第一章:召喚と適応 — 失敗作と呼ばれた存在 9
第九節 初の勝利と魔族社会への第一歩
乾いた風が城の廊下を吹き抜け、私の髪を軽く揺らした。数日前の「初めての戦場」は、私にとって衝撃的だった。人間との戦争が現実であり、仲間が死ぬのを目の当たりにした苦しさ。しかし同時に、私にも“守る力”があると知れた一筋の希望。戦場の混乱の中、私が必死に展開した魔力バリアは、結果的に魔族の仲間を救ったと評価されているらしい。
もっとも、私自身は初歩的なバリアですぐに魔力が尽きてしまい、実際に活躍したとは言えないと思うのだが……。それでもエルザやミアからは「意識的に防御魔法を出せたのは進歩だ」「おかげで被害を最小限に抑えられた」と言われ、少しだけ報われる思いがする。
――あの日の衝突は、「人間軍の小規模な威力偵察」だったらしく、魔族側が一応は撃退に成功した。小さな“勝利”だ。
しかし、当然その後も戦争が終わるわけではなく、いつまた別の部隊が来るかわからない状況が続く。私にとってはほんの一歩踏み出したにすぎない。
1. 迎撃部隊の帰還と小さな祝福
戦闘から日を置かずして、エルザや前線に出ていた部隊が城へ戻ってきた。城の中庭では負傷した兵を救護したり、今後の戦略を練ったりと慌ただしい空気が流れている。その中で、私もミアと一緒に簡単な救護を手伝ったり、水や薬を運んだりしていた。
「シオンさん、傷つきませんでしたか?」
仕事の合間に声をかけてきたのは、鎧の一部が欠けた魔族兵の青年だった。彼は腕に包帯を巻きながら、私を興味深そうに見ている。
「え? あ、うん……私は大丈夫です。そっちこそ、大丈夫?」
「ああ、まぁな。この程度の傷ならすぐ治る。だけど、聞いたよ。お前がバリアを張って仲間を救ったって。初陣でそこまでやるとは、驚いたもんだ。いや、正直すまなかった。最初は“人間みたいな奴”と疑っていたんだが……。」
そう言って彼は片手を胸に当て、申し訳なさげに頭を下げる。聞けば、私が魔族を守るために行動したと噂が広がり、一部の兵からの警戒が少し緩んだらしい。
私は恐縮しながら、「いや、全然大したことしてないよ。途中で魔力切れになっちゃったし……」と返すが、青年は「それでも大きいさ」と笑う。
「お前があそこにいなければ死んでいた兵もいるだろう。完璧じゃなくても、救える命はある。」
その言葉に心が少し救われる。死んだ仲間を思うと辛いが、私が守れた命もあるという事実は否定できない。
2. エルザの叱咤と褒め言葉
そんな空気の中、エルザが近づいてきた。少し疲れた表情だが、顔には相変わらず強い意志が宿っている。周囲の兵が敬礼するのを軽く無視して、私のほうを向いた。
「シオン、あれから身体の具合はどうだ? 魔力酔いを起こしてないか?」
「うん、だいぶ回復したよ。訓練も再開できそう。」
そう答えると、エルザは「そうか」と腕を組む。周りの魔族兵が私とエルザに興味を示しているが、彼女は気にせず淡々と話を続ける。
「お前が戦場でバリアを使ったことは、部隊の連中にとってもプラスだった。実際、後方で守りに徹するだけで救われた者がいる。それは評価されるべきだ。……もっとも、まだまだ脆いバリアだがな。」
最後はいつもの辛辣な言い方だが、裏を返せば褒め言葉でもある。私は苦笑しつつ、「やっぱり脆いか……」と落ち込むように呟くと、エルザは頷く。
「ああ。大した耐久ではないし、すぐ魔力が切れる。お前がそれを強化できれば、戦場での役割は大きくなる。攻撃面が駄目でも、守るだけでも十分価値がある。」
攻撃が苦手な私にとって、防御力が活路かもしれない。そうエルザも認めてくれるのは正直嬉しいが、一方で「勇者と戦うには足りない」という暗黙のメッセージも含まれている。
「ただ、勇者相手にそんな薄いバリアは一瞬で貫かれるだろう。もっと強化しなければ何の意味もない。結局、お前はまだ“未熟な戦力”のままだ。そこを忘れるな。」
刺さる言葉。まさにその通りだ。今の私では、人間の一般兵相手にもギリギリなのに、勇者なんて想像すらできない。死と隣り合わせの戦場で生き残るには、さらに防御魔力を磨く必要があるのだ。
「……うん。わかってる。もっと頑張らないと、どうにもならないよね。」
エルザは軽く鼻を鳴らし、「それでいい」と一言だけ返して去っていく。あのクールな後ろ姿を見つめ、私は決意を新たにする。彼女の厳しさは私を責めているわけじゃない、むしろ「お前ならもっとやれるはずだ」という期待が感じられるからだ。
3. 城での小さな祝勝会?
