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 るすばんしょうじょ 

作者: 色堂


「いってきます」と彼が家を出てから今日で一週間。こないだは三週間と二日経ってから帰ってきた。一週間なんてまだ全然だ。

あたしは平気。だって二人でいた時の甘い空気がまだ部屋いっぱいに充満している。

彼の匂いを思い出そうとしてクンクンと嗅いだら、少しむせた。


「……換気。」とボソッと呟き窓を豪快に開ける彼を思う。部屋に溜まるふたりの思い出に縋り付くあたしは、頭の中の彼に対して必死に抵抗する。


開けないで。

入れ替えないで。


窓の外にある空気がどれだけ痛いかなんて、あたしは知っている。きっと柔らかいあたしなんか外側からも内側からも潰してしまう。

真っ白な手の甲を見たら、青い血管がよく映えた。膨らんでいる血管を人差し指でふにふにと触ったら、自分の人間身が染みた。

この四角い空間の中だけはあたしのもの。あたしと彼の夢のお城。

消えないように、あたしは夢から覚めない。あたしを覚まそうと冷たく吹く風なんてイラナイ。

机の上の写真立ての中にいるあたしと彼が哀れんだ顔で見るから、指でピン、と弾いた。細かい埃が舞う。



ガチャ、と言う懐かしい音がして、びくんと頭が踊った。

声は無かった。ただ靴を脱ぐ彼の姿と、鞄を床に置くドサッという音が部屋を締める。

そしてあたしの足が玄関へとかけるぱたぱたという演奏が加わって、合奏が完成したみたいで嬉しかった。


「アキくん、おかえり」


久しぶりに発した声は、掠れていたけれどちゃんとあたしだったから少し安心した。


「うん」


アキくんはそう言ってあたしの先から先まで見た。

一週間だから、体重はたいして減ってない。アキくんがいつ帰ってくるかわからないから寝不足だけど、きっと心配してくれる。


「………寝てる?」


アキくんは眉にシワを寄せて哀れんだ目で訴えた。

気にかけてくれるのが嬉しい。今はあたしだけ。あたしだけ。


寝てるよ、と笑顔を見せると、そう、と言ってアキくんは奥へと進んだ。

後ろをトテトテとついて歩くあたしは猫みたいかなあ。

アキくんがソファに座る。息をする。アキくんの匂いがまた溜まる。


「……空気悪いよ」


あたしがアキくんの隣に座るとすぐそう言って立ち上がって、カーテンと窓を一気に開けた。


空気が動いた。匂いが泳いだ。



ああ、流れだす。

いままでが、流れだす。

日の光が思ったより眩しくて、瞼がきゅーってした。

透明な風が四角い部屋の中を駆け回って、あたしが吐き出した吐息を取り込んでくるくる踊ってから、また窓の外へ消えた。


風の先を見つめた。

声は出なかった。

少しだけ、ひんやりとした。


「……あ、そうだこれ買ってきたから」

そう言って取り出したスーパーの袋には、食べ物があった。


この人はあたしが外のセカイが好きじゃないって知っている。あたしには彼しか無いってことも知っている。

あたしも、彼があたしをめんどくさがってることを知っている。

彼は外のセカイが好きだって、

知っている。


「ありがと」

あたしは笑って、少し寒いよ、と付け加えて窓を閉めた。カーテンまで閉めた。

すっかり薄まった思い出が浮かんでる空気を吸い込んだら、鼻の奥がすーっと涼んだ。



空気が震えた。

テーブルの上の黒い携帯が震えた。

この冷たく震える空気が嫌い。穏やかに息をする暖房とか外を走る車とかあたしとか彼とか、

全部の音を吸い込んでしまうから。

震えを伝えるテーブルが痛そうだと思った。


アキくんは泣いているソレを躊躇いなく取り上げて、ボタンを押して耳に当てた。


「どうした?」


携帯に語りかけているみたい。アキくんは優しかった。


「うん、…ああ、今ちょっと、」



イマチョット、あたしの物になってる。

ふふ、と心で笑った。


電話って二人しか入れないから好きになれない。

だけどだからからこそ嘘を作ることが出来ると思うと、必要なんだって思った。

本当のことばかりだと、きっとあたしは潰れてしまうから。


「……ああ、わかった、はいはい」

穏やかな声だった。きっと顔は笑っているんだろう。耳から離してボタンを押した。



「カナエ」

その声には穏やかさが消えていなかったから、安心して頬が緩んだ。

「なに?アキくん」

「俺もう行くわ」


頭を掻いたその顔は、やっぱり穏やかに揺れていた。

あたしを見下ろす大きな瞳に何が映っているのか見えなくて、でも見たくなかった。だってあたしじゃなかった。


ねえ嘘をついて。

ニセモノの世界をちょうだい。


こっちを向いて。



「つぎ帰ってくるのはいつ?」

お別れの時間は淋しい。

お腹が空くころにきっと会えると思っていても、やっぱり淋しい。

「わからないけど帰ってくるよ」

そう言ってアキくんがあたしにくれた笑顔を、瞳の奥の奥にしっかりと焼き付けた。


「いってらっしゃい」

「いってきます」

アキくんは軽やかに出ていった。

重苦しいドアが閉まる前に、少しだけ明るいセカイが見えた。

あたしには出れないと思う。

血の繋がった兄が帰ってくることを疑わない自分が居る限り、

出れないと思う。



部屋の奥に戻ってソファに横になる。

アキくんが出ていった途端時が止まったようなこの部屋で、あたしはまた静かに生きる。

新しく入れ代わった空気を吸い込む。

これだけの量のアキくんで、あたしは生きていけるんだろうか。

目を閉じてアキくんの笑顔を思った。




終。



少し前に他サイトに載せた作品。

実はというか、兄妹の話でした。思い込む妹と結局構う兄。

ああ兄欲しい。笑


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