第138話 凱旋と剣聖
姉川の戦いは竹中半兵衛と榊原康政両名の活躍により織田・徳川連合軍の大勝利に終わった。織田軍は退却する浅井軍を小谷城の城下町近くまで激しく追撃したものの、小谷城の城攻めは出来ないと判断しそこで引き上げた。
俺は姉川の戦場だった場所で戦後処理をしていた。敵の遺体も味方の遺体も区別せず丁寧に火葬した。浅井長政と戦う前に覚悟を決めたはずなのに俺はまた人を殺したことについて悩んでいた。
「浅井長政の所に行くためだけに人を殺すとか……ちょっとすみませんとか言えば通して貰えたんじゃないか……?」
「それはさすがに無理があるんじゃないか? で、どうしたんだよ」
気がつくと目の前に利家が立っている。
「いや、別に……」
「嘘つけ、あんな調子悪いお前初めて見た。あれなら10くらいの時のお前の方が強かったぞ」
さすがにそんなことは……ない、とは言い切れないか。人を殺す覚悟ができていない奴とできている奴とでは雲泥の差があるからな。
「実はな……」
俺は利家に話した。戦の最中に自分の人殺しについての価値観を意識してしまったこと。それから人を殺すことが怖いこと。
「人の命って、そんなに軽いものじゃないだろ? それを今まで躊躇いなく殺し続けてきて……」
「お前、ちょっと歯を食いしばれ」
「は? え?」
次の瞬間、右頬に超強い衝撃が来た。吹っ飛んで、岩にぶつかって、元の色に戻ってきた川に落ちた。
「げほッ、いってぇ!! なんだよいったい!?」
「大助、お前は今までそれと向き合わずに戦に出ていたのか?」
利家はゆっくりと俺に近づいてくる。明らかに苛立ちを込めて。
「俺も信長様も命の価値だってちゃんと理解したうえで戦をしているんだ!! 全部わかってて人を殺してるんだ!! その先に次の世代が笑って暮らせる時代がある、それを作るために戦ってるんだ!!」
「お前だって全部わかってて一緒に戦ってると思ってた。俺たちと同じように殺した命をすべて背負って戦い続けてるんだと。でも、お前は……!!」
「もうお前は戦に出なくていい。そんな覚悟で出てこられても邪魔なだけだ」
利家は一方的にそう言ってどこかへ行ってしまった。何も、言い返せなかった。利家の言うことは正しかったから。殴る威力は強すぎだったと思うけど。
その後、織田・徳川連合軍は京都で凱旋した。京都の町人が道方に集まり、老人に手をつながれた子供が俺たちをキラキラした笑顔で見ている。こんな暗い顔、見られたくないな。っていうかあの爺さん……
「な、なんじゃこのガキはっ!? やめ、やめんかー!! 儂は剣聖じゃぞっ!!」
「また言ってるぜ、この爺さん!!」
「そんなこと言ってると本物の剣聖がやってきて怒られるぞ!!」
「じゃから儂が剣聖じゃと言っておるじゃろうに!!」
ダメな剣聖様じゃないですか。
子供にすら舐められる剣聖ってこれ如何に。
だが不思議と、俺が今頼るべきはこの人なのだと、本当に不思議とそう思った。
凱旋の後、俺は京都にある剣聖邸を訪れていた。右手には手土産を持ち、門の前に立っていた。なぜ俺が入るのを躊躇っているのかというと、
なんで剣聖に頼ろうと思ってしまったんだ? あいつが頼りになった事なんて今まで一度でもあったか? あったような気もするし無かったような気もする。とにかく頼りになるとは言えないやつだ。
と、剣聖の過去の行いを思い返していたからである。
だが剣聖は俺の知る限り最も強い人物であることは確かだ。武の極地にいる剣聖なら今の俺の悩みを解決してくれるかもしれない。
意を決して、俺は門を叩いた。
「剣聖・塚原卜伝殿、お久しぶりです」
「ほっほ、あの千代松が大きくなったのう」
「今は大助と名乗っています」
剣聖は以前会った時と変わらない態度で俺を迎え入れた。だが態度は変わらなくとも見た目はかなり老いている。俺の持ってきた饅頭を両手に一つずつ持つその手は皺が目立っている。
・・・・・・それにしても美味しそうに食べるな。
「それで儂になにか用があるんじゃろ? 美味いもんも食べさせてもらった事だし、話くらい聞いてやらんこともないぞ」
10個入りの饅頭を全て食べ切った後、剣聖が切り出した。剣聖のお腹のどこにあれだけの量の饅頭が入るのかは気になるところだが、それは置いておいて今日の本題を聞いてもらおう。
「若い。いや、幼いと言うべきかのう」
俺の話を全て聞いた後、剣聖はそう言った。
「幼い、ですか?」
「うむ。そなたの友の言う通り、大助は覚悟が出来ておらぬ。だがそれはそなたの異常な経歴に原因があると儂は思う」
「俺の、経歴?」
「そうじゃ。お主は武士の家の出ながら伊賀忍者のもとで修行した。武士と忍びでは命に対する考え方がかなり違うからのう。具体的に言うと、武士は敵にも敬意を払うが忍びは殺しを任務の一環としか考えておらぬ。忍びの里で学んだそなたが武士の戦の中で価値観の差異に気がついてしまったという事じゃ」
なるほど、確かに武士たちが心構えとかを学ぶ時期、俺は伊賀で人を殺す術を学んでいた。そういう心の中身が全く出来上がっていなかったのにもかかわらず俺は腕っぷしばかり強くなった。結果、訓練用の人形のように人を殺すバーサーカーが出来上がった。
「無論、そんな状態で長持ちするわけがない。それと向き合う日が来るのは当然のことじゃ」
剣聖は手元の愛剣を指先でそっと撫でる。
「そなたの強さはまず間違いなく最強の域にある。だがその精神は幼い子供のようだ」
「では、どうすれば……」
「精神を鍛えるしかあるまい。だが、儂はそんな方法は知らん」
「で、では……俺はもう、戦えないのでしょうか?」
「じゃが、儂はこうも考えておる。精神と肉体は表裏一体であると。肉体を鍛えれば自然と精神も成長していく」
俺は今まで10年以上戦ってきたのにこの有様なんだが。
「……仕方ない。可愛い弟子の頼みじゃ。儂が一肌脱いでやろう」
「何を?」
剣聖は剣を持って立ち上がり、俺に不敵な笑いを見せてこう言った。
「来るがよい。修行をつけてやろう」
剣聖の話って本当に書いてて楽しい。