戦闘が終わって数日、城の空気は少しだけ穏やかになっていた。大規模侵攻ではなかったため、被害が想定より少なく済んだという評価があり、魔族たちはささやかながら士気を取り戻している。
夜になると、何人かの兵が「今回の勝利を祝う」と称して小さな宴を開いていた。私もミアに誘われて参加するが、宴といっても酒を回し飲みしながら軽く談笑する程度。長い戦争続きのせいか、過剰にはしゃぐような雰囲気ではない。
集まっているのは兵士や後方支援のメンバーが中心で、皆少し疲れているが、こうして顔を合わせて語り合う時間が大事なのだろう。私は隅っこで控えめに杯を持ちながら、魔族の会話を聞いていた。
「シオン、随分しおらしいじゃないか。もっと楽しめよ。」
と声をかけてきたのは先ほどの青年兵で、片腕に包帯を巻いたままだ。私は申し訳なく笑う。
「ごめん、こういう場も初めてで……それに、まだ心が落ち着かないというか。」
「ふむ……まあ、お前、初陣だったんだっけ? 怖かったろうな。俺も最初のころは震えが止まらなかった。」
そう言うと、彼は静かに杯を傾ける。やがて落ち着いた声で続けた。
「勇者とやらに正面から勝つのは難しいかもしれないが、こういう小規模な戦いなら、お前の防御で仲間を守る場面も増えるさ。一人ずつでも救えるなら大きいんだ。」
その言葉に、ようやく少し笑顔が出せた。確かに私でも役立つ場面があるのなら、頑張ってみようと思える。勇者を倒すなんて大それたことはまだイメージできないが、こうした“初の勝利”を重ねることで自信がついてくるかもしれない。
4. 戦士として未熟なままの現実
宴も終わりに近づく頃、私はミアと一緒に部屋へ帰ろうとしていた。廊下でエルザがこちらに向かって歩いてくる。彼女は普段どおりの冷静な表情だが、私に視線を向けると口を開いた。
「シオン、これからの訓練メニューを増やす。お前が防御バリアを覚えたのはいいが、それだけでは不十分だ。動きの基礎も磨かないと、戦場で直ぐに死ぬ。」
その指摘は痛いほど分かる。バリアを出せても、移動しながら維持できなければ意味がないし、敵を見極めて発動する判断力も必要だ。私は頭を下げて素直に応じる。
「うん、お願いします。もっと動けるようにならないと、私自身も守れないし……」
「そうだ。あと、最低限の攻撃手段も習得しろ。お前が防御専門でも、殴られ放題ってわけにはいかないからな。万が一、勇者と相対した場合、逃げるまでの時間稼ぎくらいはできなきゃ困る。」
私がたじろぐのを見て、エルザは少しだけ表情を和らげる。彼女なりに気遣ってくれているのだろう。
「……ま、ひとまず、お前は戦士としては未熟だが、特殊な能力を持つことが証明された。仲間を守る道を極めるなら、それはそれで良い。勇者相手に“盾”になれる存在がいれば、こちらの攻撃役が動きやすい。」
“盾”――自分がそう呼ばれる未来が来るのかもしれない。気乗りしない表現だが、攻撃手段が弱いならせめて守りで仲間をサポートするしかない。
「仲間を守るのは大事だけど……私、本当に勇者と戦うことになるのかな……」
思わず本音がこぼれる。エルザは無言のまま少し息を吐き、それから短く言う。
「いつかはそうなるだろう。こっちが逃げても、勇者は追い詰めてくる。もし魔族を守りたいなら、お前も勇者を見据えなきゃならない。」
その言葉が突き刺さる。私にはまだ勇者と対峙する覚悟がないが、現実は甘くない。神の意思に従う勇者がいずれ全面攻勢をかけてくるなら、逃げ場などないのだ。
5. 新たな可能性の発見と、今後への展望
エルザと別れ、部屋に戻ってミアと話していると、自然と“これからどうするか”という話題に移った。私はベッドに腰掛け、杖を見つめながら呟く。
「私、今回の戦いで少しは役立てたのかな……でも、やっぱり怖かったし、何度も魔力が尽きかけたし……」
「でも、守れた人がいたわけですから、意味はありますよ。シオンさんは戦士としてはまだ未熟だけど、“バリア”の才能はあるとエルザさんも言ってるじゃないですか。」
ミアの声は優しい。私はうつむいたまま続ける。
「うん、それは嬉しいけど、勇者と戦うには力不足……。実際、もしあの場に勇者がいたら、私のバリアなんて一瞬で破られてみんな死んでたよね……」
