2018年11月16日
「……来てくれたんですね」
「無料だったからな」
世界が終末をお迎えする金曜日。
彼女は学校の屋上でフェンスに寄り添うように立っていた。
今朝、登校すると「また明日」と言った彼女の姿がなかった。
朝のホームルームが始まっても姿を見せず、先生が誰か事情を知らないか、と聞いた。
俺を含めて誰も答えることはなかった。
授業の合間を見て、何度かメッセージを送った。
寝坊したか、体調を崩したのか、としつこく聞いてやった。
彼女が答えることはなかった。
チャイムが鳴るたびに終わりが近づいているのを実感する。
焦燥感に駆られて、教室を抜け出して走り出したくなる。
こんな気持ちを、彼女は幾度となく感じてきたのだろうか。
帰りのホームルームが終わると、俺はすぐに教室を飛び出した。
普段は下る階段を一段飛ばしで上って、錆びつく扉を押し開く。
開けた視界を見回すと、すぐに探し人は見つかった。
『最期はそこで過ごすことが多くなりました』
いつの日か、そう語っていた彼女は屋上から景色を眺めていた。
俺は乱れた呼吸を整えながら、彼女の横に並んで同じ景色を見る。
「……綺麗だな」
「はい」
西に沈みゆく太陽が空と海が赤く染め、遠くの山には一面の紅葉が広がっている。
「もう少しすると、夕日が海に沈み始めてもっと綺麗になるんですよ?」
「へぇ、楽しみだな」
「楽しみにしていてください。きっと泣いちゃいますから」
そう言ってクスっと笑うてんしちゃん。
俺も微笑を返して、また視線を赤く染まる世界に移した。
「夕日が沈むまでの間、私の話を聞いていただいてもいいですか?」
しばしの間、一言も話さずに景色を眺めていると彼女は言った。
「ああ、いいぞ」
俺がそう答えると、彼女は「ありがとうございます」と一言告げてからぽつぽつと語り始めた。
「私は一度目の世界では普通に死にました。大災害に巻き込まれて、身動きが取れなくなって、痛い、苦しい、死にたくないって神様に助けを求めながら呆気なく死にました。……そうして気が付いたら、入学式の日に戻っていました」
彼女が語りだしたのは、電波発言と思っていた終末の話だった。
「最初は状況が飲み込めず混乱しました。でも、時を遡ったことを理解したときは『これで世界を救える』って思いました。だから、親や友達にお願いしたんです。私は未来から来た、半年後に大災害が起こるから力を貸して、と」
「……それでどうなったんだ?」
「……みんなは私を異常者扱いして、精神病棟に入れられてしまいました。ベッドと机しかない部屋に閉じ込められて、ここから出してと叫んでも退院させてもらえず、二度目の人生はそこで終えました」
「……」
あまりの悲惨さに絶句した。
「三度目の世界で目覚めた時、私は考えました。どうすれば異常者扱いされずに世界の危機を伝えられるか。そして、私は一人のキャラクターを作ることにしました。そういう発言をしても許される存在を」
「……まさか」
「はい、それが『てんしちゃん』です。自分のことをてんしちゃんと呼び、電波発言を繰り返す彼女なら未来の話をしてもおかしくない、と思わせることにしたんです。私の言葉自体信じてもらえなくなるデメリットもありましたが、それでも誰かの記憶に残ることを信じて演じ続けました」
確かに、彼女の発言を聞くたびに思った。
てんしちゃんだから、と。
「そうして世界の終末を広めつつ、それを防ぐ方法を探し続けました。でも、自然災害の前では何もすることが出来ず、逃げることも叶いませんでした。終末は避けられず、人からは避けられて、私はひどく憔悴してしまいました。……そんな時、私に声をかけてくれた方がいたんです」
夕日を見つめていた顔をこちらに向けて、彼女は言う。
「『どうした?』って」
その慈しむような優しい声に胸が高鳴る。
「彼は私の話を半信半疑で聞きながらも、決して見捨てずに相手をしてくれました。困った時は相談に乗ってくれて、辛い時は支えてくれました。でも、最後には彼も亡くなりました。私の目の前で何度も、何度も。……だから、私は時を繰り返しました。世界ではなく、彼を救うために」
悲痛な面持ちをする彼女に俺は言う。
「そいつは、幸せだったんだろうな」
時を越えてまで、想い続けてくれる人がいる。
そんなやつが不幸なはずがない。
「……はい。でも、彼ったらひどいんですよ?」
「ひどい?」
「ええ。彼を死なせないために頑張っていたのに、そんな私に『終わりを受け入れて幸せになれ』って言うんですから」
彼女は言いながら苦笑する。
「だから、私もそうすることに決めました」
そう言うと、彼女は身体をこちらに向けて、俺と目を合わせてくる。
夕日に照らされて光り輝く髪をなびかせながら、彼女は口を開いた。
「……いつか、あなたを救えた時に言おうと思っていました」
その身体は小さく震えていて。
「あの日、弱っていた私に声をかけてくれたあの日から……」
その声はか弱く震えていて。
「あなたが私のことを忘れても……、ずっと……ずっとっ……」
その瞳は波のように濡れていて。
「あなたを、愛していますっ……」
一歩近づく彼女の瞳から、涙がこぼれ落ちて。
「私のことも、幸せにしてくれますか……?」
そんな彼女が愛おしくて、思わず抱き寄せていた。
「ああ、吐くまで味噌汁飲ましてやるっ」
「……うぁ、あぁぁ……っ!」
声を上げて泣く彼女を、強く、強く抱きしめる。
彼女の積み重ねてきた想いをすべて受け止めるように。
そんな二人を祝福するように、世界は赤く輝いていた。
「……ふぅ、思いっきり泣いたらすっきりしました!」
「そりゃ良かったな」
おかげで制服が涙と鼻水でひどいことになっている。
これはクリーニングに出さないといけないかも知れない。
そんな俺の様子にはお構いなしに、彼女は沈みゆく夕日を見つめている。
その横顔はどこか憑き物が落ちたようで、穏やかな表情をしていた。
俺は彼女の横に並んで、夕日を眺めながら聞いた。
「……なぁ、やっぱり世界は終わるのか?」
「……私にはわかりません。神様でも、天使でもありませんから」
でも、と彼女は続ける。
「もし終わってしまうのなら、その時は神様にこう言おうと思っているんです」
彼女は天使のような笑顔で、世界に響かせるように声を上げた。
「2018年11月16日、私はハッピーエンドを迎えましたって!」