第一章:召喚と適応 — 失敗作と呼ばれた存在 7
第七節 魔族の研究者との対話(魔法と科学の交差)
城の廊下を抜け、螺旋階段を一歩一歩上っていく。いつもは動くだけで息が上がる魔力適応の問題も、ここ数日で少しずつ改善してきたと感じる。もっとも、それでも長い移動はしんどいが、今日は「研究施設」に行くと聞いて心が踊っていた。
「シオンさん、今日はガルザ様の研究室とは別のところですよ。もうちょっと広いというか、いろいろ実験をやっている場所で……」
ミアは先を行きながらそう説明する。魔族の“研究”といっても、ガルザのような召喚術や魔法理論ばかりではなく、科学技術に近い分野もあるらしい。私は異世界人とはいえ、もともと化学の授業が少し好きなくらいの知識しかないが、それでも彼らにとっては「新鮮な情報」になる可能性があるとミアは言う。
「あまり期待されても……私、普通の学生レベルなんだけど。化学や物理の専門家とかじゃないよ?」
そう不安を漏らすと、ミアは「それでも十分役に立ちますよ」と微笑む。どうやら私の“異世界の知識”に大きな価値を見出す魔族もいるらしく、今回はそこの研究者と話をすることになったのだ。
やがて階段を上りきると、重厚な鉄の扉が見えてきた。そこには複雑な魔力の紋章が浮かび上がっている。ミアがその紋章に手をかざし、いくつか呪文のような言葉を唱えると、扉がガチャンと音を立てて開いた。
「ここが研究施設ですよ。結構広いですけど、危険な実験も多いので気をつけてくださいね。」
扉の向こうに広がるのは、まるで巨大な工房のような空間だった。石造りの壁に無数のパイプやケーブルが這い回り、宙を走る金属製のレールがいくつも交差している。そこかしこから湯気のようなものや淡い光が立ち上り、テーブルには何やら液体の入ったガラス容器や、魔導書と思しきものが山積みになっていた。
魔族がちらほらと動き回り、器具を操作したり魔法陣に魔力を注いだりしている。白衣のようなローブを着た人物や、ゴーグルらしきものを装着した者までいて、その姿は一瞬で私の興味をかき立てた。
「うわ……すごいね、思ってた以上に“研究室”だ。」
「ふふ、驚きますよね? 私も初めて来たときはびっくりしました。魔法だけじゃなく、機械や物理の理論も一部導入されているんです。」
ミアの言葉に頷く。確かに単なる“魔法の工房”というよりは、近代的なラボの雰囲気が混ざっている。管やタンクらしき装置が連結し、魔力の流れを制御しているように見えるし、所々に見知らぬ文字が書かれたプレートが貼られている。
エルザが先に言っていた“魔族の技術”というのはこういう形で発達しているのかもしれない。人間に比べ、魔力の活用が進んでいるのはもちろんだが、その一方で科学の要素も取り入れている――そんな印象を受けた。
「おっと、君が……例の『異世界の化学知識を持つかもしれない子』かな?」
不意に声をかけられ振り向くと、そこには白髪で背が低く、片角の魔族が立っていた。ローブの裾からはメカニカルな腕が覗き、杖の代わりに何か金属製の棒を持っている。見た目は老齢にも見えるが、目は若々しい光を放っている。
「え、あ、はい……シオンといいます。化学ってほど詳しくはないんですけど……」
「ふむ、シオン君か。私はレイバといってね、この施設の管理を任されている。ミアから話を聞いたよ、異世界の基礎化学や物理の知識を少し持っているとか。」
ミアは横から「レイバさんはここの研究員たちをまとめている責任者です」と補足する。なるほど、どうやら偉い人のようだ。私は恐縮して一礼しつつ「ご挨拶が遅れてすみません」と言うと、レイバは笑みを浮かべた。
「いやいや、堅苦しいのは苦手でね。ここでは自由に実験したり、議論したりできる空間を目指しているんだ。さ、案内するよ。」
彼に促され、ミアと私は施設の内部を見学することになった。通路を進むと、大小の部屋がいくつもあり、各部屋ごとに違うテーマの研究が行われているらしい。ある部屋では魔力を電気に変換する実験をしていたり、別の部屋では植物の成長を促進する魔法の効果を測定していたり。
中には部屋の中央に大きな魔導炉が据えられ、赤い液体がグツグツ煮え立っている光景もあった。まるで化学実験と錬金術が入り混じった奇妙な世界……見ているだけでワクワクしてくる一方、物騒な薬品や装置もありそうで若干怖い。
