23 不協和音
それはさておき、肝心のクレメンス16世もサイラスに気付いて、首を傾げた。
「いつの間に? 君は?」
「あぁ、申し遅れたな」
そう言ってサイラスはベッドの前に膝をつき、クレメンス16世の手を取りキスをした。
「光栄至極、こうして教皇に会うのは実に数百年ぶりだ。私はサイラス・ジェズアルド・ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ルートヴィヒスブルク・バッハ」
その自己紹介に、クレメンス16世も目を丸くした――――が、しかしその瞳は落ち着きを取り戻し、どこか揺らいだ。
「……やはり、吸血鬼か」
「はじめまして、クレメンス16世」
「初めてではないぞ、吸血鬼。まぁ、あれから70年だ……気付かぬのも、無理からぬことか」
驚いたのはサイラスの方だった。どういう事かと問いただそうとした瞬間、再び病室のドアが開いた。
「アディ、お疲れ様」
シャルロッテが入室して、その後からクララとクリストフとアマデウス、いつの間に迎えに行ったのかエルンストとレオナートもやってきた。挨拶を交わしていたシャルロッテがクレメンス16世に微笑みかけると、彼は途端に眉を下げた。
「あぁやはり、ロッテ。私のロッテ」
ぽろり、と皺だらけの瞼の下から、涙が零れた。
「ロッテ、死を前にして思い出すのは、いつも君の事ばかりだった」
涙をこぼす、眼鏡の奥の琥珀色の瞳。優しさの残る面影、愛しげに名前を呼ぶその声は。
「やっぱり……ファウストなのね?」
「ロッテ……あぁ、70年経った今でも、変わらず君は美しい」
「ファウスト!」
突然始まった感動の再会シーンに、周りは「えっ、どうしたらいいのコレ?」と、もれなく戸惑った。
駆け寄ってサイラスを突き飛ばし、シャルロッテは手を握ってクレメンス16世は涙をこぼす。その様を見てサイラスは、先程までの傲岸さなど吹き飛んだ。
「待て待て! ファウストだと!? 貴様、あの小僧か! 生きていたのか貴様!」
「サイラスは相変わらず、私に厳しいなぁ。久しぶりに会ったというのに、少しくらい喜んでくれたって……」
「誰が喜ぶか! 貴様が死んだと聞いて、内心私は大喜びしたというのに!」
「お父様、酷いわ……」
「酷い事などあるものか! この小僧は死んだふりをしていたのだぞ! お前ももっと怒れ!」
深夜の病室で、一人激怒するサイラスを、シャルロッテとクレメンス16世が窘めている。その様子を見ていたカメルレンゴが、話しに割って入った。
「失礼。シャルロッテさん?」
「あぁ、カメルレンゴ、初めまして」
「あ、初めまして。あなた、リスト課長が連れてきたシスターですよね?」
「そうですね」
「それで、不死王がお父様とは?」
「あ、私のお父様です」
「……」
「……?」
どういうことだとカメルレンゴはアドルフに振り返る。
「えー、あー……」
少しの間視線を泳がせていたが、言うに事欠いてアドルフは「てへっ」と笑ってごまかした。
「てへっではありません! どういう事ですかこれは!」
「えっ、あ、えっと―……」
アドルフでは埒が明かないと早々に見切りをつけて、カメルレンゴはアマデウスを睨んだ。
「こら! ザイン・ヴィトゲンシュタイン枢機卿!」
「えっ僕!?」
「説明しなさい!」
「……するから、落ち着いて聞いてくんない?」
カメルレンゴの剣幕にたじろぎつつ、一先ずアマデウスはアマデウスたちとサイラスたちが協力関係に至るまでの顛末をかいつまんで説明した。ウッカリ同席する羽目になった警察団長バーデンは勿論、クレメンス16世もカメルレンゴも目を白黒とさせていたが、かすかに不思議に思っていた部分もあったようで、得心が言った顔をした。
「……なるほど、先程の質問の答えは、シャルロッテさんですね?」
Q・どのようにしてスイスからヴァチカンへ来たか。
「はい……すいません」
