2 主題と変奏
「はぁ、もう……」
ひたすら溜息を零すクララ。
「この部屋はカビ臭いわね。お尻が汚れてしまうわ」
不貞腐れるシャルロッテ。
「なんで俺まで……」
処遇に打ちひしがれる人間男性。
サイラスは別の所に連れて行かれた。この3人は現在、新天地の地下牢に絶賛幽閉中である。少し離れて座り込み項垂れていた男性が顔を上げると、悔しげに顔を歪めてシャルロッテを睨んだ。
「テメーのせいだぞこの吸血女! こっから出たら覚えとけよ! 絶対ブッ殺してやる!」
鼻で笑った。
「ハン、エクソシストだか何だか知らないけらど、人間風情が何を言うのかしら。噛み殺すわよ」
「お嬢様に向かってなんて口のきき方を! あなたそれでも聖職者ですか!」
「うるせぇ! ガキは黙ってろ! 売春宿に売り飛ばすぞ!」
とても聖職者とは思えない暴言である。クララは怒りを通り越して呆れたらしく、深く溜息を吐いてシャルロッテを見上げた。
「あり得ないんですけどこのクソガキ」
「本当よねー。ヴァチカンってどんな教育するのかしら。これが聖職者でしかも司教なんてあり得ないわ」
「ですよねー。世界最大の宗教の教義も、たかが知れてるって言うのがよくわかりました」
「テメーら好き勝手言ってんじゃねーぞコラ! 本来ならお前らとっくに蜂の巣にしてんだよバケモンが!」
ついには失笑した。
「聞いた? 自称エリート君たら、強がり言っちゃって」
「自分だって捕まってるくせに何言ってるんでしょうね」
二人で嘲笑すると怒ったらしいエリート君が殴り掛かってきたが、それを容易く受け流して壁際に押し飛ばすと、「うっ」と呻きを上げて煉瓦の壁に衝突した。その様子を見て
「弱いわね」
「エリート君、口ほどにもないですね」
と、再び嘲笑すると、エリート君は更に悔しそうに歯噛みしていた。
結局また3人でわあわあと口論をすることになった地下牢は、深夜だというのに非常に賑やかである。そもそもなぜこんなことになったのか――――
――――イタリア共和国。イタリア半島およびその付け根に当たる部分と、地中海に浮かぶサルデーニャ島、シチリア島からなる。首都はローマ。キリスト教の聖地であるローマには毎年数十万人もの人が足を運ぶ。
ローマ市内には世界最小の主権国家ヴァチカン市国があり、教皇が治めるキリスト教の総本山である。スペインに上陸後フランスを経由しイタリアに入国、シャルロッテ達はフィレンツェへ向かった。
「それにしてもフィレンツェは綺麗な町ねー」
感嘆の声を漏らしながら眺める、花の女神フローラの名を冠した町フィレンツェ。神聖ローマ帝国の支配下に置かれてから何度も君主が変わり、数々の戦争を体験した町。それでいて文化や芸術の発達は秀逸で、大聖堂や美術館が数多く存在し、かの有名なレオナルド・ダ・ヴィンチや、ラファエロ、ミケランジェロを輩出し、ルネサンス芸術に大輪の花を咲かせた文化の都は、アメリカの街並みと大違いだ。
極彩トワイライト北イタリア支部、それはフィレンツェ郊外の森の中にあった。町から外れて不便だが、吸血鬼達にはちょうどいい距離感とも言えなくもない。門のアーチをくぐると、整備されていない荒れた庭園が見える。庭園の端には池もあったりして中々の景観で、整備したらかなり素敵なお庭になりそうだった。広い庭園を抜けてお城の前に到着して見上げる。
古い石灰質の石造りの城は近くまで行くととても大きかった。広大な庭園に石灰質の真っ白な古城はとても綺麗で、手入れをされていないせいか、白い壁にアイビーが伝っている。今現在住んでいるのは夫婦者の2人だけで、人間だった頃も放浪癖があったらしく、家を手入れする習慣がないらしい。