「ここでは“エーテス”――世界に満ちる魔力を活用する技術を発展させようとしているんだ。単に魔法を使うだけじゃなく、科学的なアプローチで再現性を高める目的がある。」
レイバが簡潔に説明する。なるほど、魔族は神の支配に対抗するためにも、安定した技術を求めているのだろう。魔法だけに頼ると、使用者の資質や感情に左右されやすいが、科学的手法を組み合わせれば、より多くの魔族が恩恵を受けられるかもしれない。
ふと目に留まったのは、床に据えられた巨大な水晶。そこから紫色の光が漏れ出し、何本かの管を通じて隣の装置へ流れ込んでいる。まるで発電機のようにも見えるが、魔力を蓄えているのかもしれない。
「これは何をしているんですか?」
私が尋ねると、レイバは楽しそうに水晶をコンコンと叩く。
「これは“魔力結晶”を利用したエーテスエンジンさ。結晶内にエーテスを溜め込み、必要に応じて管を通じて装置に供給している。いわば魔力の蓄電システムだね。」
「魔力の蓄電……すごい。人間界だと電力を蓄えるバッテリーみたいなものですか?」
「バッテリー? ああ、それが君の世界の蓄電装置の概念かな。そうだね、原理は似ていると思う。まさに“魔力を電気のように扱う”研究の一環なんだ。」
電気――私の世界なら、電池や発電所、電線を使って電気をやりとりしている。でも、ここではそれが“エーテス”という形に置き換わっているわけか。魔法が当たり前のようにある世界でも、こういう技術が求められているのは興味深い。
レイバはさらに奥の装置を指差す。そこには複数の管が螺旋状に絡まり、青い炎のようなものが時々吹き出している。
「あちらは『エーテスを熱エネルギーに変換する実験』だ。まあ、一部成功してるけど、制御が難しいんだな。管が破裂しないように魔法陣で補強しているが、もし制御に失敗したら爆発するかもしれない。」
「爆発……怖いですね……。でも、それが成功すれば、“ボイラー”みたいに使えたりするかも……?」
言葉を口にしてから、そうだ、この世界にボイラーという概念はあるのか? と自問する。レイバは「ボイラー?」と首を傾げるが、ミアが横から説明してくれる。
「ええと、シオンさんのいた世界では、熱で水を沸かして蒸気をつくり、それを動力にする“蒸気機関”のような技術があるんですって。私も話を聞いた程度ですけど……」
「そうそう、蒸気機関みたいなもので動かせるなら、魔族の重い装備や移動手段を効率化できるかもしれないよね。」
私がそう語ると、レイバは目を丸くして興味深げにこちらを見つめた。
「なるほど……魔力を熱に変換して蒸気を生み出すのか。それを機械に伝達すれば、大きな動力が得られるかもしれない。これは面白い着想だね。」
思わず嬉しくなる。私の世界では既に昔の技術かもしれないが、ここでは画期的な発想になり得る。エーテスの安定供給が可能なら、長時間稼働する蒸気機関が作れるかもしれないし、その応用も広がるだろう。
しばらく見学を続けるうちに、エーテスや魔族のエネルギー管理技術の概要が分かってきた。この世界では**“エーテス”** が空気中や生物の中に存在し、魔法を使う際の原動力になる。
一方、魔族はそのエーテスを効率的に溜めたり、装置に送ったりする技術を少しずつ発展させてきた。けれど、神や勇者の使う**“カルヴァリオン”** という力には対抗できず、結局は戦争に負け続けているのが現状らしい。
研究所の一角には、神と勇者の力を分析しようとするプロジェクトがあり、そこでは“カルヴァリオン汚染”の痕跡を調べていた。壁には黒ずんだ跡や、結晶化した何かが貼り付いている。見るだけで不気味だが、彼らは必死にそれを解明しようとしている。
「もしカルヴァリオンを逆転できる技術があれば、勇者に正面から挑む術も生まれるんですが……今のところ、成果は薄いんです。」
レイバがそう呟き、疲れたように微苦笑する。私も話に聞いただけだが、カルヴァリオンは“神の意志”を帯びているとか。“浄化”というより“汚染”に近い力とされ、魔族や生態系を侵食する。対抗策が見つからないまま、長い戦争が続いている。
