「懐かしい未来へ」(10)
宿屋ではカエラが夕食の準備を済ませていた。
「やっぱり来たね、二人で。
ティキちゃんのところで食べるには量が足りないと思ってたんだよ。
ま、二人ともお座り。」
リグはそう促されて、食卓に半ば強引に座らされた。目の前には食べきれないほどのご馳走が並んでいる。どれも見たことがないものばかりで、リグはどうしていいのかわからなかった。
そんなリグの様子を見て、カエラは彼を抱き寄せ、頭をくしゃくしゃとなでて笑った。
「そんな緊張しなくったっていいんだよ。何もとって食おうって訳じゃないんだから。
あ、それとも嫌いなものでも入ってるのかい?」
温かい手。母……、自分には存在しないものであった。
もちろん義父であるゴアや兄のように接してくれたエラルたちに不満があるわけではなかった。ただ、母というのはこんなにも温かい存在なのか、とリグは思っていた。
「しっかしお袋、ずいぶんとまあ豪勢に作ったもんだな。」
エラルも席に着きながら、感嘆の声を漏らす。エラルにとっても普段は滅多にお目にかからないご馳走であった。
「いいじゃないかたまには。あんたの出世祝いと、
この子……え、リグっていうのかい? リグちゃんのご招待でさ!」
そして晩餐がはじまった。
「リグちゃんはどこから来たんだい? ヴィダリスかい?」
カエラの無知不粋な質問にエラルが言葉を遮った。
「どこだっていいじゃんか。それよりお袋、俺の分にんじん多すぎだぞ!」
「あんたが嫌いだって言うからいーっぱい入れてやったのさ。
それも親の愛だよ!」
そんな二人の様子を見て、リグは思い出した。
小さい頃、自分がピーマンを食べられなかったのを注意したエラルも、実はにんじんが嫌いだったことを。
同じだな……。
そう思うとリグの顔が少しほころんだ。
その様子を見たカエラは喜んでリグに言った。
「何だ、リグちゃん、笑えるんじゃないか。そっちの方がかわいくていいよ!」
そして、名案を思いついたと言わんばかりに手を叩いた。
「リグちゃん、どっか行くところがあるのかい?
もし決まってないんだったら、うちの馬鹿息子の代わりに、うちにいとくれよ!
あんたの方がお客受けもよさそうだし、言うことなしだ!!」
そういってカエラは豪快に笑った。
あっけにとられるリグだったが、こんな雰囲気もいいものだ、と少し懐かしい夕食を楽しんでいた。
夜も更けてきた。エラルはリグに客間のひとつを貸した。
「ここを使えよ。明日起こしに来てやるから気を遣わないで寝な。」
「……すまない。」
それからエラルはちょっと間をおき視線をきょろきょろさせながら、リグに言った。
「悪りいな。俺のお袋、あの通りだからさ……。」
そしてまた少し間をおくと思い切って言った。
「……さっきのお袋の話じゃないけど、
お前、行くとこなけりゃ……、うちにいていいぜ。
俺もティキも行っちまうけど、お前がここを気に入ったなら、住んでも構わない。
その方がかえって俺もティキも安心できるかもしれない……。」
「……。」
「ま、急いで考えなくてもいいぜ。じゃあな。」
そう言うとエラルは部屋を後にした。
残されたリグはベッドに腰をかけると、小さく溜息をついた。
そして思った。
何故この世界はこんなにも温かいのだろう。
こんなにも……優しいのだろう。
短い間ではあったが、この世界を旅して、見て、リグは決心していた。
己がこれから何をするべきなのかを。
夜明け。月と星は西の海に沈み、東の山並みから朝日が顔を出す。暖かい光に揺れるように囁く風。草木に眩しく輝く朝露の雫。
今日もいい天気だった。
ティキは旅支度を済ませ、家族に挨拶をした。いつも出かける時のように暖かい抱擁を母と祖母にして。
そしてエラルの家に行く。
「おはようございます。おばさま。」
「あ、ティキちゃん。おはようさん。エラルなら上にいるよ。」
そんな中、エラルが階段をどたどたと降りてきた。
「こらエラル! そんな降り方したら階段が傷むだろ!!」
エラル母はの言葉を右から左に流し、ティキの姿を認めた。
「あっ、ティキ! あいつ起こしに行ったら、もぬけの空で……。」
「何ですって? どこに行っちゃったのかしら……!」
ティキはとたんに地に足がつかないというように慌てる。エラルはそんな彼女の様子を見て、小さく溜息をついた。
「そんなに慌てなくったって、この辺りじゃたかが知れてるさ。」
エラルは慌てるティキの横で旅の装備をすませると、エラル母はに別れの挨拶を告げた。
「んじゃ、行ってくる。」
「頑張んな。エラル。……行ってらっしゃい。」
二人は一通り、町の中を見て回る。しかしリグの姿はない。
「……いないわ。」
心ここにあらずというようにティキは呟く。そんな彼女の姿を見て、エラルは尋ねた。
「ティキ。」
「何?」
ティキは生返事で答える。エラルはごくりとつばを飲み込むと、質問をぶつけた。
「ティキは……、あいつのこと、どう思ってるんだ?」
「え……。」
二人の間に沈黙が流れた。
……やはり聞かなければよかった、そう後悔しながらエラルは自ら沈黙を破った。
「ごめん、何でもない。……行こう、ティキ。」
そう言うとエラルは町並を抜けていった。町にいないなら、山道の方にいないかと思ったのである。ティキはしばらくそんなエラルの背中を見ていたが、気を落ち着かせるとエラルに走ってついて行った。
エラルの推察どおり、案の定リグは山道の崖に腰掛けて空を眺めていた。
ティキが走り寄る。
「リグ……! どうしたの、こんなところで……心配したのよ!!」
そんなティキの言葉が聞こえないようにリグは虚空を眺めていた。
そして呟いた。
「……綺麗、だよな。」
「リグ……?」
さあっと風が流れる。リグの黒髪が陽の光で濡れるように輝いた。
「青い空に、緑の大地……。この世界では、生命が輝いている。」
そして一呼吸おくと、噛み締めるように呟いた。
「……みんな、幸せなんだな……。」
「リグ……。」
ティキの淋しげな呼びかけに応えるようにリグはゆっくりと立ち上がった。
「神殿に……戻るんだよな。……行こう。」
エラルはそんな二人の様子を黙って見つめていた……。