「懐かしい未来へ」(7)
強い陽射しと海風のおかげでティキたちの衣服も乾いていた。再び旅支度を整え、今度はシーファの町へと向かう。ヴィダリスのフリーゲートには町の人々が集まり、ティキたちに感謝の言葉を述べてくれた。その中にイグレックもいる。
「イグレック、後のこと、よろしく頼みます。」
「わかっております。」
そしてエラルに向き直った。
「エラル、早く戻って来い。お前の力も必要だぞ。」
「はい。士団長。」
そして彼はリグにも視線を向けた。
「どういう経緯があったのか知らないが、この町を救ってくれたこと、感謝する。
……また、何かあったら力になって欲しい。」
「……。」
リグはどう応えて言いかわからなかった。思わず視線を外す。
そんな彼の姿にイグレックは、やはりあの異形の力のせいで今まで誰にも受け入れられることがなかったのだろう、と少し同情した。
そしてティキたちは皆に一礼をすると、フリーゲートへと入っていった。
シーファの町の教会地下、フリーゲートに光が走る。
次の瞬間にはティキたちの姿が現れていた。
リグは思った。女神の神殿から下界に降りる時もそうだったが、この装置は人間にはできない、自分の世界には存在しないものであった。
……これが神の力なのだろうか。
階段を上ると教会の主コルツ神父がティキたちを出迎えた。
「おおティキ様。
おかげでこのあたりの魔物も消え、フリーゲートも使えるようになりました。
ありがとうございます。」
町の外に出ると、陽がだいぶ傾いていた。
再び聖殿に行けるようになったこともあって、宿屋をはじめ、町は活気づいていた。
そうだ、とティキはちょっといい考えを思いついた。
「エラル、リグ、急いで帰りましょう。」
「どうしたんだ、ティキ? 急にそんなこと言い出して。」
「リグに見せたいものがあるのよ。
とにかく時間がないから、急ぎましょう!!」
そういってティキは二人を急きたてた。エラルは不満そうに首をかしげ、リグも何を見せられるのか不思議に思いながらレクタの町への山道へと向かっていった。
レクタの山道をせわしなく登って行くティキ。そんな彼女にエラルは叫んだ。
「おい、ティキ! そんなに急いだら危ないぞ!!」
ティキは急ぎ足のまま後ろを振り向き、言った。
「大丈夫よ! それより早く! 急ぎましょう! 間に合わなくなっちゃう!!」
そんな時である。ティキが山道の外側に体重をかけると足元の地面が崩れた。バランスを失う。
「きゃあっ!」
「ティキ!!」
ティキはそのまま崖下中腹の足場まで滑り落ちてしまった。エラルたちがいた場所から五、六メートルは下である。
「ティキ! 大丈夫か!!」
エラルの心配そうな叫びに、足をさすりながら彼女は応えた。
「うん……大丈夫! ごめんなさーい!!」
そう言って立ち上がろうとする彼女だったが、足に尋常でない痛みを感じ、再び座り込んだ。足をかなりひどく挫いたらしい。これだけ痛いと回復の聖術の精神統一ができなかった。
そんな彼女の姿を認め、エラルは助けに降りるためにロープを縛る場所を探したが、この岩山にはそんな都合のいい場所はなかった。ロープを持っていてもらおうにもリグだけでは二人分の体重は支えきれないだろう。
エラルが歯噛みをして対策を練っている時である。リグはふわりと風のように崖を降りていった。ティキは呆然と救いの使者を見つめる。
「挫いたのか。……莫迦だな、あんたは。」
そう言いながら、リグはティキの足を診る。そして回復の聖術を詠唱した。
白い光に包まれて、ティキの足は癒されていく。ティキは自分が他人に癒されるのは初めてだった。とても温かく、純粋で優しい光……。これがリグの心に宿る慈しみの光なのだろうとティキは感じていた。
「……何を俺に見せたかったのかは知らないが、無茶をするな。後が面倒だ。」
「ごめんなさい……。」
ティキは少ししゅんとしながら立ち上がった。そして崖の上を見る。上ではエラルが心配そうに彼女を見ていた。心なしか悔しそうな顔をして。
「この崖……、どうやって道に戻ろうかしら。リグ……。」
そう言いながら振り向いたティキは、リグが何か呪文を詠唱しているのを見た。
「……我が魂よ、古の血束により汝の力を行使する。
我が身に千里の路を越えて駆け抜ける力を与えよ……!」
風がリグを中心に吹きこんでくる。リグは無言でティキを抱きかかえると、ふわりと地を蹴り、崖を飛ぶように駆け上った。
『風の翼』の幻魔術はこういう使い方もできるのだ。
崖上に到着し、リグはティキを降ろすと、彼はエラルに彼女をぶつけるように押し渡した。もっとちゃんと管理しろ、というように。
「ティキ、大丈夫か?」
リグの行動には地団太を踏みたい気分であったが、思いがけず自分の胸にティキが飛び込んできたのでエラルは少し嬉しかった。そっとティキを気遣う。
ティキは初めて『空を飛ぶ』感覚を味わい、まだ夢から覚めない様子だった。はっと我に返り、エラルに詫びを入れる。
「え、ええ。大丈夫。心配かけてごめんね、エラル。」
程なく三人は山道の頂上に着いた。町はもうすぐだ。
少し強いが爽やかな風が吹き抜けてゆく。ティキは嬉しそうに伸びをするとリグに微笑みかけた。
「これが見せたかったの!」
そう言って彼女が指差したのは日没間際の海であった。
西日が朱に雲を海を染めている。陽はどこまでも赤く、まるで明日の夜明けを約束しているかのようであった。
リグは呆然と立ち尽くしていた。
この世界では必ず朝が来る……。
「どう? 綺麗でしょ。私、この景色が一番好きなの!」
リグの反応はなかった。感想はどうだろうかとティキが歩み寄ろうとする。
そんな彼女をエラルは止めた。彼は無言で首を振る。ティキはそっとリグの方を見た。頬を涙が伝っている。
リグは心の底から溢れるものが止まらなかった。
美しい景色。かつては自分の世界にもあった風景。
しかし彼の世界にもう朝は来ない……。