第168話 終戦後の大助隊と友人たち
結果から言おう。浜松城は落城を免れた。城門を開け放ち、ありったけの篝火を焚いて太鼓を打ち鳴らす浜松城は武田軍には異質なものに見えたのだ。
だが落城は免れたとはいえ織田・徳川軍は平手汎秀、鳥居忠広、青木貞治、中根正照などの諸将を失い把握しているだけでも2000以上の兵を失った。三方ヶ原の戦いは織田・徳川軍の大敗北に終わったのである。
そしてそんな生死不明者の中にこの名前があった。
「坂井大助」
戦場のどこを探しても彼の遺体は見つからなかった。だが浜松城に帰ったものの中にもその姿は見当たらなかった。
「やはり山の死体の中に紛れておるのでは? 見落としがあるかもしれません」
「そんな筈、ない。あるじ様を見落とすわけがない」
三方ヶ原の戦いで最も激戦を繰り広げた坂井大助隊は隊長・坂井大助が行方不明、二番隊・黒沢大吾、五番隊・吉村悠賀が討ち死に、と悲惨な結果になった。
「悠賀に加えまさか大吾も……」
「四番隊はほぼ全滅か……」
「二番隊、大助様直下の兵たちも僅かな生き残りしかいない。五番隊は井伊直政殿に連れられて多少残っているが……」
生き残った彦三郎、常道、秀隆、長利に氷雨と天弥を加えた6人が話し合う。
「生き残りなんて関係ないっす。大助様がいないとどっちにしろこの隊は成り立たない」
天弥の言葉に他の5人がうなずく。大助隊は大助の力を最大限に生かすことで勝ってきた隊。もし仮に彦三郎が隊を継ぐということになっても大助隊は力を発揮できない。
「でも見つからないとなると生き残ってここに戻る途中で力尽きたか、どこかで匿われているか、あるいは……」
「武田に捕らわれたか……」
「あるじ様がおとなしく捕らわれるとは思えない」
「そうっすよ。でも大けがとかで動けないまま拘束されたなら……」
「……あり得るな。秀隆、お前が最後に大助様を見てるんだ。その時の様子はどうだった?」
長利が秀隆に質問する。秀隆は淡々と大助とはぐれた時の状況を離す。
「私は山県昌景が本陣の戦場に乱入してきたときにはぐれたのでその時までの状況しかありませんが……大吾殿が目の前で討たれ、その時に敵将の刀が大助様の右腕を貫通したのは見ました」
「刀が腕を……」
生存は絶望的か……皆がそう思った。氷雨は考えたくないとばかりに顔を伏せ彦三郎は手のひらに爪の跡が付くほど強くこぶしを握り締めた。
「あいつはそう簡単にくたばる奴じゃねェだろォがァ。体に槍が突き刺さっても、ここにいる奴ら皆殺しだァ、ってほざいてたぜェ」
「体に槍が……!?」
「それは、いくら何でも……」
直政としては大助の家臣団を励ますつもりで言った一言が家臣団の表情が絶望的なものへと変わる。
「あ、あァ、すまねェ。とにかくだァ、あいつはどうせ生きてんだろォ。なァ、小娘ェ?」
「ん、あるじ様は最強。あと小娘じゃない」
「テメェらはいつもその最強あるじ様の援護役なんだろォがァ。たまにはテメェらがあいつを助けるときがあったっていいじゃねェかァ」
「直政殿?」
「夜襲かけんぞォ。勝利に浸って酒でも飲んでやがる武田軍になァ」
「待たれよ、直政殿。まだ大助様が武田に捕らわれたと決まったわけでは……」
「関係ねェ。やられっぱなしってのも腹が立つしなァ。ここで武田の戦力を削ることに悪い事なんて一つもねェ」
乱暴な意見だが一理ある、と彦三郎は思った。もし大助が捕まっていたとしたらそこで助けられるかもしれない。夜道なら地の利のある徳川軍が有利だ。
「よし、行きましょう」
他の隊長たちも異論はないらしい。
「よォし。決まりだァ。もし俺があいつを助けたら一生ォ様付けで呼ばせてやるぜェ」
ということで井伊直政に大助隊の残党、そこに大久保忠世を加えた4000人で犀ヶ崖に駐屯する武田軍への夜襲を敢行した。
犀ヶ崖の戦いでの大助隊の戦いぶりは凄まじかった。彦三郎が鉄砲を撃ちまくり、長利が2番隊、5番隊の残党をまとめて率いる。常道が全体の指揮を取り、秀隆は武田軍の奥深くまで潜入し、大助の行方を探った。
井伊直政はいつも通りあばれ、大久保忠世は崖に橋があるように見せて武田軍を崖から落とすという奇策を見せた。だが、
「おい、もうそろそろ撤退だ。夜が明ける」
「もう少し……大助様を……」
「……気持ちはわかる。だがここで我らが滅びては大助様が戻られたときに部下がいなくなってしまう」
「……わかっている」
彦三郎が秀隆をたしなめる。秀隆も悔しそうに頷き、すでに撤退した長利を追いかけた。犀ヶ崖の戦いで大助は助け出されることはなく、互いの死傷者も結果を見れば五分という大した成果を上げることなく幕を閉じた。
《織田信長》
「急報!! 徳川家康殿、坂井大助殿率いる織田・徳川連合軍が武田軍に三方ヶ原で大敗!! 大敗でございます!!」
「なんだと!? 城から出て戦ったのか?」
「ハ、武田軍が浜松城の前を素通りしたためその背後を狙ったところ、反撃に遭い敗れたと」
信長は強く畳をたたく。城から出ない手はずであったというのに。だいたい、大助がついていながら何をしているのだ。そうだ、大助。
「大助は?」
「大助殿は城から出るのに反対したのですが徳川の家臣団に押し切られたようです。合戦では敵将・山県昌景の腕を吹き飛ばし、最後には武田信玄の首にあとわずかといったところまで迫ったそうですが……」
「まさか……」
信長は利家と目を合わせ、最悪の想像をする。聞きたくないと思いつつも、核心的な問いを口にした。
「討たれたのか?」
「討たれたという情報は伝わってきておりません。ですが死んだのかどこかで生きているのかもわからないらしく……武田に捕らわれた可能性もあると」
「そうか。なら大丈夫だな」
「そうですね。大助なら情報を吐いたりもしないでしょうし。生きているなら勝手に帰ってくるでしょう」
「えぇ!? あ、失礼しました。でもそんなあっさりと……心配ではないのですか?」
あっけからんと答えた信長と利家に目を丸くする使者。そんな使者の様子を見た二人は再び目を合わせ、ふっと笑う。
「お前は大助のことを何もわかっておらんな」
「あいつは俺たちが心配なんてしなくても勝手に帰ってくる。あ、でもこれを聞いてたら心配しろよって怒るかもしれませんね」
「ふっ、そうだな」
そう言い切ると2人は驚く使者に目もくれず、対武田について話し合い始めた。