「懐かしい未来へ」(19)
赤い砂塵が吹き荒れる中、二人はグレダリオへとやってきた。
町やはり瓦礫の山と化していた。それでも少し土壁などが残っている。町を一回りしてみると、かつて結界を張るために使っていた小高い丘の上に何か見える。
井戸のようだった。
「この井戸は……? 中に入れそうだ。」
二人はつるべを使って中に降りていった。井戸の底には人が住めるくらいの空間があり、微かではあるが外界よりも清浄な空気が満ちていた。リグは井戸の入口に結界の聖術を張った。
「……ここなら何とか休めそうだな。」
「リグ、これ……。」
ティキは朽ちた机の上にある一冊の本を見つけた。
表紙には丁寧な革の装丁がされていた。しかしかなり傷んでいる。
リグはその表紙の下に文字らしき刻印を見つけた。
かろうじて読めるのは……グラハム。グレダリオの聖術士の名。
この町の結界を張るために聖水を求め、単身アインの村まで行ったことが昨日のことのように思い起こされた。
リグは静かにその本をめくってみた。中の羊皮紙もかなり魔気の腐食が激しく、ふとしたことで崩れてしまいそうだった。
「……日記だ。」
十二月一日
もう結界も限界のようだ。ゴア様の聖術士たちは無事だろうか。
十二月三日
町の中で魔物が出た。宿屋のウェバが魔気にやられたらしい。
十二月 日
もう め 。結 いが、破 た。
世 は終わり ……。
日記はそこで終わっていた。
リグの中でエラルの言葉が何度も響く。
……リグは何のために永遠の穴に行くの?
人々を魔気から救うためじゃないのかい?……
自分は間に合わなかった。
人々を魔気から救うために、エラルを殺した。
世界を超えた。
義父を殺した。
それでも……人々は、世界は救えなかった。
「すまない……。俺……間に合わなくて……。」
リグの頬を涙が伝う。その大粒の雫は羊皮紙に吸われて儚く消えていった。
ティキはそっとリグに寄り添い肩に手をかける。そして心の中で囁いた。
まだすべてが終わったわけじゃないわ。
まだ私たちにできることはあるのよ……。
ティキの想いはリグにも届いていた。
そうだ、まだ、終わりじゃない……。
リグは入口近くの結界傍の壁に寄りかかり、座り込んでいた。
「リグ、私も……そっちにいるわ。魔物が来たら、戦いになるんでしょ?」
そんな彼女にリグは静かに諭した。
「ここは俺が見ている。あんたはそこで寝てろ。」
「でも……」
「寝てろ!」
リグに一喝され、ティキはしゅんとして擦り切れたベッドに横になった。
やはり私は足手まといだったのだろうか……、そんなことを感じていた時、リグが口を開いた。
「……俺は、あんたが魔物になったら、ためらわずに、斬る。」
「リグ……?」
「だからあんたも、俺が魔物になったら、……必ず殺せ。いいな。」
リグはわかっていた。この世界で先に魔物に心を食い尽くされるのなら、神の眷属に近い彼女の方が早いことを。
だから、宣告しておいたのだ。そう言っておけば最悪自分の方が先に魔物になってしまった時、彼女が己を殺めた罪の意識は軽くなる……。
しかし、ティキの返答は意外なものであった。
「リグ、大丈夫よ。私たちは二人とも魔物になんかならないわ。
だって、私たちはこの世界に光を取り戻しに来たんだから。」
リグは思わず彼女を見つめる。ティキは寝転びながらにこりと笑った。
そうだ、俺はこいつのいうとおり、
光を取り戻すためにこの世界に戻ってきたんだ。
諭すつもりが逆に諭されてしまった。
おかしな女だ……。
リグには非常に不思議であった。
ティキは何故この絶望の大地で、これほどまでに強くいられるのかが。
彼女が何よりも強くいられる理由、それは誰よりも愛する者……自分……が傍に存在しているからなどということは、彼には想像もつかなかった。
リグは他人から『人間』としてさえ認められずに生きてきた。人として接してくれたのは義父ゴアと親友エラルだけだった。そんな彼がティキの想いに気づかないのは哀しいが当然といえば当然のことかもしれない。
程なく休息をとり終え、二人は赤い砂塵にさらわれる様にグレダリオを後にした。
彼らは時々人間の匂いを嗅ぎつけてきた魔物たちを切り裂きながら、半日ほどでアインの村南の湖まで来ていた。しかし湖は死の沼と化していた。ところどころから大きなあぶくがぼこり、とわいてくる。この沼の中にも異形の物が巣食っているのだろう。
リグは沼から首を伸ばしてくる魚竜のような魔物の首を薙ぎ払い、ティキに告げた。
「あの……雲より高い山のふもとに、アインの村がある……。」
雲より高い山……。ティキは女神クレスのことを思い出していた。
永遠の穴に飛び込んだ自分を、クレス様はどう思っただろうか。
母さんはどうしただろうか、もう二度と会うことのできない母さん。
エラル。私はあなたの思いを受け止めることさえできなかった。
そしてリグの都合も考えずに永遠の穴に飛び込んでしまった。
私はやはり軽率だったのだろうか……。
ティキはリグの言葉が欲しかった。
神宝珠を預かった時にくれた言葉。
俺の傍にいろ。
彼の口から囁かれる魔法の言葉を。
それは世界に光を取り戻すという使命の下では贅沢な、けれどティキにとってたった一つの大切なよりどころだった。