「あの夫婦は元々盗賊だったからな」
「ボニー&クライドみたいですね」
「似たようなものだ。だが気のいい奴らだぞ」
コロコロとスーツケースの様に棺を引きずり、3人で城の玄関の前に立つ。呼ぶ子を引くと現れたのが、今現在地下牢仲間となっているエリート君、その人だった。
スーツを着て慇懃に礼を取った彼が、明らかな営業スマイルでお出迎えをした。
「ようこそ。サイラス・ジェズアルド・ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ルートヴィヒスブルク・バッハ様。主人が大変楽しみにお待ちしておりました」
彼に会うのはサイラスも初めてだったようで、「君は?」と尋ねた。
「私はアドルフ・リストと申します。少し前からこちらでお世話になっております」
その返答と物腰の柔らかい挨拶に安堵したサイラスは、自己紹介に笑顔で返した。
「そうか。ジョヴァンニは元気か?」
「ええ」
そうしてまんまと騙され城に入り、居間に通されるとアドルフの様な男性が数名いた。見ると全員金髪でピシッとスーツを着こなしている。その立ち居振る舞いは一流ホテルマンと遜色なかったが、サイラスならともかく、とても生前強盗だった夫妻が傍に置くようには思えなかった。
ソファに座らされて、アドルフは「主人」を呼びに行った。少しすると階段を下りてきたのは、黒いガウンを身にまとった男性が一人、何やら書類を読みながら降りて来るので、顔は見えない。その男性が書類を読み上げだした。
「娘と侍女を一人連れて来るのでよろしく。サイラス・ジェズアルド・ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ルートヴィヒスブルク・バッハ……なぜ?」
ようやく男性は、サイラスが蝙蝠コウモリに運ばせたらしい手紙を顔の前から退けた。黒髪に緑色の目をして、とても優美な顔立ちをしていた。その男性の顔を見て、サイラスが顔色を変え立ち上がった。
「お前!」
「なぜあなたが、この名を使っている? あなたにはその資格はないはずだけど?」
サイラスの昔からの知り合いなのはわかったが、会いたかった人物でない事もわかった。サイラスの知り合いなら人間などであるはずがない、だが恐らく敵なのだろうと察知し、剣を引き出そうとした瞬間、アドルフが号令をかけた。
「クリス!」
号令がかかった瞬間、一人の男性がシャルロッテ達の座るソファの周囲にナイフを投げた。それは真円を描いて突き刺さり、その瞬間にシャルロッテ達の周りに鳥籠が出現した。
「これは……」
「結界!?」
シャルロッテ達も立ち上がりクララが鳥籠に手を伸ばすと、触れた部分から青い炎が上がって接触を拒絶する。驚いて声を上げたクララを抱きとめて、その様子を眺めてクスクスと笑う黒髪の男性に視線をやった。
「お前、その眼は」
サイラスの言う、彼の緑色の目。
「ノスフェラートに吸血鬼化されたか」
「そうだよ、兄様」
「えっ兄様?」
驚いてサイラスを見上げると、小さく嘆息した。
「弟だ、人間だった頃の」
「本当ですか? お父様にご兄弟がいらっしゃったなんて」
再び驚いて、弟だという男性に向き直った。
「叔父様はじめまして。 サイラスの娘、シャルロッテ・プリンツェシン・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ルートヴィヒスブルク・バッハと申します。以後よしなに」
