第240話 百地政永の策
伊賀国最後の拠点・柏原城の内部は降伏派と交戦派で意見が割れていた。降伏に反対する百地政永・服部保朝を相手に百地丹波は何とか説得を試みる。
伊賀勢には最早勝ちの目はないにもかかわらず降伏する様子もない戦況、坂井大助率いる織田勢は本格的な城攻めを開始する。織田軍総司令を務める坂井大助は城内の親友のことを案じながらも城を攻める手は緩めない。織田軍と伊賀勢の戦の決着がもう間近に迫っていた。
「丹波君、本気でそう言っているのかい?」
「冗談でこんなことは言わない。俺たちは織田に降伏すべきだ」
普段は穏やかな保朝が放つ高圧的な眼光を丹波は目を逸らすことなく受け止めた。
「保朝もわかっているだろ? この戦に勝ち目なんてない。なら伊賀の民の犠牲を一人でも減らす。それが里長である俺たちの務めだろ」
「その通りだ。僕たちのすべきは民を守ること。織田の下について本当に民は守られるのか? 長島一揆の話は君も知っているだろう?」
保朝の言葉に丹波は言葉が詰まる。確かに長島一揆の話は丹波も聞いた。城内にいた将、兵、民を無差別に織田軍が皆殺しにしたという話だ。保朝が不安になるのも仕方ない。
「俺は千代松を信じる。あいつは城内の全員の命を保証すると言った。あいつは約束を違える奴じゃない」
「坂井大助はそうかもしれないね。でも彼は織田軍に所属する一人の将に過ぎない。今回の総大将は織田信雄。伊賀の民の処遇をどうするのか決めるのは大助じゃないんだ」
保朝の言葉は正論だ。丹波は言い返す言葉が見つからず押し黙る。その様子を見た保朝は議論に決着はついたと言わんばかりに立ち上がる。そして部屋を出ようとふすまに手をかけた時、その背中に丹波の声が届く。
「じゃあ、どうするんだよ」
「何?」
「じゃあどうするつもりだよ! 戦って、玉砕するつもりか?」
今度は保朝が黙る。そして数瞬の後、小さく言葉を発した。
「…………勝つ、勝つさ」
「お前、本気で言ってんのか!? 勝てるわけねぇだろ!」
現実味がなさすぎる保朝の言葉に丹波が怒鳴りつける。そもそも大助一人に上忍が何人も撃退されてるんだ。個人個人の実力はこちらが多少勝っているだろうが数が違い過ぎる。
「おいおい、まだマジでやってねぇのに勝てるわけねぇって、それは里長としてダメじゃねぇか?」
「っ! 父上……」
丹波と保朝の2人で話し合っていた部屋に1人の乱入者が現れる。それは百地政永。前里長にして丹波の父親。
「勝ち目がねぇって、お前はそう思ってんのか」
「……はい。この戦は既に負けていると思います」
「ほーう。保朝、お前はどう思う?」
「……」
「答えねぇか、まぁいい。いくつになってもまだまだ未熟なお前らに俺が教えてやるよ。この戦の勝ち方を」
丹波と保朝が息をのむ。
「丹波、お前が降伏するっつって織田の陣に行って織田信雄と坂井大助の首を取ってこい」
「は?」
一瞬何を言われたのかわからず、丹波は固まる。その様子を気にせず政永は続ける。
「出来ねぇことはねぇだろ? 坂井大助、千代松は随分と強くなりおったが顔見知りのお前に本気で襲われたら本来の力を出すまでもなく首が飛ぶっていう寸法よ」
「父上!」
「怒るな、冗談だ」
「は?」
「…………父上、こんな時に冗談はやめてください」
マイペース過ぎる政永に保朝が言葉を失う。丹波はあきれた目で政永を睨んだ。
「いや、マジでアリな手だと思ったんだがな。北の上忍どもがまとめてかかって撃退されて半六も戻らないとなるといくら丹波でも少々厳しいだろう」
「では、勝つ方法というのは……」
「安心しろ、ちゃんとある」
今度はまじめな顔で地図を開いた政永。真面目な顔でふざけた事をする時もあるので油断は禁物だがひとまず話は聞くことにした2人。
政永は地図上で伊賀の南を指さす。
「雑賀の協力を取り付けた。あいつらは織田にやられてやり返したい。だが弱ってるから織田に跪くしかねぇ。一緒に一泡吹かせてやろうって言ったら喜んで乗ってきた」
「なんと」
「驚くのはまだ早いぜ、次はこっちだ」
次に政永が指さしたのは西。
「本願寺の残党に声をかけた。また大坂が暴れりゃあ織田も伊賀だけに集中は出来なくなる」
「なんと! さすがは政永殿、丹波君、これなら……」
近畿一帯の広域戦で織田に勝利するというのが百地政永の策だった。確かにすごい、忍者であった父上にここまでの外交力があったのかと丹波は驚きを隠せない。
保朝はすっかり父上の策で織田と戦う気になっている。丹波はこの策に直感的に不安を覚えたが、結局直感意外に否定する材料が思い浮かばず、仕方なく織田と交戦することに合意する。
「ですが父上、この策は長い時間をかけて近畿の南を織田から取り返す策。今まさに城を囲んでいる織田軍を追い払う策ではございません。そこはどうするつもりなのでしょうか?」
