第143話 焼け落ちた比叡山と魔王信長
信長の号令がと共に日吉神社に火矢が撃ち込まれた。さらに周辺の木々にも火が放たれ比叡山は麓からだんだんと火に包まれていった。
今頃前線では火から逃れようとする人々を皆殺しにする地獄絵図になっているだろう。去年の志賀の陣の時から信長と対立している延暦寺をここで滅ぼしておくというのが必要なのはわかるがここまでする必要があるのだろうか。僧兵なんかが一般人に紛れて逃げる可能性があるのは理解できるが、それでも……
「大助様、明智殿の見張りを掻い潜ったと思われる者が来ました」
「……殺せ」
「で、ですが、子連れの女でして……」
「……」
本当にこれでいいのか? 命令通り女も子供も全員殺して……
いいはず、ないだろうが。
「ここへ連れて来い。あと悠賀、ーーー」
「っ! ハ、了解しました」
俺の指示を聞いた悠賀は一瞬面くらった顔をしたもののすぐに平静を取り戻し俺の命令を遂行するために陣幕を出て行った。
入れ替わりに俺の陣幕には若い女性とそれに連れられた5歳ほどの少年が入ってくる。
「面倒な前置きをするつもりはない。正直に答えろ。お前たちは延暦寺の僧兵か?」
2人がふるふると首を振る。
「次だ。お前たちは信長様に逆らう意思はあるか?」
また首を振る。すごい怯えていてとりあえず俺の求めている答えを出しただけかもしれない。だが、まあいい。
「天弥、悠賀の所へ連れていけ」
「はいっす!!」
天弥が二人を陣幕の外へ連れ出す。二人はあのまま処刑される、ように見せかけて悠賀がうまく逃がしてくれるだろう。さすがに女子供まで殺したら寝覚めが悪すぎるからな。信長に怒られるのは仕方ないだろう。俺は間違ったことはしていないはずだ。
「大助様、また女が」
「そ、その後に続いて女、子供が続々と!!」
「はぁ?」
数十人来たという。これだけの数を俺の前に位置どる光秀が見逃したとは思えない。しかも来たのは女子供だけときた。明らかに選別されている。
「光秀殿……」
光秀はこの作戦に反対していた。だがそれは聞き入れられなかった。それでも光秀は女子供などを殺すのを良しとしなかったのだろう。それで意図的に見逃したか。あるいは自分で手を下すのが嫌で俺に押し付けたか。まあ、前者だろうな。
俺だって女子供を殺すのは抵抗がある。今しがた二人逃がしたばかりだ。次に来る人たちとさっきの人たちを区別するのも俺の流儀に反する。なら必然的にやるべきことはひとつ。だが、
「面倒ごとを押し付けやがって……!!」
俺は悠賀に命じて他の織田軍に見つからないルートを確保させる。そして次々と出てくる女子供を一人一人チェックし、少しずつ逃がしていった。たまに僧兵や高僧が紛れていて、それは信長の命令通り処刑した。
俺が女子供を信長や他の織田軍にばれないように逃がすのに奔走している間に比叡山と延暦寺とその周辺の寺社はすべて焼け落ちた。
火が消し止められ比叡山からの逃亡者がついにいなくなったころ、光秀が俺の陣を訪ねてきた。
「大助殿、これは……」
光秀は入ってすぐ俺の陣に死体が明らかに少ないことに気が付いたのだろう。俺のことをまっすぐに見つめて、次の言葉を探しているようだった。俺はそれを待たずに光秀に話しかける。
「全く、面倒なことをさせてくれたな」
にやりと笑った俺を見て、光秀は心底驚いた顔をしたのち、
「かたじけない。深く、深く、感謝を」
そうほっとした顔で俺に深く頭を下げた。
「このことは俺と光秀殿だけの秘密で頼む。信長様に怒られるのは勘弁だからな」
「無論、そのつもりです。ですが少々意外でした」
「意外?」
「大助殿は誰よりも信長様に深く忠誠を誓っていらっしゃる、そう思っていましたので」
「それで間違いない。俺は信長様に忠誠を誓ってる。でも今回はさすがにやりすぎだ。もちろん必要だったことは間違いない。だから作戦が失敗しない範囲で命令に背いた。だから女子供でも信長に逆らう意思ありだった者は斬った」
「それが正しいのでしょう。今回の信長様は明らかに度が過ぎている」
「今回の件で信長様は森可成、氏家直元、織田信興という3人の有力武将を失った。その報復という面もあるだろうな」
特に可成は昔から信長を支えた最古参の武将の1人だ。信長だって相当悔しくて、怒っていたのだろう。その報復というのも一つの理由であることは間違いないだろう。
「しかし、今回の所業はまるで……」
「”魔王”というに相応しいな」
「ほう、魔王か。悪くない」
「ッ!! 信長様!!」
唐突に後ろから信長の声がして俺と光秀は跪く。信長の目の前で”魔王”とか言っちゃったよ。これ処刑案件?
「よい。さっきまでと同じで構わぬわ。大助が俺のことを”魔王”と呼んだことも大助の活躍に免じて許してやる」
許された。それに信長のこの雰囲気を見るに俺と光秀が女子供を逃がしたことはバレていないようだ。助かった。
「さっき光秀の陣に行ったのだがいなくて、ここに居ると聞いたからわざわざ出向いたのだ」
「それは申し訳ございません。それでご用件は? 急用があったのでしょう?」
「まあな。今回、光秀の功績大なりとしてここ近江志賀群をお前に与える。坂本に城を築いて俺たちの近畿支配の万全化、主に浅井・朝倉方面の警戒だが、それをお前に任せたい」
「はっ?」
あまりにも大きな話で光秀の声から間の抜けた声がでる。それもそのはず、今信長は今回勝ち取ったこの近辺の広大な土地の半分ほどを光秀に任せるといったのだ。
光秀もやっと志向が追い付くと「ハハッ!! お任せを!!」と返事をした。
「それと後処理もすべてお前に任せる。俺は京都に寄ってから岐阜に戻る。大助も次の戦に向けて戻るぞ」
「は、はい!!」
さらっとこの山火事と大量虐殺の後処理を丸投げされた光秀を不憫に思いながらも俺は信長に続いて陣幕を出た。
「それで、魔王というのは……」
「すみません!! 根に持ってましたか?」
「いや、そんなことはないが。だが魔王とは……」
「ほんっとうにごめんなさい。あれは言葉の綾というか、丁度いい例えというか」
「丁度いい例えが魔王とはな」
「すみません失言でした。本当ごめんなさい」
ここからは大助が知らない話であるが、この数日後、武田信玄から信長に延暦寺焼き討ちを問い詰める文が届いた。それの返事に信長はこう署名した。
『魔王信長』
と。