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トワレ街の路地裏




         *  *  *




 一つ目は以上である。


 次に二つ目のフィーチャーなのだが、これを記すのは……今となってはかなり恥ずかしいものでもあるので、多少の乱れは許して欲しい。……ちゃちゃ入れないでコハル!!


 まったく……さて、本題に入るとしよう。これ以上とやかく言われるのは不本意なので、さっさと文体を変えて記してしまおうと思う。……やっぱり恥ずかしいな。




 パンカー事件及びエヴァさんの復讐を阻止したあの日から数週間……モノノベ屋にいつものごとく突然現れたハイネさんが、いつかは来るんじゃないかと思っていた宣告をした。




「コハルちゃん、ルナちゃん〜。君たち帰れるよ〜良かったねぇ」


「「えっ?」」


「まあいつでも帰してあげられるんだけど、一応相談はしなよ〜。んじゃ!また二日か三日後に来るねー!」


「あ、はい」


「……」


 去りゆくハイネさんの白服背中をただ突っ立って見送るしかなかった。


 当然、後からやってきたシャルルやローズ(二人は別の要件でその場に居合わせなかった)にもそのことを伝え、その日の食卓でちょっとした話し合いの場を設けた。


 いつも通りの食事。電灯一つが照らす空間はいつにも増して重々しく薄闇が蔓延っており、私が話を切り出すまで誰も、一言も話そうとしなかった。


「そろそろ、話さない?」


 私の言葉にそれぞれの手が止まる。みな思っていること、するべきこと、当然の流れとして受け入れなければならないことがあるのは最初からわかっていた。実際、それらの葛藤を経て導き出された答えを、私はこの時すでに持っていた。


「話すもなにも……帰れるなら、良かったじゃねえか」


「それは、そうなんだけど……」


 シャルルのいつにも増してぶっきらぼうな受け答えに、コハルが言葉を濁す。ローズはただ押し黙って、三者の顔色をちらちらと見ていた。


「私、帰るよ」


 ハイネさんから告げられた今日のみならず、私はずっとこうなることを考えていた。いつも別れの機会は突然やってくる。私はそれを知っている。


 沈黙が走る。その沈黙の意味は、それぞれの想いが生んだものだ。


「私も……。だって、お母さんやお父さんも待ってると思うし……でも、ここに帰って来られるかわからないんだよね……?」


 また、沈黙。壁掛け時計の駆動音がうるさく感じられる。


「……私はこれまで、シャルル以外に家族と呼べる者がいませんでした」


 珍しくローズの声音が暗い。


「だからこそ私は、ルナやコハルにはここにいて欲しいと思います、強く。でもお二人の家族が今の私と同じかそれ以上の想いで待っているとするならば……引き留めることはできませんね」


「ローズ……」


「……」


 依然、シャルルの口は動かない――と思って見つめていたのだが、彼は突然立ち上がり、背を向けて部屋を出ようとしだした。


「シャルル!!」


 咄嗟に呼び止める。それとは裏腹にシャルルは振り返ることなく、淡々と言葉を並べ立てた。


「帰れる場所があって、帰れるんなら帰るべきだ。俺から言うことはねえよ」


 シャルルは部屋を出て自室へと入っていった。




 あれから数時間が経過しただろうか。私はふと、下の仕事場から物音が聴こえた気がしてベッドを出た。


 部屋を出て廊下を行き、階段を下る。

 隔てる扉を開けてゆっくりと仕事場を見てみると……そこには自室に籠ったはずのシャルルが、外口に立って青白い光に照らされていた。


 いつもの茶髪が金に見えるほど光は白く、加えて……その様子があまりにも寂しげに見えてしまい、私は数秒身じろぎ一つせず見惚れていた。


「……ルナか?」


 シャルルが振り返る。どうやら開閉音を聴かれていたらしい。私は黙ってシャルルに近づき、横に並んで空に浮かぶマリを見上げる。


 月よりも幾分大きいマリの光は、地面の小石すら明確に映し出すほど鮮明なものであった。今頃ツキノ湾ではゆらゆら揺らめくマリの方舟が顕現しているだろう(近所の画家に似た絵を見せてもらったのだ)。


 シャルルはこちらを向くことなく、ただ清白の光に包まれたマリを見続けている。その横顔はどうしようもなく、子供らしく見える。


「綺麗だね」


「……母さんがよく見てた。それに俺たちが群がって、最後は一緒に並んで寝たなぁ」


「……ねえシャルル」


「……なんだ」


「シャルルのお母さんとの話、もっと聞かせてよ」


「え?」


 シャルルがこちらをようやく見る。なんだか驚いたように、目を見開いて……それから少しだけ、彼は鼻を啜った。


「……今日は長い夜になるかもなぁ」




 それから私たちは戸口に立ったり座ったり、客用テーブルに座ったり寝転んだりしながら……とりとめなくそれぞれの話をした。


 最初こそシャルルとお母さんの話や、私と両親との話を交互にしていたのだが……やがて他のことも話すようになっていった。


「んでローズに言ったんだよ……お前なんでそんな人間っぽいんだ?って。そしたらあいつ、人格否定ですか?って!……生みの親のはずなのに想定外すぎて、一瞬ぶち壊そうと思ったわ」


