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異世界と男

「なっ、なっ、なっ……!?」


 私は愕然とした。理解が追いつかなかった。私はいつものように路地裏の前でソラに会い、ソラを路地裏の奥まで追いかけて、やがて見失って戻ったら……見たことのない世界。私は思わずへたり込んだ。そしてハッとし自身の服装を見た。相変わらずの夏制服にローファー。首元にかかる白銀色した髪をサッと肩に掛け直し、一息つく。そしてゆっくりと路地裏の、街行く人々の目につかぬ物陰へと身を潜めた。

 学生鞄を放置して追いかけたことを思い出す。携帯電話はあの中にある。それが心許なさをより強いものにする。


 がやがや、ざわざわ……行き交う人々の姿はとても現代的でなく、時代で言うならばヴィクトリア朝のころを想像させた。世界史の授業で取り扱った事柄が役に立つことなど、あったものではない。そこら中から蒸気が漂い、油のような鉄のような香りが鼻腔を刺す。空には分厚く灰色の雲が垂れ込めており、陽光は視認できない。


 しかしなぜだろう、路地裏の隙間から確認できる看板。そこには日本語があった。ひらがなは辺りに見えないが、少なくとも漢字とカタカナで全て表記されている。

 やっぱりここは日本なの……?そう分析しつつ、今はこんなことを考えている場合ではない、と考えを改め、眉をしかめてジッとしていた。


「ここは初めてかい、お嬢さん」


 背後から聞こえた声に心臓が跳ねた。漫画の世界であれば心臓はハートの形で口から飛び出し、目玉も飛び出ていただろう。総毛立ち、思わず叫び出しそうになったが、口に手を強く押し当て、ゆっくりと振り向いた。


 声をかけた人物は分厚いボロ切れのようなフードを被り、こちらを見下ろすかたちで立っていた。傷だらけのブーツの金具が鳴る。私はサッと後ずさりをし、ジッと声を上げず、目の前のフード人間を見つめた。


 するとフード人間は何かに気がついたのか、小さく声を上げて微笑した。男性らしきその声はどこか陽気な調子で、ごめんごめん警戒させるつもりはなかったよ、と言い、フードをバサリと上げて、続けた。


「大丈夫、この俺が来たからにはもう心配いらないさ、とりあえずこのフードを」


 その男は身に纏っていたボロボロフードを取り、こちらに投げた。私はフードをキャッチし、ごわごわした手触りに不快さを覚えつつ、目の前に立つ男の顔に驚愕した。とても日本人とは思えぬ彫りの深さと明るい犬のような茶髪、そして、平原を思わせる新緑色の目。男は髪を結び直しながらほんのり笑う。


「ひとまずここを移動しよう」


「ひとまず?そもそもここはどこで私はどうして……しかも大丈夫って、あなたはだれ……!?」


 私は思わず捲し立てるように、震える喉を抑えて訊いた。すると男はサッと人差し指を口元に当て、静かに言った。


「ここじゃ目立つ。なんせこの街の人間はゴシップや迷信が好きでね、いつも路地裏に目を向けてはため息なんか一丁前についてるのさ、ほら」


 男はそう言って路地裏の先に立つ一つの出店、その台座に肘をついてこちらをジーッと眺める一人の店主を小さく指差した。こちらを訝しむように見つめており、やがてのっそりとした口調で、私の目の前にいる茶髪緑眼の男に尋ねる。


「おぅいシャルル、そこになんかいるのか?」


「気にすんなジジイ!そこの盗っ人に商品取られるぜ」


 店主は慌てて店すみを見ると、確かに怪しげな浮浪者のような男性と、これまたみすぼらしい少年を見つけた。どうやらこの私の目の前に立つ男が言っていたことは本当らしい。


 そう感心して店主がその盗人たちを追い払う様を見ていると、またも後ろから、今度は肩をとんとんっとリズミカルに優しく叩かれた。


「今のうちに路地裏から離れるぞ」


 私はひとまずフードを深く被り(自身をすっぽりと包むほどフードは大きく、逆に目立つ気がした)、男の後に続いて路地裏を出た。路地裏を出ると、私の見ていた光景や感じていた匂いは世界のごく一部であったのだとわからされた。


 道行く人数の多さ、そこここに積もる寂寞の機械類、商店に居座るくたびれた店主と客、両側に並び立つマンションのような建物と、それら側面に血管のごとき配管……そしてやはり古くさいとも古めかしいとも言える服装。辺りには妙な煙や蒸気が漂っており、油臭いのか人臭いのかつかぬ臭気、ときおり人々の声をかき消す、蒸気機関車のような音。ガチャガチャがたがた、ざわざわひゅうひゅう、ぶるポッポー。


 あまりの情報量と理解しがたい自身の立ち位置にくるくる訪れる目眩。私のそんな状況を察したのか、いつのまにか先を歩いていたはずの男が横につき、左手を握っていた。そう、握っていた。


「えっ!?」


「んなふらっふらじゃ、店までもたないだろう。俺の右手は高くつくぜ」


 大きな、変に硬いマメをつけた、少しばかり湿気を帯びている手。しかし確かな温もりと、いつぶりだろう人間の手に私は、まどろみとも感涙ともつかぬ安堵を抱いた。


 ……ひとまずはこの男、シャルルと呼ばれていた人を信じても良いだろう。そう考えながら私は、その手を離さぬよう握り返し、なにか始まりに起こされる高揚感と後ろ髪を引かれるような不安を覚えながら、ゆっくりと歩いた。


「ぐえっ」


「うおっ!?……足下、気をつけな」


 ビタンッ!と効果音の鳴るような転倒。落ち着かせようとする思考や理性と違い、私は動転の気を残していたようだ。

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