2018年11月14日
『2018年11月16日、世界は終末を』
「あ、間に合ってます」
俺は躊躇なくインターホンを切った。
今日は週の折り返しとなる水曜日。
俺は久しぶりに学校を休んで、ベッドの中で惰眠を貪っていた。
寝冷えしたのか、三十八度ほどの熱が出てしまったからだ。
そろそろみんなが学校から帰宅する頃だろうか。
夕焼けを窓越しに眺めながらそんなことを考えているとインターホンが鳴った。
今日は来客の予定はないし、何らかの勧誘だろうと思い無視を決め込もうとしたが、あまりにしつこかったのでつい出てしまった。
結局は終末論を語る怪しげな宗教の方だったのだから報われない。
「あっくんっ! 何が間に合ってるんですか! てんしちゃん成分を補給しなくてもいいんですかっ!」
ドアをがんがん叩きながらクラスメイトの名前を騙る訪問者。
最近の勧誘は対象の交友関係まで調べてくるのか。
恐ろしい世の中になったものだ。
「なんで開けてくれないんですか……うぅっ……」
ドア越しにすすり泣く声が聞こえてきた。
さすがに罪悪感が芽生え、チェーンを外してドアを開けてやる。
「こんにちわ、あっくん!」
そこにはビニール袋を携えた制服姿のてんしちゃんが立っていた。
彼女の顔には泣いた跡どころか曇り一つない笑みしかなく、先程の声が嘘泣きだったことを表している。
「……どうしてここに?」
てんしちゃんに問いかける。
彼女を呼んだ覚えはないし、そもそも住所を教えた記憶もない。
「どうしてって、あっくんが呼んだんじゃないですか」
「俺が? いつ?」
「これです」
そう言ってスマホをポケットから取り出して見せつけてくる。
画面には俺がてんしちゃんに送ったメッセージが映っていた。
「熱が出たから学校休む、ってメッセージだよな」
「はい」
「それがどうしてお前を呼んだことになるんだ?」
「え? 『熱が出た』っていうのは『この身体の熱さはお前がいないと治まりそうにない。だから看病に来てくれ』って意味ですよね?」
「そんな深い意味はねえよっ!」
確かに期待しなくもなかったが、そこまで拡大解釈されると寒気が走る。
このままでは熱が上がってしまいそうだ。
「まぁ、なんだ。せっかく来てくれたんだし、上がってくれ」
「はい、お邪魔しますね」
彼女は靴を脱いで家に上がると、きちんと靴を揃えてから俺に向き合う。
口を開かなければな、と少し残念に思いながら、自分の部屋へと案内する。
「あっくん成分が充満してますね」
「部屋に入って最初の感想がそれか」
部屋の中を物色したそうな彼女に椅子を勧め、俺はベッドに腰掛ける。
俺の部屋には今座っているベッドと学習机、それに本棚とクローゼットしかなく、見て楽しめるような場所ではない。
これといって趣味はないし、そもそも物を買うお金が無いのだ。
興味を惹かれるものがなかったのか、持参したビニール袋に視線を移した彼女は、「色々持ってきたんですよ」と言いながら小瓶を取り出した。
「まずはお薬です」
「ん? 飲むタイプの薬か?」
「はい。安心してください、毒は入れていませんから」
むしろ不安になることを言いながら、液体の入った茶色い瓶を渡してくる。
瓶の表面をよく見てみるとラベルを剥がしたような跡が残っている。
「なぁ、ラベルにはなんて書いてあったんだ?」
「睡眠薬、と」
「毒そのものじゃねえか!」
「手錠もありますよ?」
「セットで買ってるんじゃねえっ」
瓶をてんしちゃんに押し付けるように返す。
わがままですね、と彼女は不満げだが、彼女以上にわがままな人間を俺は知らない。
「それなら栄養がつくように食べ物を用意しますね」
瓶をしまってからまたビニール袋を漁り出すてんしちゃん。
「果物とかか?」
「いえ、霜降り肉三百グラムです」
「まじで貰えるのか」
彼女が取り出したのはパックに入ったステーキ用霜降り肉。
メッセージアプリの友達登録をした際にくれるとは聞いていたが、本当に持ってくるとは思わなかった。
