第134話 姉川の戦い 参
「そもそも織田信長は藤吉郎さまの力抜きで天下統一なんて絶対に不可能なのよ」
「だってあたしは、未来人だもの」
ユナが残した言葉が頭の中で反芻する。
未来人だからと言って未来は見通せない。当然、信長の天下の行く末なんてあいつがわかるはずがない。
だが藤吉郎が信長の天下統一に貢献することは間違いないのだろう。サルを見捨てることで信長が天下を取れない可能性も、なくはない。
「仕方ない、か」
勝家と藤吉郎の隊は本来なら浅井と互角どころか押し返して余りある戦力だ。にもかかわらず勝家たちは現状苦戦中だ。信長にも俺の判断で助けろって言われてるし。
「氷雨、出るぞ。勝家の方だ」
「ん」
「長利のとこだけ連れていく。彦三郎はここに残して全体の指示をしてもらわないとだからな」
「ん、伝令飛ばす」
俺は本陣を出て勝家側の前線にいる市橋長利と合流する。
「あいつの言う通りにするのが癪だがここで柴田・木下両隊が敗れればこの戦の勝敗に直結する。いくぞ長利!!」
「お供いたします!!」
およそ1000名の坂井隊が右側の柴田勝家・木下藤吉郎秀吉の戦場に突入する。
「勝家殿と合流する。氷雨はサルのの所に行ってあいつを連れて来い」
「ん、あいつ? 藤吉郎殿のこと?」
「いや、サルんとこにいる最強軍師……竹中半兵衛だ」
「ッ! ん、任せて」
かつて信長を追い詰めた天才軍師、竹中半兵衛は今サルの下についている。織田家随一の猛将である勝家、織田家最強と言われる俺、そこにあいつがいれば負ける道理がない。
戦況は思っていたよりも悪い。対岸とこちらの岸とのちょうど間にある小島は完全に浅井に占拠され、そこに果敢に攻めかかる柴田勢は陸地から槍を突き立てられている。
「大助殿、面目ない。あそこまでお膳立てされた状況から……」
「大助殿、私をお呼びと聞きましたが」
俺が勝家の所についたのとほぼ同時に氷雨と半兵衛とその女従者が到着する。
「このままじゃ埒が明かない。一度乱戦を解いて体勢を立て直す。岸まで戻るぞ」
「ええ、それが一番でしょう」
「このままでは敵がついてきてしまうのでは?」
「それは俺にお任せを。長利っ!!」
「お任せを!!」
長利率いる6番隊が一斉に弓を射かける。乱戦になっているならともかく小島に敵が集まっているならそこは弓の格好の餌食だ。
「撃ちまくれ!! あそこを撃ち続ければ今乱戦している敵は孤立する!! 柴田隊と木下隊は今のうちに下がれ!!」
こうして俺は柴田隊と木下隊を無事に撤退させることに成功した。
「ここから、お前の実力を見せてもらうぞ」
そう俺は隣にいる竹中半兵衛の肩をたたく。
「私も買いかぶられたものです」
「新加納口の戦いの時、お前は信長を討ち取る寸前まで追い詰めたんだ。あの時の策は見事だった。他にも稲葉山城の占領とか、いろんなことで評価してるつもりだ」
「私としても新加納口の時は大助殿の戦いぶりに驚かされました。その力頼りにしても?」
「当然だ。俺の隊ではいつも俺の力を計算に入れて作戦を立てている。常道にその話を聞きながら作戦を立ててくれ」
「さすがに私も個人の戦力まで考慮して作戦を立てたことはありませんから。どれだけ強ければそんな事態になるんですか……」
呆れ半分といった様子で俺のことを見る半兵衛だが事実そうなのだから仕方ない。
「使い倒してくれて構わない。今回の作戦はお前の指示を俺の名前を使って柴田、木下、前田、そして坂井隊の全軍に伝える。この姉川の戦いの右半分の戦場をお前が指揮するんだ。失敗は許されないぞ」
軽くプレッシャーをかけておこうと思ってかけた一言に半兵衛は不敵に笑ってこう言った。
「腕が鳴ります」