恐ろしい想像だが、決して絵空事ではない。私が必死に張ったバリアも、あの勇者エリシアの一撃で粉砕されるだろう。あの日、少数の人間兵だったからこそ何とか乗り切れたが、より強大な敵には通用しない。
「でも、そこがスタートですよ。今は弱くても、“伸びしろ”があるじゃないですか。神や勇者に立ち向かうにはまだまだだけど、今回の勝利はシオンさんにとって大事な一歩だと思います。」
ミアの励ましに、私はようやく微笑む。確かに前は“防御すら発動できない”状態だったのに、今は少なくとも1回や2回はバリアを展開できるようになった。人を救えたという実績もある。
小さな成長――たかがそれだけとも言えるが、私には大きい意味がある。自分が本当に何もできない存在だと思っていたが、今は少しだけ役に立てる道が見えた。もっと訓練を積めば、バリアの耐久や持続時間も伸びるだろうし、戦士としての機動力も身につけられるかもしれない。
「……そうだね。もっと頑張って、いずれは勇者にも通用する防御を作れるように……」
口に出してみると、なんだか気恥ずかしい。でも、目標としては悪くない。攻撃がダメなら守りを極めればいい。それがやがて、神にも勇者にも抗える大きな力に化ける可能性だってある。
6. 魔族社会の変化――シオンへの評価
翌日、私は城の廊下を歩いていると、数名の魔族兵から軽く会釈される。以前は私を完全に警戒する様子だったのに、今は多少の敬意が混ざった感じがする。
「おはよう。……お前、この前の戦場でバリアを張ったやつだよな?」
声をかけてきたのは知らない兵士だが、彼は敵意というより興味を持っている様子だ。私が「はい、そうです」と答えると、彼は頷き、
「噂で聞いたぜ。戦士としてはまだまだらしいが、珍しい防御魔法を使うらしいな。……まあ、城の連中も『シオンって奴は戦力になりそう』って話してるから、期待してるぜ。」
そう言って去っていった。私は思わず呆気にとられる。たった一度の小競り合いに出ただけで、ここまで評価が変わるとは思っていなかった。とはいえ、“戦力になりそう”という微妙な言い回しから、「今はまだ不十分」というニュアンスが透けて見えるのも事実。
(でも、みんなが私を“危険な人間に似た存在”じゃなくて“仲間かもしれない存在”と捉え始めたのは大きいかも……)
小さな勝利だったが、その効果は確実に魔族たちの心に波紋を広げている。私自身も彼らにとって“よそ者”ではなくなり始めているのかもしれない――それが少し嬉しい。
7. 改めて突きつけられる勇者の壁
しかし、その夜、王やガルザなど城の上層部が開いた会合にエルザと一緒に呼ばれた。そこで語られたのは、“次に大きな侵攻が来る可能性”や、“勇者の動き”といった話題。とくに勇者エリシアが別の前線で魔族の拠点を落としたという報せが入り、重苦しい空気が漂っていた。
王が私に視線を向ける。
「シオン、先の小競り合いでバリアを使い、味方を救ったそうだな。功績は大いに認める。だが、勇者が本格的に攻めてくるならば、その程度の力では何も守れんぞ。」
厳しい口調だ。私は思わず体を強張らせる。王は続ける。
「もちろん、今すぐに勇者と戦えとは言わない。だが、戦場ではこれから何度も小競り合いが起きるだろう。そのたびに、お前は覚悟を試される。戦士として成長しろ。……さもなくば、この小さな勝利も無意味となる。」
理不尽なまでに厳しい発言。でも事実だ。初の勝利はあくまで“小規模な偵察部隊相手”でしかない。本当に勇者が来たら、城全体が滅びかねない。私は唇を噛みしめつつ、「はい、もっと訓練して頑張ります……」と答えるしかなかった。
ガルザも深いため息をつきながら言う。
「お前の防御バリアは興味深いが、制御が甘い。連続使用に耐えられんし、範囲も狭い。これから鍛錬を重ねるのはもちろん、研究所でも魔力効率を上げる方法を模索しようではないか。」
そういう提案はありがたいが、それにしても勇者とのレベル差を再認識させられてしまう。世界のトップクラスの殺戮者相手に、今の私が対抗策を持てるのはずっと先の話だろう。
8. シオンの小さな決意
会合が終わり、私は廊下に出て一人で歩いていた。頭の中は王やガルザの言葉でいっぱいだ。勇者の脅威、神の支配、魔族の苦境――小さな勝利で浮かれる余地はないという現実。