「それなら、もしかして“中和”とか使えないのかな……。酸とアルカリを混ぜるみたいに、相反する性質で打ち消すとか……?」
自分でも乱暴な思考だと思うが、化学の基礎にはそういう概念がある。レイバは目をキラリと光らせ、「酸? アルカリ?」と食いついてくる。
「その……私のいた世界では、性質の反対同士を混ぜると中和するっていう仕組みがあって……たとえば酸性の液体とアルカリ性の液体を混ぜると、互いの特徴が打ち消されて水っぽくなる、とか……。」
レイバは腕を組み、少し考え込んでいる。
「ふむ……つまり、カルヴァリオンにも“酸”のような偏った性質があって、それに対抗する“アルカリ”のような力があれば中和できるかもしれない……と?」
「そ、そうですね。エーテスがその反対性を担うのか、あるいは別の物質が必要なのかはわかりませんけど……」
私は歯切れ悪く言葉を並べる。自分でも完全な理屈を説明できない。ただ、科学の考え方が魔力理論に活かせるかもしれない――そんな希望があるだけだ。
「面白い発想だ。カルヴァリオンが“汚染”と呼ばれる理由も、ある種の偏った波長やエネルギーを持っているからかもしれない。……もし中和できれば、神や勇者の力を無効化する道筋が見えるかもな。」
研究所の他の魔族も興味深そうに耳を傾けている。中にはメモを取る者もいる。私は急に注目を浴びて落ち着かないが、それでもこうして“化学知識”がヒントになるなら嬉しい。
「でも……あまり大きな声じゃ言えないんですが、私、そこまで詳しくないんです。ある程度の高校レベル? みたいな知識で……ご期待に沿えなかったらすみません。」
恥ずかしそうに告げると、レイバは首を左右に振る。
「いや、そこまで高尚な理論を求めているわけではないさ。むしろ基礎の積み上げが一番大事なんだ。ここの誰も“酸やアルカリ”という概念をきちんと整理できていない。色の変化を魔法で見ている程度なんだよ。」
そういえば、色の変化でpHを調べるリトマス紙のような実験は、人間界では中学校レベルだ。その程度でも、魔族には新鮮かもしれない。私は思わず「じゃあ、試しにリトマス試験紙っぽいもの作れるかも」とつぶやく。
ミアは「リトマスって何ですか?」と目を輝かせる。私が「染料を使って酸性・アルカリ性を色で判断する紙だよ」と説明すると、周囲の研究者も「ほほう」と興味深げに耳を傾ける。こういうのって小学生実験セットみたいだけど、異世界では革新的な実験道具になるのかもしれない。
一通り研究施設を見学した後、レイバが簡易的な会議スペースに私とミアを招き、「少し詳しい話を聞かせてほしい」と言う。テーブルに座り、私は思い出せる範囲で理科の基礎知識を話し始めた。酸とアルカリ、燃焼と酸化還元、沸点や融点の概念など、本当に初歩的なこと。
「なるほど。“酸化”とは、魔法でいうところの“燃焼”と近いけど、材料ごとに温度や条件が異なるわけか。確かに、我々は火の魔法で一括りにしていた面があるかもしれない。」
レイバが感心してメモを取っている。研究者数名も「そっか、温度による状態変化を体系化できるのか」と頷いている。私からすれば当たり前すぎる話でも、異世界では魔法理論と結びつけることで新しい発想が生まれるようだ。
「もし魔法で温度をコントロールしつつ、蒸留や融解を行えれば、素材の純度を高められるかもしれない。そうすれば、もっと強力な魔導具や薬品を作れるのでは……」
「そして、その薬品の組み合わせや反応を調べれば、新しい化合物が生まれる可能性もある。例えば“爆発物”や“燃料”も、もっと効率が良くなるかも……」
……と、こんな感じで私もつい熱が入る。いざ話し始めると、高校の化学で覚えた反応式や有機化学の断片なども思い浮かんできて、それを雑多に説明する。まるで学問をペラペラ語っているようだが、専門家レベルではないから断定できない箇所も多い。
「いやぁ、なかなか刺激的だな。シオン君、協力してもらえないか? こちらにいる研究者たちと一緒に、簡単な実験をやってみよう。」
レイバが嬉しそうに言う。もちろん、私が全工程を指揮できるわけじゃないし、実験装置もどこまで揃うか不明だ。でも、既存の魔族技術と私の断片的な化学知識を合わせれば、新しい何かが見えてくるのかもしれない。
