婚約破棄?
「……婚約破棄をしたいと思う」
若の言葉にワタクシはお茶をしていた手を止めました。
婚約破棄?
なんだかそのようなことを言った気がしましたが、気のせいでしょう。
色とりどりの他の令嬢のドレスを眺めながら、ワタクシは庭に設置した畳の上で正座をして再び、お茶を口に運びます。
カコン!
ワタクシが設置した竹の筧から流れ出た水を受け鹿威しがいい音色を立てました。
チリリン。
窓辺に設置した、風鈴もいい音を奏でてくれます。
「はあ、心が洗われていきますわ」
ワタクシは、至福のひとときを味わい尽くしていました。
若が近づいてきて、ワタクシに言います。
「何をやっているのだお前は?」
若がよくわからない質問をしてきます。
「茶会をしております」
「これのどこが茶会なのだ?」
今日は茶会との話だったので、ワタクシは完璧な茶会を用意しておりました。
綺麗な清涼なお水。
洗練された茶葉。
テーブルの上には急須が陽の光を浴びてきらめいておりました。
茶碗は春らしく花びらの絵がかいてあります。
不備は何一つありません。
私は、抹茶を茶碗に入れ、お湯を注ぎます。
茶碗に茶筅で抹茶とお湯を混ぜ、心を込めて泡立てます。
「どうぞお取りくださいませ」
ワタクシは、和菓子とお茶を若にお渡しました。
若は、乱暴にお茶菓子を口に放り込むと咀嚼します。
そして、ワタクシがたてたお茶で流し込みます。
「うまい……ではなくて」
「そうですね。『結構なお点前』といっていただけると嬉しゅうございます」
『結構なお点前』の意味は『まあまあ、おいしいからいただきます』という意味。
若の身分であれば、バッチリ。
一度でいいから言ってもらいたいものです。
「そうでもない。俺はお茶会をやると言ったんだぞ。周りを見てみろ」
なにやら他の令嬢は、ティーカップを持って優雅に薔薇の花を眺めながら過ごしています。
ワタクシのように着物を着ている者も一人もおりません。
どうやらお茶の種類も全く違うようですが、問題はありません。
ワタクシは頷きながら言いました。
「わびさびを感じる心こそが、お茶会に必要なのです」
若は頭を抱えておりました。
「もはや、同じ言語をはなしているはずなのに、何を言っているかわからぬ」
本当に不思議です。
私は前世の記憶があります。
前世では、和の国の姫でした。
まるで違う世界のはずなのに、同じ言語を話しています。
この世界では、上級社会なのに、侍や武士といった方はひとりもおらず、
男の方もだれも髷すらしておりません。
髪の色や目の色も様々で、赤、茶色、青と絵具でしか見たことない色の者ばかり。
ワタクシのように、黒髪で黒目の者など誰一人いません。
若にいたっては、黄金の髪に、翡翠色をした目をしております。
もはや存在自体が、宝石のようです。
顔立ちも端正でいくらでも見ていられます。
私が見とれて、いると、若が手をならして、皆の注目を集めました。
そして、ワタクシに向かって宣伝します。
「俺はお前との婚約を破棄する!」
会場にざわめく……ということもありませんでした。
みな納得の表情をしています。
「な、なぜそのようなことを」
ワタクシは人生で初めて動揺しました。
「逆になぜわからない!?」
婚約破棄をすると、自分で言ったはずの若も動揺しました。
「若、ワタクシにはさっぱり見当もつきません」
「まずその若というのもやめろ」
「殿の息子なのですから、若で間違いありません」
「父上を殿と呼ぶな! 国王と呼べ」
「申し訳ございません。どうしても殿といってしまうのです」
前世で染みついた口調はなかなか治りません。
だってまだ、前世の人生の方が長いのです。
前世ではしきたりばかり躾られており、魂に染みついております。
ワタクシはなおすことを諦めました。
「まあ、もういい。今日から俺とお前は、なんの縁もない。婚約破棄したのは俺だ。好きに俺のことを罵って出て行くがいい」
「貴方様に非があろうはずがありません。あるとすればワタクシが悪いのでしょう」
「そ、そうだ。お前が、もう少し常識的になふるまいをしてくれれば……」
「ですがワタクシはワタクシでありたいと思います」
自分を曲げてなにが人生でしょう。
大和魂が、郷に入っては郷に従うことを許してくれません。
「それは、まあ、仕方ない。だから俺は、婚約破棄を……」
「ただ若にとって私がふさわしくないというのであれば、死んでお詫び申し上げます」
「はっ? えっ? 死んで詫びるだと」
「はい。若と結婚できないのであれば、潔く死のうと思います!」
ワタクシは、若に負けず劣らず、宣言しました。
今度は会場がざわめきます。
若の顔は真っ赤になったり、青くなったりそれはもう大忙しです。
「だから、なんでそうなるのだ! ならん!」
「ならんとおっしゃられましても、婚約を破棄するのでございましょう? ワタクシは若がいなくては生きていけませぬ」
これは本心です。
自分を曲げることはできませんが、若を愛しているのも事実。
二つ同時に成すためには死ぬしかありません。
「そんなことは許さん!」
「婚約破棄するのは、若なのですから、ワタクシがどこで死のうと問題ないでしょう」
「それは……」
ワタクシは、懐刀を取り出しました。
「なので、この場で死にます!」
「なんで、そんなものを持っているのだ!」
「異国の地で私が生きていると知れば、不安でございましょう。ここで死んで差し上げることこそが貴方様への最大の愛でございます」
「あいかわらず、無茶苦茶だな。もうこうなれば、みな取り押さえ……」
茂みの中から、兵たちが数人現れました。
私はそれを見ながら早口で言います。
「取り押さえられてしまえば、奥歯の奥に埋め込んでいる毒薬を飲み込み自害いたします」
「なにっ!? そんなもの口に入れていて大丈夫なのか?」
「心配してくださるのですね」
「いや……それは……その……」
「心配には及びませんわ。過剰摂取した場合に毒になりますが、少量であれば、薬にむしろ健康になる物質です」
また間違って飲んだ場合の中和剤も体に隠し持っています。
その辺はぬかりないのです。
「そうか。それは良かった」
若のほっとした顔を見ることができました。
もうこの世に心残りはありません。
「では、死にますね」
ワタクシが、鞘から剣を抜こうとすると若が素早く近づき、押しとどめました。
意外と力が強く、動くことができません。
「ならんといっておるのに。どうしても婚約破棄するとお前は死ぬというのか?」
「はい!」
「ぐぬぬ」
若は、うめき声をあげて考え込み、もう一度宣言しました。
「ならば、婚約破棄を破棄する!」
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