「丹波、お前は頭が固くていかんな。敵の侵攻を退ける手段は何も腕っぷしだけじゃない。保朝、お前の所から何人かを城の外へ出し、本願寺と雑賀が挙兵したという情報を織田軍に流せ」
「父上、何をするつもりなのですか?」
「お前は黙って見てればいい。お前の出番はまだ先だ」
そう言い残し、保朝と政永が部屋を出て行く。結局。保朝と父上に押し切られた形だ。
丹波は畳をダンと叩く。黙って見てろ、そう言われた。
里長として不甲斐ない。
結局、織田と戦うことになってしまった。父上の策が上手くいく保障なんてない。本当にこれで伊賀の民を守れるのだろうか。
△▼△▼△▼△
「我が主、一つお耳に入れておきたいことが」
柏原城の攻城戦が始まって5日がたった。織田軍は包囲に穴が出来ないように、慎重に攻めており、それが功を奏したか伊賀勢は反撃してくる様子がない。この調子でいけば城はあと1週間もあれば落とせるだろう。
5日目が終わり、俺が天幕で休もうとしようとした時のこと、彦三郎が俺に話しかけた。
「一つ興味深い噂を耳にしまして」
「噂?」
「はい、雑賀と本願寺の残党が同時に挙兵し、伊賀勢の救援に来るという噂です」
雑賀に本願寺……本当だとしたら面倒くさい。本当なら、だ。雑賀は今や織田に抵抗するほどの兵力は残していない。本願寺勢力も顕如が石山本願寺を出たことで今や全盛期の1割以下の兵力しか持っていないはず、まさに残党だ。その二勢力がわざわざ伊賀勢の救援に来るとはとても思えない。
「頭の片隅には入れておく。だが城攻めはこのまま続行だ。おそらくデマだろ」
「ハ、それでよろしいかと」
彦三郎も同意し、話はこれで終了。俺は天幕の布団に入り、眠りについた。
「あるじ様! 起きて!」
俺はまだ夜が明けて間もない時間に氷雨と天弥に叩き起こされた。
「何だよこんな時間に……」
「包囲の外に大軍が現れたっす! 旗印からおそらく本願寺と雑賀っす!」
「何だと!?」
俺は慌てて飛び起き、諸将が集まる軍議の場へ向かう。向かう道中に俺は寝起きの頭を最大限働かせる。まずは昨日は殆ど聞かずにただの噂と流してしまった、その噂の出どころと真偽をちゃんと確かめさせておくべきだったと反省。それから攻城戦の包囲陣と敵軍が出現した場所を脳内で整理し、早く増援を送らないといけない場所を何か所かピックアップする。
「氷雨、護衛はいい! 今すぐ長可と二番隊を信雄様の陣に送れ!」
「ん、任せて」
俺の声から若干の焦りを感じたか、氷雨はいつも以上の速度で駆け出した。
軍議の場には主たる将が集まっていた。俺が入るとすぐに包囲陣の外に突如現れた敵の大軍の対策の軍議が始まる。
「大助殿、私からよろしいですか?」
そう手を挙げたのは丹羽長秀。俺はうなずき、続きを促す。
「まず、この包囲陣の外に関して我らが過剰に反応するのはよくないと考えます」
「それは何故か、長秀。このままでは我らは背を討たれるのではないのか?」
「確かに信雄様のおっしゃる通り、背後に敵がいるなら我らは一旦包囲陣を解いて敵を迎え撃つ必要があります」
「ならば……」
「いるなら、の話です。本願寺と雑賀はすでに織田と戦う戦力など擁していない。これは十中八九、伊賀勢の虚言です」
丹羽長秀は政務の一環で本願寺顕如などと何度も会話している。ここに居る中で本願寺について一番詳しい彼がそう言うのなら間違いないだろう。
「なら城の外にいる大軍勢はどこの軍だというのだ?」
本願寺と雑賀でないなら、どこの勢力なのかと信雄様が尋ねる。だが俺は答えを聞く前からもうわかってしまった。
「信雄様、大軍など実在しないのですよ」
「どういうことですか、師匠?」
「おそらく信雄様の陣の背後に現れた敵はごく少数、それが旗印や篝火で大軍のように見えるだけです」
「そして敵の狙いはそれに我らが反応した隙を突き、城から出撃し我らの背を討つ。城を包囲され、困った伊賀勢の苦し紛れの策というわけです」
俺の答えを丹羽長秀が補足する。信雄様は「なるほど」とうなり、席に座り直す。
「城外の敵はうちの森長可に任せる。他の軍は昨日までと変わらず包囲戦を続けろ!」
その日の午前中には森長可率いる二番隊が城外の敵を討ち果たした。さらに城外に出た敵が使用したと思われる城からの抜け穴も発見され、長可の命令で潰された。抜け穴の情報を得た織田軍は他の抜け穴の出口になりそうな井戸や洞窟、あばら家を徹底的に潰して回った。
さらにその日の晩、本願寺で反信長で戦闘を続けていた教如はついに石山本願寺を織田に引き渡したと早馬があった。まさか本当に挙兵していたとは。雑賀に関しては一切動きはなかったと雑賀を統治する者から文があった。
いよいよもう伊賀に脱出という手は無くなった。味方もいなくなった。降伏か、全滅かもう二つに一つ。