自己紹介をして、きちんと礼を取って挨拶をする。勿論100%スマイルでだ。コミュニケーションは心地よい挨拶からが基本だと、サイラスに言われたとおりに感じ良く。
「えっ? あ、うん」
突然の自己紹介に戸惑う叔父。そんな様子は無視する。
「叔父様、お名前をお伺いしても?」
「え? あ、アマデウス・ジェズアルド・ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ルートヴィヒスブルク・バッハ、だけど」
「アマデウス叔父様ですね。この子はクララ・ヴィークリンゲンです。私の事はロッテ、この子はクララとお呼びください」
「え? う、うん」
やはりアマデウスは戸惑いながら、隣に立っていたアドルフに振り返る。
「なんか、姪っ子が天然みたいなんだけど、どうしよう」
「折角の殺伐とした雰囲気が台無しですね」
「なんかやりづらいな……どんな教育したんだ兄様」
この二人にも呆れたような視線を投げかけられたが、どう言う訳かサイラスも同じような目をしてシャルロッテを見下ろしている。当然クララもだ。
「えっなに。私なにか間違えましたか?」
自己紹介は大事だ。ただタイミングも大事だ。サイラスは諦めたらしく、このやり取りを無かったことにした。
「……ところでアマデウス。これは一体どういう事だ。どういうつもりだ?」
気を取り直してソファに再び腰かけたサイラスの態度は流石だ。だがさすがのサイラスにも、よもや引っ越し先で弟に会いまみえるとは予想だに出来なかったし、しかもこの様子では明らかに城を占拠されている。ここに住んでいたはずの夫妻の動向も非常に気になる上に、吸血鬼であるはずのアマデウス、その部下がサイラスの様に高位の魔物を封じる事が出来る技術を有した者であることも、とにかく何もかも合点がいかなかった。
サイラス様様でようやく殺伐とした雰囲気を取り戻したことに安堵したのか、アマデウスは対面のソファに腰かけ、その背後にアドルフが控え、周囲に黒服の一団が整列する。
くすり、とアマデウスが笑った。
「別に? ただ単に、兄様が飛んで火にいる夏の虫だった、それだけだよ」
「は?」
少し愉快そうにするアマデウスの説明によると、こういうことだ。
アマデウスは現在、利害関係の一致もあって教皇庁に身を置く聖職者だ。吸血鬼の能力を以てして魔物を狩る、エクソシスト集団の指揮者。世界各国を飛び回るエクソシストの元締めであり、側近であり精鋭部隊の隊長であるアドルフを筆頭とした精鋭たちが、ハイレベルな化け物狩りに駆り出される。
イタリアは仮にも聖地なので、化け物の存在など許されるはずがない。この辺りで時折発生した怪異を聞きつけて、化け物狩りにやってきた。勿論目当てはここに住んでいた夫妻だったのだが、彼らがやって来た時すでにこの城には誰もいなかった。引っ越したのかはたまた危機を感じて逃げ出したのかは定かではないが、とにかく不発に終わってしまったことを嘆いていた、その時。
「蝙蝠が窓から手紙を投げ入れてきた。それで開けてみたら兄様が来るとか書いてるから、これはもう待機するしかないと思ってさ」
正しく飛んで火にいる夏の虫である。話を聞いたサイラスはショックを隠し切れないようだったが、怒りの矛先は人知れず脱走した夫妻に向けられる。
「あいつらぁぁぁ……!」
いつでも遊びに来いヨ、300年はいるからナッ!