「それで少しでも戦力強化や生活の向上につながるなら、私も協力したいです。ただ、上手くいく保証はないですよ?」
「承知の上さ。私たちも長年手探りでやってきたし、失敗も山ほどある。だが、異世界人の視点は大きな転機になる可能性があるんだ。特に、神に対抗する方法を見つけるためにはね。」
神に対抗する――結局そこに行き着くのか。でも今の私は多少なりとも前向きだ。戦場で剣を振るわなくても、この“研究”で貢献できるかもしれない。勇者と直接戦うだけが役目じゃなく、後方支援だって重要だろう。
ミアも安堵の表情で微笑む。
「よかったですね、シオンさん。きっとここで新しい視点がたくさん得られますよ。エルザさんの訓練だけじゃなく、研究面での役割も見えてくれば、王やほかの方々の評価も変わると思います。」
確かに、エルザに“戦士の才能がない”と見放されそうになった私は、こういう方向で頑張るのもありかもしれない。何かしら形にできれば、私が“召喚された意味”も少しは見えてくるだろう。
話が一段落すると、施設内で簡単なデモンストレーションをやってみようということになった。何人かの研究者が集まり、私が口頭で説明する“リトマス試験紙”の作り方を試してみることになったのだ。
リトマス粉末(あるいは似たような染料)を探し出し、水に溶かして紙を染める――という単純な行程だが、異世界の素材を使うため、どれだけ再現できるか分からない。しかし、研究者たちは非常に熱心で、あっという間に数枚の紙を染め上げて乾燥させるまで漕ぎつけた。
「それじゃあ、試しに……この液体とかに浸してみますか?」と私はどきどきしながら提案する。手元にはいくつかの薬品や魔物の体液が用意されていた。怖いが、彼らは慣れているらしい。
「こいつは比較的安全な素材だから問題ない。どうなるか見せてくれ。」
一枚の染色紙を液体に浸すと、ほんのりと色が変化していくのがわかる。魔族の研究者たちが「おお」と声を上げ、急いで色の変化を記録している。私も内心ガッツポーズだ。まさかこんな基礎実験が画期的成果扱いされるなんて……と思うと不思議だが、やりがいを感じる。
もちろん、本格的な分析にはまだまだ課題が山積みらしい。しかし、この小さな成功が「科学的手法を取り入れる」モチベーションを高めるきっかけになるなら嬉しいことだ。
ひと通りのデモが終わる頃には、私はすっかりこの空間に馴染んでいた。研究者たちとの会話も盛り上がり、雑多な化学の話題から実験アイデアが次々と飛び出す。ミアが「こんなに喋るシオンさん、初めて見ました」と茶化すほど、私は興奮していた。
昼を過ぎ、簡単な食事を取る。研究室の食堂には魔族用の料理が並んでいるが、今はすっかり慣れたものだ。香草の香りが強いスープや、黒いパンのようなものを頬張りながら、私はふと思う。
(私が“勇者と戦う”ための力はまだ遠いけど、こうして研究に協力できれば、魔族にとってもプラスになるんじゃないか……)
それが神や勇者への対抗策に直結するかは分からない。だけど、私がいるからこそ進む研究もあるかもしれない。それが結果的に世界を変える一歩になる可能性だってある。
エルザのように前線で剣を振るわなくても、後方で支援することだって立派な戦い方じゃないか?――そんな考えが浮かんで、少し胸が温かくなる。
「シオンさん、これからも時間があるときに来てくださると嬉しいです。ほかにもいろいろ試したい実験があって……」
昼食後、レイバが人の良さそうな笑顔で声をかける。研究者数名も「ぜひ!」と言ってくれており、私は笑顔でうなずいた。
「もちろん、来られる範囲で協力します。訓練の合間にも顔を出していいですか?」
「大歓迎さ。魔物の素材の取り扱いも慣れれば楽しいもんだよ。」
……楽しいかどうかはまだ微妙だけど、研究への熱意は感じる。私も化学実験が嫌いじゃないし、役立つならやってみたい。
「それにね、シオン君が化学という発想を持ってきてくれたのは大きいんだ。われわれが『魔力=魔法の理論だけで見てきた世界』に、物質の性質を踏まえた考え方が加わるのは、革命的かもしれない。」
そう言われると照れ臭い。私自身、そんなに大層な理論を語れるわけじゃないが、彼らの世界観にとって化学的アプローチは新鮮なのだろう。
ミアが目を輝かせて私の腕を軽く叩く。
