微笑み
最初はとりあえず体験してもらうだけ、のつもりで器械まで袋を運ぶ作業をクレハに手伝ってもらったのだが……ラルフはすぐ、彼女が見かけによらずかなりの力持ちであることに驚かされた。大人の男でも重いはずの袋を平気な顔で次々運んでいく。
「そ、そろそろ休まなくて大丈夫?」
「大丈夫です。ここにある分を終わらせたら休憩させてもらいますね」
クレハは張り切った様子でそう答えた。これだけの作業量をこなしていながら本当に息一つ上がっていない。体力も相当だ。
まだ昼時までだいぶ時間があるのに、午前中いっぱいは掛かるだろうと見積もっていた分量がもう片付いてしまいそうだった。
「凄いな……よくいっぺんに二つも袋を持ち上げられるね。重くないかい?」
「た、体力には自信がありまして!」
少し焦った風にそう答えるクレハ。
若い女のひとに対して腕力を褒めるのは失言だったかもしれない、とラルフは若干焦った。しかしラルフとしては実際大助かりだ。
「その、改めてありがとう。本当、助かるよ」
「! いえいえっ! えへへっ! いえいえっ!」
ぱっと花が咲いたような無邪気な笑顔を見せ、ますます張り切った様子で作業に精を出すクレハ。
すぐ、午前の仕事が片付いてしまった。
器械が挽き終わるまで手すきなので、昼食には早いもののラルフは礼をするために彼女を家の中へ招いた。
「何もないけど、冷たい水くらいなら出せるから……」
「お気遣いなく」
井戸で汲んだ水をコップに注いでクレハに差し出し、ラルフは彼女の向かいに座った。
クレハが母のコップで水を一口啜り、ほぅ……と一息吐くのを眺めつつ、自分の分を一気に半分くらいごっくりと飲み下す。
――改めて緊張してきた!
そもそも同年代の女性と二人きりという状況自体ラルフにとって初めてのことだ。しかも場所は我が家で、相手は大きな街でも通用するような美人ときた。これで緊張するなという方が無理がある。
それでも、先に幾つか確認しておかなくてはいけないことがあった。
「そ、それで、クレハさんは一体どちらから?」
「森っ……を越えて都から来ました!」
急だったからかクレハは一瞬言葉に詰まった様子で、照れたようにはにかんだ。
「へぇ、都から……」
随分遠い。
しかし都の人というなら、クレハの瀟酒な佇まいにも頷ける。
「その、僕の母とはどんな関係が?」
「え、と……ラルフさんのお母様の、お友達の、娘が! わたしです!」
「……成程!」
そういえば、母は都の近くの出身だったっけ……とラルフは思い出した。
「きっと若い頃の友達なんだろうね……」
「きっとそうでしょう!」
クレハはうんうんと頷いた。
……何だか話を早く終わらせたがっているような感じがするが、もしかすると家のことはあまり話したくないのかもしれない。これ以上色々聞くのは野暮というものだろう。
ラルフは、少し居住まいを正した。次はもっと真面目な話だ。
「それで、クレハさん。お給金についてだけど、日当でだいたい――」
「お金は要りませんよ?」
クレハはびっくりした様子で、さもとんでもないことのようにラルフの話を中断させた。
「お給金は必要ありません。わたしは、お金が欲しくてここへ来たのではありませんから」
「――」
ラルフは、一瞬言葉を失ってしまった。
確かに、お金を得るためならここより条件の良いところは沢山あるはずだ。というかこんな辺鄙な仕事場自体珍しいだろう。
――しかし、となると、どうなる?
ラルフはゴクリと唾を呑み込んだ。
……正直まだ迷いがあるというか、こんなことを確認すること自体おこがましくて気恥ずかしいのだが……それでも一応、聞いておかなくてはいけないかもしれない。
「……じゃあ、クレハさんは、一体、どういうつもりでここへ――」
――単純に仕事の手伝いで来てくれたのか。
――それとも、もしかして、もしかしてだけど……母が持ちかけたかもしれない縁談の話でここへ来てくれたのか?
果たして、クレハの答えは、
「わたしは、ラルフさんの助けになりたくてここへ来ました」
……というものだった。
「……僕の、助けに……」
うーむ、とラルフは内心唸る。
申し出は勿論とても嬉しいのだが、何ともはぐらかされてしまった感じがする。
「はい! ラルフさんがお困りなことがあれば、何でも解決してみせる所存です!」
クレハは自信満々な演説者の如く、握った拳を自分の胸にドンと当てて言葉を続けた。
「だから遠慮せずに何でも頼ってください! わたしにできることなら何でもします! どんな頼みごとでも!」
大仰な振る舞いが急に恥ずかしくなったのか、ラルフを見て少し照れくさそうに笑う。
その笑顔を見ていると、ラルフはだんだん、クレハがどんなつもりでここへやって来たのかなんてどうでも良いことのように思えてきた。
――というかラルフは今幸せだった。
母が天国へ行ってからは、もう感じることはないと思っていた温かで優しい感覚。ラルフの胸は今、久方ぶりにその安らぎを覚えていた。
――クレハさんが故郷を離れてこんな辺鄙な場所へやって来たのは、きっと深い事情があるんだろう。
――それに、素性は知れなくとも、この女性からは人柄の温かさを感じる……
ラルフは全てを受け入れるつもりで、「そっか……」と一言呟いた。
「ああ、でも、流石に給金もなしに人を雇うわけには……ところで、クレハさんはどこか宿のあてはあるのかい? 他所から来たわけだし、その、住む場所は?」
「あっ……えっと……」
クレハが口籠る。
「も、もし嫌でなければだけど」
と、ラルフはそれなりに勇気をもって切り出した。
「住み込みでどうだろうか? 勿論、眠る場所と食事はこちらがちゃんと用意するよ。僕、こう見えて料理は得意なんだ!」
ラルフの申し出に、果たしてクレハはキョトンとした顔のまま「良いんですか?」と聞いてきた。
「住み込みで置いていただいても?」
「も、勿論! むしろこちらがお願いしたいというか……部屋は、あるし!」
母の部屋だが、綺麗にしてあるのですぐに入ってもらうことができる。……天国の母も文句はないだろう。むしろここで遠慮する奥手な息子をこそ嘆くはずだ。
「分かりました。是非お願いします!」
そう言ってぺこりと頭を下げてくるクレハ。
ラルフは内心大喜びしながら、「こちらこそよろしく!」とクレハの手を握った。すべすべした繊細な手だった。クレハの驚いた表情。
「すっ――すみませんっ!」
つい自分が相手の手を取ってしまったことに慌て、ラルフはすぐさまクレハの手を放した。
しかしラルフの手にはクレハの手の感触が、温もりがまだ残っていた。
「いえ――」
そう言い、本当に気にしていない様子で優しく笑うクレハ。
ラルフは、自分の頬がぼっと熱くなるのを感じた。
きっと今、僕は隠せないくらい顔が赤くなっているんだろうな……そう思いながら慌てた拍子にずれた眼鏡の位置を直すと、丸いレンズの向こうに、彼を見つめるクレハの秘密めかした微笑があった。
「これからよろしくお願いしますね。ラルフさん」