右翼を柴田隊、左翼を木下・前田の連合隊、中央前方が俺と彦三郎、大吾、悠賀の坂井隊、中央後方の本陣に竹中半兵衛とそれを守る秀隆・長利。竹中半兵衛が指示したこの布陣は俺でも思いつくほどの単純な配置だった。
だが作戦は誰も思いつかない、思いついたとしても「馬鹿か」と切り捨てるようなまさに常軌を逸した作戦だった。
「まずはあの小島の敵を殲滅します。大助殿に始めるように合図を」
「はいっ」
紫月が法螺貝を吹く。姉川の戦いのラウンド2が開始される合図だ。
俺は法螺貝の音を確認すると彦三郎に指示を飛ばす。
「一番隊にあの小島に攻撃を加えさせろ! ただし水中に入ることは一切禁ずる! 弓と鉄砲だけで攻撃するんだ!!」
「ハハッ!!」
一番隊の激しい遠距離攻撃が始まった。敵はそれは想定済みだと言わんばかりに盾で防いでいる。だがこれもすべて半兵衛の想定通り。
「そろそろ俺の出番かな」
「ん、あるじ様、出陣?」
戦況を見ながら俺がつぶやいた一言に氷雨が即座に反応し、兵たちに指示を出そうとする。だが俺はそれに待ったをかける。
「出るのは俺一人だ。氷雨はここで俺の合図を待て」
「一人?」
「ああ、今この戦を指揮してる今孔明サマがそうしろって言ってんだ」
「あるじ様、何する?」
「あの小島に一人で乗り込んで制圧しろってさ」
「ッ!?!? だめ、絶対、だめ、危ない」
珍しい氷雨の驚き顔に苦笑する。俺だって半兵衛に笑顔で「大助殿は一人であの小島を制圧してきてください」って言われたときはめっちゃ驚いたし、「使い倒いしてくれて構わない」って台詞を後悔したものだ。思わず「俺は超人でも不死身でもないんだが?」と言ってしまったくらいだ。だが半兵衛は「大助殿なら問題ない」の一点張りで取り合ってくれなかった。さらに「勝利のために必要」と言われればやるしかない。
「でもどうやって渡るんすか?」
天弥の当然の疑問。俺がすでに半兵衛に聞いたことでもある。
「浅瀬があるらしい。ちょうど今彦三郎がいるあたりだ。あそこなら走って小島まで行けるらしい。お前たちを合図したらあそこから渡ってきてくれ」
「はいっす!」
「だめ。いくらあるじ様でも、危険」
天弥のいい返事とは対照的に氷雨は頑なに俺を止める。
「氷雨、これは勝利のために必要な……」
「何言ってるんすか、氷雨? 大助様は、僕らの主は最強っすよ? 負ける訳ないじゃないっすか」
俺の言葉とほぼ同時に天弥が当然のことのように言う。いや、俺は最強なんてそんな大層なこと思ってないけど。
「僕らは大助様を信じるだけでいいっす!!」
「ん……うん、あるじ様、最強」
ここまで言われたら期待に応えないわけにはいかないな。
「じゃあ行ってくる。いつでも来れるように準備しておけ。わかるように合図する。お前らなら見逃すことはないな」
「ん」
「もちろんっす!!」
2人の反応を確認した後、俺は彦三郎の前線に向かった。
「彦三郎、今から俺は単騎であの小島に乗り込む。俺が渡る間、敵に撃ち返す隙を与えるな。敵が顔を出せないほど撃ち続けろ」
「お任せを」
「……止めないのか? 氷雨には止められたんだが」
「我が主の力を誰よりも理解してるのは私ですから。あそこにいる100人程度なら大丈夫でしょう」
「ああ、任せとけ。……一応言っておくけど間違っても俺に当てるなよ」
最前線はこちらからの一方的な銃撃が続いている。敵は撃ち返す隙も無い。顔を出したやつは即座に頭を撃ち抜かれる。
「ふーーーーっ」
大きく深呼吸する。いくら俺でも100対1は初めてだ。
「行くか」
川に右足を踏み入れる。足首ほどまで水がある。多少の差異はあれどこの程度の水深があの小島まで続いている。半兵衛の言う通り、走り抜けられる。
「ふーーーーっ」
右手には刀、左手にはリボルバー、準備は万端だ。もう一度、深呼吸してから俺は左足も川に足を踏み入れた。