第135話 姉川の戦い 肆 最狂、崩壊
水上を全速力で走り抜ける。盾で顔を隠し、隙間からしかこちらを窺えない敵にはまだ気づかれていない。顔を出したやつは鉄砲隊に撃ち抜かれるのだから仕方ないが常に敵の行動からは目を離しちゃいけないんだぞ。
ほら、そうこうしてるうちに……
俺は敵の盾に手をかけ、ついに小島に侵入する。
「なっ!? 敵、そいつ敵だぞ!! うわっ!?」
「一人入ったぞ!!」
俺はとりあえず周辺の敵をまとめて薙ぎ払う。まず俺が倒すべきは敵の最前線の盾・弓兵。これさえ退ければ彦三郎や大吾をこの小島に呼び寄せることができる。そうなればこの戦況は一気にこちらに傾く。
とにかく川岸の敵兵を斬りまくる。この距離では弓など使い物にならない。訓練用の人形を斬るが如く、簡単な作業だった。
……作業? 人を斬るのが?
怖気がした。自分のその思考に。昔は、戦国時代に転生してばかりの頃は現代日本の価値観のままで、人を殺すことに大きな躊躇いがあったはずだ。でもいつの間にか自分の中の人を殺すことに対するストッパーが無くなっていって、今では……訓練用の人形? 狂ってる。
今振った刀を見る。赤黒い血がべったりとついていた。足元にはこの手で斬り殺した中年の濃い髭の生えた敵兵の首。紛れもなく、人間だ。人形だなんてとんでもない。数秒前まで生きていた、人間だ。
「オオオォォォ!! 殺せェェ!!」
また一人、俺に襲い掛かってくる。反射的に首を刎ねた。ゴロンと首が俺の足元に転がった。
「あ……」
「手練れだ!! 囲んで殺せ!!」
敵将らしき人の声に反応して敵兵が俺を囲み始める。だが今の俺にはそんなことを気にする余裕など微塵も残っていなかった。
ただただ、躊躇いなく人を殺す自分が、俺という存在が、気持ち悪かった。
「やれ!!」
敵将の指示と共に一斉に槍で襲い掛かってくる人たち。反射的に刀を振る、直前で目の前の敵の1人と目が合った。合ってしまった。刀を振れなかった。
槍が左肩に突き刺さる。鋭い痛みが走った。瞬間、死という一文字が俺の脳裏によぎった。
俺は抗った。死が怖かった。ただ剣を振り続け、リボルバーの引き金を引き続けた。祈がいる。葵丸もいる。死ぬわけにはいかない。死にたくない。だから俺は他人に死を押し付けた。
「俺は浅井家四兄弟の次男・浅井政成……ギャッ!?」
「浅井家家老・浅井政ず……」
敵将らしき何人も討った。気づけばこの小島に立っているのは俺一人だった。
「ぁ」
俺が皆殺しにした。ここにいた100人を。
対岸にいる敵はこの小島に増援を送ろうと動き出した。
やめろ、くるな。ここに死体が増えるだけだ。
「ん、合図が遅い」
「え?」
氷雨と天弥、そして俺の隊の100名ほどが小島に上陸してきた。合図、すっかり忘れてたな。
「うわー、やばいっすね。大助様は」
「ん、やっぱりあるじ様は最強」
やめろ。俺は人を殺したんだぞ。なんで肯定するんだ。責められるべきだろう?
「ん、あるじ様? なにかあった?」
「……」
「あるじ様?」
「ああ、いや……えっと、ちょっと、な」
なんて言えばいいんだろう。そもそも言っていいんだろうか。突然人を殺すのが怖くなったなんて。隊長として失格なのでは? 強さだけでここまで成り上がった俺が人を殺すのが怖いなんて……
「ん」
「え?」
「あとは任せて」
俺は何も言ってないのにも関わらず氷雨は理解したと言わんばかりに動き始める。
「天弥、あるじ様、疲れたみたい。ここからは2人で行くよ」
「はいっす! 大助様は休んでていいっすよ!!」
俺の様子がおかしいことに気がつき天弥に指示を出す氷雨と俺の代わりを任されて嬉しそうな天弥が兵を率いて前線へと進んでいく。
前線で浅井軍と俺の隊の兵士たちによる殺し合いが始まった。俺はその光景を呆然と眺めていることしかできなかった。自分の兵士が死んでいくというのに。
少しすると左右の柴田・木下両軍が川に入り敵を攻撃し始めた。俺たちが小島を占領することで敵の意識が柴田・木下両軍から逸れていたためか2軍の攻撃は敵を大いに崩し、今度こそ織田軍が優勢になった。
とは言っても浅井軍は強い。抵抗は激しく、柴田勝家もサルも利家も攻め切れてはいない。
「あるじ様、助け、行く?」
小島から戦場を傍観している俺に氷雨がそう尋ねる。氷雨は俺たちであの戦場を一気に勝利まで持っていこう、とそう言っている。それは戦況的に見て正しいことだろう。以前までの俺だったら氷雨に言われるまでもなくそうしていた。だが今の俺にはとても、また戦場に入り、人を殺すなんてことはできる気がしなかった。そして、今の俺には幸いにも戦場に入らないことの大義名分があった。
「いや、竹中半兵衛にここを占領した後はここに留まっているように言われている」
俺の判断で援護に入ってもいいって言われてもいるけど、それは言わないでおく。今の俺はこれ以上は耐えられない。ふとそこらに転がっている死体と目が合った。生気のないその目に睨みつけられて、俺は吐いた。
「!? あるじ様、大丈夫?」
「う、だ、大丈夫だ。それより、敵の遺体も焼いて葬ってやろう」
「え? それは後でも……ん、わかった」
怪訝な顔をした氷雨だが手の空いている者たちに遺体を集めさせ始める。
せめて火葬してやれば少しは罪悪感が薄れる、かもしれない。
今の自分がちぐはぐだと自分でもわかっている。あれだけ殺しておいて、殺すのが怖くなって、戦中に火葬したりしながら、味方を助けにもいかないなんて。でもそうしないと俺の精神状態が保てない。
集めた俺が殺した100人ほどの遺体に火をかけた。俺が殺した100人の冥福を心の底から祈った。火葬なんてしたところでただの自己満足、罪悪感を減らしたい俺の身勝手。こんな自分のことしか考えない自分が心底嫌になった。
「あるじ様、やっぱり、助け、行った方がいい」
火葬が終わったころ、氷雨が対岸を指さしてそういった。見ると利家とサルの方が大いに崩されている。助けに行かないと利家たちの隊は崩壊し、全滅の危機に陥る。
「ん、浅井兵、一人一人、強い」
「そうっすね。ちゃんと鍛えられてるっす」
「助けに、行かないと」
また、俺は人を殺すのか。俺の部下たちに人を殺させるのか? あるいは俺の命令で部下が死ぬのか? 嫌だ。何もかも嫌だ。もう戦場になんて入りたくない。だが入って助けに行かないと……
「利家が、死ぬ」
サルはどうでもいい、とまではいかないが優先度は低い。だが利家が死ぬのは許容できない。この世界で最初にできた、俺の、親友。
「出るぞ、利家の援護に入る。対岸に渡って利家隊を助けつつ防御陣形を敷け」
「はいっす!!」
「ん!」
できるだけ死人を出さないような指示を出す。深呼吸する。人を殺す覚悟ができたわけじゃない。でも迷っている時間は無い。
「行くぞ」
震える手で刀を握り締めつつ、俺はまた戦場へと足を踏み出した。
大助だって元はただの現代人。