アドルフは非常に言いにくそうにして肯定した。
「そうか、サイラスとザイン・ヴィトゲンシュタイン枢機卿は兄弟なのか……助けにヴァチカンに忍び込むなんて、仲良しだな?」
クレメンス16世の一応気を遣った発言に、兄弟は揃って「ハッ」と鼻を鳴らした。
「私はコイツが嫌いだ」
「僕も兄様は嫌い」
視線を合わせると互いに「ケッ」と視線を逸らす。クレメンス16世のせいで急に兄弟間がギスギスし始めてしまい、慌てた様子でバーデンが会話に参戦した。
「えっと、とりあえず今は吸血鬼一族はこちらの味方であると、そう言う解釈で間違ってませんか?」
随分ざっくりした解釈だが、間違ってはいないのでシャルロッテが肯定した。が、バーデンは首を捻った。
「しかし、あなた方にはメリットなどないでしょう? 何故協力する気になったのです?」
サイラスとアマデウスは仲が悪いし、サイラスたちは吸血鬼なので教皇庁に味方する理由はないはずだし、アマデウスたちと教皇庁は仲が悪いし、本来ならこの3勢力が全部敵対していると言ってもいいのだ。唯一行政庁から派遣されたバーデンには、不思議現象にしか見えない。それ以上に何か企んでいるのではないかと疑っている。
バーデンの質問にシャルロッテは、当然と言わんばかりの顔で言った。
「だってあのまま叔父様が処刑されたら、私達がアディ達の面倒見なきゃいけなくなるし、テロ事件を解決させないとファウストたちも困るわけでしょ。それに……ねぇ? お父様」
シャルロッテとサイラスは視線を合わせて、同意した親子は声を揃えてて「こんなに面白い事は滅多にない」と臆面もなく言ってのけた。質問したバーデンもそうだったが、カメルレンゴもクレメンス16世も、アマデウスたちも顔を引きつらせる。
「お、面白いから……?」
「面白いからよ」
「面白いとはなんですか!」
激昂してカメルレンゴが食って掛かって来たが、アマデウスがそれを宥めた。
「ごめんカール、聖下。この親子普段からこんなんだから……代わりに僕が謝るから。ごめんなさい」
「なんかすいません」
サイラスとシャルロッテの代わりに、何故かアマデウスと“死刑執行人”達が謝罪した。それでもカメルレンゴは怒っていてバーデンは相変わらず表情が固まっていたが、クレメンス16世はクスクスと笑った。
「ロッテは相変わらず、楽しい事に目がないね」
「うふ、そうなの」
クレメンス16世が、シャルロッテのそう言う性格を覚えていてくれて、それを良しとしてくれていることも嬉しかった。嬉しくなって手を握ると、クレメンス16世は頭を撫でてくれたので、それでついうにゃうにゃともたれかかると、サイラスに引き離された。
「何を私の前でイチャイチャしているんだ」
「ちょっとくらいいいじゃないですかぁ。お父様のケチ」
「ファウストはもうジジィだろうが!」
「おじいちゃんになってもファウストはファウスト。関係ありませんわ」
ね? とクレメンス16世に改めて振り返ると、どことなく嬉しそうに微笑んだ。それでやっぱりイチャイチャしていると、イライラするサイラスの横からアマデウスが割り込んだ。
「あのちょっと、ていうかさっきから聞こうと思ってたんだけど。ロッテと教皇聖下って知り合い?」
「ああそうだ、私も気になっていたんですが……ちょっとそこ、イチャイチャやめてください」
カメルレンゴの言葉で元気を取り戻したらしいサイラスにやっぱり引き離されてしまい、つまらなく思いつつも質問にはクレメンス16世が返答した。
「ロッテはまぁ……若い頃の、なんていうかこう……元カノ」
「元カノ!? 何ですって、父上!」
「いや、あの、聖職になる前の事だし、時効だろう? 秘密だよ」
「それは秘密にしますけども!」
昔のこととはいえ、吸血鬼と教皇のスキャンダルなんて表沙汰に出来るはずがない。全員驚いていたが、一先ず落ち着きを取り戻したカメルレンゴが深く溜息を吐いた。
