第169話 面会と因縁の相手
「ん、あ……クソ痛ぇ」
痛みで目が覚めると知らない場所にいた。体を起こそうとすると槍の突き刺さった場所が痛む。
「起きてはなりませぬ。本来は死ぬような大怪我でしたので」
俺が目を覚ましたことに驚いた様子で壮年の男性は俺に慌ててそう言った。
「ここは?」
「東三河の野田城、武田軍の駐屯地ですね」
「武田の駐屯地……そうか、俺は捕まったのか」
三方ヶ原で武田信玄の首を取りにいって、あと一歩のところで倒れたんだったか。倒れた敵将なんて通常首を取って終わりだろうにわざわざ治療する意味が分からない。捕虜として情報を聞き出すなら元気な奴を捕まえればいい話、わざわざ俺を治療した意味は何だ?
「そういえば、あんたは? あんたが俺を治療したのか?」
「ええ。私は七屋治久と申します。武田軍で所謂、軍医というものをやっております」
「治久殿、遅れたがまずは感謝を。命の恩人だ」
「いえ、命令ですから。食事を持ってきます。一応言っておきますが動いてはいけませんよ」
そうくぎを刺される。体も痛いし、おとなしくしていよう。
さて、この後どうするかな。皆、心配してるだろうか。とにかく早く帰らないと。越後に祈を迎えに行かないといけないし。祈のことは上杉輝虎様に任せてあるので大丈夫だろうが長い間迎えに行かないと俺が死んだってことになってしまう。
とはいえここを脱出しようにもこの状態じゃなぁ……。包帯でぐるぐる巻きの右腕はまだ痛いし、穴が開いた胴体の方は相当やばいことになっているだろう。現代でもお腹に穴が開いて助かった事例なんて聞いたことがない。そもそもお腹に穴が開くことが現代ではほぼあり得ないシチュエーションだが。っていうかお腹って止血できないんだよな? なんで生きてんの俺。あの軍医がとんでもない凄腕なのか?
「まあ動けるんだったらそれでいい。まずはどうやってここから脱出するかだ」
城にいる間は武田も警戒しているはず。この後も武田は西に、織田領に攻め上がるはずだ。逃げるとしたら城から出て尾張・三河の国境で林秀貞軍とぶつかる直前だな。
「失礼します。食事を持って参りました。それと、あとで信玄さまがお会いになりたいと」
一応そう丁寧に言ってくれてはいるがここは武田軍、俺に拒否権はないだろう。俺を助けた件についても聞きたいし別に無理に断る理由もない。それにこの状況、俺は図らずも武田軍の中に潜入できている。脱出する前に情報を集めるのも悪くない。
食事をしてから少したった頃、俺は凄腕ドクターに連れられて大広間にいる武田信玄に会いに行った。
「もう歩けるとは、驚きだな」
「舐めんなよ」
これが川中島の時以来、”甲斐の虎”武田信玄との2度目の会話。
「久しいな。いや、あの時は顔を合わせてはいなかった。これが本当の初対面か、坂井大助」
「そうだったな」
相変わらずの威圧感。だがあの時よりも落ち着いている。俺も成長したということかな。
「聞きたいことがありそうな顔だな。聞いてやるぞ」
「何で俺を助けた? 俺はそこで睨んでいるあんたの家臣をボコボコにしてあんたを討とうとしていたんだが」
俺の両サイドに並んでいる武田の家臣団はすっごく俺を睨んでいる。特に片腕が無くなっている山県昌景と頭に包帯がぐるぐる巻きになっている高坂昌信。そして隅の方にいる織田信清。
「以前、川中島で会ったときから思っていた。そなたを家臣にすれば上杉も北条も敵ではない、とな。最強の武田家臣団にそなたが加われば、武田はこの国全土を支配できる。この考えは先の戦いでそなたの戦いぶりを見て確信に変わった」
「最強? そこにいる四天王の半分はもうボロボロだぜ?」
「そなたがいればその程度の穴は埋められるだろう。我のもとで万の軍を率いよ。織田よりいい待遇を約束する」
万の軍、織田より良い待遇。織田は今窮地にある事を鑑みても、普通の武将だったら大喜びで飛びつくような好条件だ。だが、俺は違う。
「断る」
「……時間はある。体を休め、ゆっくり考えよ」
「断るって」
「考えておけ」
う、圧が……。それ以上何も会話せずに会談は終了する。俺が病室に戻ろうと広間を出ると待ち伏せにあった。
「久しいな、坂井大助」
「ああ、お前か。織田信清」
「貴様に敗れ、領地、城、家臣すべて失った」
「ああ」
「あの時の喪失感を忘れたことはない」
「それで? 武田の捕虜になったボロボロの俺を殺すのか? いくらなんでも今のお前は武田軍、信玄の意志に背くことになる、それは出来ないだろ」
「ああ、できん」
だろうな。じゃあ何しに来たんだこいつ。
「信玄さまはわかっていない。貴様は絶対に信長を裏切らない。だから貴様は必ず武田軍から脱出する。その時が、お前が死ぬ時だ」
「わざわざ教えてくれてありがとう。お前馬鹿じゃねえの? 普通言わねえだろ。黙って監視して黙って後ろから刺せばいい」
そんな殺意高いこと言われたら誰でも対策するでしょ。いくらボロボロとはいえ俺は強い。お前如きに遅れは取らない。
「ふん、貴様が逃げるときが楽しみだ」
「じゃあそれまでにじっくりとプランを練っておくことにする」
どんだけ自信あるんだよ。わざわざ殺したい相手にこんな事いうアホに負けるとは思えないが一応、しっかり警戒しておこう。