「よかったですね、シオンさん。エルザさんも『こいつは防御に素質があるかも』って言ってましたし、研究面でも期待されてるし、何かどんどん活躍が増えてますね!」
「……まだ成果は出てないけど、こうして必要とされるのは嬉しいかも。頑張ってみるよ。」
笑い合いながら施設の通路を歩く。いつの間にか日が傾きかけていて、窓から差し込む光も赤みを帯びている。
初めて足を踏み入れた研究施設で、私は“魔法と科学の交差”を間近に見た。ここでは魔力を使った大胆な実験が日夜行われており、危険と隣り合わせだが、それでも新しい可能性を求めて研究者たちは奮闘している。私の世界で言うところの産業革命や科学革命のようなものが、魔法と融合した形で行われようとしているのかもしれない。
帰り際、レイバが私に声をかける。
「シオン君、もし知ってる範囲でいいから、化学の公式や基礎的な法則を文書にまとめられないか? こちらで翻訳魔法をかけて整理してみるんだが……」
「あ、うん、できることは協力します。……ただ、私も思い出すのに時間かかるかもしれない。教科書があるわけじゃないし。」
「それでも構わんさ。それが出発点になり得るからね。」
ノートか何かに書き出してみるのもアリだろう。ニュートンの運動法則とか、質量保存の法則とか、酸と塩基の中和反応……覚えてる範囲は限られているが、やってみるしかない。私がここにきて出来る数少ない貢献だと思えば、モチベーションも湧いてくる。
ミアは「私も手伝いますよ」と乗り気だ。翻訳魔法や魔族文字を書くのをサポートしてくれるらしい。
「じゃあ、また近いうちに来ますね。今日は本当にありがとうございました……!」
そう挨拶すると、研究者たちも「面白かったよ」「また実験しよう」と手を振る。人間(のように見える存在)なのに、皆フレンドリーだ。ここには“知識”を求める者が多いためか、私を警戒する研究者は少ないのかもしれない。その雰囲気にホッとする。
城に戻る帰り道、ミアが嬉しそうに口を開いた。
「よかったですね、シオンさん。ちゃんと“役立つかも”って思ってくれる人がいるんですから。」
「うん……私、自分に何ができるかわからなかったけど、少なくともこういう形で力になれるなら、やりたい。」
エルザのところでは“戦士としての才能ゼロ”だと落ち込んだ日もあったが、こうして研究方面であれば上手くいきそうな気がしてきた。勇者と剣を交える覚悟はまだないが、戦争の役に立てる可能性はある――そんな希望が、私の胸を少しだけ軽くする。
ただ、一方で“研究が神や勇者を打ち破る手段に直結する”かは分からない。時間のかかる作業だし、成果が出る前に人間軍が攻め込んでくる可能性だって大いにある。それでも、何もしないよりはマシだ。
私は歩きながら、自分の意志を確かめるように拳を握りしめる。神という絶対的存在、そして勇者。その脅威は計り知れないが、魔族は生き残りをかけて“科学×魔法”の道を模索している。私もその一端を担えるなら、協力したい。
(これが、私がこの世界で見つけた生き方のひとつ……なのかもしれない。)
まだ葛藤はある。人間との戦争という現実は重い。でも、私はもう自分がただの無力な存在ではないと少しだけ思える。化学の知識はほんの基礎でも、この世界では有効だ。私がここに召喚された意味が一筋だけ見え始めている――そんな予感に胸が熱くなった。
「シオンさん……? どうかしましたか?」
急に立ち止まった私を見て、ミアが首をかしげる。私は少し照れながら、微笑み返す。
「ううん、なんでもない。ただ、ありがとう、ミア。私、もう少し頑張ってみるよ。研究も、魔力適応の訓練も……」
ミアは嬉しそうに頷き、「こちらこそよろしくお願いします!」と返す。
こうして、私は“魔法と科学が交差する研究”に関わる道を踏み出した。防御面の訓練と合わせて、忙しくなりそうだが、不思議と悪い気はしない。むしろ、異世界に来たからこそ成せることがあると考えると、ワクワクに近い感情も湧いてくる。
城へ向かう夕焼け色の廊下。その先にどんな未来が待っているのかはわからない。でも、きっと私はここで“何か”を生み出せるかもしれない――魔力の世界と化学の知識の融合、それが神に対抗する一歩につながるなら、この新しい道も悪くないと思えたのだった。
(続く)