「とりあえずシャルロッテさん」
「なぁに?」
正体を明かした今、部下のふりをする必要はないのでいつも通りに返事をした。
「あなた男を見る目はあるんですね」
「うふ、そうでしょ」
「で、父上」
「なんだい?」
「女を見る目はありませんね。顔に騙されたんじゃないですか?」
「失礼だねお前……」
「ホント失礼しちゃうわ! アンタ殺すわよ!」
憤慨するシャルロッテの傍で、サイラスとクララも気分を害したらしく「殺れ殺れ」と囃し立てているが、アマデウスたちはカメルレンゴ派に回った。
「お嬢見た目はパーフェクトなんだけどね」
「中身がね……絶対尻に敷かれるし、最悪踏まれそう」
「一度お嬢みたいな女に惚れたら、他の女じゃ物足りなくなりそうで怖いよな」
「多分教皇聖下はドMなんだよ」
「あぁ、だったらある意味女見る目あるんじゃない?」
死刑執行人たちの与太話は、教皇の年老いた耳には全部聞き取れなかったが、文句を言われているのはわかる。
「君たちの知るロッテがどんな女かは知らんが、私の知るロッテはとても綺麗で、優しくて可愛らしい女性だよ」
シャルロッテを見つめて、噛みしめるように言った。
「あの頃から変わらず、綺麗な娘だ……」
若い頃、よく見惚れていた。
「ロッテは綺麗だね」
「何よ今更」
「う……そうだけど、可愛いなぁって」
ちょっとアタフタしてそう言うと、シャルロッテはいつも悪戯っぽく笑う。
「嬉しいでしょ? 自慢でしょ? 街で噂の超絶美人の私が、世界で一番あなたが大好き。こんなに名誉な事ってある?」
それでいつも笑ってしまった。
「ない! 俺すごい自慢だよー。超見せびらかしたい」
「そうでしょう? 私に愛されて幸せ者ねー」
「自分で言うんだ……」
「言うわよー」
高飛車でプライドが高くて我儘で。だけど、何の取り柄もない自分を世界で一番愛してくれた、美しい人。
最初で最後で最愛の、変わらず美しい化け物の恋人。
――――70年前。
父が死んで家族の為に軍に志願して入った。普段から引っ込み思案で、穏やかな性格のファウストには合わないと、家族からも友達からも反対された。
案の定軍に入っても、ドイツ系だからといじめられたし、大人しい彼は散々にからかわれた。気弱で臆病者で、いつも上官になじられてからかわれて、親切にしても騙されて裏切られて。素直で親切な性格が空回りしてしまう――――いつも損ばかりしていた。
そんな時出会ったのが、当時軍で評判になっていた美少女、シャルロッテ。
当時シャルロッテは趣味で賭けストリートファイトをやっていて、軍人相手に勝ち越して大儲けをしていた(サイラス主催)。超美人で誰も勝てない女がいると、当時は軍内の噂を風靡していた。
駐屯地の近くの酒場で、シャルロッテが戦っているのを見た。その強さを目の当たりにして、彼女の美しさを見て、心を奪われた。しばらく経って、情けなくも酔っ払いに絡まれて殴られているファウストを助けたのが、シャルロッテだった。
「情けないわねー、あなた軍人でしょ?」
助けてもらった上に、ファイトマネーで酒までおごってもらった。
「でも、殴ったら相手はもっと怒るだろ? 俺が殴っても多少は痛いだろうし、誰だって痛いのは嫌じゃないか」
「でもあなたは痛い思いをするのね。相手の怒る気を挫く位、徹底的に殴ればいいじゃない」
「……君怖い事言うね」
「あなたこそ軍人のくせに変わってるわね」
第一印象はお互いに「変な人」だったと思う。それから見かけるとどちらともなく声をかけるようになって、約束をして会う様になって、告白する勇気が出せずにいたファウストに、シャルロッテが「私に告白しないの?」と迫って、頑張って交際を申し込んで、付き合うようになった。
周りにはからかわれていたけど、中には嫉妬の視線を向ける人もいた。
見て、シャルロッテ、今日も可愛い。
一緒にいるのは彼氏か?
