22話 夢
ガリアは、シャンとダルタが住んでいた魔法の森の小屋に着いた。
そこにはまだ、ダルタの亡骸がそのまま横たわっていた……
「どうして此処へ来たんだ?」
魔法の森の中、シャンとダルタが住んでいた小屋に、ガリアはグロウの手綱を引きながら到着した。
『此処には、多くの秘密が隠されている。古の時代から、神々によって隠された秘密がな……』
「その秘密は、シャンを助ける事に繋がるんだろうな」
『勿論……最たるものが、アクアリス城と繋がる秘密の通路だ』
そう言ったかと思うと、ダルタは扉の壊れたままの小屋の中に入って行った。
「秘密の通路……」
呟きながら、ガリアも中に入って行った。
そこには、ダルタの亡骸が横たわっていて、頭をひどく損傷していたが、表情は何故か穏やかだった。
「この遺体は……もう……息を吹き返すことはないのか……」
ダルタの姿をした青の魔法は、振り返ることなく奥の部屋へと入ろうとしていた。
『それは私の器だった者、もう二度と息を吹き返すことはない』
それを聞いて、ガリアは躊躇うことなくダルタの遺体を抱え上げ、小屋を出て行った。
『何をしている……お前には知っておいてもらわねばならぬ事がある。早くアクアリス城を目指したくば、いらぬ事に時間を割いているときではないのだぞ……』
ガリアは、ダルタの遺体を大事そうに抱えたまま振り返った。
「シャンなら、ダルタの亡骸を放ったままになどしない。ダルタが死んだと分かった時、自分の身の危険も顧みず此処に戻ろうとしていたんだからな……俺が、替わりに弔ってやらないと、シャンが悲しむ……」
『……好きにするがいい、ただ埋めてやるならこの小屋から離れない方がいい。獣が入ってこないのは此処だけだからな……』
青の魔法は、また小屋の中に姿を消した。
ガリアは、深い穴を掘るとそこにダルタの亡骸を横たえた。
ゆっくりと土を被せていく。
「ダルタ……あんたが本当に青の魔法の器でしかなかったなら、そんなに優しい穏やかな顔で死んだりしないよな……だって、あんたはきっとシャンを守るために、その命を使ったはずだから」
ガリアは土を掛ける手を休めて、もう一度ダルタの顔を見た。
「やっぱり、その顔は愛する者を守り通した安堵の顔だ。あんたは器なんかじゃない。シャンを慈しみ育てたダルタってじーさんだよ。此処にシャンを連れて来る。墓参りに来るから待ってろっな……」
ガリアは、そう言うと一気に土を被せ、盛り土まで済ませてしまった。
一気にしてしまわないと、涙で何も見えなくなると思った……しかし、実際は既にもう何も見えなくなっていた。盛り土の上に、いく粒ものガリアの涙が零れ落ちた。
その時、グロウが近付いてきて、見たこともない蕾を付けた木の枝を咥えた口から落とした。
「これを? 此処にさせって言うのか……」
グロウは、頭を上下に動かした。
参ったなっと言いながら、ガリアはダルタの墓の上に、その枝を深く突き刺した。ガリアの目の前で、その蕾はゆっくりと膨らみ、花開いた。
「嘘だろ……いやっ、嘘じゃないか……此処は魔法の森だもんな……きっとこの木が、ダルタを労ってくれる……」
ガリアは、墓の前で手を合わせた。
『これを見ておくといい』
青の魔法に促され、ガリアは小屋の地下室の隠し扉を降り、長いトンネルの入り口まで来ていた。地中のはずなのに、そこは明るくずっと先まで見通せる。壁には、草の蔓のような文様が描かれ、それ自体が青く輝いていた。
「この模様って、俺の剣の柄にダルタが付けたのに似てる」
『これは模様ではない。古の文字、古の魔術に用いる文字だ。お前にはまだ読めぬか……』
その言葉に、ガリアの顔は不機嫌になった。
「あのなっいつになっても読めないって。大昔の、それも魔術に使う文字なんだろう? 何で俺に読めるんだよ。そんな事より、早く城に行こうぜ」
ダルタの姿をしたままの青の魔法は、静かに首を振った。
『まだだ。お前がこの文字を読めるようになるまで、この道は城には繋がらん』
「何だって! そんな、それじゃあ空を飛んで行った方が速いだろうが。俺はこんな文字は読めない。読む気もない。早くシャンのところに行きたいだけだ!!」
青の魔法は、顔をもう一度横に振った。
『今、守護者に近付いている黒の魔法はお前と同じかそれ以上の力を持っている。そして、闇の者が、その力を手に入れた様だ。今のままでは、守護者を守る事は出来ん』
「シャンはダルタの金の腕輪と精霊に守られてるって言っただろう。あれは嘘なのかよっ」
『嘘ではない、今のところは大丈夫だろう。しかし、お前は精霊達に頼らねば守護者を守れぬのか。そうであるなら、危ういな……』
