異国の神との邂逅
「へぇ、異国の天使長とやらはこんな綺麗なべっぴんさんが務めているのか」
筋肉質で長身の青年は、私の目の前に立つなりそう声をかけてきた。
自身の顎に手を添えながら、切れ長の赤い瞳で私をまじまじと見つめる。
目つき自体は、気怠い雰囲気が漂うが、どこか見定めるような視線だった。
日の国の神は、厳かな和装を羽織っていた。
位と容姿、何か関係が?
などと棘のあるような言葉は発さない。
私はあまり、職務外のお喋りは得意ではない。
それが主以外ならなおさら。
「勿体ないお言葉ですわ。はじめまして、私はルシフェルと申します」
努めていつもの微笑みを貼り付け、事務的にならないよう返事をする。
「あり、怒った?まぁまぁ、今日は無礼講だろォ?異国の神との交流会ってヤツ」
天と地の世界に隔たりがなかった、神の時代。
また、土地も全てひとつに繋がっており、言語も全て統一されていた。
そんなまとまっている世界の中、私は主の元で多く在籍している天使を束ねる長だ。
「改めて、俺は天照」
…日の国の神。
私たちは言語は統一されているが、それぞれ国があり神たちは不可侵の条約を結んでいる。
そのおかげで、今日までこの世界を平定し続けていられる。
私たち天界が乱れていては、下々の人間共を管理しきれないからだ。
「で、そんな仏頂面でパーティーは楽しんでられんの?」
「…私は天使たちの世話役であり、神々の僕ですので、楽しむなんて概念はありません」
馴れ馴れしい。業務外の会話は苦手だ。
なぜ、日の国の神が私に話しかけてくるのか。
主の元へ早く帰りたい。
「お堅いねェ?…そんなアンタに聞くんだが、おすすめはどれなんだ?」
酒が注がれた数種類ものグラスが置いてあるコーナーが近くだったからか。
天照様は、単純にどのワインを選んで良いか分からず私に話しかけただけのようだ。
何やら、一言多いが。
私は酸味と渋みが少ない赤ワインを天照様に両手を添えて差し出した。
初めてであろう方には、とりあえずオススメだ。
芳しい香りが少し鼻先をくすぐる。
「おぉ、異国の酒も中々にイケるな!」
天照様はくんくん、と嗅ぐようにグラスを鼻に近づけてワインを口に含んだ。
その味に、目を少し輝かせて感嘆の声を上げる。
「お気に召したなら、良かったです。…?これ以上、私に何か御用でしょうか」
「あれは、お仲間登場か?」
天照様が指を刺した。それは私がいる所よりも、もっと奥へ視線があった。
私も後ろへ振り返る。
「これはこれはルシフェル様」
大天使長たちか。
こちらへ数人が近づいてくる。
ニヤニヤと嫌らしく唇の端を吊り上げて笑う。
天照様とは、違う。侮蔑の色が見える嗤いだった。
「皆の者、いつもお勤めご苦労様です」
だが私は、それに何も感じることはない。
ただ、主の使いとして役目を私は果たすだけだ。
嫉妬や羨望の眼差しを受けたところで…私には関係ない。
主の使命を果たす為、私は造られたのだ。
「何、私達は当たり前の事をしているまでですよ。それよりも〜ルシフェル様がドレスをお召しになられるとは意外ですな」
「まぁ、そんな言い方おやめになって。ルシフェル様も長期の任務でお疲れですのよ?たまには女性らしい装いをして、放蕩したくなるのも当たり前ですわぁ」
男女数人が私達を中心に半円状態で取り囲んできた。
淡いシャンパンゴールドの、丈の短いパーティードレスを私は着ている。
このドレスは主が私に与えてくださった大切なものだ。
いわれのない彼らの発言に、私は眉一つ動かずにいた。
私の元へわざわざ来て、そんな嫌味を言いに来るとは…よほど暇なのだろう。
対して天照様は気怠そうに彼らを眺めつつ、まだワインを楽しむ。
「私に言いたい事はそれだけですか?」
我が主の前で、力を以てして私に勝ってみせれば良い。
私は絶対の信頼を主から得ている。
それ以外何も望まない。
そんな自信があるからこそ、微笑みを彼らに向ける。
次の瞬間、私は胸元に冷たい液体を浴びせられていた。
「ぁっ!ルシフェル様、申し訳ありませんわあ〜」
それは、明らかに故意だった。
ワインが。段々とドレスの布越しに液体が肌を塗らす。
その温度や、少しだけベットリとした液体に不快感を私は覚えた。
「っ…」
絶句する。
これは私が敬愛する主から頂いたお召し物だ。
貴重だからとか、デザインが、とか、神から頂いた証とか、そんな物自体の価値や名誉に私は拘っているのではない。