なんか冴えない奴。
アイツならオレの方がいいだろ。
知ってるアイツ。軍の奴だけど超弱いんだよ。
ロッテに守ってもらってるんじゃねーの。
そんな中傷が聞こえてきて、落ち込むこともしばしばあった。その度に気付いたシャルロッテが言った。
「ファウストは私と他人と、どっちの言う事を信じる?」
「そりゃもちろん、ロッテだよ」
そう言葉を返すと、眩暈がするほど眩しい笑顔を向けたシャルロッテが、手を握って言った。
「じゃぁ信じて。私はファウストが大好きよ。一番大好きよ。あなたはとても素敵だわ。その辺の人なんかより何倍も素敵だわ。誰が何と言っても、家族思いで優しくて、そんなあなたが一番カッコいい。世界で一番愛してるわ」
そう言われる度に涙が出る程嬉しくて、恥ずかしくて、元気になった。やっかみの目で見られることは沢山あったけど、シャルロッテが心の支えだった。会うたびに好きになっていって、それを恐ろしく感じるほどに、愛した。
シャルロッテは厳しい事も言うし、冷たい事もあるし、高飛車で我儘で、正直ついて行くのは大変だ。だけどそんな奔放な彼女が大好きで、冴えなくて取り柄もない自分を一生懸命愛してくれるシャルロッテを、どうにかして喜ばせたかった。
お金はあまりなかったから、出来る事をたくさんした。一生懸命お店を探してあちこち連れ出して、手を繋いだ、マフラーを貸してあげた、たくさん話して、髪を撫でて抱きしめてキスをした。シャルロッテが喜んで、笑ってくれることは何でもした。
シャルロッテに相応しい自分であろうと、シャルロッテの前では勿論仕事だって頑張った。シャルロッテもそれが分からない女ではなかったから、彼の支えになれるよう努めた。あの頃はお互いに、お互いの愛に報いようと、ひたすらに慈しんだ。
だから、護衛艦の仕事に赴くことになった時決めた。
結婚しよう。
シャルロッテを幸せにしよう。
きっと自分にしかできないから。
きっと喜んでくれる――――そう、思っていたのに。
シャルロッテ、泣いているだろうか。
今どうしているだろうか。
裏切ったと怒っているだろうか。
でも大丈夫、シャルロッテは美人だし優しい人だから、俺じゃなくても幸せにしてくれる人が現れる。
勝手にそう決めつけて、裏切った。
互いに真心と愛情を、ひたすら注ぎ合っていたあの素晴らしき日々は――――もう取り返すことはできない。
70年経った今でも、シャルロッテは相変わらず美しい。愛想笑いではない、優しい笑顔をクレメンス16世に向けている。
「私は今でもファウストを、あなただけを愛してるわ」
シャルロッテが言った。しわくちゃのおじいちゃんになってしまっても、もう死ぬと知ってしまっても、彼が彼であることに変わりはないから。その深い愛をクレメンス16世も知っていたから、正直に言った。
「私も君だけを、愛していたよ」
正直に言ってシャルロッテを傷付けやしないかと心配にはなったが、今でも愛していると言ってしまったら、死んでしまった後より悲しみを深めることになる。それをシャルロッテもわかっていたのか、悲しそうにはしたが笑った。
「過去形ね」
「そうだね」
「私とあなたは結ばれない運命だったのね」
シャルロッテは吸血鬼で、クレメンス16世は教皇で、シャルロッテはこれからもずっと生きていくけど、クレメンス16世はもうすぐ死んでしまう。
「そうかも、しれないね」
「悲しい?」
「あぁ、とても。君は?」
「泣きたいけど、今はまだ」
「いつまで我慢するんだい?」
「私70年泣いてないのよ。あなたが死んだ日から」
「その内私はまた死んでしまうよ、今度こそ」
「その時に泣くから、その時まで取っておくわ」
