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不穏な調べ

 牢から出ると、そこは白であった。

 白いタイルが何枚も何枚も……まるで永遠に続くよう廊下は伸びていた。リミナルスペースは真っ直ぐにどこまでもどこまでも……先には果てしなく、同じような景色。


「この先に向かう。君は私の後に続きたまえ」


「は、はい……」


 歩き出す。ここでようやく自身の身なりが変わっていることに気がついた。

 真っ白な……患者服とでも言うのだろうか。膝下まで伸びた無垢な白生地はどことなくこの世界のものではないように思えた。きっと、トワレの街並みとギャップがあったせいだろう。履いていたブーツはこれまた白い、繋ぎ目がわからないような無地の靴。下着は……変わっていなかった。


 二足分の、コツコツと鳴る革製のブーツ音とあまり音のない靴。それぞれが大小異なれど白い壁に反響し、なにごともなかったように消えてゆく。


 真っ直ぐに伸びた廊下の両側には、これまた白い扉が等間隔に、無数に並んでいた。中の様子は見えず、どのような人物……果ては動物がいるのかわからなかった。


 ……どれほど歩いただろう、無限回廊と思われた白空間は突然終わり、私と警官の前には真っ白で窓もない、不気味さを醸し出す扉があった。思わず、喉が鳴る。


「ここに入れ」


 警官は平坦な口調でそう言った。荒々しくもなく、静か過ぎず、ただ自身のやるべきことの一つとして、言っているのだ。私は恐る恐る扉の前に立ち、白い金属製のノブを捻った。


 扉の先を見た瞬間――私はまた別世界へ転移してしまったのかと錯覚した。

 窓のない、黒々した部屋……先ほどいた牢部屋よりも狭く、ただ真ん中には一つの寂れた机と、二脚。机の上には、この部屋を唯一照らすための白熱電球がぶらり、垂れ下がっている。


 奥へと促され、私は部屋奥の椅子に座った。私の動作を確認したのか、警官はゆっくりと扉を閉め、手前の椅子に座った。……沈黙が走る。外の音は、まるでしない。




「ふぅ……ぷっ」


「え?」


「アッハハハハハ〜!!……よくここまで恐怖に勝ってくれた、天橋ルナ」




 全くわけがわからない。突然の笑みに先ほどまでの警官像が一気に崩れ去った。私はまだ夢の中にいるのかと、これまた錯覚してしまいそうだった。


 警官は被っていた重々しい帽子を取り、ボブカットほどの、よく手入れのされたと見られる美しい金髪をばさり、あらわにした。私が豆鉄砲を食らったハトのような顔をしていたからなのか、警官は微笑をたたえつつ、口を開いた。


「端的に言えば、君を助けに来た」


「っ!?」


「しばらく猶予のあることだし、少し話をしよう。私はエヴァ。エトワール警察に所属している正真正銘の警官だ。……しかし今回は事情が事情でね、シャルルと協力し、君を助けに来たというわけさ」


「シャルルが……」


 身体からなにかこわばっていたものが抜ける。声はヘロヘロで、明らかに弱々しかった。電灯に照らされキラキラ光るような緑眼を見せながら、エヴァという女性は続けた。


「もう少しで君は実験に回されるところだった……間一髪、だね」


「実験って……」


「この国の連中は意外とオカルトが好きみたいでね。君のような、異邦人とは断定できないけれど身体機能に卓越性が見られる者、をここに連れてきて、我が国の科学的発展を進めるという名目で非人道的所業の数々をしているのさ」


 シャルルの言っていた通り、いや、想像以上である。エヴァさんは憎々しそうに虚空を見つめ、再度続けた。


「ここはトワレ区画からも離れた場所だ。周囲には監獄と灯台しかない。列車としても、この辺りより少し先で終着点だ。一筋縄では脱出できない」


「……」


「まあ、そのためにも私がいる。警官という地位と……ほんの少しのコネで、ここまで難なく来られた。ここからが本番、君の頑張りも必要になってくる。だからいつまでもそんな顔をしていてはいけない。強い意志を、その青眼に刻んでおいてくれ」


「……は、はいっ」


 私はこれから起こるだろう混乱を想像し、困難と鈍痛を想起したが、精一杯の返事をし、突き刺す緑眼の視線をしかと見た。

 エヴァさんはそれを見るなり優しく微笑み、私の肩に片手を伸ばしてとんとんと叩いた。


「よし、その意気だ!……とまあ、しかし、ここにシャルルが来るのはもう少し先の予定だ。それまでゆっくりしようか……それから」


 そう言ってエヴァさんは黒衣のポケットに手を入れ、この部屋におおよそ似つかわしくない金色の、母の形見である懐中時計を出した。


「あ、それ……っ!!」


「衣服は申し訳ないが……シャルルから、これは君に欠かせない品物だと聞いてね。さっき取っておいたんだ。……大事にね」


「ありがとう、ございます」


 私は両手で懐中時計を受け取った。その際エヴァさんは革手袋をしていたのだが、ほんの少しだけ手首が見えた。痛々しくも、ほとんど他の皮膚と同色となった古傷……。


「その……エヴァさん」


「ん、どうした?」


「手首……」


「……ああ、これか」


 エヴァさんが手首辺りの袖をめくろうとした――すると扉がガチャリと開いた。警官……!!私は間隙に見えた黒服によってそれを判断し、咄嗟に立ち上がった。それよりも速くエヴァさんは立ち上がって、入ってこようとする警官の手を強く握り、机の上へその上体を押し付けていた。


「はや……」


「いったたたぁ!?おれおれ――シャルルっ!!!」

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