73.賢者の油断
力の差は歴然と言っていい。
劣弱賢者に成り果てた俺を間近で見ていたのは、ベナークだっただけに、その時から敵と呼ばれる相手とまともに戦って来なかったようだ。
ベナークにとっての最大の敵こそ俺であり、力と知性のある賢者に相違なかった。
元々勇者としての強さはそこそこあったが、デニサの魔の力を借りた程度では、所詮知れている。
「くそっ、くそっーーー!! 何で俺が劣弱賢者なんかにーーー!!」
ベナークは、たかが俺の属性要素ごときで我を忘れつつあり、怒りと失望を舌先に乗せ、負け惜しみともいうべく戯れ事を吐き捨てた。
「人質が……俺にはまだアクセリの人質を、手中に収めてるんだぞ? いいのか? 薬師の女を魔に引き込んでも……」
「ほぅ? お前ごとき元勇者に、そんな真似事が出来るとは初耳だな」
「俺じゃなくても、手は下せるからな。少しでも弱い部分が残っていれば、容易いことだった」
「ん? 誰が弱いんだ?」
『ア、アクセリッ! わたしのことよりも、パナを!』
ルシナは傀儡にされながらも、意思はハッキリしていて、姉であるパナセのことだけを心配している。
そんなルシナを守っているのは、竜化したストレと保護者のごとく傍にいるクリュスだ。
「この女……コイツも賢者に従う愚かな女か」
「どうした? お前の実力を俺に見せつけるんじゃなかったのか?」
「言われなくとも始末してやるよ。俺の手では無く、油断を作ってくれたコイツでだ!」
『アクセ……リ……パナ、パナを……ゲホッうぅっ……』
な!?
俺の油断、そしてオハードの油断で、ルシナは同じく傀儡にされていた奴の剣で、背中を斬られていた。
斬られたことで傀儡は解かれ、ルシナはそのまま、その場に倒れ込んでいく。
ストレにせよ、クリュスにしても、近くにいたオハードに警戒をしていなかったということになる。
「はははは!! ざまーみろ! アクセリなんかに味方する女を操り続けたところで、何の得も無い!」
パナセは氷の要素が閉じ込めたままで、とりあえずの心配は無い。
だが、これが俺の油断だった。
パナセさえ……そうではなく、ルシナ、クリュス、ストレ……召喚のアミナス。
誰一人として、油断を生ませてはいけなかったのだ。
倒れたルシナの元に駆けると、かなり傷が深いように思える。
同じ薬師でも、パナセならば傷を移せるが、ルシナはそうではない。
そして束の間の瞬間だったが、目を離した隙にベナークは、手にしていた剣もろとも魔の一部と化し、人間であるはずの姿を変え、闇の人間として現わしていた。
「くくく……勇者である意味なんてすでに無いからな。俺は貴様さえもう一度、闇に葬れればいいだけのことだ!!」
「ちいっ!」
ルシナの傷口は徐々にではあるが、広がりを見せて行く。
紅い鮮血が彼女の意識と熱を奪っていくのを、ただ見ているわけにはいかない。
「ストレとクリュス! 少しでいい。ベナークの動きを止めてくれ」
「分かった。主さまも気を付けて」
「アクさまのご命令とあらば、いつでもお受けしますわ。無事に終わったあかつきには、わたくしを思いきりぶって頂けますわね?」
「あぁ!」
この際何でも言うことを聞くしかない。
「そしてアミナス! お前はオハードを鎮めてくれ! 召喚士なら出来るはずだ。いいな?」
「わ、分かったのだ」
ルシナの体温が下がっていく。
傀儡のまま、彼女を放置していたことが俺の油断であり、残酷な行為でもあった。
ベナークが直接手を下さずとも、隙を作ったままここに戻って来た、オハードの油断だったのだ。
「ルシナ……死なせはしないからな」
「……パナを、パナを……」
「我が祈りを……ルシナ・アウリーンに捧ぐ。命の要素ハイーム! ここに来たれり」
「……大丈夫、大丈夫……アクセリ」
「すまない、ルシナ。必ず助ける。だから、ゆっくり回復をしていてくれ……」
「ん……ん、パナを……」
ルシナの冷え切った手を強く握りしめ、命の要素を浴びたルシナをただ見守るしか出来ないのか。




