15話 捕らえられたシャン
ガリアと離れ一人連れ去られたシャン。
薄暗い場所に一緒にいるのは、黒の魔術師……
シャンの白い腕を魔術師に指が這う。
白い腕を、舐めるように青白い指がなぞっていく。
シャンはその青白い指先の冷たさに震え上がっていた、まるで凍ってでもいる様な冷たさ。
「っ……」
手首の金の輪に掛けられた息も、同じ様に冷たい……見ている顔は人のものに間違いないのに、その中身は決して人とは違う者だと教えてくれる。そのあまりの冷たさは、金の腕輪を凍てつかせ輝きを隠した。
闇の魔術師がシャンを見上げた、その瞳孔もない真っ黒な瞳がじっとシャンを見つめた。
「シャン姫……魔法の森が私から隠されていたにも関わらず、あなたが旅立った時に結界が解かれたのは何故かと思っておりました。結界を持って出られていたとは……これではダルタが死んでもおかしくない」
ダルタの名前を聞いて、シャンの身体がビクッと跳ねた。
「ダルタが死んだのは……おかしくない?」
困惑するシャンに、闇の魔術師は優しそうな微笑をくれた。
「そうですよ、やっと探していた人物の気を感じて馳せ参じてみれば、そこに残っていたのは空っぽになった器だけ、中身の魔法の力は何も残っていなかった。私はあれが欲しかったのに」
「器って……ダルタの事か。そんな言い方するな、許さない」
闇の魔術師は、面白いものでも見るように目を細め、口角を上げた。
「あれが器でしかなかった事に、もっと早く気付くべきでした。だが、今は力の半分以上を手にしたも同然……さあ、この手首からどうやって外しましょうかねェ……」
そう言って、闇の魔術師はシャンの手首に長い爪をあてがうと、一気に掻き切った。
「ヒッ!!!」
シャンは、手首の金の輪の直ぐ下から、真っ赤な血が流れ出るのをじっと見つめていた。その上を、凍った舌を這わせて、闇の魔術師が血を舐め取っていく。
「アクアリスの守護者の血はこんなにも美味なのですね……もっと飲みたいものだ……そうだ、あの牢にいたときに、少し飲んでおけば良かった……これからは、少しずつ戴く事にでもしましょうか……」
「牢にいたとき?……」
シャンは怪訝な表情を浮かべる。アクアリスの地下牢に幽閉されていた時、自分の元を訪れてくれたのは、ダルタの弟子ただ一人。それとも、あの薄暗い牢の中にこの闇の魔術師は隠れていたのだろうか……シャンの心臓は早鐘の様に打ち始めた。
「そう、ジード……ダルタ様の弟子でございます。お分かりではなかったですか?」
ダルタの弟子であるジードは、栗色の髪に同じ色の瞳をしていたし、とても優しい笑顔で接してくれた。
シャンは、小さく首を振った。
「髪の色も、目も……何もかも違う……ジードは優しかった。お前などジードではないっ」
闇の魔術師は、シャンの手首を放し立ち上がりながらシャンを見下ろした。闇の魔術師の真っ黒な髪と瞳が、柔らかい栗色に変わっていく。そして、現れた表情はあの優しかったジードのもの……それは直ぐに闇の色へと戻っていく。
「これが本当の姿、まぁ、隠していてもダルタには薄々勘付かれていたらしいがね。奴を殺した時に、追って来るならお前だと思っていたと言われた。器の分際でほざきおって……」
シャンは、自分の中から熱い怒りが湧き起こってくるのを感じていた。ダルタを殺したのは、やはりこの闇の魔術師、それも昔から自分達の近くにいて、悪巧みをしていたのだ。
「許さない、お前を許さない!」
そう叫んだシャンの腹を、ジードは思いっきり蹴り上げた。
「グフッ……」
シャンは、床に倒れこんだ。
「シャン、ここにはお前を守る者はいない。私にたて突くな、身のためだぞ」
そう言って、ジードは呪文を唱えながら指から黒い煙を吐き出した、それはシャンの凍てついた金の腕輪を包み込み、輝きを完全に隠してしまった。
「金の腕輪は闇の霞に隠された、使い物にはならない。私の物になるまではな」
シャンはジードを睨みつけながら、キツク唇を噛んだ。こんな男と話をするのも腹だしいが、シャンにはどうしても気になる事があった。
「なぜ……ダルタを器と呼ぶ。なぜ私をアクアリスの守護者と呼んだっ何故だっ」
ジードは、軽蔑したようにシャンを見つめた。
「何も知らないのですね……というより、何も教えられなかった、自分自身のことなのに……おかわいそうな姫君だ」
シャンは、ジードの哀れむような言い方に、また唇を噛む……キツク噛みすぎた唇は切れて血をにじませた。ジードがシャンの腕を取り、元の様に座らせた。シャンの顎に手を掛け上を向かせると、血のにじんだ唇に舌を這わせた。シャンの背筋に、唇を舐められる嫌悪と舌の感触に、冷たいものが走った。
「アクアリスは、この世界で唯一神々との繋がりを保っていた国。しかし、人と言うものは愚かしい、長い年月の間に真実の伝承をまつりごとの慣習と思い込んでしまう。最近では、最後の砦であったはずのアクアリスでさえ、真の守護者を失いつつある」
何だか、朦朧とし始めた意識の中で、シャンはジードを睨みつけていた。
