25 誰が為の祈り
優しい掌が髪を撫でて、心地よい声色で。
「お休み前のお祈りをしようね」
「うん」
手を組んで目を瞑ると、一緒に声をそろえる。
「今日も一日お守りくださった神よ、明日の日の出を楽しみに」
彼女は少しだけ長く祈る。
「明日も天使をこの子の傍に、世々に。大天使ガブリエル、その羽根でこの子を抱いて、羽根の影で安らかな夢を」
彼女がそう祈ってくれるのがとても好きで。
彼女がその詩を気に入って、祈りを終えた彼女が満足そうに額にキスをするのがとてもとても好きで。
彼女が傍にいて、天使が見守る中で眠ることがとても幸せで、朝の日の出はきっと毎日美しいものだろうと。
そう言う毎日が当たり前に続いていくのだと、何の疑問も持たなかった。
「おかあさんのことも、まもってください!」
自分ばかり祈られるのが嫌でたまにそう言った。すると彼女は嬉しそうに微笑んで抱き寄せてくれた。
「お母さんはいいの。私の天使はここにいるわ」
いい匂い。
お母さんの匂い。
優しくて暖かい。
お母さんの感触。
世界で一番大事で、世界で一番近くて、世界で一番大切だった女の人。
もう既に、失ってしまった者。
彼女を失ったと同時に見失ったものもあったけど取り戻した。
失ったことはとても淋しいけど、とても悲しいけど、それでもどこか安らぎを覚えるのは。
きっと俺の傍にいるんだ。
そう思えるから。彼女の事だから。
幸せだ、と思う。思い出しかなくても。
思い出しかなくても幸せだと思える幸福は、彼女から齎された最後の愛だ。
だから、彼女に愛された身の上を誇りに思う。
自分に母親と言う人間が存在していたことを、神に感謝する。
思い出の中の母はとても美しい人で、ああきっと彼女が天使だったのだと。
明日も天使を俺の傍に。
アーメン。
目を覚ますと、至近距離で見ていた。
見た目は天使に匹敵するのに、中身が悪魔の化身のような女が。
「おはよう。どんな夢を見ていたの?」
朝日に照らされた悪女は、これでもかと可愛い顔をして微笑む。
とりあえず、寝起きドッキリで心室細動が起きそうなほど挙動不審な心臓を落ち着かせた。
「別に……いや、ていうかお前が驚かすから、忘れちまった」
「あら、残念」
残念。
なんだかとても幸せな夢を見ていた気がした。
目覚めてベッドから出て、顔を洗って歯を磨いて、とりあえず煙草とコーヒー。
シャルロッテはそれをじっと見ていた。
「なに? つかなんでお前ここいんの?」
「今日のスケジュールをお父様に通達するように言われたのよ」
本当はクリストフがいるからテレパシーで済ませられるが、就寝アドルフにちょっかいを出しに来ただけだ。
「今日はまず、カメルレンゴの紹介で例のエクソシスト、マルクス神父に会いに行くわ。時間が勿体ないから私の瞬間移動で連れて行くわね」
「えっローマにいないのか?」
「今はフィレンツェにいるそうなの」
「へぇ、そうなのか」
「そう。それと、それが終わったら大事なお話があるわ」
ぴた、とコーヒーに着けようとしていた手が止まった。
「なんの?」
「叔父様がカメルレンゴと取引をして自白したというのは聞いた?」
「聞いてはいねぇけど、まぁなんとなく」
何も話さないと約束しましたので、あなた方には何も語れません、とカメルレンゴが言ったから、何となくそうだろうと思っていた。
その取引で自白したという事は、アマデウスはその事を話したくないが為に自白するほどだ。余程の事なのだというのはわかる。
「何の話だ?」
「あなたが7割がた正解している話よ」
と言われても、アドルフにはピンとこなかった。
「なんだよ?」
「帰ってからのお楽しみ……いや、楽しくはないわね。あなた達にとっては、ちっとも」
「まぁ、愉快な話じゃなさそうだってのは予想つくけどよ」
ふとシャルロッテが隣に座って、アドルフのコーヒーカップを手に取って口に着けた。チビリと口に含むと、すぐに「うえ」と顔を歪めた。
「あぁやっぱりダメだわ都会はダメだわ。折角のコーヒーの味を水道水が邪魔してる」
「水道水が!? ていうかお前コーヒーとか飲めんの!?」
