晴れ
* * *
「シャルル、無事でいて」
落ちていった飛行機からシャルルが飛び出す。私はそれを、飛び上がった上空から見下ろす。
握りしめた懐中時計は白銀の刃へと変わる。そして同時に、誰かの手がそっと後ろから伸びる。
「……お母さん、ありがとう」
私は刀の柄を握りしめる。熱とともに、上方が重く重く……そして大きくなっていく。振り下ろすばかりとなったその刃は雲霞を突き抜け、切先は見えない。
だんだんと降り始める刃……その間隙に私は揺籠を見た。星空の穴へ目前となっていた揺籠には、こちらを驚き見上げるエヴァさんがいた。先ほどの機銃掃射や機体制御をせず、ただこちらに目を向けていた。
私は最上の力を込め、飛行船の背へと刃を振るった。
「はあぁぁぁぁぁッッ!!!!!!!」
振り下ろされた刃は輝きも速度も落とすことなく――船体を真っ二つに切り裂いた。たちまち飛行船の断面から煌めきと爆発音が湧き……やがて、巨人の唸りが空を揺るがすように上がった。
船体は穴を通過することなく機能を失い、数多の煌めきをツキノ湾上空へ残してバラバラと海へ落ちてゆく。当然先頭にあった揺籠の操縦席も落ちてゆく、微かに穴へ手を伸ばしたエヴァさんを引き連れて……。
剣圧によって生み出された衝撃で得た私の浮力も少なくなってゆく。白銀の刀は柄を中心にみるみる縮んでいき……私の浮力が完全になくなるころには懐中時計へと戻っていた。
落ちゆく最中――懐中時計を握りしめていたのだが。
「あっ……」
手元でバラバラと、力なく懐中時計は壊れてしまった。
決して壊れるほど強く握りしめていたわけではない。きっと、限界を超えて私に力を貸してくれたのだ。
「お母さん、ありがとう……」
手を空へ向ける。
手のひらに残っていた全ての欠片が空中に舞う。
風に乗ってキラキラと、やがて砂粒のように世界の一部へ還元されてゆく。
最後に……時計の長針刃が、手を振るようにくるくると舞って消えていった。
空は一刀、曇りなき快晴となっている。光の射し込む景色、そこにはなにより美しい……青が澄んでいる。
手を伸ばし、壮麗な景色を惜しむ。あと少しで終わってしまう予感を胸に、まだ生きていたいと思ってしまう。
そんな望みとは裏腹に落下は続く。あと少しで海面に叩きつけられてしまう……無事では済まないだろう。
はためく衣服と落下風の音。それらが告げる絶望から逃れようと瞳を閉じ、耳を塞ごうとした――のだが。
「――――っ!!」
「……?」
誰かが呼んでいる?
私は耳から手を遠ざけ、代わりに風を触って身体の向きを変え、辺りを見回した。……しかし、見えるのは風景と海の青さのみ。
「――――ナッ!!!」
「やっぱり、誰か――」
再度見回すと一点、なにか黒色の煙を上げて近づいてくる者がいた。誰かを担いでいるようで、あまり安定しないのかふらふらとこちらへ飛んでくる。
私はその姿を見て……なんて表したら良いだろう、色々なこれまでがない混ぜになって一挙に爆ぜてしまったような……そんな、熱いものが込み上げてくるようだった。
「ルナッ!!!」
「なるべくこちらへ!!」
「シャルル!!ローズっ!!!」
私は空を泳ぐように、なるべく抵抗を減らさぬように動いた。
徐々に近づく。
ローズはいつもの姿より勇ましいようで……これがコハルの言ってたオーバードライブ状態かな、と状況に似合わず感心していた(すでに視界はボロボロに潤んでいた)。
そうして海面からさほど距離のない場所で――ようやくローズに辿り着く。
ローズは出力を上げたのか、こちらまで熱が伝播するほど脚部やら腹部から推進炎をごうごうと上げている。
ローズは片手で私を担いだ。反対側にはシャルルがおり、黒ずんだ頬をカッと上げて笑った。
「ルナ……無事で良かった」
「シャルルもっ……無事でっ、よかったっ!!」
「おいおいボロボロ泣いてんじゃねえか……」
「なんかっ……とまらなくてっ!!」
「ははっ。……それと、ありがとな」
