第161話 素通りと2つの策
武田軍が浜松城に到達すると思われている日、浜松城の全将兵は配置につき、攻撃に備えていた。だが一向に武田軍が現れる気配はない。
「来ないな」
「うん。でもすぐ来るよ。もう武田軍と浜松城の間に城はないところまで来てるはずだから」
周辺の小城の兵はすべてこの浜松城に集結している。もうこの浜松城まで武田軍の行く手を阻むものは居ない。だから今日の朝には来ると読んでいたのにもう時刻は正午を回っている。
「報告です!!」
「来たか!?」
「いえ、武田軍は浜松城前を素通り!! 進行方向から考えて堀江城に向かっていると思われます!!」
「なんだと!?」
素通り? 堀江城? 信玄は何を狙っている?
「堀江城……」
家康も黙り込んでしまった。俺達だけでは判断できないな。ここに敵が来ないならひとまず将たちを集めて軍議を開くべきだ。
「武田軍の現在地は?」
「先頭は三方ヶ原台地に到達している模様です」
「……好機だ」
武田軍の現在地を聞いて家康はそうはっきりと言った。何が好機なのか俺にはさっぱりわからない。というか状況がまだ不明瞭なのに好機も何もないだろう。
「好機ってどういうことだ?」
「三方ヶ原台地の奥に祝田の坂という場所がある。そこを下る武田軍を後ろから急襲すれば勝機は大いにある。もしかしたら武田信玄を討ち取れるかもしれない」
なるほど、地の利を生かして少ない兵力で武田と野戦で勝とうっていうのか。
「よし、大助! 勝てる!! 今すぐ出陣して……」
「待て。他の家臣と話し合った方がいい。それに武田はそれで勝てるほど甘い相手だとは俺には思えない」
「でもっ……」
「いいから軍議だ」
なんとか家康を話し合いの場に引きずり込んだ。
「敵は堀江城を目指して進軍している模様だ。ここで俺たちは2択を迫られることになった。1つはこのまま籠城して信長様の援軍を待って反撃する先日話した策を継続する策。2つは進軍する武田軍の背を今すぐ出陣して三方ヶ原で急襲する策だ。皆はどう思う?」
現状、俺は1つ目の籠城策、家康は2つ目の急襲策を主張している。この話し合いでそれがどちらに傾くか。
「俺は2つ目だなァ、せっかくの敵の隙、逃す手はねェ」
「私は1つ目ですね。兵力差がある今、武田と野戦はしたくない」
井伊直政と榊原康政がそれぞれ意見の述べる。これで2対2。他はまだ黙っている。
「堀江城を攻める意図が見えん」
本多忠勝の呟き。そう、問題はそこなのだ。堀江城がこの織田・徳川と武田の戦の勝敗に直結するような場所には見えない。堀江城は浜名湖沿いに建てられた小さな城だ。何故そんな場所を攻めるのか。武田信玄の意図が読めない。
「浜名湖……まさか!!」
「数正殿?」
「もしかしたら、敵の堀江城攻めの目的は三河から浜名湖を使ってこの城に兵糧や武器が運ばれるのを防ぐことかもしれません!!」
「何ッ!?」
「つまり敵の策はこの浜松城を兵糧攻めにすることか」
「まずいね。今、浜松城は徳川軍8000に織田の援軍2万を合わせた28000人という兵士がいる。兵糧は三河から運ばれるもので賄おうかと思っていたんだけど、それができないとなると……」
「一週間ほどで落ちる……」
「織田としても持ってきてはいるが精々7日分だ」
「合わせても2週間分か」
確かに兵糧攻めの可能性は無視できない。でも兵糧は2週間分ある。切り詰めれば二十日は持つだろう。援軍が来るまでは耐えられるはずだ。
「我は2つ目の案に賛成です。籠城しても援軍が届かない可能性がある」
「俺もだな。ここには俺も織田家最強の大助殿もいる。地形も有利なら兵力差はあってもこちらが有利だと愚考する」
鳥居忠広と本多忠勝は2つ目に賛成のようだ。だが少々武田を甘く見すぎているな。
「最初は確かに有利だろうな。だがその程度の有利不利など武田は簡単に覆す。川中島の時だって上杉が圧倒的に有利な状況で開戦したのにもかかわらず、少なくとも開戦数時間で武田が有利な状況に変わっていた。そういう敵だ。ここにいる奴ら全員武田の強さをわかってない」
「武田の強さはわかっている。この身で実感した」
そう言ったのはこの前武田に落とされた二俣城の城主だった中根正照。それに青木貞治も同意とばかりに頷いた。
「その上で我らは2つ目の策に賛成だ。武田に我らの配下を大勢殺された。その雪辱を晴らす」
私怨じゃねえか。戦略的に考えて欲しいんだが。だがこれで2対6。
「信盛殿は?」
「今回の総大将は大助殿だ。某は大助殿の判断に従う。だが某個人の意見としてはここで信玄を討てる可能性があるなら討ちに行きたいと考える」
つまり2か。平手汎秀と水野信元も概ね信盛殿と同じ意見のようだ。残りの徳川四天王の酒井忠次はというと、
「私は家康様に従います」
家康のイエスマンだったよ。ということで浜松城から打って出ることが確定。うわー、嫌だな……武田と正面からやりあうの。
でも俺たち織田軍はいかないなんて出来ないし。覚悟を決めるしかない。打って出るなら最初の急襲の混乱状態のうちに最速で武田信玄を討ち、すぐに離脱する。そうするしかない。
「わかった。家康、すぐに出よう。早くしないと有利な地形で始められない」
「そうだね、大助。よし、行こう!! 各隊は兵を城門前に集めよ!!」
「「ハハッ!!」」
家康がそう宣言し武将たちが大急ぎで広間を出ていく。俺も一度隊に戻り、隊長たちに野戦をすることを伝える。
「そうですか……かなり面倒なことになりましたね」
「俺はむしろ歓迎だ。腕がなるぜ」
彦三郎と大吾の正反対の反応。他の隊長たちは淡々と受け入れてる感じだ。
「俺も避けたかったんだがな。こうなったからには仕方ない。俺達で武田信玄を討ってこの戦で一の武功を上げるぞ!!」
「「オオオオォォォ!!」」
「頼りにしてるぞ、お前ら。彦三郎、大吾、常道、秀隆、悠賀、長利、今回も俺達で勝とう!!」
「「おう!!」」
浜松城の城門前に2万6000人(2000は城に残る)の兵士が集合した。先頭に立つのはもちろんこの男。
「今が武田信玄を討つ絶好の機会!! 今を逃せばもうこのような好機は巡ってこない!! 行くぞ、信玄を討つ!! 全軍、出陣だ!!」
「「ウオオォォォ!!」」
こうして織田・徳川連合軍は浜松城を出陣。決戦の地、三方ヶ原に向かう。
その三方ヶ原では”甲斐の虎”が餌を待ち構えていることを家康も大助もまだ知らない。