そう言っていた眩しい笑顔が憎らしい。
当てが外れるどころか天敵に捕まってしまうとは羞恥の極みだ。しかも天敵のボスの座に腰を据えるのは、にっくき弟。静かに怒気を孕んだ空気を纏い始めたサイラスに、アマデウスは微笑みかける。
「ねぇ兄様ぁ、僕を恨んでる?」
まるで媚びるような笑顔をした。が、お返しとばかりにサイラスは不遜に笑った。
「ふん、相変わらず下卑た笑い方をするものだ。今でもそうやって、男に媚びて股を開いているのか?」
鬼の首を取ったかのようなサイラスに反して、アマデウスは顔をひきつらせた。
「何でそれ今ここで言うかな。最悪」
最悪なことに背後では、部下たちがひそひそと話し始める。
「マジ? 猊下マジ?」
「BL?」
「アッチも開発済み?」
「つーか猊下って実は男の方が好きなの?」
「えっうそどうしよう。俺そこまで猊下の期待に応えらんない」
「俺も」
「俺も」
ついに堪忍袋の緒が切れたらしいアマデウスが振り向いて怒鳴りつけると、途端に部下はしおらしくなって謝罪し始める。が、アドルフは一人だけニコニコと笑っているので、アマデウスは不審に思った。
「いやお前何笑ってんの」
「感心しておりました。前立腺まで開発する、猊下のあくなき探究心は尊敬に……」
「しなくていいよそんな所は! ていうか好きでやってたんじゃないよ! 時代背景!」
「ハハハ、猊下、必死ですね」
「そりゃね!」
憤慨してこちらに向き直ったアマデウスだったが、サイラス親子は声を殺して爆笑した。アドルフの加勢もあってか、予想以上に楽しめて満足だ。
「まぁまぁ叔父様、愛の形は人それぞれですから、私はイイと思いますよ」
「違うつってんじゃん!」
「だが私のケツは貸さんぞ」
「いらないよ! なんなんだ! マジ腹立つこの親子!」
黒歴史を暴露されたうえに、それをネタに笑われる――――実に気の毒ではあるが、サイラスが恨む理由はそれなりには存在する。むしろこの程度で済めば可愛いものだ――――が。
「弟に裏切られ追い落とされ国を追われ、挙句の果てに僕の手ずから処刑されたのがそーんなに気に入らないんだぁ?」
不貞腐れたアマデウスがそう言ったが、その通りだ。しかしそれはそれでサイラスにしてみれば、暴露されることが気に入らなかった。
「そんなの兄様が無能だっただけでしょー。勝てば官軍」
これを言われたくなかった。
「よく言う物だ。あの時は自国も同盟国も裏切ってイスラム教徒に迎合したくせに、今はカトリックの枢機卿? お前は本当に節操がないな」
精一杯の反撃にアマデウスは鼻で笑った。
「なんとでも言えばぁ。今回もまた嵌められて捕まってる兄様が言っても説得力ないしぃ」
仰るとおりである。再び適度に空気がギスギスしてきたところで、シャルロッテが口を挟んだ。
「じゃぁお父様、ずっと叔父様を恨んでたんですか?」
サイラスは嘆息する。
「恨んだと言えば恨んだが、もう600年以上前の話だ。会わなければその内忘れていた」
実際忘れていた。が、再び会ってみればやはり憎らしい弟だ。600年前に味わった悔しさを再体験させられる羽目になった。サイラスの様子を見て、アマデウスの表情は愉悦に歪む。
「忘れたって嘘ばっかり。忘れられないでしょ、固執してたんでしょ? だから国王の名前を今でも名乗ってる」
「馬鹿者、そこはまた別問題だ。600年だぞ、人間の――――お前の血統も私の血統も既に断絶しているし、最早国もなくなった。よもやお前が吸血鬼化して生きているとは思わなかったからな。一々蒸し返すな」
「えっらそー。捕まってるくせに」
憎々しげに睨むサイラスに、アマデウスはそう言って笑う。深く溜息を吐いたサイラスが、冷たく睥睨して立ち上った。
「驕るなよ」
サイラスが鳥籠に手を伸ばすと、クララが触れた時のように青い炎が上がる。それにも構わずに籠の骨組みに手をかけると、炎はサイラスの腕を駆け上ったが、それは自然と鎮火した。
「わざわざ大人しく捕まってやっているのだ」