「すまないね……ロッテ」
「本当よ、これだから人間は嫌なのよ、死ぬから」
クレメンス16世は思わず苦笑した。
後にも先にもシャルロッテを泣かせてしまうのは彼くらいで、これほど愛せたのも彼くらいで。彼の性格からして、聖職と言うのは天職に他ならなかったが、いつの間にやら教皇にまでなってしまっている。
「お嬢様の男を見る目は、一流です」
シャルロッテが少し誇らしそうに笑って「超一流よ」と言った。少し苦笑しながらも「クレメンス16世も、超一流ですよ」と言うと、クレメンス16世も嬉しそうに「そうだろう」と笑った。
「ファウストの女を見る目だ・け・は! 評価してやる」
一方のサイラスはものすごく不機嫌に「だけ」を強調して言うので、死刑執行人たちは「ジェラシー燃え盛りすぎッスよ」と苦笑した。一方シャルロッテの目にサイラスは、アウトオブ眼中である。
「私、本当はファウストと結婚したかったわ」
「私も、あの仕事が終わったら君にプロポーズしようと思っていたんだ」
「うふふ、多分そうなんじゃないかと思っていたの」
ふわふわした雰囲気をぶち壊すべく、早速サイラスが水を差す。
「小僧なぞ絶対許さんぞ!」
「実現してないんだからいいじゃないか……」
「……あぁ、そうだな。ではさっさと死ね。なんなら私が直々に殺してやっても構わんぞ」
「遠慮するよ。本当にサイラスは私に厳しいな」
「お父様酷いわ……」
確かに、と周りも内心思ったが、それを言うと余計にサイラスを怒らせそうなので黙る。
「ダメよ、ファウストは病気で死ななきゃいけないの。病気で、沢山の人に偲ばれて、悼まれて死んでいくの。それがあなたに相応しい死に方よ。それ以外の死因は許さないから、あなたは私が守るわ」
周りにはわからなくても、サイラスとクララ、クレメンス16世にはわかった。未だにシャルロッテが愛していることはわかるから、だからクレメンス16世の2度目の死を受け入れることが、どれほどの悲しみなのか。本当は彼を若返らせて吸血鬼にすることだって可能なのに、それを一言も打診したりはしない。愛し合ってはいたけれど、70年も聖職を務めてきた、その経歴と誇りを汚すような真似を、彼に選択させようとはしない。悲しみを押し殺して、傍にいたいなんて我儘も言わないで、ただひたすらに優しい死を提供しようとする。彼が目指した物を、彼が彼であることを破壊しようとはしない。それが愛の引き起こすものだという事を思い知った。依存や信仰などの「偽物」を愛だと誤解しているような人間とは違う、シャルロッテの誇り高く深い、本物の愛情に感服せずにはいられない。
「ありがとう」
クレメンス16世は感涙を止めはしなかった。
冥土の土産、これ以上は何もいらない。この一つだけで構わない、それほどの物を餞に貰った。世界中の人が喪に服し、涙に暮れるだろう。そんな他人の涙も今の地位も、それらすべてを捨てても有り余る。
「ありがとう、愛してくれて、ありがとう」
涙を流すクレメンス16世にシャルロッテは優しく笑って、握った手にキスをした。
そのそばではクララが嗚咽を漏らしてグスグスと泣いている。それに苦笑した。
「もう、クララは泣き過ぎよ」
あやすように頭を撫でると、号泣しながらクララが言った。
「だっで、お嬢様が泣かないから」
本当は泣いてしまいたいくせに。
「お嬢様が泣かないから、代わりに私が泣くんですぅぅ」
シャルロッテは思わず苦笑してしまって、だけどクララのそんな真心はとても嬉しかった。
「クララは本当に可愛いわねぇ。優しいわねぇ」
と頭を撫でると、隣にいたクリストフが「お嬢に似たんだろ」とクララの涙を拭った。
