第128話 金ケ崎の退き口 後編
殿の主力である池田勝正、松永久秀の2隊は後方の朝倉景鏡の猛攻により既に半壊していた。遊撃隊として戦場を駆け回る利家隊はもはや隊としての形を成していない。
そして、織田軍全体の最後尾を走る木下藤吉郎の隊は……すでに敵の海にのまれ、その姿は見えない。
「クソッ!! クソッ!! このままじゃ……!!」
利家は散り散りになった隊を集め、なんとか池田・松永隊に合流しようと試みる。
木下隊は全滅か……? 藤吉郎殿はどうなった? そもそも殿がここまでやられたら、前を行く大助たちも……
非常にまずい……このままじゃ俺たちも全滅だ。
利家は槍を振るい近くにいる敵兵を数人同時に薙ぎ払う。だがそんなことで縮まる兵力差は微々たるものだ。
「散った兵を集めろ!! 5人一組を徹底しろ!!」
利家一人ではどうすることもできない兵力差も隊の力、集団の力で覆す。利家はそれができる人物だ。
信長の持つ圧倒的なカリスマ性、それとはまた違う、だが確かに一種のカリスマ性を利家も持っている。
「集まったら南進する!! そっちに味方がいるはず……あ?」
「ハァ、ハァ……と、利家殿」
敵の中にある利家たち織田勢が集まっている、いわば拠点。そこに全身傷だらけの数人が入ってくる。それは……
「と、藤吉郎殿!! ご無事で……!!」
「は、半兵衛の言う通りじゃった……」
利家の言葉は無視し、そんなことを呟く藤吉郎。
「藤吉郎殿?」
「半兵衛が、おそらくここに味方の拠点があると……旗も何も見えなかったというのに……」
つまり、竹中半兵衛のおかげでここにたどりつけたということか。
「それで、その半兵衛殿は?」
「そこじゃ」
そう藤吉郎が視線を送った先にはボロボロの馬、そしてそれに乗るボロボロの武将。馬の背に横たわって意識はない。
その姿は藤吉郎隊の戦いの激しさを物語っていた。
「半兵衛が我らの道を拓いたのじゃ……」
さすがは”今孔明”、味方であればこれほど頼もしい軍師はいない。
「本当はここからも知恵を貸していただきたかったが……」
「今は無理じゃろう」
「だな。ここは俺ら2部隊で切り抜けましょう。頼りにして、いいんだな? 藤吉郎殿」
「もちろんでござる。二人でここを切り抜けましょうぞ!!」
隊長2人が肩を並べる。消えかけていた士気の灯が再びともる。ごくわずかな灯だが、そのわずかな灯で十分。利家と藤吉郎なら、一時的に殿を立て直せる。そしてそのわずかな時間があれば……!!
それから一刻ほどたった頃、前田・木下隊はほぼ全滅し、また別の場所では池田勝正の殿部隊もほぼ全滅していた。
そしてついに利家と利家と背中合わせで刀を振るう藤吉郎も敵に完全に囲まれ、ついに死を覚悟した。
「はぁッ、はぁッ……あと何人生きてる?」
「ワシらいれて、7人でござるな」
「半兵衛は無事か?」
「かろうじて……」
「まあ、ここまで守りきれたのが奇跡だな……」
半兵衛の意識は戻っていない。これまではそれを20人ほどの部隊で守ってきたがもうそんな余裕はない。余裕どころかあと3分生きてたら奇跡っていうレベル。
「もはやここまで」
「あ、あ……うわぁぁぁぁ!!」
ついに味方の兵たちが戦意を失いかけている。武器を落とす者や錯乱して敵に無理な攻撃を仕掛ける者。
「もう、これじゃあ……」
そしてついにこの絶望的な状況下で利家ですらもはや生存を諦めかけていた。
「利家殿!! 気を確かに!! 我らが討ち死すれば大助殿の最後尾が潰されるのですぞ!!」
「ああ、そうだな……」
「信長様も利家殿が死んだらお怒りになるでしょう!!」
そこは悲しむだろ。頼むから悲しんでくれ。
そんな脳内ツッコミをしつつ愛用の槍を握り締める。少しだけ力が出た。
「そうだな。一緒に生きのびよう」
「はい!! 利家殿!!」