掴んだ柵が、ばきんッと根元から手折られる。2つ、3つと柵が折れる頃には、人一人通れるくらいには隙が出来た。
「たかが結界で、この私を制御できる物か。たかだかノスフェラートの血族のお前では、真祖である私の足元にも及ばんと、わからんのか」
その隙を通り抜け炎に包まれて、サイラスは結界を脱し鳥籠の外に歩み出る。それを見てアマデウスは顔色を変え、部下たちはサイラスに向かって一斉に銃口を向けた。その様にサイラスは、不遜に笑う。
「エクソシストか、それなりに訓練も受けていような。その銃弾は銀か? いいだろう、撃ちたければ撃つがいい。しかし、お前らの所持している弾数くらいでは、私は死なんぞ」
おもむろにサイラスが掌を差し出すと、不意に掌に亀裂が入る。そこから流れた血はゴポリと音を立て姿を変え、赤黒い3つの大きな物体が、唸りを上げてサイラスの背後からエクソシストたちを威嚇する。
「犬の餌になるか、謝罪するか選択させてやろう」
サイラスの使い魔である3匹の黒犬“バスカヴィル”が獰猛に唸りを上げる。背後からシャルロッテが顔を覗かせた。
「叔父様、謝った方がいいですよ。今ならお父様許してくれますから」
シャルロッテの言葉を聞いて、驚いた顔を浮かべていたアマデウスは途端に眉を下げた。
「あっじゃぁごめんね兄様」
途端に手のひらを返したアマデウスに、敵味方入り乱れて「切り替え早っ」と呆れた。
「僕的処世術だよ。ホラみんなも銃下してー」
「ハーイ」
部下たちは素直に銃をしまう。どこか安堵しているようにも見える。即座に命令が下って、結界も解かれた。結界が解かれたことに安堵して立ち上り、シャルロッテもまた掌から剣を取り出した。刀身が紅く、アラベスク模様の装飾が刀身全体彫られ、細身で刃渡りが90cmほどの剣、ダーインスレイヴを握り、サイラスの隣に立って見上げた。
「じゃぁお父様、解放されたことだしコイツら殺しちゃいましょっかー」
「え、ちょ、ロッテ? ここは和解って流れじゃないの?」
待ったをかけるアマデウスに首を傾げた。
「どうしてですか? 折角出られたのに、敵は殺すものですよ?」
「僕謝ったじゃん!」
「謝ったかどうか関係ありますか?」
サイラスを見上げて尋ねると、可笑しそうに笑っている。
「私を侮辱したことに対する謝罪は聞いたが、それ以外には聞いていないし反省もしていない様だしな」
「ですよねー。クララ火傷したしね」
「痛かったです……」
クララが涙目で訴えると、幼気な少女(見た目のみ)を泣かせたことにさすがにアマデウスも良心が痛んだのか、「わかったよ謝るから!」と、とうとうソファから降りて床に膝をつき「ごめんなさい」と謝罪した。
それを見て満足したように笑うサイラスを見上げた。
「じゃぁ謝罪も聞けたところでお父様」
「うん?」
「殺しましょうか」
「鬼か君はぁぁぁ!」
今度はアマデウスが涙目になって訴えた。
「あはは、いやですわ。冗談じゃないですかぁ。クララが見いる前でそんなことしませんよぉ」
「そりゃまるで、クララが見てなかったらやるって言ってるみたいだね」
「そりゃそうですよぉ」
「そーなの!? 君意外と狂暴だね!?」
「普通ですよぉ、化け物なのですから。叔父様が人間社会に慣れ過ぎなんですよ」
人間と共に人間の常識と共に暮らすアマデウス、かたや化け物街道まっしぐらなシャルロッテ達。価値観の違いは当然だ。軒先のポストを叩き落とす悪戯っ子の気分で、人の首を落とす。それが化け物だ。
「やっぱ本物は違うなー」
「イカレてんな」
「怖えぇ」
可愛いふりしてあの子、割とやるもんだね、とアマデウスの部下たちは再び与太話だ。それを見ているとなんだかお腹に違和感を感じたので、ソファに腰かけてアドルフに声をかけた。
「ねぇちょっとそこのボク、私お腹空いたの。血あるでしょ? 持ってきて」
「誰がボク……」
「君。ホラ早く動く。それとも君が食料になってくれるの?」
