「懐かしい未来へ」(12)
神殿の西の塔。
ここは宝物庫と呼ばれ、誰も入ることができない禁断の塔だった。ティキが勾玉を扉の窪みに入れると扉は銀色に光り、重厚な扉はぎしぎしと音をたてて三百年ぶりに開いていった。
その部屋の中には珍しい宝物もあり、確かに『宝物庫』の名に恥じないものだ。しかしティキたちはその宝を素通りして、部屋の奥にある階段に向かった。静かに階段を上っていく。
すると明るい陽射しを受けた部屋の中に虹色のゲートが静かに渦を巻いていた。
三人は互いの姿を確認しあうと、静かにゲートに入っていった。
そんな中、ティキのしていた鍵の首飾りがぷちんとはじけて切れた。まるで役目は終わったというように。ゲートの中からは宙に舞う勾玉の鍵が見えていた。
エルダールの塔。
三人が現れた広間中央のゲートのレリーフには不思議な魔法陣と共にそう記されていた。
耳が痛くなるほどの静寂。柱だけで支えられたその広間の外の空間はなんとも形容しがたい、黒いような白いようなねじりの闇と光を幾重にも走らせていた。階段はなく、すべてフリーゲートで繋がっているらしい。
フリーゲートを使い、一階一階上っていく。とはいっても外も中も空間は不確定で、上っているのか下りているのかはわからなかった。ただ目の前に現れたゲートをくぐっていく……。普通の人間では気が狂ってしまうのではないかと思えるほどの静寂と終わりのない道のりを三人はただ黙って歩いていった。
神宝珠。それが存在する場所を目指すために。
やがて少し変わった空間に出た。
床には赤い絨毯が敷かれ、その周りを金色の兵士の像が六体、この部屋を守っている。そしてその奥にはフリーゲートではない、普通の階段があった。
「……あの上、らしいな。」
リグが呟く。
「ええ……、行きましょう。」
ティキが促す。
「……? ちょっと待て。何か変だぞ!」
異変に気づいたのはエラルだった。
彼らの足が一歩進んだ途端、辺りが暗くなった。その中で金色の兵士たちが眩い光を発している。どこからともなくきしんだ『音』が聞こえてくる。
我ラ 神ノ守リ手 ナリ
神ニ アラザル者 通ス ベカラズ……!
突然六体の金色の兵士はガタガタと動き出し、ティキたちに襲いかかってきた。
金色の守護者たちは右手に大剣、左手に大楯を掲げ、全身甲冑で覆われていた。リグとエラルは瞬間ティキを守るように兵士の一撃を受け止めた。ティキが聖術を詠唱する。
「精霊よ、女神の忠実なる下僕よ!
償いの道を示せその過ちに、邪なるものを戒めよ。
女神の掌にて……!!」
彼女の手のひらから『女神の手』が無数の虹色の光を描き、空を走る。しかし金色の兵士たちはその光を楯に吸い込んでしまった。
我らは聖なる守護者である、聖術は効かぬというように。
そしてその光は楯から再び閃光となり、今度はティキたちに襲いかかってきた。
「うわぁっ!」
三人はその閃光をもろに喰らってしまった。その衝撃で壁に身体ごと叩きつけられる。一番衝撃が強いのはリグであった。胸に刻まれた魔法陣が煮えたぎるように傷む。
「ぐ……はっ!」
「リグ!」
ティキがリグに手をさしのべる。リグはふらふらと立ち上がった。
「ティキ! 聖術は効かないぞ!! 正攻法しかないだろう!!」
その間にも攻めてくる兵士たちの攻撃をエラルは何とかしのぎきっていた。
「聖術が効かないなら……。」
幻魔術でなら、あの守護者にも効果があるだろう、リグはそう考えた。左手で古代文字の魔法陣を描こうとする。
「駄目よ、リグ!!」
ティキに詠唱を遮られ、はっとして彼女を見た。
「彼らは神を守護する戦士なのよ! そんな……」
彼女は一瞬言いよどむとはっきりと言い切った。
「神に、背く呪文を使ったら……いけないわ!!」
「リグ! こっちももう限界だ! 加勢してくれ!!」
エラルがあらん限りの声で叫ぶ。
彼らは神の守護者。
神に背く幻魔術は、使ってはいけない。
俺の刀では、あの兵士たちに通用するか、わからない。
……どうすれば、いい!?
