零れた。
「あなたが、母を殺したんですか?」
「そうだよ」
「殺す必要が、あったんですか」
「……わからない」
ある程度はわかっていた事だ、覚悟していた事だ。シャルロッテの言う通り7割がた予想していた通りだった。
だけど。
どうしても、どうしても。
悲しいのは辛いのは、仕方がないから。
どうしても、どうしても。
母の天使であった自分が母を守れなかったのは苦しい。
「君のお母さんはあの状況で、冷静で聡明だった。僕達に屈しようとはしなかった。君もまた作られた人間ではあったけど、彼女は命を懸けて君を愛してた。だから、君を殺すのは彼女にとても申し訳ないと思ったんだ」
だからその後も、成功例と思しき子供たちはアマデウスが引き取った。
深く溜息を吐くのが聞こえて、その方向に視線をやるとクリストフが口を開いた。
「まぁこの際言いますけど、俺覚えてました。猊下が兄貴撃ち殺したから。いつか絶対ブッ殺してやろうって、ガキの頃は思ってました」
その言葉を聞いて、アマデウスの表情は暗く翳った。
「兄貴は知ってたんですね、親父が銃を隠してる場所。急に戸棚の前に走って行って、発砲した。銃弾は猊下に当たったはずなのに猊下は死ななくて、代わりに反撃した猊下に兄貴が殺された。なんだか知らないけどその後猊下ともう一人――――カメルレンゴですか? なんかその場でケンカし始めて。兄貴が死んで俺はワーワー泣いて、猊下達はケンカしてるし、なんかメチャクチャな状況だったのは覚えてますよ」
あぁ、と呟くようにしたカメルレンゴが、額に手をついて俯いた。
「あの時まで私は気付かなかったんですよ。両親を殺した「何者」かがザイン・ヴィトゲンシュタイン枢機卿で、彼が吸血鬼だと。私の時は真っ暗で良く見えませんでしたからね。それで君の事件の時にそれが発覚して、あの場で大喧嘩になりました」
「ハハ、最悪じゃないですか。メチャクチャだ」
両親と兄が死んで血の海で、クリストフは大泣きして。カメルレンゴは命を救われた代わりにクリストフの兄は死に、救ってくれたと思ったらアマデウスは両親の仇で化物で。
メチャクチャ。
「もうそれで私は嫌になって、父上にお願いして神罰地上代行を辞めました。それからザイン・ヴィトゲンシュタイン枢機卿とも疎遠になりましたし、近づくのも嫌でしたね」
その言葉にクリストフは鼻で笑った。
「あぁいいですね、逃げられた人は。俺はどうすりゃいいかわかんなかったんですよ。絶対ブッ殺してやろうと思ってた。なのに猊下は優しくて、猊下を好きになっていく自分が許せなかった。本当にどうしたらいいかわからなくて、悔しかったし辛かったし、でもみんなを見てたら、なんかどうでもよくなって」
アマデウスは優しかった。
アドルフは頼もしかった。
みんな仲が良くて、楽しかった。
だから。
「この生活も悪くないかなーとか、思っちゃったんですよね。まぁぶっちゃけガキの頃は、猊下が他の奴に文句言われてんの見てザマーミロとか思ってましたけどォ」
クララがクリストフに駆け寄って行った。
「クリス、知ってたんですか? 本当に?」
「知ってたよ。猊下が隠してんのもアディが薄々気づいてんのも。でも他の奴らは何にも知らないしさ、俺コイツら好きだから、俺一人反乱軍になってケンカすんのヤだったんだよ」
クララは瞳に涙をたくさん溜めて、クリストフにギュッと抱き着いた。
「よく、今まで耐えましたね。頑張りましたね。クリスは優しい人ですね」
クリストフもクララを抱きしめた。
「うーん、もしかしたら誰かにそうやって褒めて欲しくて、我慢してたのかも」
「ぐすっ、私が沢山、褒めてあげます」
「ありがとう」
クララを抱きしめて髪を撫でると、クリストフが顔を上げてアマデウスとカメルレンゴを見た。
「俺ん中じゃもう結論は出てるんです。多分アディも。でも他の奴はどうかな。まぁ考える時間はあるか」
そう言って苦笑気味に、クリストフがシャルロッテを見た。
「本当ヤな女だな。他にやり方なかったのかよ?」
「あったけど、この方が効果的でしょ」
「腹立つなマジで。あと決定的に説明が足りてねーよ」
「私がそれを言ったら恩着せがましくて嫌なのよ」
「プライドたけぇ」
「うるさいわ。わかるならわかるでいいし、わからないならそれでも構わないわ」
「流石化物だな」
「そうよ、いつだって化物は、悪者なのよ」
ふんっと息を吐いて、死刑執行人たちに手を振った。
「ほら、話は終わりよ。大混乱ならここじゃなくても出来るでしょ。ファウストは病人なんだから、さっさと出て行ってちょうだい」
シッシッと追い払うと、幾人かはまだ根に持っているらしくシャルロッテを睨んだ。が、クリストフとアドルフが促して、大人しく病室を出た。
それを見届けて、病室に残されたのはサイラスとクレメンス16世、アマデウスとカメルレンゴ。一息ついてクレメンス16世の前に歩み寄った。
「さて、叔父様もカールもちゃんと約束通りに話したわ。私のお願いを聞いてくれる?」
「あぁ、いいとも」
返事をしたクレメンス16世は、引き出しから紫色のストラを取り出して首にかけ、アマデウスを手招きした。
呼ばれたままにベッドの前に膝をつき、不安げに見上げるアマデウスの頭に手を置いて、彼は詠唱した。
「父と子と神の御名において、我ファウスト・トバルカインが命ずる。この者を永遠に、鎖から解き放て」
その瞬間、パキンと何かが弾けるような音が聞こえた。それを聞き届けて、クレメンス16世は満足そうに笑った。
「これで、あなたはただ一人の吸血鬼になり、只今を以て教皇庁から除籍された。今後あなたはヴァチカンに来る理由もなければ、関与することも許さない。当然ただの吸血鬼になったのだから、通報があれば討伐に赴くことになる。わかったかね?」
その言葉に、アマデウスは大粒の涙をこぼしてクレメンス16世に泣き縋った。その姿を見てシャルロッテは笑ってサイラスを見た。
「一体誰が通報するのかしらねぇ?」
「さぁな」
カメルレンゴがその話に割って入った。
「私が通報しますよ」
「ウソ言わないの。悔し紛れでそんな事言って」
「誤解しないでください」
「本当はあなたがそうしたかったくせに、私に手柄とられて悔しいんでしょ」
「違います」
「んもぅ、カールはツンデレなんだからぁ」
「違いますよ! 失礼ですね! 大体、私がしなくても彼らがするかもしれませんよ!」
「さぁ? どうかしらぁ?」
シャルロッテの大事なお話は周りをひどい混乱に陥れたが、ある程度の効果を見込めたシャルロッテとサイラスは、満足そうに笑った。




