ガコン。
お久しぶりです!
なろうに帰ってきました!
背筋がゾクッとなっていただけると嬉しいです!
十八で投げるように高校を卒業してから、派遣先を転々として今年で二十六になる。
今の工場に来てからはもう四年だ。
他の派遣は次々に辞めるか逃げるかだったのに、僕は辞めなかった。……いや、辞められなかったのだ。でも、今は違う。
「おい派遣よぉ、今日も納期ヤバいから夜勤ワンオペで回しとけよ。あ?安全装置ぃ?んなの入れてたら間に合わねぇだろーが。分かってんだろ?あ?」
自分よりも年下の正社員のヘラヘラした顔と、耳の奥で鳴り止まない「ガコン、ガコン」という重低音。
……あの時から、耳がおかしい。静かな自室にいても、シャワーを浴びていても、あの機械の音が頭から離れないのだ。
最近は、その音がさらに大きく聴こえるようになってきている。
でも、あと一ヶ月だ。この契約期間が終わったら絶対に更新しないで辞める。今度こそ、逃げるんだ。
「……じゃ、あとよろしく。他の奴らにゃ任せられねぇからよ。アンタにしか出来ねぇんだわ。何かあったら連絡しろよ。……ま、今日は飲み会だから出れねーと思うけどさ!ギャハハハ!」
「……はい、わかりました。お疲れ様です」
ペコペコと頭を下げて嵐が過ぎ去るのを待つ。遠ざかる軽薄な足音と甲高い笑い声。静まり返った夜の工場に、僕は一人取り残される。
ガコン……ガコン……
昼間の稼働を終えたはずの工場内は、本来なら静まり返っているはずだった。だが、僕の耳にはずっと聞こえている。
巨大なプレス機が金属の歯車を噛み合わせながら重い鉄塊を叩きつける。
「……あと一ヶ月。あと、一ヶ月耐えれば……」
自分に言い聞かせるように呟き、僕は作業着の袖で額の汗を拭った。
——
今夜の割り当ては、自動車部品のバリ取りとプレス加工。通常なら三人で回す工程だ。それを明日の朝までに一人で終わらせろという。
安全装置のメインスイッチを見る。
これを入れると、不意の挟み込みを防ぐために機械の動作速度が制限され、センサーが手元を検知するたびにラインが止まる。安全だが、時間は倍かかる。
スイッチを「解除」のまま、僕は機械の安全カバーを取り外す。
「……インターロック、ヨシ」
声に出した指差し呼称は安全を確認しているはずなのに、僕が今行ったことはただの作業を早めるための儀式だ。
『インターロックぅ?……んなの入れてたら間に合わねぇだろーが!納期間に合わせろ!お得意さまに切られんだろ!』
……あいつの怒号とヘラヘラした顔が脳裏に蘇る。
スイッチを「解除」のまま、僕は機械の安全カバーを取り外した。この四年間で何千回、何万回とやってきた「近道行動」だ。
この工場では、みんなそうしている。そうでもしないと間に合わないからだ。
だけど、安全を無視すると堕ちる世界は闇だ。
僕がそう思い始めたのは二年前――ベテランだった佐藤さんがあいつとペアを組まされていた、あの夜のことだ。
あれは事故なんかじゃない。あいつが招いた人災だ。
詰まったワークを取り除こうとプレス機に手を伸ばしていた佐藤さんに対しあいつは、
『インターロック切ってるんだから早くしてくださいよー。アンタベテランでしょー?これ位チャチャッとやってもらんなきゃ困るッスよー』
『時間かかってるんで押しちゃいますねー』
と、ヘラヘラ笑いながら起動ボタンを押したのだ。
「あ、待て――」という佐藤さんの制止は、重圧機の駆動音にかき消され——。
ミシミシ……!