ガリアは、自分が今まで一度として、自分自身の力だけでシャンを守った事がないことを、今更に思い出して、唇をきつく噛んだ。
『もしも、精霊との契約が薄れ、金の腕輪の効力が弱まりでもしたら、今度の相手は……守りの壁を破るやも知れぬ。その時、お前の力が弱ければ、守護者を守る事は出来ぬだろう』
ガリアの唇に血がにじんだ。
「どうやったら、読めるようになる……一番速い方法を教えろっ」
『それは、お前の心が知っている』
「またそれかよっ……いつも、いつも、俺の心が何を知ってるって、いう、……」
ガリアは、自分の目の前が真っ白に変わって、驚きに目をパチパチと瞬いた。
シャンはいつもの様に自室の寝台の上で、金の腕輪が作る守りの壁の中で眠っていた。嫌な夢でも見ているうようにうなされ、何度も寝返りを打つ。体中に汗をかきながら、眉間にしわを寄せ、閉じた瞼から涙が伝い落ちていた。
ガリアが自分を見つめていたあの優しい眼差しが、そのまま別の女に向けられる。自分を抱きしめてくれた頼もしい腕は、知らない女を抱き淫らに動く。自分の唇を熱く覆ったそれは、今は違う女の濡れた唇を塞ぎ、舐め上げる。
まだ男を知らないシャンには、その全てが分かってるはずもなかったが、それが男女の営みであることぐらいは容易に想像できる。
シャンのモノクロの夢の中で、ガリアの全てがシャンのものではなかった。昼間に見た至福の夢は、嘘の様に掻き消えてしまっていた。シャンの心が震える、嫉妬、後悔、疑惑、どす黒い感情が心に澱をつくる。涙が止まらない、苦しかった……助けて欲しかった。でも、助けに来てくれるはずのガリアは、遠いオーゴニアで何をしているのか……。
自分から何も伝えてはいないのに、シャンはガリアの裏切りを信じ始めていた。夢は心の奥深くに浸透する、自分でも気付かないところで、自分自身の気持を左右する錘を置いていく。シャンは、夢の中でガリアに裏切られていた、傷つけられていた。
それでも、ガリアに会いたい……自分の心の叫びが、眠っているシャンの身体を振るわせた。
シャンの枕元で、貝殻が揺れていた。
シャンを包み込む銀の壁がユラユラと頼りなげに揺れている。
その時、履きだし窓がそっと開いて、忍び込んできた黒い影は、窓際に立ったまま、銀の壁をただ眺めている。
「もう直ぐだな……人の心など、弱いもの……疑いというのは、深ければ深いほど後味がいいものだ……」
黒い影の口元が、微笑んでいた。
シャンは、昨夜もその前の晩も、悪夢にうなされていた。
朝目覚めても、心のなかに重くのしかかるような気分の悪さが残っていた。
信じていた……ガリアは自分を裏切ったりしないと……シャン自身の気持ちも伝えていないにも拘らず、きっとガリアは裏切らないと、心の何処かで信じていたのだ。
それが、連夜の悪夢で揺らいでいた。
何も確かな約束などない、ただ好きだと言ってくれただけ……でも、シャンにとってそれは全てだった……
ガリアが自分の目の前に広がる真っ白な空間に足を踏み出してから、どれほどの時間が過ぎたのか、ガリア自身にも分らなかった。
ただ、真っ白だった世界は、今は色をもち姿を映しだしていた。
ガリアは、母親の胎内に入る前からの自分の人生をたどっていた。
胎内に入ったときには、既にギリルと一緒だった、生まれる時も生まれた後も、いつもギリルと共にいた。
ガリアは、自分の周りにいる全ての人が好きだったが、ギリルはそうでも無い様だった。ガリアが、他の者と遊んでいると、ギリルは近づいては来なかった。
少しずつ成長していく中で、ギリルはガリアにも近づかなくなっていった。なぜだろうと、ガリアは淋しくなったことを思い出した。
ガリアは、余り笑うこともなく大人しかった双子の兄を好きだった。ガリアには、何時も優しくしてくれたし、よく本を読んでくれた、同じ歳なのにしっかり者で賢いギリルを誇らしく思っていた。
なのに、ギリルは思春期に入ってすぐ、警備隊の総大将の屋敷を抜け出してしまった。一人残され、ガリアは何日間か眠れぬ夜を過ごした、心配で仕方なかった……帰って来てほしかった、ギリルを愛していた……大切な双子の兄だった。
一人前になる頃、ギリルは頻繁にガリアの前に姿を現してくれる様になった。でも、不思議なことにガリアが好きになった女は、全てギリルを選んだ。
ガリアが付き合っていた女も、いつの間にかギリルと寝ていた。それでも、ガリアは良かった、ギリルが自分の傍に帰って来てくれたら、その方が女達が傍にいてくれるより、楽しかったし嬉しかった。
毎夜、悪夢にうなされるさシャン。
助けて欲しい相手、ガリアに裏切られる夢は、シャンの心を蝕んでいく……