そんなリグの頭の中で叫ぶ声があった。
……忘れたのか! 君も聖術士なんだ!!……
その声にはっとして、リグは刀を抜き、刃を水平に高く捧げ持った。そしてティキの方を向き、叫んだ。
「これから聖術を唱える! 俺の真似をして、後から続け!!」
「リグ!?」
突然のリグの言葉にティキは戸惑った。
「早くしろ! 俺の真似をして、その錫杖を高く捧げ持て!」
ティキは急いでリグの言うとおり、錫杖を高く捧げ持った。その背中にリグは己の背を合わせる。
「聖なる呪文は通じないわけじゃない。
神に会うための資格があるか、あいつらは図っているんだ。
俺の呼吸に合わせろ。俺の後に続いて呪文を唱えろ……!」
「はい……!」
二人は互いの呼吸を合わせるように目を閉じ、精神統一をした。呪文の詠唱が重なり合う。
「我が古の守り神よ、」
「我が古の守り神よ、」
「邪なものどもの罪を裁きたまえ、罰を与えたまえ。」
「邪なものどもの罪を裁きたまえ、罰を与えたまえ。」
最後の詠唱はどちらからともなく重なり合い、ひとつになった。
「天の光よ、我らを導きたまえ……!」
二人の周りに、温かさに包まれた淡く白い光の輪が幾重にも現れ、広がっていく。その白い光はどんどん大きくり、周囲をまばゆくかき消していく。
金色の兵士たちは楯にその閃光を吸い込もうとしたが、白い光は強さを増してゆき、やがて瑠璃色の耀きとなって兵士たちをも飲み込んでいった。
やがてあたりが何も見えなくなると、再びどこからともなく『音』が聞こえた。
我ラ 神ノ守リ手 ナリ
神ノ試練ニ 打チ勝シ者ヨ 進ムコトヲ 許ス……!
再び辺りに静寂が戻ると、金色の守護者たちは何事もなかったように再び像に戻っていた。
「ふう……。何とか、やったな。」
エラルが全身の力が抜けたというように、剣を杖代わりに膝を折る。
「リグ……、あなた、本当にすごいわ。あんな、すごい聖術……初めて、見た。」
ティキは荒い呼吸を整えながらリグに感嘆の声を漏らした。
リグも呼吸を落ち着かせる。
「……俺がすごいんじゃない。あんたの力が、あったからだ……。」
そして亡き親友エラルを思い起こした。
お前の言葉がなければ、この術は成功しなかった。
俺が大切なことに気づくのは、いつも後になってからだ……。
お前のことも、義父さんのことも……。
大切なことを知るのはいつも後になってから……、リグは改めてそう感じた。
階段を上ると玉座のある大広間に出た。ところどころに小部屋がある。ここが神の暮らす間だったのであろう。
ふたつある玉座のひとつには白く光る手鞠ほどの大きさの珠があった。リグは両手で静かに持ち上げた。
「……これが〝神宝珠〟、輝きの鏡の原石……。」
リグの顔に心なしか安堵の色が見えた。
そんな彼の表情を見て、ティキはもう一度聞いた。
「リグ、本当に行ってしまうの……?」
「ああ……。」
「……そう。」
リグの表情とは対照的にティキの顔には陰りがさしていた。
ふともう一方の玉座を見る。長刀が忘れ去られたように置いてあった。エラルが興味本位に手にとって見た。やにわに感嘆の声を上げる。
「こいつは……男神アインの刀らしいぞ! ……ん? 鞘に何か彫ってある。」
『 男神アインと女神クレスの名において
我らが創りし天地に幸いあれ 』
「ここは男神……アイン様と、クレス様が暮らしていた城だったのね……。」
もう主のいない広間を悲しげに見つめ、ティキは呟いた。
「……どうして、気づかなかったのかしら。
二人の幸いが、世界の幸いになるんだって……。」
三人は押し黙った。
この二神がひとつだけの世界を創っていれば、悲劇は起きなかったのだ。今となっては空しい繰言であったが。
エラルは気を取り直すようにリグにアインの刀を渡した。
「リグ、これ、持っていってもいいんじゃないか? お前の刀によく似てるし。
お前の世界を創った神の物なら……、返してやれよ、お前の世界に。」
「……ああ。」
リグはエラルからアインの忘れ形見、天地の聖剣を受け取った。
それが彼らの別れの言葉のように。