シャルルは一瞬俯き、続ける。
「姉さんの過ちを止められたのはルナのおかげだ。……ルナは最高の、相棒だ」
「シャルル……」
「すみません、感傷に浸って身動きをとるのはやめてください。こっちはかなりギリギリです。なんなら墜落しそうです」
ローズがいつもより憤りながら淡々と言った。この状況でも変わらないローズに、私たちは担がれながら笑ってしまった。
「なに笑ってるんですか、いくらこのハイパーロボットでも限界はあるのです」
「ごめんねローズ。それとありがとうっ、助けてくれて!助けに来てくれてっ!!」
「ほんとによく来たな……落ちた時は覚悟したぜ」
「本当にたまたまですよ。なんとなくあなたたちが落ちるような気がしたのです。虫の知らせってやつでしょうか?」
「……ローズはどっからこんな能力を得たんだ?」
「シャルルにわからないなら、私にわかるわけありません。気づいたら意識があって、たまたま予知を得たのです。……助かってから考えてください」
ツキノ湾を抜け、トワレ街上空を飛ぶ。列車は運行を取りやめているようで、汽笛や黒煙は見当たらない。
駅前の広場では人だかりができている。恐らく列車の再開を待っているのだろう。
いくつもの道、いくつもの建物……そこここに積もる思い出と重なる。
私はいつのまにこんなものを抱えしまっていたようだ。
そうして……ついにモノノベ屋が見え始めたのだが。
「すみません、切れました」
「「えっ?」」
「推力停止、不時着ですね。なんなら胴体着陸です」
「うそだろっ!?」
「ちょ、ローズ!!なんとかならない?」
「本当ならカッコよく着陸してめでたしめでたし……だったのですが。これならもっと手前で着陸しとくんでしたね。一生の不覚です。まあ悔いはない――」
「おい、これじゃ無事どころか残念な死に方じゃねえかっ!!」
「ローズ諦めないでっ!えっとえ~っと……」
「……いや、二人とも」
「え?」
「ん?」
「どうやら無事に済みそうです。前方の隅を」
斜めに落ちゆく中……モノノベ屋の隅を見れば、なにやら大人数が巨大なマットに似たものを広げてこちらを見ていた。その内にはコハルもおり、先ほど別れたはずのハイネさんの姿もあった。
「「「「「「「「せーのっ!」」」」」」」」
マットが広がる。ローズは着陸ポーズをとり、加えて私たちを強く抱え直した。
着地――。衝撃が身体に走る。
「ルナ……っ!!!」
駆け寄ってきたコハルが私を包んでいた。私は少々の痛みを堪えつつ、抱き返す。
「なんとか帰ってきたよ。……みんなのおかげ」
「無事で……っ!!ぶじで、よかった~っ!!!」
多くの人々が私やローズ、シャルルに駆け寄る。その言葉の数々を聞いていると、なにやら誤解のありそうな内容が想像できてしまうのだが……原因はすぐにわかった。
「少しだけ、誇張してみんなに伝えちゃった~」
駆け寄って耳打ちしてきたのはハイネさんであった。どうやら私の疑問符を浮かべた様子に気がついたらしい。
「いえ……この人たち集めたの、ハイネさんですよね。ありがとうございます、おかげで無事でした」
そう言うとハイネさんは意外そうな顔をした。……しかし一瞬のうちにいつもの微笑みが戻り、それほどでも~、とだけ言って、なにやら人混みに消えていった。
コハルとの抱擁を終え、少しばかり疲れた身体をモノノベ屋の軒下に預けた。人々の熱気は収まることなく、人だかりはより一層増え、なぜだかシャルルを担ぎ上げてしまっていた。ローズはコハルの抱擁をゆっくりと受け止めており、なんだか微笑ましい様子である。
ポケットを漁る。……しかしそこに、いつも側にあった懐中時計はない。
空を見上げる。白銀の刃が切り裂いた雲間が広がったのか……せいせいするほどの一面快晴である。
ああ、お母さん……私には、帰る場所があるんだ。まだまだ生きていかなくちゃならないんだ。きっとまた、会いに行くから……その時には――。




