ローズと食卓、温玉付き
「いっただっきまーす!……どうしたルナ、そんなこわ〜い顔して」
「そうです、私はとって食べたりしませんよ。ピースフルな者、なので」
「……驚かせるようなものがあるなら、先に言ってほしいんですけど」
私は目の前のシャルルを睨みながら、やけに水気の多いカルボナーラと、対照的に美味しい温泉卵を食べていた。
うん、美味しい。
これらを準備し晩御飯を振舞ってくれたのは……私の斜めに位置し座る、やけに人間らしいロボットだった。
ロボットは翡翠色のボブヘアーを持ち、目は澄んだ灰色で私をジーッと見つめている。……見つめている。
「物ではないですよ、れっきとしたロボットですから」
ピースピース。
静かな口調なのだが、やけにうるさい。そんなロボットをジーッとまた見ていると、シャルルが大袈裟な咳払いをし、グラスに入った金色の液体を一度に飲み干して口を開いた。
「さてさて、まずはなにから話そうかな。……ひとまずルナ!ようこそ、糞とションベンの蒸気漂う街、トワレ区画へ!!」
「……初っ端から最悪の言い回しなんだけど」
おっと食事中に失礼、と思ってもない申し訳なさを言葉で欺きながら言うシャルル。横にいたロボットはなにやら鉄パイプをカンカン鳴らし、歓迎!と言わんばかりである。私はもう一度カルボナーラを食べる……やっぱり美味しい。
「端的に言えば、ルナにとってここは異世界と言うべきかな。全く別の世界なのか……はたまた違う星から来てしまったのか……まあ細かいことはどうでもいいさ!とにかくお前は来ちまった、それだけさ」
「いまいちピンと来てはないんだけど……」
「それじゃあ俺はまだ食事が残ってるからな――詳しい説明は任せるぞ、ローズ」
「アイアイサー」
シャルルの呼びかけにロボットが反応する。どうやらこのロボットの名前はローズというらしい。ローズはガシャコン、と一度頭を叩き、先ほどまで持っていた鉄パイプを部屋すみに捨て、身振り手振りを使って話し始めた……。
「ここは大陸の端――隣国と大海に挟まれた、エトワール帝国の区画の一つ、世界有数の技術とエネルギーと仕事が集まる工業区画トワレです。ここでいう大陸とはティコ大陸のことで、成り立ちとしては――」
「あー……ローズ、そこらへんは省略しちゃってくれ。聞いてもあんまわからんだろ」
「……ちぇっ。せっかく私の天才さをルナさんに知ってもらおうと思ったのですが、仕方ありませんね」
変なロボットである。見るからに半導体や量子力学など、元いた世界とは違う、明らかにオーバーテクノロジーな機能を持っているようだ。
シャルルとの意思疎通の流れや妙な声音の変化がそれを物語っている。しかしそんな疑問や驚きを一つ置き、私はローズの話を黙って聞いた。
「ここはトワレ。あなたが元いた世界とは全く違う世界。あなたはなぜか、この世界に来てしまった……およよ、なんて可哀想な子……おっと、そんな怖い顔をしないでください。ほんの冗談です。それに悲観していても始まりません。……すでに終わっているのですから」
「終わっている?」
私は残り少なくなったカルボナーラを見つめながら、鼓膜に引っかかった言葉を繰り返す。ローズはゆっくりと頷き、続ける。
「この世界には不思議なことに、ルナさんのような迷い人がごく稀に来るのです。みな奇怪な服や出立ちをしており……変な話をするのだとか。まあ私は歴史書を漁ったばかりに過ぎません。実在するとは思っていませんでしたよ」
だから今日は店じまいだって言ったんだ、とシャルルは用済みになった食器を持ってキッチンの方へ歩いていく。ローズは一度ため息のようなものをつき、続けた。
「……そうした人物の総称として、異邦人、という言葉があります。今のルナさんはそう認識されるだろうということは、覚えておいてください。良くも悪くも異邦人、ですから。
加えて異邦人には共通点が存在します。
一つ、同じ言語を持つこと。
二つ、ふとした時、常軌を逸した身体能力を持つこと。
最後に三つ、元の世界に帰れた者はただ一人としていないこと。
大犯罪者となった者や英雄的存在となった者、または目立たず余生を過ごした者など違いはありますが……先ほどの三点は共通しているようです。
ですから、終わっているのです。もう帰ることは叶いそうにありません。ですから、始まりなのです」
「……帰れない」
帰れない。反芻する。
しかし、なんとなくわかっていた。
大抵の創作物では行きて帰りし物語より、行ったっきりのほうが多いのだ。ただその当事者が私自身である、というだけであって。
むしろそちらの方が良かったのかもしれない。私はあの世界にいたとしても……そう、これで良かったのだ。
妙な開き直り感に反して自然と下を向いた私は、視界が狭まる感覚を知った。そんな時、向かいの席にまたシャルルが座った音がした。
「まったく……ローズにはまだまだ教育が足りていないようだなぁ。まあ最高傑作ではあるんだけど……」
「いえーい、ピースピース」
「……ルナ」
私は顔を上げ、シャルルを見る。シャルルはなぜか私の顔を見るなり眼差しを強くした。彼はなにやら言い淀んで、一度深呼吸をしてから続けた。
「……なんて言葉を続けたもんかな。でも、俺たちはルナの味方だ」
「味方……というものらしいです。ダチですね、私たち」
「だからいずれ、ルナが望むなら帰らせてやりたいし、ここで、この世界で生きてほしい。それに……それに、人手だって足りてないんだ!稼がねぇと飢えておッ死んじまうしな!」
シャルルは神妙な口調から一転、無理に笑って言った。……シャルルの優しさがわかる。
どうしてこの人は、こんなに良くしてくれるのだろう?どうして会って間もない私に同情してくれるのだろう?
私にそんな価値はない。こんな優しさに、一体なんの意味があると言うのだろう?
しかしそんな思考とは裏腹に、この薄汚れた狭い部屋が心を揺さぶった。白熱電球が温かく、私の視界からぐらぐらと輪郭を奪っていった。だんだん肩が揺れ、なにかゆっくりと、胸の内にむず痒い力が働く。声が漏れ、空いた食器にポタポタと水滴が落ちる。
「えっ……ちょっ、どうしたルナ!?なにかマズいことでも言ったかおれっ!?さてはローズが……」
「いえ、シャルル。シャルルです。私はなにも言ってないです。シャルルが泣かした、あ〜あ〜」
「ごめっ……ただ、嬉しくてっ」
ようやっと絞り出した言葉が出た。新しく渡された服の袖がどんどん濡れてゆく。これでは朽ちてしまうんじゃないかと思うほど、濡れてゆく。
そうだ、嬉しかったんだ。