「懐かしい未来へ」(3)
ティキは階下に戻り、神殿の外に出た。さあっという涼しい風と共に暖かい陽射しが彼女を照らす。どこまでも広がる青い空と白い雲海に彼女は平和な時が再び訪れたことを実感した。先ほど感じた不安ももうどこかへ消えていた。
すると下界へ続くフリーゲートの門のある橋からエラルと共にイグレックがやって来た。
イグレックはティキを見て取ると敬礼をし、恭しく頭をたれた。
「ティキ様。今回のご活躍、すばらしいものでした。
クレス様をお救い頂き、ありがとうございます。」
「そんなにかしこまらなくていいのよ、イグレック。
私もあなたたちやエラルの助けがなかったらここまで来られなかったわ。」
後ろから、話をしたくてたまらないという感じでエラルは二人の間に割って入る。
「ティキ、俺、聖戦士になるんだ! イグレックが入団を認めてくれたんだぜ!!」
「エラル、入団が決まった以上、私はお前の上司にあたるのだぞ?
その口の利き方はやめろ。」
張り切るエラルにイグレックは釘をさした。
「はいはい。」
「返事は一度だ!」
「はいっ! 士団長!!」
少しからかうようにエラルは敬礼した。ティキはそんな二人の様子をくすくすと笑って見る。
それからエラルはティキに向き直った。
「ティキ、一旦レクタの町に戻ろう。
おばさんも心配だし、俺も今度ヴィダリスに行くことになったから、
お袋に挨拶しとかないといけない。」
「そうね。でも、あの人がまだ、目を覚ましていないわ……。」
ティキの言葉にたちまち不機嫌になるエラル。
「……あんな奴、神殿の誰かに任せときゃいいだろ? 帰りたくないのか?」
「そんなつもりじゃ……。」
リグのうわ言を思い出し、はっとしてエラルをまじまじと見つめた。
「……ど、どうしたんだ?」
ティキの視線に少し照れながらエラルは言った。
「エラル、あの人を知ってるの? うわ言で、あなたの名前を呼んでたわ。」
エラルはティキの言葉に驚き、その眉間に不機嫌そうにしわを寄せた。よっぽどリグの話題が気に入らないらしい。
「俺の名前を? 冗談じゃない! 俺はあんな奴、知らないぜ!!」
「そう……。」
二人の会話の意味がわからず、イグレックは立ち尽くしていた。しかしその話題に入ることも無粋かと思い、黙っていることにした。
「……クレス様に挨拶してくるわ。」
ティキは神殿に戻ろうと振り向いた。エラルも一応聖戦士となるのだから挨拶をしておけとイグレックに促され、彼女についていくことにした。
「……戻るのですね。気をつけて。」
女神クレスの言葉に再び先ほどの不安が蘇る。ここで自分が行ってしまったら、また何か起きるのではないかと。
「はい。あの……。」
そんな彼女の心情を見透かしたようにクレスは優しく微笑んだ。
「わかっています。後のことは心配しないで。」
「はい……。」
そして女神はティキの後ろに控える新たな若き聖戦士に労いの言葉をかけた。
「エラル……でしたね。ティキをお願いしますね。」
「は、はいっ!!」
声が裏返るほどに緊張し、エラルは精一杯叫んでいた。
謁見の間を後にし、二人はフリーゲートへと向かう。しかしティキの足が止まった。
「……やっぱり、あの人に会ってから行くわ。」
「おい、ティキ!」
エラルはまた不満の声を出す。どうしてもリグがしゃくに障って仕方がないようだ。
「黙って行くなんて、どうしてもできないのよ。……いいでしょ?」
すがるようなティキの瞳にエラルは抵抗できなかった。諦めたように頭をかく。
「……わかったよ。ったく、ティキは優し過ぎるんだよなぁ。」
東の塔へ戻ってみると、そこには彼の姿はなかった。バルコニーなどにも目を通したが見当たらない。
「いないわ……。」
「ほらみろ。黙ってどっか行っちまうような恩知らずだったんだよ。」
エラルはそれ見たことかと得意げに言う。
とはいってもこの神殿から出て行くにはフリーゲートを通るしかない。まだ神殿の中にいるのだろう。もしかしたらさっきの巫女たちにつかまっているのかもしれない。
階下に降りると、謁見の間で女神の世話をしていた巫女が血相を変えて降りてきた。ティキたちの姿を目にとめると、すがりつくように走り寄る。
「ああ、ティキ様、大変です!! おかしな男がクレス様に……!!」
「何ですって!?」
ティキとエラルは急いで謁見の間に走り出す。階段を駆け上り、広間で見たものは、女神クレスに詰め寄るリグの姿だった。
「……覚えているぞ、鏡を奪われた後に残されていたその『風』の匂い……。」
クレスの麝香の香りが甘くそよいでいる。鏡が無くなった後、残されていたのは間違いなくこの香りだった。そして何よりの証拠は女神の額についている鏡……少し装丁は変わっているものの、間違いなく輝きの鏡だ。リグは刀の切っ先を女神に突きつけ、大声で叫んだ。
「鏡を返せ! その冠についている〝輝きの鏡〟を!!」
クレスはいきり立つリグの様子に怯えながら、しかしはっきりと言葉を返した。
「……今更無理だわ。返してしまえば、この世界は魔気に侵され滅びてしまう。」
そして一呼吸おくと、静かに告げた。
「それに、もう手遅れよ。あなたの世界はとっくに滅びてしまっている……。」
「何……だ、って!?」
言葉の意味がよくわからない、というようにリグは問いかけた。
そこにティキたちは走りこんできた。エラルは女神とリグの間に入り、刀を叩き落す。ティキはリグの後ろから肩を抱くようにして抑えた。女神は一瞬の安堵を覚えたが、顔色は蒼白になり、怯えていた。それは間違いなく、聞かれてはならないものを聞かれてしまったという表情だった。
ティキは言葉をかみ締めるように女神に問いかける。
「クレス様。今のは……一体、何のお話、……ですか?」
「……聞いてしまったのね、ティキ。」
女神は今まで聞いたことのないほどの悲しそうな声を出した。
「……手遅れ、って、どういう、こと、だ……。」
リグは震える声で女神に答えを求めた。
数瞬の沈黙。
やがてクレスは諦めたように静かに言葉を紡いだ。
「話しましょう、すべてを……。二つの世界の成り立ちと、私の罪を……。」