見舞い客用の控室は、大病院らしく真っ白で清潔に整えられていて、しかもその辺の家のリビングより広い。そこに教皇以外の全員で腰かけて話し合いだ。時間はもう既に深夜だったので、教皇にはお休みいただく事にし、事件に対する作戦を話すことにした。というより、サイラスがアマデウスを脱獄させた理由なども話していなかったし、ヴァチカン側の協力は必須だ。一先ずアマデウスの処分の件に関しては、事件解決まで保留とクレメンス16世がはっきり言った。それでようやくアドルフたちも安心したらしく、本当に申し訳なさそうにして、アドルフがカメルレンゴに頭を下げた。
「カメルレンゴには本当に、ウソを吐いて申し訳ありません。ですがカメルレンゴと教皇聖下をお守りするには、こちらで一緒にいてもらった方が守りやすいですし、聖下にも一緒にお話を聞いていただきたいと……」
重要参考人であるアマデウスの身柄を奪取し、更に教皇を人質に取ったと脅せば当然病院に大集合する。狙いは効率的な護衛だった。あの状況でアドルフたちがどれほど説得しても、素直に信用しようとしないだろうと考えての事だ(それにしても無茶だが)。
カメルレンゴとバーデンは顔を合わせて深い溜息を吐いた。
「聖下の方はご心配には及びません。事件中は私と警察、病院関係者以外は面会謝絶ですし、警察のメンバーには最近異動はありませんから全員を把握しています。スイスとの国交に支障をきたすわけにも参りませんし」
バーデンも頷いた。
「ええ。我々は全員がスイスからの傭兵ですから、我々の方で何か問題があったとすれば、それは外交問題にまで発展してしまうでしょう。それだけは避けなければなりませんし、命を賭してでも教皇聖下はお守りせねばなりません」
警察には警察の都合と面子と言う物があり、その為に通常の警察以上の使命感を持っている。そして、強い使命感と責任感を持っているのは、カメルレンゴも同じだった。
「あなた方の言いたいことはわかりますが、現時点では事実上教皇庁の責任者は私です。私はあちらでやらなければならないことが山ほどありますし、この非常事態でただ守られて怯えていろと言うのなら願い下げです。それはまるでテロに屈するようではありませんか。私は教皇庁に戻りますよ」
カメルレンゴの都合もあるし、なにより見上げた男だ、と思う。屈したくはない――――それはカメルレンゴのプライドもあるだろうし、信教への信仰もあるのだろう。
「ねぇ、じゃぁこうしましょ? あなたは教皇庁に戻って、直属に入ったアディ達がその補佐と同時に護衛をするわ。それならいい?」
「私の仕事の邪魔をしないのであれば、許可しても構いません」
許可が下りたことに一応安堵していると、カメルレンゴが顎に手をついてシャルロッテを見た。
「しかし、本当にカンナヴァーロ課長とガリバルディ課長……エゼキエーレ枢機卿が内通者なのですか? なにか証拠が?」
頷いた。
「私がアディに話した段階では、証拠はなくただの推論だったけど。証言が出てきたから確定的よ」
えっ、と全員がシャルロッテを見た。
「おい、証言て誰から?」
覗き込んだアドルフにニッコリ笑った。
「エゼキエーレ枢機卿よ」
「ハァァァ!? ちょっと待て! さっき殺されてただろ!」
「死ぬ前に聞いたのよ。死んだのは可笑しかったわね。やっぱりねって感じ」
「イヤ可笑しくない! つかどうやって聞いたんだよ!」
会議中は勿論、会議が終わってからもシャルロッテとアドルフはずっと一緒にいたのだ。離れていたのはローマからヴァチカンに戻る10分程度で、その間にエゼキエーレを訊問して、更に殺されてしまったなんて考えられない。が、はっとした顔をしてアドルフはサイラスを見た。