骨が嫌な音を立てて軋み、潰れた肉が弾ける独特の音が工場内に響き渡る。
目の前で繰り広げられたあまりの光景に、僕は立っていることもできず、その場で膝をついて嘔吐した。
——あの時と同じ匂いが、いまも鼻腔にこびりついて離れない。
当の事故を起こした本人は今や僕の上司だ。事故は結局有耶無耶になってしまい、労基による指導も今じゃ形だけ。誰も事故のことを、安全のことを思っちゃいない。
——それは僕も同じだ。保護具を着けること、インターロックを解除しないことを訴えても「納期」の一点張り。これじゃ、何を言っても意味がない。
だから、僕は諦めて辞めようと考えたのだ。あと一ヶ月で更新しなきゃいいんだ……。
「……ふう」
過去の苦い記憶を頭から追い出すように深く息を吐き、僕は機械に向き直る。
スイッチを入れ、ラインを始動させた。
——ガコン、ガコン、ガコン……
重苦しい金属音が深夜の工場に響き渡る。
カバーの外されたプレス機が、むき出しの歯車と型を連動させながら高速で往復を始める。
本来であればプレス機の速さもゆっくりで、刃物のようなバリから手を守る耐切創手袋をはめ、挟み込みを防ぐために工具を使って部品をセットしなければならない。
だけど、分厚い手袋や工具を使うと指先の感覚が鈍り、作業ペースが落ちる。何より、プレス機の速さも遅い。
『——手際よくやれよ。素手で直接入れた方が早いだろ?』
あいつの言葉に従い、僕は素手のまま、むき出しのプレス機へと手を伸ばす。
一秒の遅れが積もれば、明日の朝までに終わらない。
油でヌメる素手で部品を掴み、型へセットしては、間一髪で手を引き抜く作業を繰り返す。
ガコン、ガコン、ガコン——
高速で往復する鉄塊。そのわずかな隙間に手を滑り込ませる恐怖で、背筋に嫌な汗が伝う。
――その時だった。
『ガコン……ガコン……』
規則的だった重低音の隙間に、ふっと不快な音が混ざり始めた。
『……ジュル……コン……コン……』
「……え?」
手を止めかける。
乾燥した金属同士の衝突音に混ざって、濡れた肉と骨が狭い隙間でじわじわと押し潰されているような——あの日、耳にこびりついたあの音が聞こえる。
ああ……あの音は、さっきからずっと聞こえていた音だ。
工場を離れても、静かな部屋にいても、シャワーを浴びていても耳の奥で鳴り止まなかった音。
機械の音じゃない。あの夜からずっと、僕のすぐ側にいたんだ……。
ふと視線を感じて、僕はゆっくりと顔を上げる。
そこには、むき出しのプレス機の上に、潰れた作業着の「塊」がへばりついていた。
圧着板の隙間から垂れ下がる、平坦に押し潰された頭部。
はみ出た片方の目は濁った光を放ち、砕けた顎からは血泡と肉片を吐き散らしながら、喉の奥を鳴らす。
「ひっ……ぃっ!ぁ……ああ……っ……」
僕はガタガタと体を震わせた。間違いない。アレは……あの……人は……!
『……イ……インター……ロッ……ク……切ツタ……ナ……?』
ガチガチと骨が鳴る音とともに、濁り切った声が工場内に響く。
『ア……イ……ツ……ニ……殺サレル……前ニ……ッ……オ前モ……コッチニ……来イ……ッ!!』
ぐちゃぐちゃの腕が暗闇から伸び、僕の肩を掴もうと迫ってくる。
「ひッ……!?ぬ、抜けない……っ!」
慌てて腕を引き抜こうとするが、プレス油と佐藤さんから滴る粘着質な体液で指先が固着し、強引に引くたびに手の皮が摩擦でズルリと剥けた。
(嫌だ!やめろ!挟まれる!潰れる……ッ!!嫌だ……!ヤダヤダヤダヤダ!……死にたく……ない……!)
頭上から、ズシンと巨大な鉄塊が降りてくる。
直後——。
―――ガコンッ!!
