2018年11月13日
「2018年11月16日、世界は終末を迎えました……」
憂鬱な昨日を乗り切ってエンジンがかかり始めた本日、火曜日の放課後の時間。
宿題を出された科目の教科書とノートを鞄にしまっていると、普段よりテンションの低いてんしちゃんがやって来た。
「未来完了形か?」
彼女の言葉の内容にはあえて触れない。
コイツの電波発言を一々真に受けてたらキリがないし身が持たないのだ。
「いえ、未来完了形は昨日の方ですね。今日の言葉は未来過去完了形です」
「そんな時制初めて聞いたぞ」
「私が考えたものですから!」
腰に手を当てて得意気に話すてんしちゃんの頭に手刀を振り下ろす。
チョップを食らった彼女は、大げさに痛がりながら頭を抱えてしゃがみ込んだ。
もちろん怪我はしないように手加減したのだが、傍から見ると俺は女の子に暴力を振るうクズ野郎だ。
俺は狼狽しながら周囲を見渡すと、多くの同情を感じる視線が向けられていた。
てんしちゃんだからね。
クラスメイトから送られる視線からはそんな言葉が聞こえた気がした。
どうやら彼女の評価はこの半年間で定まっていたらしい。
「あっくん……」
声のする方を向くと、瞳を潤ませながら下から見上げてくるてんしちゃん。
俺は一つ溜息をついてから、「悪かったな」と言って彼女の頭を撫でてやる。
すると、彼女は先程の様子が嘘のように晴れやかな表情を浮かべて立ち上がった。
「元気が出ましたっ!」
言葉にしなくても、その顔を見れば生き生きとした気分が伝わってくる。
鬱陶しいのは勘弁だが、元気が無いよりかはこの方が安心してしまうのが悔しい。
そんな複雑な感情を持て余している俺に、彼女は話を再開する。
「それで、今晩のおかずの話ですが」
「そんな話をした記憶はないな」
「そうでした! 未来過去完了形の話でしたね」
結局、その話を続けるのか。
「未来過去完了形なんてありえないだろ」
「ありえますよ? 未来を過去に経験していればいいんですから」
そう言って近くの椅子に腰掛けるてんしちゃん。
あっくんも、と椅子を指さしてきたので俺も自分の席に着く。
「私は未来から来ました」
真面目に話を聞く姿勢を取ろうとした矢先、これである。
もう一度チョップをお見舞いしてやろうかと思ったが、また泣かれても面倒なのでいつもどおり適当に聞き流すことにする。
「正確には、過去から11月16日までの時間を繰り返しています」
「なんでだ?」
「11月16日に世界が終わってしまうから、それを防ぐためにです」
つまり、私は世界を救うために来た、とでも言いたいのか?
「ある時は大地震が起き、地割れで街が沈んでいくのを眺め、
ある時は津波が発生し、逃げ惑う人々が飲み込まれていくのを眺め、
またある時は火山が噴火して、世界が燃え尽きていく様を眺めました」
「ただの傍観者じゃねえか」
呆れた態度を隠さずに言う。
「では聞きますが、あっくん」
「なんだ?」
「あっくんは自然災害を前に、一人の人間が何か出来ると思いますか?」
その質問に声が詰まる。
言われてみれば確かにそうだ。
地面を殴っても地震は止められないし、水を蹴っても津波は消せない。
世界を滅ぼすような自然災害の前では、人間は無力な生き物でしかない。
俺は無責任に彼女を責めてしまったことを反省し、素直に謝った。
「……悪い。どうしようもねえな」
「そうです。どうしようもないんです。だから私は逃げることにしました」
てんしちゃんは顔を俯かせ、少し苦しげに語る。
「滅びゆく世界から逃げ延びて、11月17日を迎えられないかと試行錯誤しました。地下深くの核シェルターに忍び込んだり、言葉すら通じない国々を渡り歩いたり、あっくん家のベッドの中で震えたり」
「ちょっと待て」
「それでも私は終わりを避けられず、また同じ時をやり直しました。その繰り返しが辛くなって、気付いた時には解決策ではなく、死に場所を探すようになっていたんです」
今にも消えてしまいそうな、儚げな表情を向けられて思わず喉が鳴る。
壮大な設定だな、と笑い飛ばすことは出来る。
しかし、それをしてしまうと大事な物を失ってしまう気がして声が出せなかった。
「あっくんはこの学校の屋上に出たことはありますか?」
「屋上?」
記憶を辿るが屋上の様子は思い出せない。
授業では使わないし、飯は教室で食べるから行く理由がなかった。
「屋上からは遠くに海が見えるんですよ」
「へぇ」
「世界が終わる時、夕日が海に沈む頃、まるで滅びゆく世界を祝福するかのように空が赤く輝くんです。屋上から見えるその幻想的な景色が本当に綺麗で、最期はそこで過ごすことが多くなりました」
「……それは、見てみたいな」
「はい、ぜひ見てみてください。入場料は無料ですから!」
そう言って笑うてんしちゃん。
暗い雰囲気を無理やり払拭しようとする彼女に、それを指摘する野暮な真似はしない。
「ちなみにあっくんはどこで死にたいですか?」
「死にたくないな」
「おすすめはあっくんのベッドの中です」
「その話、問い詰めていいか?」
「ベッドの中で……!?」
「こんなとこで下ネタやめろ!」
「わかりました。続きはベッドの中でしましょう」
「しつこいっ!」
突っ込むようにてんしちゃんの頭をはたく。
金色の髪を舞わした彼女は、楽しそうに笑う。
全くコイツは、叩かれないと調子が戻らないテレビなんだろうか。
「……わかった。ちゃんと答えてやる」
そう言って姿勢を正す。
まともに相手をする義理もないが、答えないとしつこく聞かれる気がしたからだ。
決して、先程の彼女の真面目な雰囲気に当てられたわけではない。
「俺は……、家だな」
少し考えてそう答える。
「それは安心できるから、ですか?」
「それもあるが、親父がいるからな」
「お父さん?」
「あぁ、俺は親父と二人暮らしだからな。最期は親孝行してやりてぇなって」
俺の母さんは俺が物心つく前に病気で亡くなった。
俺には母さんとの思い出はほとんど残っていないが、仏壇の前で淋しげに写真を見つめる親父を見ると、胸が締め付けられるように苦しくなる。
だから、これ以上悲しませたくない。
「恥ずかしいから面と向かっては言えねえけど、大切な家族だって思ってるからさ。最期の時ぐらい、家族二人で過ごしてやりてぇんだよ」
自分の台詞に顔が熱くなるのを感じる。
なんでコイツにこんなことを語ってるんだろうか。
少し感傷的になってしまった俺に、調子を戻した彼女が言う。
「なるほど。つまり、テレビドラマでよくあるアレですね」
「アレ?」
「二人は幸せなキスをして終了」
「親父とはキスしねえよっ!」
センチな気分が台無しだ。
唐突すぎて親父としているところを想像しちまったじゃねえか。
「それなら」
彼女はそこで言葉を区切ると、身を乗り出して顔を近づけてきた。
「私がキス、しましょうか?」
「……は?」
熱を帯びた目で見つめてくるてんしちゃん。
その青い瞳と柔らかそうな唇に目が釘付けになる。
鼓動がうるさくて反応を返せずにいると、彼女は慈愛に満ちた顔で言った。
「これからはお母さんって呼んでもいいんですよ?」
「お前が親父とするんかいっ」
期待してしまった気持ちを振り払うようにてんしちゃんの頭をはたく。
コロコロと表情を変える彼女に振り回された、火曜日の放課後だった。