「まぁ、私達は一応自然発生した生き物だし? 自然の物は口にできるのよ。完全無農薬の野菜や狩猟で得た肉や川の水や清水はね。でも近頃はダメよー。どの食料品にも保存料だの香料だの入ってるし、それ以前に水にも色々混ざってて」
「あぁ化学製品はダメなのか」
「そうよ。だから近代の食品は全くと言っていいくらい口にできないわ」
昔はよかったわーと思い出に耽る。少し前まで食べられないものの方が少なかった。それなのに現代は、食べられるものを探すのも一苦労で、そんな面倒をするなら食べたくない。
「現代の食い物でも、食おうと思えば食えなくはない?」
「そうね。でも絶対イヤ。体が拒絶反応するし」
うえってなるのよ、と首を絞めてみせる。
「なんで自然に近いものは平気で、化学製品はダメ?」
「人間は排泄をするでしょう。私達はしないから」
吸血鬼は排泄をしない。体内に入れた物は即時エネルギー変換される。人間は排泄をし、余分な物や毒素を排出する機構があるから、化学製品を体内に入れても特に問題はない。だけど、全て余すことなく体内に吸収してしまう吸血鬼には大問題で、体内に毒が溜る一方だ。だから体が拒絶する。
「あーなるほどな。城の庭広いんだから、菜園でもやれば。城の裏に川あるし」
「えっそうなの? 知らなかった」
「あーお前引きこもりだもんな。多分探せば古井戸とか出て来るぞ」
「じゃぁ事件が終わったらお願いね?」
「は?」
「菜園」
「は? なんで俺が?」
「いいから」
「いやいいからじゃなくて」
「アディが頑張って作ったお野菜で出来た料理を食べて、あーん美味しいわすごいわアディって、私が喜んでるの見たくない?」
「いや、別に」
「私を喜ばせられる男って、多分只者じゃないわよ」
それは確かにある意味納得だが、だからって。
「いや、しねーし。俺暇じゃねーし」
反論するとシャルロッテはいつも通りに微笑んで、アドルフの髪を撫でる。
「多分暇になるわよ。この事件が済んだら“死刑執行人”は解体されるから」
「えっ!?」
驚いて目を剥いたアドルフに、やはりシャルロッテは優しく微笑んで、額にキスをした。
「大丈夫よ、天使が守ってくれるわ」
「待て、どういう……」
「私のすることを悪魔の所業だって恨んでもいいけれど、きっと立ち直ってね。それがあなたの為でもあるし、あなたの天使の為でもあるし」
「ちょっと待て、何言ってんだ」
「あなたの大事な人を守るために、あなたはすべきことを選択するのよ。本当に大事な人は誰か、考えて」
「待っ……」
待てと言っているのにシャルロッテは、言いたいことを一方的に言って消えてしまった。
11時になるころになってアドルフが教皇庁に到着し、カメルレンゴのオフィスに行くと、彼は既に朝から仕事をしていたらしく待っていた。後からクラウディオ達もやってきて、そのタイミングを見計らったかのようにシャルロッテもやってきた。
すると、シャルロッテの格好を見てカメルレンゴは突然怒り出した。
「あなた! 何ですかその格好は!」
装飾のないシンプルなデザインで、フレアスリーブでボディコンシャスなミニのワンピースに、ニーハイブーツから覗く絶対領域はサービス。
「何って、いつも通りだけど」
普段着には動きやすいミニがマスト。何より自分に似合っていて可愛い。
「ここでそう言った格好をしないでください! 目の毒です!」
「目の保養の間違いじゃなくって?」
カメルレンゴは溜息を吐くことで少し落ち着きを取り戻したらしい。
「禁欲主義者たちからは侮蔑の目で見られますよ。それ以外からはイヤらしい目で見られますよ。いいんですか?」
「どーでもいいわ。せいぜいムラムラして犯罪に手を出して更迭されてしまえばいいわ」
「あなたってひとは! 父上が嘆きます!」
「大丈夫よ。私昔っからこういう格好してたから」
昔はこんな格好をしている人はなかなかいなかったが、シャルロッテはあまり流行などは気にしない。気持ちの上では、常にTシャツにデニムの人と変わらない。何より昔は「女子が足を出すなんて言語道断」だったが、シャルロッテとしては「こんなに綺麗な足を見せないなんて罪悪」だ。