どうも機嫌を悪くしたらしいが、怯んだらしいアマデウスが振り向いた。
「アディ、持ってきてやって。兄様とクララの分も」
「チッ」
「舌打ちすんなバカ」
上司の命令に舌打ちで返答したアドルフは、居間から出て行き少しするとグラスに血を入れて持ってきた。それを見て再び嘆息する。
「なに? グラス1杯? デキャンタで持ってきなさいよ」
船旅で多少我慢を強いられていたうえに、シャルロッテ達の摂取量は一度の食事で人一人分だ。毎日血を飲むわけではないが、とてもではないがコップ一杯では足りない。
そんなに飲むのか、とアマデウス達は引いていたが知ったことではない。
「お腹空いちゃうとボク達食べちゃうわよ、さっさと持ってきていただけるかしら」
一応グラスをテーブルに置いたアドルフは腹が立ったようで軽くシャルロッテを睨み、アマデウスに視線を移すと「言う通りにしろ」と視線で命令が下ったようで、再び舌打ちをして出ていく。その背中を睨みながら腕組みをした。
「あの子態度悪い。目つきも悪い」
つい文句を言うと、アマデウスが苦笑した。
「加えて性格も口も悪い鬼畜野郎だよ。難儀で面倒くさい奴」
「なんでそんな人が聖職者なんですか」
「僕が拾ったから。アイツに関しては教育間違えたって心底反省してんだけど、いかんせんそれ以外がダントツで優秀だから、余計に腹立つんだよね」
周りの黒服たちも頷く。
「そうそう、課長はガキの頃から何やらせても一番」
「頭いいし銃の腕前は一級品。要領良いんだろうなー」
「更に外面の演技力は俳優レベルなもんだから、実績買われてあの歳で司教に大抜擢」
「しかも口が巧いからメチャクチャモテる」
なんだか色々と納得いかないが、格段に納得できない紹介に眉を顰めた。
「聖職者ってモテる必要ないわよね?」
「うん、無いけど課長はモテる」
一人が苦笑しながら言った。
「お嬢は気ィつけたほうがいいよー。アイツ女は金づるか排泄口だって豪語してる最低野郎だから」
「聖職者よね!? そう言うのダメなんじゃないの!?」
「アイツ自由人だからさぁ」
修道士は許されるが、司教や司祭は結婚が許されないという掟がある。その掟に対するアドルフの解釈はこうだ。
「ありゃ特定の女を作るなっつー意味だ」
誤解釈も甚だしいが、とにかく彼はそう言う男だ。
「まぁ精鋭のみんなは特例で多少の自由は許してるけどね、アディに関しては本当に反省してるんだよ……」
なぜかアマデウスが落ち込み始めた。余程の曲者なのはわかった。話しを聞いて引いていると、おもむろにサイラスが口を開いた。
「アマデウスの性格を考えると、お前の教育の成果が如実に表れたとしか思えんが」
「だから兄様、その話蒸し返さないでよ。僕それは忘れることにしてんだから」
時代背景とサイラスたちの話を加味した上で考えてみると、アマデウスは自分の美貌を駆使して権力者に取り入っていたのだろう。そう考えるとアドルフが最低野郎になるのも頷けると言う物だ。
「他のみんなは表面上普通なんだけどねぇ、アイツだけ失敗した」
「何を仰いますか、私ほど優秀な者は中々おりませんよ」
いつの間にやらアドルフが居間に舞い戻っていた。
「……お前のそう言うところを失敗したって言ってんの……お前ちょっとは謙遜とかしないの?」
「したら何か戴けるのでしょうか?」
デキャンタを置きながらアマデウスに振り返った顔は、とてもさわやかな営業スマイルだ。
「褒美がないとしないわけ?」
「そう言う訳ではありませんが、金持ちと権力者にはたかることにしているんです」
「……ムカつくなお前」
余程の曲者だという事は、よくわかった。
少々説明が長くなったが、3人が地下牢に幽閉されるに至った顛末は、ここからが本番だ。ようやく満足に食料に在りついたシャルロッテが、やはりアマデウスの背後に控えるアドルフを見上げた。
「ねぇねぇボク、アディだったかしら?」
何の気なしにそう呼ぶと、アドルフは眉根を寄せた。