しかし、そのネタを消化するためにわざわざ買ってきたのだろうか。
「実はこれ、最後の晩餐用に買っていたんです」
その疑問に答えるようにてんしちゃんは言う。
彼女は霜降り肉に視線を落として辛そうに語る。
「世界の終末を避けられないと知った時、せめて最後は美味しいものを食べようと思いました。料亭で高級寿司を食べたり、レストランで中華料理やフランス料理のフルコースを頼んだり。海外に行った時はその土地の特産品を買ったりもしました」
でも、と彼女は続ける。
「何を食べても心が満たされることはありませんでした。それどころか、刻一刻と近づく最期の時が怖くて、味が消えていくんです」
俺は想像する。
頭に拳銃を突きつけられて「食事が終わったら射殺する」と言われても食事が楽しめるだろうか。
それを何度も何度も繰り返されて気が狂ったりしないだろうか。
「この霜降り肉はスーパーに寄った時、たまたま目に入って買ったんです。美味しそうだなって。でも、これも味がしなかったらと思うと……、だから」
悲痛な面持ちで霜降り肉を差し出すてんしちゃん。
そのシュールなのに痛々しい姿が見ていられず、思わず目を伏せてしまう。
コイツのために何かしてあげられないだろうか。
熱のせいでうまく回らない頭を必死に動かして、自分の考えをまとめる。
しばしの沈黙の後に、俺は顔を上げて言い聞かせるようにゆっくりと話し始めた。
「……うちは、見ての通り貧乏だ」
使い古された家具しかない殺風景な部屋。
その部屋に差し込んだ一筋の光のような少女に語る。
「母さんが亡くなった時、まぁ色々あったんだ。今は親父も働いてるが、その時のことがまだ尾を引いててな。今もカツカツの状態が続いてる」
自嘲気味に語る俺の話を、彼女は口を挟まず真剣に聞き続ける。
「物欲はないし、金のかかる遊びにも興味はないから問題はないんだ。金が無いからそうなったのかも知れんが、とにかく生活に支障はねえ。ただ、そんな俺でも金を使うことを惜しまないものがある。……何かわかるか?」
フルフルと顔を横に振る彼女に答える。
「飯だ」
「……ご飯、ですか?」
「そうだ。一日三食、三百六十五日欠かさず食べている」
食欲の湧かない今日だってうどんを柔らかめに煮込んで食べたくらいだ。
「勉強や運動をするのにも、家で家事をするのも、ただ寝ることにもエネルギーがいる。エネルギーを補給するには飯を食うしかない。生きるためには食うしかないんだよ」
そこまで言って、改めててんしちゃんを強く見つめる。
「多分、お前の最後の晩餐は間違ってるんだよ」
「間違い……?」
「ああ。人間は生きるために飯を食ってるんだ。だから、お前の死ぬための食事には意味がない。意味がないから味を感じなくなっちまったんだ」
我ながら無理やりなこじつけだと思う。
それでも、彼女のために答えを作ってやりたかった。
「……もし、生きるための食事がわからなくなっちまってるなら、味噌汁を飲めばいい」
「みそ、しる?」
「俺の大好物だ」
答えを示すように自信を込めて断言する。
「親父から聞いた話なんだが、俺は母さんの味噌汁が大好きだったらしい。小さいくせにがぶがぶ飲んで、もう入らないのにおかわりもして、結局器にリバースしてたってさ」
「ふ、ふふっ」
てんしちゃんが小さく笑う。
「さすがにそんな馬鹿な真似はもうしないが、今でも毎朝欠かさず飲んでる。味噌汁飲んで今日も頑張るぞってな。俺にとって生きるための食事は味噌汁なんだ」
だから、と彼女から少し視線を逸らして言う。
「……最期の時に食いたい物が決まってなかったら、うちに来い。味噌汁ぐらいなら作ってやるから」
その言葉に彼女は目を見開き、そしていつものように笑ってくれた。
「楽しみにしていますね?」
「おう」
微笑む彼女に、俺はぶっきらぼうに答える。
穏やかな時間が流れ始めた、水曜日の夕方だった。