そんなことより。
「ホラ早く行くわよ。マルクス神父には連絡取ってあるんでしょ?」
「あぁ……まぁ、すぐに行くと言ってあるから……」
「じゃぁすぐ行きましょう」
と言うわけでいつも通り、シャルロッテの有無を言わさぬ強制連行で数日ぶりに戻ったフィレンツェ。引っ越してまだ2か月程度、シャルロッテはイマイチ場所が良くわからなかったので、知っているところに飛んでそこからカメルレンゴの案内でぞろぞろ歩く。
死刑執行人たちは一応、祭事用の紫色のストラをかけている。カメルレンゴはどこから見ても神父だが、死刑執行人はシルバーの縦ラインが入った戦闘服でストラなので、見れば見る程マフィアに見えてくる。そこにピチピチ美少女シャルロッテがいるものだから余計に、絶対趣旨に一貫性のない変な集団に見えてるわ、と思いながらやって来たのは、ボロボロになった司祭館。
錆びた門の内側には、その門と交換する前の古い門扉が壁に立てかけてある。壊れた石像が転がっていて、庭にある鉢には水がたまってオタマジャクシが泳いでいた。
こんな所に本当に、その伝説のエクソシストが済んでいるのかと、全員が訝ってカメルレンゴを見る。
「まぁ、変わった方なので。くれぐれも機嫌を損ねないように」
「よっぽど気難しいの?」
カメルレンゴは顎を撫でて、宙を仰ぐようにして言った。
「一言で言えば、異端ですね」
その言葉に一抹の不安を抱えながらも、門をくぐって中に入り、カメルレンゴがドアをノックした。すると、中からカタカタと音が聞こえて、しばらく待たされているとドアがカタンと音を立てた。しかし誰も出てこないが、代わりにドアに作りつけられた小さな出入り口から猫が出てきた。黒いぶち模様の猫でとっても美人だったので、思わず抱き上げた。
「このにゃんこがマルクス神父?」
「……違います。あれ、出かけてしまったのか?」
もう一度ノックをすると、また中からカタコト聞こえて、今度こそドアが開いた。
「待たせたの」
そう言って出てきたのは、禿げ上がって残された髪は真っ白でぼさぼさで、神父服を着崩した寝ぼけ眼の老人だった。
「マルクス神父ご無沙汰してます。寝てたんですか?」
「寝とった……すぐと言ってもこんなにすぐとは思わなんだから」
「はは、すみません」
再会の握手を交わし、彼がシャルロッテ達に視線を移したのに気付いて、アドルフが進み出た。
「お初にお目にかかります。ヴァチカン教皇庁教理省枢機卿直属対反キリスト教勢力及び魔物強……」
「長いわい。いいから早よう入れ。猫が入る」
アドルフの自己紹介を遮ったマルクス神父は、入ろうと隙を窺っている猫とフェイント合戦をしていた。シャルロッテの抱いていた猫は飼い猫だったらしく、連れて入ってもいいと言われたのでそのまま抱っこして連れて入った。自己紹介を中断されたアドルフは若干ショックを受けたようだったが、そのまま中に通されて少し驚く。
室内は雑然としていたが、雑然としているのはマリア像やキリスト像、十字架や聖典などが至る所に所蔵されていて、それ以外は生活に必要最低限の物しか置いていなかった。テレビなんて勿論なくて、テーブルの上には十字架と像を除けば燭台くらいのもので。普通は滅多に使用しないが、彼は頻繁に使用するのか、コートハンガーにかけてある紫色のストラが一番褪せていて、代わりに普通は一番使用頻度の高い緑色のストラは新品そのものだった。
ソファにどっかと腰を落ち着けたマルクス神父の対面にカメルレンゴが腰かけ、シャルロッテも座ることを許された(猫を抱いていたせいだ)。他は座る所がないので立たされた。
「ほんで、わしにエクソシスムの講義をしろと」
「はい。電話でも事情はお話ししましたが……」
「テロがなんとやら」
「はい」
瓶から栓を抜いたマルクス神父は、小気味良い音を立てて注がれた赤ワインをカメルレンゴに差し出し、自分では瓶のままグビグビ飲み始めた。
「悪魔に憑かれた女性はそのお嬢さんかね」
「いえ、彼女は違います」
「じゃぁなんじゃ」
「まぁ、協力者と言いますか」
「ふーん、まぁよかろ」