だが、その中でも私は、初の実戦で学んだことがある。“戦えない”と思っていた私が、防御バリアで誰かを救えた。そして魔族たちに「シオンは役立つかもしれない」と認識させられた。それは確かな成果だ。
(まだ勇者に挑むなんて無理だけど、やっぱり私は“守る力”を伸ばそう。いつか、もっと大きな力になれるように。)
そう決めた。剣を振る才能がなければ、盾になればいい。攻撃は得意なエルザや他の魔族に任せても、私は後ろから仲間を守る。これも立派な戦い方だろう。
もちろん、防御だけでは勝てない。その限界を痛感させられるのはいつかもしれないけれど、“戦う理由”を見つけないまま、ただ逃げるよりマシだと私は思う。
城の窓の外を見下ろすと、魔族の街の灯りが点々と輝いている。そこには家族を持つ者や、子どもを育てる者が暮らしている。彼らの生活を守るために魔族軍が日々闘っている。その一員として私が何か少しでも貢献できるなら……。
「勇者と戦うには力不足……でも、私は私のペースで強くなる。」
壁に手をついて呟く。胸には不思議な熱がこみ上げる。あの日、バリアを張れた瞬間の感覚――“私にも守れるんだ”という手応えが脳裏に蘇る。あれをもっと強化すれば、いつか……大きな盾になるかもしれない。
9. 明日への一歩
翌朝、エルザから早速連絡が入り、訓練が始まった。内容は主にバリア維持の演習と、身体の機動力を鍛える基礎運動。木剣も握らされ、最小限の反撃を覚えるように指示される。
汗をかきながらも、私は前向きだ。戦士として未熟だからこそ伸びしろがあるし、防御バリアに特化する道筋も見えてきた。
「お前はまず、“仲間を守る”ことを最優先に考えろ。攻撃に向かうのは二の次だ。」
エルザはそう断言する。私に無理に攻撃をさせても効率が悪いと感じたのだろう。私は感謝しつつ、「はい、頑張ります」と拳を握る。
もし勇者が攻めてきたとき、私のバリアがどこまで通じるかは分からない。でも、そのときまでに少しでも成長しなければ、多くの命が失われる可能性がある。だからこそ、一日一日の訓練が命に直結するのだ。
休憩中、ミアがやってきて水を差し入れてくれる。彼女は研究所で化学的なアプローチを試みる一方、私の訓練もサポートしてくれるという。二人三脚で“シオンの防御力強化プロジェクト”を進めるつもりらしい。
「いつか、シオンさんが勇者の攻撃を完璧に防ぐ瞬間が来るかもしれませんよ。」
ミアが冗談めかして笑う。私は苦笑いしながら答える。
「……そこまで強くなれるかわからないけど、目標にはなるよね。あと、研究所の技術があれば、バリアを強化する装置とか作れないかな……」
彼女は嬉しそうに「面白そうです!」と声を上げる。そう、これからは“魔法×科学”の手段もある。私が持つ微々たる化学知識が、魔族の魔力理論と融合すれば、新たな可能性が生まれるかもしれない。
夕方になり、訓練を終えるころには全身が汗でぐっしょりだが、心は軽かった。初の戦場で感じた絶望と恐怖は消えないけれど、私には“守る”という選択肢がある――その一歩を踏み出せた気がする。
魔族社会ではまだ“人間に似た存在”として微妙な立ち位置だろうが、私が小さな実績を積み重ねれば、彼らも私を仲間と認めてくれるはずだ。その兆しはすでにある。
それに、王やエルザたちも私をまったく見放してはいない。戦士としては未熟でも、防御に特化すれば戦力となる可能性があると理解している。この“新たな可能性”が、私を少しだけ勇気づけてくれる。
城の屋上から赤みを帯びた空を見上げると、結界の向こうに広がる風景がどこか神秘的に映る。神の支配と戦う魔族の世界――私は今ここで、小さな勝利を手にし、小さな自信を得た。
だけど、大きな脅威である勇者には遠く及ばない。その“力不足”を痛感しながらも、私は未来を睨んでみる。いずれ、もっと強固なバリアを作り、仲間を守りたい。その先に、私が本当に勇者と相対するときが来るのかは分からない。でも、成長を続ければ今より少しはマシな結果を掴めるかもしれない。
(守るために生きる――それが私の在り方になるのかも、しれない。)
そう呟き、私は城の石段を下りていく。夕暮れの風が背中を押してくれるような気がした。多くの犠牲が出る戦いを前に、私ができることはまだ小さなものかもしれない。
だが――それでも、一歩一歩、魔族の一員として踏み出す私は、ようやく**“新たな可能性”**を見つけ始めているのだ。
(続く)