第144話 弟子と漢方屋の店主
比叡山延暦寺を焼き討ちにした信長は京都に戻ったのち、岐阜に帰還した。だが俺はまだ剣聖の稽古が残っている。俺の隊の半分ほどと共に京都に残り俺は再び剣聖の家に泊まり込みの修業が始まった。
まだ荒い所はあるものの一応技自体はすべて習得した俺は毎日、剣聖との立ち合いを行っていた。日本最強の男との本気の立ち合い。自分より圧倒的に格上との戦いは自分で実感するほどに俺の実力を高めていった。
「”敵可近付敵不可近付之事”!!」
「ほ、やるではないか。じゃがまだまだじゃな。”飛剣之事”」
俺の大奥義が剣聖の大奥義に破られた。もう何度目かもわからない敗北。
近くの井戸で水を一口飲んでから頭から水をかぶる。もう一度水を飲んでやっと一息ついた。
「大助よ。儂が一つ大切なことを教えてやろう」
「なんですか?」
「戦っている最中、わざわざ技名を叫ぶ必要はないぞ?」
「あ……え、でもだって剣聖はいつも……」
考えてみれば当然のことである。ゲームではないのだから技名を言う必要はない。技名を叫ぶメリットがない。むしろ敵に何の技を使うか知らせているというデメリットしかない。叫んだら剣閃が乱れることもあるだろう。
考えてみれば当然のことではあるのだが、俺がこうなった原因は主に剣聖にある。だって剣聖もずっと技名言ってたし。
「それは技名を言った方がカッコいいから……じゃなくてお前が何の技でやられたかわかる方がよいと思ってだな、そう、師匠の務めじゃ」
確かに理にかなったことは言っているが剣聖は前に熊を倒したときも技名を叫んでいたので間違いなくカッコいいからというのが理由だろう。
それはひとまず置いておこう。問題は技名を叫んで戦っていた件だ。俺は今まで自分より圧倒的に強い剣聖相手に技名を教えて戦うというアホなことをしていたということになる。それのせいで負けた試合もあったのではないか、むしろそれがかなり大きな理由な気がしてきた。
技名を叫んで戦うなどという中二病チックなことを郊外とはいえ日本の首都京都でやっていたことに悶えたくなるのは置いておいて、俺は再び剣聖に勝負を挑んだ。
「では行くぞ!! ”突身ノ太刀”!!」
剣聖の”突進之太刀”を俺は中奥義”薙之太刀”で応戦する。続いて”乱之太刀”から”一之太刀”に繋げていく。
「ほう、やはり叫ばない方がやりずらいな。”実地天道之事”!!」
俺の”一之太刀”が剣聖の大奥義で相殺される。剣聖はこの”実地天道之事”を使った後は大極意”身懸三尺有徳之事”に繋げることが多い。このコンボで何度やられたことだろうか。俺は”鴫羽返”で剣聖の大極意を返そうとするが、
「ほっほ、よく学習しておるな。じゃが、”縛之太刀”!!」
「くっ!? しまっ……」
「”一之太刀”!!」
俺の行動は読まれていた。”一之太刀”が炸裂し俺ははるか後方まで吹き飛ばされた。
「今のはなかなかよかったぞ」
「ハァ、ハァ、ありがとうございました」
「うむ、そろそろ日も沈む。今日はこれまでじゃ。ほら、さっさと戻って飯の用意をせんか」
「はいはい」
《剣聖・塚原卜伝》
大助が先に戻ったのを確認した後、儂は今日の商店街へ出向く。儂が立ち寄ったのは漢方の店。
「らっしゃい、剣聖殿」
「おう、いつものを量を多めで頼む」
「おいおい、前のかなりあっただろ。もう使い切っちまったのかい?」
「最近、弟子がどんどん強くなってのう。まだ弟子に負けるわけにはいかん。ゲホッゲホッ!!」
「おい、本当に大丈夫か……っておい、それ!」
漢方屋の店主が指をさした儂の手には赤い血がついている。今咳をしたときに出たものだ。
「気にすることではない。いつものことじゃ」
「おいおい、本当に体を大事にしてくれよ。ちゃんと休んでくれ。その弟子と毎日稽古してんだろ? もうかなり年なんだぜ?」
「ほっほ、あの時のガキが言うようになったわい。悪党に殺されそうになっていた其方を……」
「もう30年も前の話を掘り返すな。会うたびにそれを口に出すせいで感謝がすり減ってきてもう最近はこれっぽっちしか残ってない」
漢方屋が小さめの分銅を天秤に乗せる動きの中でそんなことを言っている。命を救った恩がそれっぽっちとはなんということじゃ。
「とにかくだ、体を大事にしろ。もう年で先がない。なら残った時間を大事にすべきだろ? 毎日、昼間の間ずっと剣を振ってたらあっという間に寿命が尽きるぞ」
「ほっほ、じゃが儂には責務がある」
「責務? 命より大事な?」
「ああ、剣聖としての責務じゃ。儂の出会ったなかで最も才能がある大助に儂の知るすべての技と技術をすべて伝える」
「今までも弟子はいただろ。そいつらが後世にあんたの技と技術を伝えてくれるんじゃないか?」
「そうじゃな。だが大助はいずれ儂を超えるであろう才能を持っている。そして今強くなりたい、成長したいと必死になっておる。ならば背中を押してやるのが儂の役目であろう。儂が死ぬ前に儂のすべてを大助に叩きこむ」
この時代で最強となった儂の最後にできた為すべきこと。これは儂の使命である。
「意志は固そうだ。俺じゃああんたを止められねえよ」
「ほっほ、それはそうじゃ。儂を誰と心得る?」
「剣聖、この世で最強の剣士だ」
漢方屋の店主が躊躇いなく答える。
「うむ」
「止められないなら俺にできることはこれくらいだ」
そう店主はいくつかに分けられた袋や小さな壺が入っている風呂敷を儂に手渡す。
「ほら、その役目しっかりやれよ」
「うむ、感謝する」
儂は手についた血を洗い流してから家に戻った。
「おい剣聖、遅いぞ!! 冷めるだろうが」
「ほっほ、悪かったのう。では早く食べるとしよう。椎茸は入っておらんだろうな?」
「入れねえよ。入れたら剣聖暴れるじゃねえか。あんな大変な思いは二度とごめんだ」
漢方の入った風呂敷は大助が入らない部屋に置いておいた。
弟子に弱ったところは見せられんからのう。