満足したのか口元を拭ったマルクス神父は酒瓶をテーブルに置いて、ふぅと息を吐く。
「エクソシスムのなんたるか……まぁ祈りじゃわなやっぱり。信仰と祈りこそが物を言う」
「相手は人間を動かす力量を持っている有力な悪魔の様なのです。有効な手段などは」
「んなモンないわい」
素気無く言って、マルクス神父はソファに背を預けた。それを見てイザイアが質問した。
「あの、マルクス神父はどのくらい悪魔祓いをしましたか?」
「さぁのう。2千回か3千回か、そのくらいかの」
「そんなに? 失敗したことありますか?」
「あるぞ……その度に信仰を棄てそうになる。祈りの最中に悪魔が対象者を殺すこともある、帰った対象者が自殺してしまう事もある、共に祈りを捧げる仲間が悪魔に殺されることもあれば、わし自身悪魔に憑りつかれて殺されかけた事もあった」
その度に幾度信仰を棄てそうになって、神に懇願して涙を流して、五里霧中の中悩みの森を歩いたか。
「例え悪魔がどんなものでも、こちらは強い信仰と強い意志がなければ太刀打ちできない。心の中に迷いや戸惑いがあれば、悪魔はすぐにそこに付け込んで、お前さんらのような若造はあっさり憑りつかれて殺されてしまうわ。迷いや疑いを持っていれば勝つことなど出来ん。信仰とその礎になるものを、お前さんらはハッキリと心に描けるか?」
問われて、幾人かは頷いたが幾人かは戸惑いを見せた。それを見届けたマルクス神父は、少しうざったそうに首を振った。
「せめて悪魔に対する時までには、信仰を盤石なものにするんじゃな。それが出来なさそうであれば、そ奴は悪魔に関わるな。悪魔の相手は本当に疲れる。突かれたくないところを突いてくるし、奴らはわしらの罪を知っている。心を読んで人の傷口を抉ってくるし、夢にまで現れて悪夢を見せおる……疲れるんじゃよ、とにかく」
悪魔の力によって人知を超えた力を持った対象者に殺されてしまう事もある。それ以上に悪魔が厄介なのは、精神的な負担が大きすぎることだ。トラウマをその場で暴かれて嘲笑されるし、悪魔を追い出すのは通常長期戦で、悩まされ続けて鬱になる司祭は後を絶たない。それを踏み越えて努力を続けても、悪魔が司祭の力を挫いて対象者を自殺に追い込むことだってあるから、その心にはいくつもの挫折と悔恨を抱える。それを抱える覚悟がなければ、いっそ関わらない方が身のためだ。
彼の顔に浮かぶのはほとんど疲労の色だったが、それがふと緩んだ。
「じゃがな、一番苦しいのは対象者じゃ。心の中に巣食った悪魔が、自分を侵食していく……その恐怖は体験した者にしかわからない。自分が自分でなくなって、自分を失っていく事はとても恐ろしい。自分でなくなった自分が、愛する者を非難し神を冒涜する。そんな勝手を、お前さんらは許しておけるかね?」
問われて彼らは、一様に首を横に振った。
それを見てふと、マルクス神父はカメルレンゴに向き直って言った。
「死刑執行人」
そう言われてカメルレンゴが返事をした。
「……はい」
「カールがそう呼ばれておったのは、もう随分前になるかの」
「えぇ」
「弟子か?」
「……と言うわけではありませんが」
シャルロッテもアドルフたちも少し驚いてカメルレンゴを見ていたが、マルクス神父は可笑しそうにした。
「まぁ、人が死ぬのを見ることに免疫があるなら、多少はイケそうじゃがな。要するに度胸がありゃなんとかなる」
「はぁ……」
「カールはまだ仕込み杖を使っとるのか?」
「いえ……」
「じゃが持っとるんじゃろ」
「まぁ……」
曖昧に返事をするカメルレンゴに、マルクス神父は不機嫌そうにした。
「なんじゃい、イライラするのう。ハッキリ答えんかい」
「……持ってます。が、私はもう引退しましたので」
渋々答えたカメルレンゴに、マルクス神父は愉快そうに喉を鳴らした。
「ビアンカ」
名前を呼ばれて、シャルロッテが抱いていた猫が腕から飛び出し、マルクス神父に駆け寄って行った。少し淋しく思ったが、神父に抱かれる猫は嬉しそうに頬ずりをする。