鈍い衝撃。
僕の叫び声が深夜の工場内に響き渡った。
「あ゙っ゙……あ゙、ぁ゙ぁ゙あ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙あ゙あ゙あ゙ーーーッ゙!!!!」
右腕の感覚が吹き飛ぶ。熱い血がブシャアッ……!と一気に溢れ出し、激痛で視界が真っ白に染まる。
だけど挟まれた衝撃で右腕が千切れ飛び、皮肉にもそのおかげで体がプレス機から解放されていた。
逃げなきゃ。ここにいたら、次は全身を食われる。
僕は残った左手で右腕の根元を強く圧迫し、よろめく足で出口へと走り出した。
背後から、あの重低音が追いかけてくる。
『どこに……行くんだ……?』
『お前も……こっちに……』
ガコン……ガコン……と音が鳴る。
振り返っちゃダメだ。絶対に、後ろを見ちゃいけない。振り向いたら、あの暗闇の中の「ナニカ」と目が合ってしまう。
「ハッ、ハッ、ヒッ……ッ!」
背中にじっとりと張り付く冷たい視線と、ぬちゃり、ぬちゃりと床を這う不快な音。
僕は一度も振り返ることなく、すがるように非常口の扉を押し開き、暗い夜道へと飛び出した。
あとはもう、夢中で走った。
視界は血と汗と涙でぐちゃぐちゃになり、右腕の激痛で意識が飛びそうになるのを歯を食いしばって必死に耐えた。
遠くに見えた車のライトに向かって、道路へ飛び出す。
激しいブレーキ音と、耳を刺すような甲高いクラクションの音。
運転手の焦った叫び声が聞こえた気がしたが、そこで僕の意識は完全に途切れた。
——
逃げ出したあとのことは、正直よく覚えていない。
気がついた時には、僕は病院のベッドの上にいた。
警察の事情聴取、あのヘラヘラした正社員の形式的な謝罪、右腕を失ったことへのリハビリ……すべてが他人事のように通り過ぎていき、季節はまたあの頃になっていた。
これで終わったのだ。
あの地獄から、僕は生きて逃げ切れたんだ。
――そう、思っていたのに。
蒸し暑いアパートの自室で、一人静かに過ごしていたある夜のことだった。
シン……と静まり返った部屋の中で、ふと、耳の奥で不快な低音が跳ねる。
——ガコン……ガコン……ガコン……ガコン……
「……え?」
心臓が凍りつく。
洗濯機の音じゃない。外の車の音でもない。……あのプレス機の音だ。
『……どこに……逃げ、たんだ……?』
押し入れの暗がりから。カーテンの隙間から。
カサカサに掠れた佐藤さんと思われる声と、ぬちゃり、という湿った音が聞こえてくる。
「ぁ……っ……」
逃げられてなんか、いなかった。
あの人は——あの機械は右腕だけじゃ満足していない。僕の「全部」を求めているんだ。
「……ああ、そっか。僕は……」
僕はうつろな目で立ち上がり、音が一番大きく響く「暗闇」へと、ゆっくりと足を伸ばす。
体はもう、あのときのように震えてはいなかった。
これであの音が消えるのならば……。
いかなきゃ……行かなきゃ……。
——逝かなきゃ。
ガコン……ガコン……ガコン……
——ぐしゃ。
ガコン……ガコン……ガコン……
(完)
ちなみに……別の恐ろしい結末はミッドナイト版に投稿されます(26/07/24)。
こちらも救いはありません。
ゴア表現多めになりますので、18歳未満は回れ右です。
タイトルはなろう版と同じです。
ホラーに救いはなくてもいいです(偏見)。
でも好きなホラー映画は「サユリ」です。
そういえば最近は別のお名前でムーンライトやノクターンでちょっぴりえちちな作品を書いています。
また、既存作品も読んでいただけますと幸いです。