互いの背中を守りあい、正面の敵だけに集中する。
「「うおおぉぉぉぉ!!」」
声を上げ、敵を薙ぎ払う。そして次の敵を警戒して、槍を構える。だが囲んでいる敵は数えきれないほど。その敵が一斉に襲い掛かってくる。利家がどれだけ強くても同時に相手できる敵に限りはある。一斉に槍を突き付けられ、利家は死を覚悟した。
だが、その瞬間は訪れなかった。
「っ!? 光秀殿!!」
「遅くなってしまい申し訳ありません、利家殿!! 大助殿のご命令でお助けに参りました!!」
すんでの所で利家たちを救出したのは明智光秀。彼は壊滅した殿の兵たちをまとめながら戦場を駆け回り、殿の一部を復活させることに成功していた。殿の生き残り約6000人をまとめ上げ、池田勝正・松永久秀の救出もしてきたのち、最後尾にて敵中に残された前田利家・木下藤吉郎秀吉の二隊の救出に動いたのだ。
「正直、もう間に合わないと思い池田勝正殿たちを救出した時点で撤退するつもりだったのですが……何やら叫び声が聞こえたので」
「あのやけくその雄叫びが結果的に俺たちの命を救ったてわけか……まさに奇跡ですな、藤吉郎殿」
藤吉郎はそれに返事をすることはなく、光秀に救出された兵たちの顔を一人ずつ眺めている。
「藤吉郎殿?」
「……ワシの隊は……もう、1人も……」
その言葉に利家はハッとなり、藤吉郎同様兵たちの顔を確かめていく。隊の見知った顔を探す。だが一人も見当たらない。
「申し訳ありません。利家殿たちの隊はかなり散ってしまっていた上、多くが敵に包囲されてしまっておりまして……」
「……」
光秀は暗にまだ生きている兵を見捨てたと言った。そのことに気づいた利家は唇を強く噛み、堪える。それができるのは光秀が救える人と救えない人、あるいはが無理に救おうとすればそれ以上の犠牲が出ることが分かり切っていた人を分類したということがわかっているからだ。そしてそれがおそらくは最善であったであろうということも。
光秀は冷静に人を見捨てることで結果的に多くの人の救出に成功した。人の命を選ぶ、それがどれだけ辛いことか利家はよく知っている。それをこの場で最善の形で為した光秀がどれだけすごいかも、よくわかる。
「で、ではまだあの中に、ワシと一生を共にする隊の仲間たちが……も、戻らなくては!!」
だが長く人の上に立っている利家とは違い、藤吉郎はそれがわかっていなかった。まだ武将として未熟としか言いようがない。だが内に秘めたる思いは利家も藤吉郎と全く同じである。それを胸に押し込んで、利家は強い言葉で藤吉郎を諭す。
「馬鹿野郎。もう手遅れだ。今行っても無駄に死ぬだけだ!! 今この形で俺たちが生きてることすら奇跡なんだ!!」
「だがっ!!」
「せっかく救われた命を無駄にするな!! 光秀殿たちが俺たちを救うのにどれだけの犠牲を出したと思っている!? 本来なら見捨てる場所にいた俺たちを無理に救ってくれたんだ!!」
「ぁ」
藤吉郎は周りの兵たちの顔をもう一度見渡す。皆傷だらけ。あの絶望的な場所にいた利家たちを救うのには相当な犠牲を出したことだろう。光秀はそれを承知で救ってくれたのだ。
藤吉郎もようやくその事実に気が付いたらしい。
「光秀殿、申し訳ございませんでした。救ってくださり、ありがとうございました」
そう深く光秀に頭を下げる藤吉郎。その顔には深い自責の念が刻まれている。
「いえ、多くを助けられず、すみませんでした」
光秀も頭を下げた。その顔には後悔の念が刻まれている。
”もっと上手く動けたら”
”もっと早く走れたら”
”もっと自分が強ければ”
もっと多くの人を救えたのに。
武将なら誰もが思うこと。
死人が出ない戦などない。誰かが死ぬたびに自分を攻める。
武将は多くの命を預かるもの。生きる者はもちろん、死んだ者の魂もすべて背負って、戦い抜いていくのだ。