「ローズっぽいね、その時のシャルルが壊さなくて、良かった」


「ほんとだよ――あ、そうだあいつ……今度メンテナンスしてやんねぇと。腰が痛いだかなんだか言ってたからな」


「ふふっ、ローズおばあちゃんみたいなこと言うね」


 ……夜が更け、マリの光は弱まり始める。東の空が東雲色を帯びる。

 時間はあっという間に過ぎ去り、お互い笑ったり泣いたりして、来客用の椅子に背中を預けてぼんやりし始めていた。


「……ルナ、まだ起きてるか?」


「うん――ふぁぁ……ん、だいぶ眠いかも」


「……帰っちまうんだな。コハルも、ルナも」


「そう、だね」


「……俺、さ。いつかそっちの世界に行ってみたいんだ。そっちの世界を見てみたいってのもあるが……そっちの世界でお前と過ごしてみたくなった。この際だから言っとくが、最初目にした時から俺はお前のこと……結構気に入ってたんだぜ」


「……へぇ」


 眠気のせいで気の抜けた声が答える。


「だからフィニステラーとかいうトンチキな石が出てきた時――これで帰れちまうのかな、って思ったんだ」


「意外と余裕あったんだね……」


「だからまぁ、なんて言えばいいか。たぶん時間はかかるんだが……そっちに帰ってからしばらく、俺を待っててほしい。……まあ、案内人がいたほうが良いしなっ!!」


「……うん」


「それで……俺がもしそっちに行けたら――」


 シャルルの声音が揺れる。しかし同時に、私の眠気はピークに到達していた。

 だから彼の、その先に紡がれた言葉はまったく覚えていない。そう、まったくだ。

 ただ耳と頬にただならぬ熱を感じたことは……きちんと覚えている。




 数日を経て集まった私たちとハイネさんは、どこか見覚えのある路地裏の前へ立っていた。


「今からこの銃を使ってゲートを開く。ちょうど二人分のエネルギーだけ打ち出すから、間違ってもローズやシャルルは入らないでね〜」


 ハイネさんはそう言って迷いなくトリガーを引いた。すると見た目からは想像できない音が銃から響き……地面に着弾したらしい弾丸からゆっくりと、星雲のようなゲートがふわふわと現れた。


「それと……このゲートを潜ってからは振り返っちゃいけない。一直線に路地を抜けるんだ」


 私とコハルは手を繋ぎながらハイネさんに頷く。すると彼は珍しく、少し眉を下げて私たちの肩にそっと手を置いた。


「……君たちとの時間はなんだか楽しかった。元の世界でも、元気でね」


 ハイネさんは下がり、後ろで見守っていたローズとシャルルがこちらに近寄る。コハルは耐えきれなかったのか、ローズに抱きついておんおん泣き出してしまった。


 私は……シャルルと向かい合う。シャルルが右手をスッと差し出してきた。

 私も右手を出し、強く握手する。


「元気でな、ルナ」


「うん……シャルルや、ローズも」


 あっけなく離れていくシャルルの手に、そして俯き始めるシャルルの顔に、私の胸がざわつく。……なにか残していないか。彼らにもっと残さなきゃいけないものが――


 ……いや、やっぱり――


「シャルルっ!!」


「――っ!?!?」




 伸びるつま先の震えが、口元に触れる柔らかさをより鮮明にさせる。一、ニ、三――離れ、そして振り向きもう見ない。




「……約束、待ってるよ」


 私は振り返ることなくコハルの手を取り、ゲートを潜った。


 先にはいつもと変わらぬ路地裏。喧騒は遠く、嗅ぎ慣れたトワレ街の匂いはもうしない。


「……行こっか」


「う、うん」


 二人並んで、手を繋いで路地裏を進む。そこここに雑草が生い茂り、先には曲がり角。そこには久しぶりに見た室外機。

 ゆっくり進む、一歩二歩。その間に先ほどの余韻がじわじわと全身を包む。

 同時に、もう会えないかもしれない――そんな考えが過ぎる。

 曲がり角を――




 路地裏の出口。あくびをする黒猫、大きく伸びた影、そして空一面を橙色に染め上げた……私たちの世界。




「も、戻ってこれた……?」


「ルナ、わたしたち、帰ってきたんだね……」


 目の前の道路、一台の乗用車が通過する。排気音はまったく静かで、路面を摩耗しながらぐるぐると回るタイヤもホイールも……ガヤガヤとしていない街並みも、等間隔で並び立つ信号機や街路樹も、後方をカタンカタンと走り去る電車も……全部、もとどおり。


 試しに二人で路地裏の奥を見やる。

 しかしその先は行き止まり。私たちの歩いてきた道はもうどこにもない。


「……帰ろっか」


「……うん」


 逡巡、抱擁。私たちはそれぞれ帰路についた――。

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