「人間の武器は本来物質じゃぁないが、それが支えになることもあるからの。その杖を、その銃を、その武器を作って持たせた人間の想いと言う物も、信仰の糧になることはある。人間の武器は本来、愛情であり、信頼であり、友情であり、使命でもある。カール、お前さんの杖はただ斃す為に持つ物か?」
「いいえ、護るために持つ物です」
満足そうに神父が頷いた。
「そうじゃ、お前さんはそれが信仰の礎になる」
頷いた神父がエルンストを見た。
「お前さんは何のために武器を持つ?」
エルンストは子供の頃から狙撃が得意で、だから仕事も狙撃で後方支援に回ることが多い。離れたところから仲間を見守って、仲間を支える影の鷹の目。仲間の障害を確実に打ち倒す――――いつしか魔弾の射手と呼ばれたのは、たまたま姓がウェーヴァーだったからクリストフがあだ名を付けた。
問われて、しばらく考えたエルンストは顔を上げた。
「俺は、仕事の大半が援護なので……友の為に。みんなが安心して前進できるように」
「援護か。その為の武器を作ったのは誰じゃ?」
エルンストがレオナートを指さした。
「レオです。照準器とかも、俺に合わせて改良してくれて。みんなのも、武器の希望はレオに言って改造してもらうんです」
「そうか」
「はい」
「仲間に合わせて、ソイツの為の武器を作るというのは、ソイツの事をちゃんとわかっておる奴じゃなきゃ、なかなか難しいじゃろうな。仲間の事、武器の事、敵の事を見定める事は、まぁ地味じゃが。裏方は居らんと困るじゃろうな」
「そーなんすよ。エルンストが同行してない時って、スゲェ不安で!」
「銃の補給も整備もレオ任せだしな、いないとマジで困るよな」
クラウディオ達が言って、二人は恥ずかしそうに笑うので、神父は「そうじゃろうな」とからかうように笑った。満足そうにしたマルクス神父は、イザイアに向いた。
「お前さんは?」
「俺は……わかんない、です」
ほう、と神父は髪をわしゃわしゃと撫でて、酒を飲んで熱くなったのか掌で顔を仰いでいる。
「では何故武器を取る? それが仕事だから?」
「かもしんないです……でも」
イザイアは俯きながら、スーツの裾を握った。
「みんなに、追いつきたい。俺、いつもミスばっかで、みんなに比べたらキャリアも全然なくて。この前も撃たれたし、あの時課長が助けてくれなかったら死んでた。あのね、課長はすごいんですよ。俺が撃たれて転んでる間に、俺撃った奴も他の奴も全員倒しちゃってて、二挺拳銃で銃捌きも早くて、死角にいても隠れてても課長には関係なくて、ウソみたいにカッコよくて。なのに俺はいつもそんなんで、みんなにフォローされてなきゃ全然で。いっつも守ってもらってばっかで情けなくて、だから俺」
イザイアが顔を上げた。
「強くなりたいんです。課長みたいになりたいんです。課長みたいに、みんなを守れるように」
それを聞いたマルクス神父は、大きなげっぷをした。
「はっは、ガキんちょが小便臭い事を言いおるなぁ」
アンタのゲップも臭いんじゃ、と言う反論は息を止めているのでできない。マルクス神父は徐々に顔色を悪くするイザイアを見て笑った。
「お前さん、エクソシストの才能あるな。良い魂を持っておる」
「えっ?」
思わず顔を上げたイザイアに神父が言った。
「仲間に大事にされて育ったんじゃな。いい仲間を持ったな」
「はいっ」
イザイアは一人だけ年が離れていて、だからたまに仲間外れのような気分になることもあったがそれ以上に、みんなとても可愛がって優しくしてくれた。アドルフとクリストフが先頭を切って、荒れた道を切り開いていく。クラウディオ達はその道を綺麗に均して、どんどん先に歩いていく。イザイアはその後をひたすら追いかけて、たまに躓いて転んでしまう事もある。だけどそんな時みんなは立ち止まって、オリヴァーとフレデリックが手を引いて立ち上がらせてくれる。そうしてまたみんなで歩き出す。いつか先頭の二人に追いつけるように、いつか隣に並んで、ひたすら前だけを見ている二人が、たまに横を見てくれるように。イザイアにはそんな人生がとても愛しくて、それがとても、幸せで。
