「懐かしい未来へ」(14)
神殿に入ると中央の中庭にエラルがいた。心配そうな緑の瞳が彼女を見つめる。
「ティキ……。」
「明日になれば……リグは行ってしまうのね。絶望的な可能性を信じて……。」
ティキは噴水の縁石に腰掛け、俯いた。そしてやりきれないというように顔を両手で覆った。エラルはそんなティキの姿を見つめ続けた。
長い沈黙。
そしてついにエラルは自分の中に眠っている想い……、おそらく彼女の中にも眠っている想いをぶつけた。
「ティキ……。お前は、あいつが……」
一瞬の間。
「……リグが、好きなのか?」
重い沈黙。
やがてティキはかすれるような声で呟いた。自分の気持ちを整理するように。
「最初は……同情、だったと、思う……。
でも……」
顔を覆っていた手を膝の上で組み、その手に視線を落とした。
「あの人が、世界を……愛する人たちを想う、ひたむきな姿を見る度に、私……、」
ティキは気がついていた。彼を、リグを意識しはじめていたのを。ただ、その気持ちが何なのか、自分の中でわからなかっただけなのだと。
「リグに、だんだんと、惹かれていったわ……。」
先刻リグに伝えられなかった言葉。それが今ならわかる。
「私は、リグを……」
「言うな!!!」
ティキの言葉はエラルの叫びにかき消された。
「エラ、ル……。」
困惑する彼女をエラルは強引に立たせ、強く抱きしめた。
そして彼女の耳元で囁いた。優しく、しかし強く。
「……好きだ。」
「エ、ラ……ル……。」
「……昔から、ずっと、お前だけを……見て、きたんだ……。」
ティキはどうしていいかわからなかった。幼い頃から共にあった親友。そんな彼の溢れる想いが強く伝わってくる。
エラルも、私と同じ……?
胸の内に愛する人への想いを秘めていた?
エラルの愛する人、それが、私……?
「エラル……。」
哀しげな彼女の声に、彼はティキへの抱擁を優しく解いた。そして視線を下に落としたままの彼女の肩を支え、諭すように告げた。
「……あいつは、俺たちとは違うんだ。
俺たちにはわからない、……重いものを背負っている。
ティキとあいつは一緒にいることができないんだ! わかってるんだろ!?」
わかっている。
そんなことは痛いほどにわかっている。
私はリグと一緒にいることは許されない。
私はこの世界を守護する力を女神クレスから与えられた聖女。
それが私の使命……。
ティキはエラルの腕を振り払うと、彼から逃げるように走り、謁見の間へと続く階段を上っていった。
「待てよ、ティキ!」
後ろからエラルの悲痛な叫びが聞こえる。
「俺はお前を……愛してるんだ! ティキ!!」
ティキは逃げ場に謁見の間を選んでしまった。ここは深夜なら誰もいない。誰もいない……はずであった。
人影が見える。麝香が高く香り、その者の周りをやさしく光が包んでいる。
女神クレスであった。
人の気配を感じ、女神は彼女の方に振り向いた。
「ティキ……。」
「クレス様……どうかなさったのですか?」
女神はふわりとティキに向かい合うと、少し淋しそうに呟いた。
「……昔を……思い出していたのです。」
女神は遠い遠い哀しげな想いを湖のような静かな瞳に潤ませていた。
沈黙が二人を包む。
やがてティキは女神に問いかけた。……先ほどエラルが自分にしたように。
「クレス様は、アイン様を……、愛して……いたのですか?」
その問いに女神は宙を仰ぎ、ティキに再び背を向けた。
そしてゆっくりと話しはじめた。
「……アインはとても聡明な男でした。諦めることを知らない、頑固な男でした。
私は……アインのひたむきさに惹かれました。愛して……いたのです。
けれど……」
女神の流れるような金色の髪がさらりと揺れた。
「私は、素直になることができませんでした……。
ただ、自分の気持ちを伝えるだけでよかったのに。
だから、アインは私の想いに気がつくことはありませんでした。」
「不器用なアインは私に優しい言葉をかけてはくれず、
やがて私たちの心はすれ違うようになり、……私の中で愛は憎しみに変わりました。」
女神の髪が大きく揺れ、彼女は頭を抱え込むように俯いた。
「そして……私はアインを……。」
自分が起こした過ち。
愛する人を殺め、愛する人の創った世界をも壊した……、取り返しのつかない罪。
「あの時……素直になれていたら……、今は違っていたのでしょうか。」
「クレス様……。」
ティキには女神にかける言葉が見つからなかった。
胸に秘めた想い。誰もが皆持っている。
けれどそれを口にできる者は僅かでしかない……。
女神は再び宙を仰いだ。
「昔の……話です。刻が戻ることはないのですから……。」
長い沈黙。
やがて再び女神はティキの方に振り向き、ゆっくりと言った。
「リグは……アインによく似ています。
決して諦めない、前に進もうとするひたむきな姿……。
あの者にならば、私は神宝珠を与えてもよいと思ったのです。
……それがどんな結果になっても、それが彼の進む道を開くなら。
彼の……、願いに叶うなら。」
そしてティキの想いを見透かしたかのように告げた。
「……私はできる限りのことをしたかったのです。許してください、ティキ。」
「クレス様……。」
女神は淋しそうに微笑むと、彼女に告げた。
「……早く……お休みなさい……。」
リグは客間の寝室に戻ってきていた。旅支度の確認をしながら物思いに耽る。
……俺は明日、自分の世界に戻る。
どんな世界になっていても、必ず世界に光を取り戻す。
それがエラルや義父さん、みんなのためにできる最後の使命。
そして俺の最後の旅……。
エラルは聖戦士の駐留所で仮眠用のベッドに寝転んでいた。
ティキはリグを愛している。
けれどそれはリグが自分の世界へ帰ろうとする以上決して結ばれぬ愛。
……俺はどうすればいい?
俺は、見守るだけでもいい。ティキが傍にいるのなら。
女神クレスは自室から見える天上の満天の星を仰ぎ見ていた。
アイン……。今ならあなたが言いたかったことがわかります。
私が現人神である限り、輝きの鏡を創ることができないと言ったのは
あなたの優しさだったのだと。
あの時……、もっとお互いにわかりあえていれば、よかったのに
もうその声はあなたには届かないのですね……。
ティキは自分の寝室に戻ってきた。そして椅子に腰掛ける。
私はどうするべきなのだろう……。
エラル……、私と同じ、内に秘めていた想いの行き場を探している。
クレス様……、素直になることはそんなに難しいことなのでしょうか?
……教えて、リグ。
私は、どうしたらいいの……?
それぞれにとって眠れぬ夜が明けようとしていた。