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トラブル




 エレベーターに揺られ、降りた先にも似たような白いしろい空間。多少の差異はあれど、ほとんど同じようなものである。

 並んで歩く。見れば人がぽつぽつとおり、それぞれ両側の壁、等間隔に並んだ扉に一人ずつ付いているようだった。格好は先ほどの警官たちと同じか、白衣のようなものを来た、研究員らしき者かのどちらかだった。


 それぞれ横切る時は肝を冷やしたが、人々はこちらを少し見るだけでさほど関心はないようだった。それよりも、自身の横に立てられた扉の先にあるなにかを守るために集中しているようだ。


 更に先へ進み、次は階段を下がる。二階分ほど下がったか、ぼんやり蛍光灯だけが照らす、少し暗がりの踊り場でエヴァさんは止まった。辺りを用心深く確認し、こちらを向いて言う。


「ここまで来ればもう少しだ。後はシャルルに任せる。私も流石に、この役職を捨ててまで君を助けようとするほどお人好しではないからな」


「十分だ、ありがとな。後は任せてくれ」


 エヴァさんとシャルルは固い握手を交わし、シャルルは更に下る段差へ歩き出す。私も釣られてシャルルの背中を追いかけようとしたが、数歩で止まり、去りゆこうとするエヴァさんへ声をかけた。


「エヴァさん、ありがとう。……また会える?」


 そう言うとエヴァさんはこちらを振り向き驚いた様子を見せたが、その見開きは一瞬で、続けて優しく微笑んだ。


「また近々会うだろう。その時は、またゆっくりお話でもしようか……それじゃ、無事にね」




 階段を下り切った先にはエントランスらしき場所があった。シャルルは辺りを入念に確認して、素早く移動する。私も後に続き、後ろや死角をなるべく確認しつつ動いていた。


 やがて出入り口らしき扉が見えた。私は胸を撫で下ろし、扉ガラスの向こうに映る闇によって、現在時刻は夜であることを知った。


 ようやく……扉に近づいた、その時だった。




 施設全体が赤に染まる。同時にけたたましく鳴る警告音。




 私は驚き辺りを見渡す。シャルルも想定外だったのか、少しフリーズしつつも、慌てつつも私についてくるよう声を上げ、扉へ走り出した。


 扉の先には広大な闇。何があるかもわからず、私は立ち止まってしまった。先に行っていたシャルルがそれに気づいたのか、私の元へ走って戻り、手を取って言った。


「走るぞッ!!!」


「……うん!」


 先の見えぬ、道ともわからぬ場所を走り出す。走り出した数秒後、施設の出入り口から怒号と大量の足音が聞こえた。時折銃声のようなものまで鳴り出し、私は闇よりも光の方が怖くなった。


 建物の陰に入る。

 さまざま隔てる金網の向こうへ這い出る。

 複数の足音を背にして呼吸。

 

 それらは一瞬にして私に流れる時間の中へと溶けていった。論理的理解を置き去りにして。


 ……幾分か走っただろうか、暗順応したのか少し目が効くようになってきた。私たちが走っているのはどうやら草原らしい。


 心肺が大きく揺れつつも、振り向けば施設の光も人間の気配も遠くに見えた。施設の直上、やけに大きく見える月のような星が、これまた眩しいぐらいに輝いていた。


「はぁ……ねぇ、シャルル。あの星って……?」


「はぁ、はぁ……星ぃ?随分と呑気だな」


 シャルルはうげぇと顔を歪めながらも、あれはマリだ、と言った。


 マリ。私は反芻する。


 すると、なんだかいわれのない愉快さが胸の内から込み上げ、草原をかけながらも笑い出してしまった。シャルルは一瞬ギョッとした表情をとったが、釣られてすぐに笑い出した。


 明滅する赤い研究所、遠くにこだまする怒号と足音、私たちはそれらを他所に、マリの光とわからぬ星空の下、大層愉快に走って走って、走った。




 どれほど走っただろうか。私とシャルルはそれぞれ顔を隠すように駅構内を歩いていた。点いたり消えたりする電灯、ところどころペンキの剥げたホームの一隅、閑散としていて、居るのは私たちと、物乞いをしている少年やら飲んだくれて潰れた老人や駅員のみであった。


 やがて汽笛と駅員の呼びかけが虚しく響く。貨物列車が当駅を通過するようだ。


「ルナ、俺にしっかり捕まってな」


「え……まさかこれに乗るの!?」


「いくぜ」


 列車が減速しつつも走行したまま駅に入ってくる。先頭部分は大きく唸りをあげて、大量の蒸気を放出しながら宵闇の方へ通過してゆく。二、三両過ぎた頃か、シャルルが私の手を一層強く握り、列車へ向けて走り出した。風圧、轟音、その中で軽やかに舞う時、時間の流れはやけに遅く感じた。


「うわぁぁぁっ!?」


 刹那見えた線路の熱がやけに恐ろしい。しかし次に瞼を上げる頃には着地しており、私の足元には木張りの貨物車床が広がっていた。シャルルはがっしりと貨物車側面につく鉄柵を掴んでおり、どうも無事に飛び乗ることが出来たらしい。


「ふーっ……これで、あの研究所のやつらも追いかけてこれなくなるな」


「た、助かったぁ……ありがとうシャルル」


「もうルナはモノノベ屋の一員だ、助けんのは当たり前さ」


 がたりがたりと揺れる貨物車にくすぐられながら、シャルルは私にそう言って微笑んだ。私も、ありがとう、ともう一度言ってから、口角を上げてシャルルに答えた。


「ひとまず中に入ろうぜ。大した中身はないだろうし、トワレまでは少し時間がかかる。ここで休憩するぞ」


「うん」


 貨物車の鍵を破壊して中を見れば、そこには弾倉やら銃火器の積まれた箱がいくつかあるのみだった。二人寝転べるほどにはスペースがあり、私たちはその中で一晩を過ごすこととなった。


 列車は時折強く揺れながら、僅かな民家の明かりや遠い街の煌めきを線にして走った。空には変わらず丸いマリ。月によく似ていて、なんだか安心感を覚えた。


 やがてそのマリが大きく反射する湖らしき場所が見えた。ゆらゆら水面に映るマリはどこか叙情的で、さらにその縁、街明かりが先ほどよりも大きく強く、さらには夜雲までちらちら見えだした。


「あそこ、なに?」


「ありゃ……ツキノ湾だな。大陸周辺じゃ一番深度がある場所、なんて言われてる。海はまだまだ未知数だから本当のとこはわからないけどな」


 ツキノ湾を遠巻きながらもぐるりとするように走り続ける列車。時折強烈な音の余韻を残しつつ、ゆっくりと走り続ける中で、私はいつのまにか眠りに就いていた。

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