「……旦那ですか」
「まぁな。言っておくが殺したのは私ではないぞ」
「まぁ、旦那が銃使うはずないしわかりますけど」
吸血鬼であることに誇りを持っている男が、人間の武器など使う筈がない。サイラスが犯人じゃないことに一応の安堵はしたが、その状況を聞いてみると、やっぱり全員が驚きと共に悶絶した。
シャルロッテからテレパシーで話を聞いて、そろそろパパも参戦しようとやってきた教皇庁。真っ先にエゼキエーレ枢機卿の元へ特攻をかける。当然のごとく瞬間移動で部屋に現れて、エゼキエーレを魔術で押さえつけて更に犬で威嚇する。
「内通者は貴様だな。目的は使徒座か? さぁ、素直に吐く事だ。殺されたくなければな」
「な、なにを! 貴様化け物のくせに、この私に言いがかりをつけるというのか!」
「この際化物かどうかなど関係なかろう。まぁお前が吐かなくともよいぞ。そうだな」
もったいぶって、やっぱりサイラスはニヤニヤ笑う。
「あの中性的なコールボーイ、彼との密事でもばらしてやろうか」
ゲイ専門派遣サービス「エンジェルプレイス」をよろしく。カトリックではよくあることだ。
「わっ、私は何も知らないぞ! そんな少年も知らない!」
「私は一言も少年だとは言っていないがなぁ」
サイラスは本当はその少年の事など何も知らない。ちょっとカマをかけてみたらまんまと引っかかった。引っかかったエゼキエーレが悪いのだ。
サイラスはニヤニヤが止まらない。反してエゼキエーレは冷や汗が止まらない。
「彼の方は金を握らせたらあっさり認めたぞ? 司教枢機卿である貴様が少年趣味の男色好きなどとばらされたら、お前は使徒座どころか更迭だろうな。どの道お前は出世できんぞ」
たじろぐエゼキエーレを見据えて、少し語調を弱めて言った。
「なに、悪いようにはしない。素直に私に白状すれば、お前に火の粉が降りかからぬよう取り計らってやろうと言っているのだ。なにせ私は化け物だからな。何なら私が悪役になってやっても構わんのだぞ。さぁ、どうする?」
化け物の脅威を目の前にちらつかせて、脅迫と甘言が繰り返されて、とうとうエゼキエーレは屈した。
教皇庁に潜入したテロリストは5人。やはりカンナヴァーロとガリバルディは内通している。目的は選挙の延期とカメルレンゴとフォンダート枢機卿の殺害、“神罰地上代行”の全権及びアマデウスの排除。テロリストの目的は、観光客と教皇庁の人員を人身御供に使っての悪魔の降霊。正直テロリストの目的などエゼキエーレにはどうでもよく、体よく利用した後は“神罰地上代行”を使って組織を壊滅させ、その手柄をものにしようと目論んでいた。
「なるほどな。おおむね予想道理だったが、それだけでは完璧とは言えんな」
頭を抱えながら俯くエゼキエーレにニヤリと笑って言った。
「どうせなら私の方で大統領でも殺してやろう。イタリア政府には友人がいるから、それも容易い。テロ組織にも私の手の物を送り込み、組織の動向を内部から操作してやろう。それで奴らを裏切って混乱させれば、組織の壊滅は決定的だ。組織の上層を暗殺すれば、貴様の事も露呈せずに済むであろうからな。どうだ?」
それはエゼキエーレにしてみれば眉唾物の提案で、聊か迷っていたようだが「そうして欲しい」と言った。
「では、もう少し情報が欲しい。そのテロリストたちをこの部屋に呼べ。奴らから情報を引き出し殺した後、私の部下に奴らに成り代わってもらうとしよう」
「おぉ、それはいい。そうしよう」
そうしてテロリストがやってくる。部屋に入った途端に薄汚い笑いを浮かべるテロリストが5人、エゼキエーレの傍に立つサイラスを見て訝しんだ。