私に施してくださった、そのお心が私にとっては唯一なのだ。
それを汚すのであるならば…。
私はたまらず彼らを睨みつける。
表情が崩れた私に、酷く楽しそうに笑っているじゃないか。
「あ〜あァ?よくもべっぴんさんの晴れ衣装を汚してくれたなァ」
天使たちの険悪なやりとりを静かに黙って眺めていた異国の神が、私たちの間に割って入ってきた。
なんともその場には不釣り合いな、やや軽快な声音だ。
「なるほど、そういうことですか。ルシフェル様は異国の神を誘惑なさったのですかな?」
「…無礼であろう。天照様に頭を下げよ。」
彼らの間でどっ、と嘲笑が沸き起こる。
天照様ごと、侮辱することで、大方私の面子を潰してやりたいのだろうか。
私は手を翳して大気のマナを圧縮しようとした時だ。
天照様は天使長たちと向き合ったまま、がしっと私の手首を掴む。
自分の誇りは、自分自身で守るつもりでその手を振り払おうとした。
しかし、私は静止する。
何故なら天照様は私の方へと振り返り、ウインクしてきた。
私の主と同じ神であるはずなのに、こうもコミカルな仕草に私は驚いた。
「まー見ときんしゃいって」
そう小声で私に言うと、突如天照様の背後の空間から、大きな杯が現れる。サイズ感は、樽…と表すべきだ。
勢いよく杯がひっくり返ると、赤紫の液体が天使長達へ降り掛かる。
彼らは咄嗟に目に入らないように、顔を覆い隠す。
「おぉ!びっくりしたァ〜こりゃ天災か何かかなァ〜?」
やっと私の腕を離してくれた。
しかし、演技にもならない大袈裟なリアクション…。
ずぶ濡れの天使たちから、離れるように後退りを大きくする。
「さァ〜て、逃げるぞ天使ちゃん!」
「あっ…ちょっと!天照様」
悪い注目を浴びない内にと、気遣ったつもりか?
天照様は私の肩をぐいっと引き寄せながら、強引に会場の外へと連れ出す。
私は仕方なく、天照様に追いつくように小走りで天使長達の元を去っていく。
私達以外の周囲は、賑やかで豪華絢爛なパーティーを楽しんでいる。
その様子はお祭りさながらだ。
料理に舌鼓を打つ者もいれば、談笑に華を咲かせている神々や御使の姿がある。
私はというと、見知らぬ神とそんな場所を抜け出す。
一体どこに行くのだ。この自由人は。
ケラケラ愉しそうに笑っている。
私は成すがまま、彼の後を着いていった。
私たちは会場を抜け出して、外の噴水場に腰を落ち着けた。
近くには、黄色と桃色の花が咲き乱れていて少しだけ、心が安らげるような気がした。
「ドレス、残念だったねェ。とりあえず、ここなら嫌がらせされる事もないだろう」
「お気遣い、ありがとうございます」
天使長らが混乱してる様に満足だったのかと思えば、どうやらそれは私の思い違いらしい。
天照様は私の隣で胡座をかいている。
「これ、やるから。羽織ればァ?」
私の方は見ずに、いきなり真白の羽織を差し出してきた。
「…頂けません。」
「お前さんの身体が冷えるのは良くないだろ
」
戸惑う。主以外から、物を頂くなど。
何故だ。
貴方の駒でもないのに。
主でさえ、功績の対価として物を与えてくださるのだ。
それをこの方は、よりにもよってもご自身のお召し物を?
分からない。
「…あ、ありがとうございます」
お礼を言うしか出来なかった。
私は天照様の羽織を肩にかける。
暖かい。
天照様は、太陽を司る神だと聞いている。
その温もりは、私にとっては存外…悪い物ではなかった。
しばらくした時だろうか、遠く離れたはずの会場から、微かに音楽が聴こえてくる。
「おぉ、今度は何が始まったんだァ?」
「本日の社交会、最後のイベント。ダンスです」
「ダンス…?へぇ、そんな催し物もあったんだな」
「珍しいですか?」
「俺の国にも、踊りはあるが…たまには、アイツらみたくもっと洒落た感じのもやってみたいかもねェ」
「…でしたら、私でよければ今度お教えしましょう」
何故だ。
自分でもそんな言葉がよく溢れたなと思った。
「頼むわ!…でもお前さん、踊れんのォ?」
「勿論です」
また次、再会出来るかも分からない。
今日限りかもしれないのに。
「ヘェ…期待してるわ。天使ちゃん」
その出会いは、必然だったと私は思う。
彼も、同じ気持ちだったのだろうか。
異教の羽織の温もりを感じながら、私は月に照らされてる太陽神の横顔をただ眺めていた。