「あぁ? 気安く呼ぶんじゃねーよバケモンのくせに」
目一杯ガン付けされて、更にこの言葉遣いだ。シャルロッテの怒りのボルテージは一気に沸点に達した。
「何よその態度! 普通に話しかけただけじゃない!」
「ハァ? バケモンが話しかけてくんじゃねーよ。うるっせぇな」
それを言ったら身もふたもないんじゃないかしら、アマデウス様も吸血鬼じゃない、とクララは考えた。
「なんなの貴方さっきから! 私何かしたかしら!」
「テメーみてーなんがこの世に存在してることが罪悪だろ。死ね」
「なんですってー!」
まぁ確かにそれが仕事なんだけどよ、それ言ったら猊下も死ななきゃいけねーじゃん、仮にも育ての親なのに、と同僚たちは考えた。
「なによ! 人間なんて私達にしてみれば家畜同等の存在なのよ! ナメた口きくんじゃないわよクソガキが!」
「誰がクソガキだコルァ!」
我々にしてみれば老人すらもガキだが、私にしてみればロッテもクソガキだ、とサイラスは考えた。
「私達は人間みたいに腐った物なんか口にしたりしない、高貴な種族なのよ! たかだか20年そこらしか生きてない青二才が口答えできると思わないでちょうだい!」
「んだとコルァ! やんのかコルァ!」
「やってやるわよ! 八つ裂きにしてやるわ!」
ぎゃぁぎゃぁうるさい二人に終始間に挟まれていたアマデウスは、最初こそ我慢していたがとうとう耳を塞ぎ、仕舞には喧噪のあまり貧乏ゆすりをし始める。そしてアマデウスの「頼むから静かにして」という意志は見事に伝播し、全員でアマデウスに憐憫の視線を注ぎ満場一致で幽閉が可決された。
ちなみにクララはシャルロッテのおもりだ。サイラスとアマデウスは二人で話したいことがあるというし、エクソシストの中にクララを独りぼっちにするわけにもいかない――――という口実をこじつけられ、面倒な役割を押し付けられたとばっちりだ。
ここでようやく状況が冒頭に戻る。憤慨するアドルフを袖にしていると、廊下からクスクスと声が響いた。どうやら陰からアドルフの同僚たちが、シャルロッテ達の様子を傍観してせせら笑っていたようだ。ニヤニヤしながら現れた同僚たちに、やはりアドルフは舌打ちして見せた。
「クリス、俺の銃返せ。この女撃ち殺すから」
そんな事だろうと思ったので、アマデウスが銃を没収したのだ。当然クリス――――クリストフはそのおねだりには素直に応じずに、地下牢の鉄柵越しに薄ら笑いを浮かべている。
「んなことしたらお前、あの旦那に殺されるぞ。それに何より、俺が怒られる」
「知るか。返せねぇならお前の貸せ」
「やなこった」
ペロリとアドルフに舌を出し、あっさりと断ったクリストフがシャルロッテに向いた。
「つーかさ、お嬢は大人しく捕まってなくても、こっから出られるだろ?」
当然出られる。鉄柵だろうが煉瓦だろうが、正拳突きでドガーンだ。
「うん、出られるけど、お父様の言いつけを破ったら怒られてしまうもの」
お父様は怒るととても怖いのよ、と付け加えると、周りも苦笑して納得してくれたようだった。アドルフには脅威を感じるほどの、ある意味敵なし野郎だが、他のメンバーはアマデウスの言う通り「表面上普通」のようだ。それに幾分か安心した――――と同時に、聖職者などと言う天敵と知己になった身の上を嘆いた。
■登場人物紹介
・アマデウス・ジェズアルド・ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ルートヴィヒスブルク・バッハ
ヴァチカン枢機卿、ヴァチカン教皇庁教理省枢機卿直属対反キリスト教勢力及び魔物強硬対策執行部部長、通称“神罰地上代行”指揮官。
サイラスの人間時代の弟。武器にできるものは何でも使う。虎の威を借る、結構狡猾なタイプ。
・アドルフ・リスト
アマデウスの側近。ヴァチカン教皇庁教理省枢機卿直属対反キリスト教勢力及び魔物強硬対策執行部強硬殲滅課課長。
通称“神罰地上代行”の精鋭部隊“死刑執行人”隊長