「エゼキエーレさん、そいつはなんだい?」
「喜びたまえ、彼は人間ではない。化け物だ」
途端にテロリストたちは喜んだ。
「ほう! そいつぁいい!」
「アンタもヴァチカンぶっ潰しに来たのかい?」
「まぁ似たようなものだ。ところでお前達、情報を寄越せ」
ニヤニヤと笑っていた口元が、ぐぱっと裂けていく。その亀裂は顎関節を超え喉を過ぎ、腹までもに到達していく。大きく口を開けた異形の化け物が一気呵成にテロリストに襲い掛かり、裂けた口元から覗く鋭い牙が二人を捕えて離さない。阿鼻叫喚すらも噛み砕き、人二人を丸呑みしたサイラスは、口元に滴る血を拭いもせずに瞑目した。
「あぁ……なるほどな、そうか。わかった。情報の提供に感謝する」
「ひっ、ひぃぃぃ!」
「なんで、なぜだ、ドアが開かない!」
エゼキエーレは腰を抜かしてガタガタと震え、テロリストたちは逃げ出そうとドアに向かったが、ドアノブが空回りするばかりで彼らを逃がさない。その背後に忍び寄ると、残された3人は震えて涙を流しながら、サイラスに発砲した。が、銃など効くはずがない。銃弾が命中した場所を埃を払う様にはたいて、サイラスが笑った。
「あぁ、お前らは生かしておいてやる。良い事を教えてやろう。私はお前らの味方ではないし、ましてやヴァチカンに味方する理由はない。私がここにいるのは、単なる暇潰しだ。エゼキエーレ、あの男はな、お前らの勢力を散々に利用してしゃぶりつくした後、貴様ら全員一網打尽にして手柄を独占する気でいるのだ。当然貴様らも利用した後は殺す気だ。私としてはそれも非常に面白いが、私にはそんな事に興味はない。だが、ただ利用されるだけの犬に堕ちた貴様らは、実に憐れなものだな。お前らを殺せと言ったのは、エゼキエーレだ。私の一存ではない」
3人のテロリストに、恐怖と同時に戸惑いと怒りの色が窺えたことを確認して、教皇庁から姿を消した。
話を聞いて、真っ先にアマデウスが叫んだ。
「エゼキエーレ枢機卿が死んだの、兄様のせいじゃないか!」
「私はなーんにもしてはおらんぞ」
「いや旦那のせいでしょ!」
「最悪!」
「マジ旦那性格悪っ!」
「黙れ。おかげで邪魔者を排除できたことだし、テロリストの目的も作戦も勢力もすべての情報が手に入ったのだ。私は感謝されてもいいはずなのだがな。おかしいな」
「おかしいのはアンタだよ!」
「限度! 旦那、限度って言葉知ってますか!」
「私の辞書にそんな言葉はない」
男達は漏れなく「Jesus Kleist!」と頭を抱えていたが、シャルロッテはその様子がおかしかったので一人笑った。
「まぁいいじゃない。そんなことより……」
「そんな事で済ましてんじゃねーよ! この真性鬼畜親子!」
「まぁ素敵な響き」
「褒めてねーよバカ!」
「アディはうるさいわねー。それよりお父様、テロリストの事を話してください」
アドルフはまだギャーギャーうるさかったが、シャルロッテもサイラスも完全無視を決め込んだ。
「具体的な作戦はどう言う物だ?」
普通のキリスト教徒レベルのアドルフたちは未だにうるさいが、カトリック原理主義の筆頭とも呼べるカメルレンゴは「テロリストの殺害などどうでもいい」と言わんばかりに会話に参戦してきた(異教徒は死んでヨシが原理主義のスローガン。新約聖書にも似たような事が書いてある)。
カメルレンゴの質問には、笑ったサイラスが両手を開いて答えた。
「アマデウスを攫ったのはご愛嬌だ」
「ご愛嬌とはなんだ!」
やっぱり怒らせた。
「うるさい。話が進まんではないか」
と言われたので、人間の方が我慢して黙って聞くことにした。




