第126話 小豆袋の知らせ
本圀寺の変から約1年が経過した。俺は本圀寺の変という例外を除き、出陣することはなく、岐阜で平穏な日々を過ごしていた。信長の子供たちや家臣団の子供たちの稽古をしつつ、家では夜泣きが少なくなってきた葵丸の面倒を見る。戦には出ないものの多忙な日々だった。
とは言え俺の忙しさなど戦に出ている家臣団のみんなに比べれば大したことはない。例えば滝川一益は南伊勢の大河内城を落とし、伊勢一国を占領した。明智光秀は京都で休む暇もなく働いているというし、サルも戦場を駆け回り手柄を挙げてついに家臣団の一席を手に入れた。それにはかつて俺たちを追い詰めた竹中半兵衛の助力もあるのだがそこは割愛しよう。
そしてついに1570年、信長が上洛戦以来の大軍をあげ戦を始める。口実は足利義昭の意向で若狭武田氏を再興させるということ。その本質は信長に従わない越前朝倉氏の討伐だ。
今回出陣するのはまず大将・織田信長、そしてその同盟者である徳川家康。家臣団からは明智光秀、滝川一益、柴田勝家、松永久秀、木下秀吉、森可成、そして俺。俺と俺の隊は一年ぶりの戦になる。当然、訓練は続けているためみんなの準備は万端だ。
「いざ、出陣!!」
織田・徳川連合軍は岐阜城から出陣、同盟者である浅井長政領北近江を通過し、朝倉義景の治める越前国に侵攻した。4月25日、先鋒の柴田勝家、次鋒の前田利家、俺・坂井大助の3隊で金ヶ崎城の支城である天筒山城を僅か半日で落とし、翌日には全軍で朝倉景恒の治める金ヶ崎城を囲み、これも半日かからずに落とした。
まさに破竹の勢いというやつだ。
信長軍は金ヶ崎城に入り、明日には朝倉氏の本拠地である一乗谷城を攻めることになる。今晩は金ケ崎城を落とした祝いの宴会が開かれた。
「今日の勝利を祝して!!」
「「乾杯!!」」
宴会は大いに盛り上がった。今日の勝利が圧倒的だったのと、明日の戦に向けて士気を上げる目的もあるだろう。
今回の戦で大きな手柄を立てた柴田勝家と前田利家には信長直々に酒が注がれた。かつて信行に従って信長を裏切った勝家ももうすっかり信長家臣団の最重要人物の一人となっている。信長ももうすっかり勝家を信頼しているようだ。
俺も酒をちびちびと飲みつつ、隣にいる可成と子供たちの成長についての話をしている。そんな中、ふと信長の方を見ると松永久秀が信長に近づいている。
「少しお耳に入れたいことが……」
「ん? なんだ?」
松永久秀は信長の耳元に口を寄せ、何かをささやく。
「そんなわけがあるまい。戯言を言うな」
信長はそう言っただけだった。久秀もそれ以上何も言わず、席に戻った。
「失礼します!! 門番が何やら物を預かったと、信長様へ」
唐突に宴会に兵士が入ってくる。
「持ってこい」
「ハ、こちらです」
兵士が持ってきたのは何やら手のひらサイズの小袋……か? 俺も信長の近くにより、信長の手に持つ小袋を見つめる。
「なんだ、これは?」
「袋、じゃない? 布が両端で結ばれてるのか」
「中には……小豆か?」
「これは、そもそもいったい誰が?」
「門番によりますと……近江の浅井の手の者だと」
「浅井……? いったいどういうことだ?」
全く意図が読めん。浅井なら手紙か使者を寄こせばいいだろう。なんでこんな謎解きみたいな真似を……?
だがそんなことを考えている余裕はこの時には既に残されていなかった。
「急報、急報!! 敵総大将・朝倉義景ら1万5千の軍勢がここ金ケ崎城に向けて迫ってきております!!」
「夜襲か!! あとどのくらいでここに来る?」
「わかりません!! 陣形なんて全くない、全速力でここに向かってきております!!」
「なんだと? 陣形すら作らずに……? なら対応は容易だ、確か北側には家康の部隊がいたはず……」
「ええ、僕の軍の本多忠勝に対応するように伝令を出します」
突然の敵襲の報に信長と家康が素早く対応する。突然の夜襲に対して素晴らしい判断だといえるだろう。
だが何か違和感を感じた。敵は陣形すら作らずに全速で向かってきている? 陣形作らないなんてどういうことだ? なんでそんなに急いでいる?
そんなことを考える俺の視界の端には先ほどの小豆の入った布が……あれはたしか浅井の手の者が届けたって……
それにその小豆が包まれている布に俺は見覚えがある。あれはたしか大垣で……
「まさか!!」
すべてが、繋がった。自分の中にあった点と点が線で結ばれる。そしてそれは最悪な結論へと至る。
「どうした、大助?」
突然大声を出した俺に信長が不思議そうに声をかける。
「信長様、今すぐ引き上げましょう!! 岐阜か、京都でもいい!! とにかく急いで!!」
「落ち着け大助。いったい何があったというのだ」
「その小豆の入った布、それはおそらく市ちゃんからです」
「は?」
質問の答えになっていない俺の言葉を聞いて信長は意味が分からないという顔をしている。
「詳しく説明している暇はありません!! 俺の予想が正しければおそらく浅井は……!!」
裏切っている、そう言う直前。
「報告です!! 浅井長政率いる八千の軍がここ、金ケ崎城に向かって進軍中とのこと!!」
「なんだと!?」
やっぱりか。俺の予想は当たっていた。あの小豆の布、あれは中にある小豆が俺たち織田軍、両端が閉じられているのは浅井朝倉に挟み撃ちにされるということを示している。その俺たちの危機を市ちゃんが何とか伝えようとしていたんだ。
「信長様、撤退しましょう!! このままでは浅井朝倉に挟み撃ちにされます!!」
「待て、そんなことは……!! 長政が裏切るはずが……!!」
「今すぐ逃げないと間に合わない!! 早く行くぞ!! おい!! 誰か信長様をお連れしろ!! 信長様だけでも逃がせ!!」
必死の俺の訴えに家臣たちが一斉に動き始める。信長の手を引いて馬の所まで走る。そこでもうすでに隊が揃っている勝家に信長を引き渡した。
「勝家殿!! 信長様をよろしく頼みます!! 京で合流しましょう!!」
「任された!! 大助殿は?」
「ここに残された軍をまとめて敵の足止めを図ります。俺たちのことは気にせず早く行ってください!!」
「……うむ。大助殿、ご武運を」
「勝家殿も。信長様、ショックなのはわかりますがしっかりしてください!! ここで信長様が死ねば我らの夢もここで途絶えることになりますから」
「ああ、わかっている」
「生きて京で会いましょう」
「ああ。大助、すまぬな。ここは任せたぞ」
「お気になさらず、これが俺の役目ですから」
そう、これが信長を守る俺のすべきこと。信長と勝家を見送り、俺は金ケ崎城の内部に取って返す。
広間に集まった家臣たちに告げる。
「信長様はすでにここを離れられた。俺たちの役目は信長様の逃げる時間を稼ぐこと、そしてより多くの兵を領地に返すことだ!! 今から俺がここにいる全員の指揮を取る!! 各々、自分の役割を聞いたらすぐに動くように、いいな!!」
そう宣言し俺は残った家臣たちに次々と役割を振っていく。俺の手腕に、信長の命が、天下の夢が、すべてがかかっている。その重みを実感しながら、俺は声を張り上げた。
書きたかった戦のひとつ。