「強くなりたい、それも結構。男ならそう思うのが当然じゃろうて。じゃがお前さんのいいところは、自分が守られていることをきちんとわかっておる所じゃ。その事を理解して仲間に感謝している。感謝を忘れないこと、それは簡単そうに見えて、実は難しい事でな。それが出来るお前さんは、いい男になるぞ」
それを聞いてイザイアは不覚にも、少し目が潤んだ。それに気付いたのか、神父は愉快そうにした。
「男の割に純粋すぎるのは玉に瑕じゃが、案外お前さんの様な奴は悪魔にしてみりゃ一番厄介じゃ。その魂を大事にせぇ」
「はい!」
嬉しそうにイザイアが返事をして、隣にいたフレデリックとオリヴァーが笑ってからかうように背中を叩くと、イザイアは少し恥ずかしそうに笑った。
その様子にシャルロッテは青臭いわねーと思ったが、こういう男の集団は青臭いかバカのどちらか、若しくは両方だ。それも案外、嫌いではなかった。
「ほんで、ガキんちょの憧れる課長さんは?」
「それが義務で、仕事だからです」
アドルフは即答した。
「勿論、仲間の為とか自分の為とか、色々理由はあります。しかし、私は完全に仕事を遂行しなければならないし、一切のミスは許されません。命に関わるからと言うのもありますが、それ以上にそれが私の義務だからです」
神父は考え込むような顔をしながら、猫を撫でた。猫は嬉しそうに喉を鳴らしている。
「お前さんの義務とは?」
「優秀であること、有能であることです。ヴァチカンの中の誰よりも、私は秀でていなければなりません」
「誰の為に?」
「自分の為です」
神父は突然笑い出して、驚いた猫が膝から飛び出していった。
「あぁ可笑しいのう! 同じセリフを昔聞いた!」
「え?」
「あっはっは、あーおっかし! わかったわかった」
「な、なにがですか」
マルクス神父があまりにも笑うので、なんだかアドルフは怖くなって恐る恐る返事をした。すると神父は落ち着いたようで言った。
「仕事ができる、頭がいい、誰からも賞賛される才能を磨いて、誰にも文句は言わせない。お前さんはそう思っとるんじゃな」
正しくその通りだった。文句を言われているのは運命だ。だから力量に文句を言わせたくなかった。その為に。
「……何故、そう思われるんです?」
「お前さん達、親は?」
「いません」
「ウソを吐け」
「……育ての親が、父親が、います」
「その親父の為にじゃろ。世の中にはどうしたって、生まれの為に文句を言われる奴はおってな。ソイツを育てた人間がいい奴であればあるほど、ソイツ自身は苦悩する。いい子にしていても文句を言われるから、大概の奴はそれに負けて悪い奴になる。じゃが、お前さんと同じ事を言って、育ての親の為に努力し続けて、仕舞には誰も文句を言えない地位にまで上り詰めちまった奴を知ってるぞ」
「そうなんですか……私もそうなれればいいんですが」
「そりゃお前さん次第じゃが、まぁ身近にそのお手本がおるからな。お手本をよく見て参考にせぇ」
とマルクス神父が笑いかけたのは、カメルレンゴだった。そのカメルレンゴは不機嫌そうだ。
「あぁ、彼らはダメですよ完全に破戒僧ですから。イリーガルな仕事は出来ても、それ以外が全くなってないんです。これから叩き直すところで」
「カール、お前は正道を行く。彼らは邪道を行く。そんだけの違いじゃろ。ちっとくらい認めてやれ」
「ダメです」
「頑固じゃのぅ」
それを聞いて、ようやく理解した。カメルレンゴが彼らを嫌う理由。
――――そうか、カメルレンゴは教皇の養子だ。
理由も身の上も知らない、だがきっと同じなのだ。だからカメルレンゴはアドルフと同じ事を言って、本当に誰も文句を言えない人間になった。努力し続けてきたからこそ、同じ身の上でありながら勝手をするアドルフたちが許せないのだ。
本当に頑固で、だけど真っ直ぐな人だ。
彼はきっと理想主義者で、言ってみればロマンチストで。
父親がだいすきで。
あぁなんだ、同じじゃないか。
そうは思っても「カメルレンゴを見習って頑張ります」なんて口が裂けても言わないが。
「あなた方はこれからビシバシ鍛え直しますから、覚悟なさい」
というお叱りに、「はい」と笑って返した。
存外に素直なアドルフの返答に、カメルレンゴは気味が悪そうにした。