「それが証拠に、お前の母は守護者になるべく生まれながら、自らの守り手と結ばれる事無くお前の父と契りを交わし、お前を産んだ……その時点で、守護者の力はなくなっていてもおかしくなかったはずだ……」
シャンは、自分の父を思い出しながら肖像画でしか見たことのない母を思った。母が父と結婚したのは、武術大会の勝者であったからだと聞いた事がある。アクアリスは昔から女王が統治し、その配偶者には剣士を頂くと決まっていると、父が言っていた。
「なら……なぜ、私を……しゅごしゃ、と……」
ジードの真っ黒い瞳は、瞬きもせずにシャンを見つめている。
「お前が生まれるまでは、確実にアクアリスの力は弱まっていた。それに、ダルタが……あの器がお前を必要以上に守ろうとしていた事実……お前の前に現れた青の剣士。放っておけば私の計画は壊されてしまう」
「計画……?」
「ダルタが持っていた守りの力とお前の守護者の力を手に入れ、闇の力に変えるのだ。世界は闇に包まれ小さな争いは、やがて大きな戦へと発展する。苦しみ悲しみ、妬み嫉み、あらゆる負の感情が、闇の生き物の糧となり、世界は我々のものとなる」
そう言いながら、ジードはもう一度、シャンの唇を舐めた。
「何と素晴らしい世界……その王となるのは、私だっ」
真っ黒な瞳に見つめられながら、シャンの意識はなくなった。
ガリアは、出発する為グロウの背にまたがった。
「何処にいるんだ……シャン……」
手綱を持つ手が、ぐっと握り締められた。グロウがヒンっと小さく鳴いたので、ガリアはグロウの首を優しく撫でた。
「お前に聞いても分からんよな……ん? 何だこれ?」
ガリアは、グロウの耳に金と銀の石が、左右に一つずつ埋め込まれているのに気付いた。その石から光が細く出ている、ちょうどグロウの鼻先で交わっているようだ。ガリアが不思議に思っていると、いきなりグロウは歩き始め、だんだん速度を上げていった。
「グロウッ、何処へ行く気だっ!!! 何もわかって無いくせにっ……」
そこまで言ってから、さっき西の谷の妖精の所へ行けと背中を押したグロウの事を思い出した。
「お前……シャンのいる所が分かるのかっ」
それに答えるように、グロウは大きくいななき、一段と速度を上げていった。
おぞましいほどの悪臭に、シャンは目を覚ました。身体は動かす事もできないほどに衰弱しているようだ。何故だろうと思ったが、ガリアがダークピューマに肩を噛まれたときの事を思い出した。闇の生き物に与えられた傷は、精気を奪うのだと剣が教えてくれた。自分には剣はない、傷口を焼くことも叶わなければ、このまま衰弱して死んでしまうのだろうかっと、ゆらゆらと揺れる思考の中で考えた。
「っ……」
シャンの鼻をさっきの悪臭が突き刺した。ゆっくりとその正体を確かめようと首を回してみた。そこに見えたのものに、身体が硬くなった。ダークピューマが、シャンの身体の匂いを嗅いでいる、だらしなく開いた口元から唾液が垂れ、それが悪臭を放っているようだった。幾日も放置された生ゴミのような、いやっ腐敗した死骸のような匂いだった。
いつ襲われるのかと思うだけで、シャンの身体は強張ったが、動く事さえできなければ、逃げる事など無理に決まっている。最後の頼み金の腕輪には、しっかりと闇の霞がかかったままだった。もう終わりだっと思った瞬間、ダークピューマがギャっとおおきな鳴き声を上げて跳び退った。
「少し目を離すとこれだ、ダークピューマは下等な生き物ですからね。ちゃんと言い聞かせたはずなんですが、これは私の食事だと……」
どこからか現れたジードが、さっきのダークピューマの身体に光の矢を幾本も突き刺し息の根を止めていた。
「お目覚めですかシャン姫。身体の具合が悪そうですねェ、心配しなくても、精気を奪われて亡くなる前に、私が食して差し上げます」
クククっと笑ったジードは、シャンの寝ている傍の岩に腰を下ろした。
「私は、此処で生まれたのです。アクアリス城の裏の海に面した洞窟。小さな小さな存在だった……此処は閉じ込められた闇の生き物達でいっぱいだった。ちっぽけでしかなかった私は、彼らに憧れ、彼らの様になりたいとその血を吸った」
シャンは、嫌悪に顔をゆがめた。
「私は、小さなコウモリだったのです。でも夢を見た……闇の生き物になって強くなりたいと思った。そして、小さな身体のまま、闇の生き物の血を受けた私は、神々の結界をすり抜けてこの洞窟を出たのです。神々も、小さくか弱き生き物には慈悲深い、それが闇の血を受けているとも知らずに逃がしてしまった」
ジードはおかしそうに笑い続ける。
「私は、城に向かった、城の暗闇の中に潜み、その時を待った。力を蓄え、人の身体を手に入れるのをね……その子は、海岸にある裏口から城に忍び込もうとしていた……ボロボロの身なりに垢のたまったような汚い肌、私はその子供に決めたのだ。そう、この身体にね……」
コウモリだったジードが、人の子供の身体を奪って何をしたかったのか。シャンは気になって仕方なかった。
「直ぐにダルタに見つかりました……その頃から奴は慈悲深い人間だった。汚らしい身なりの腹を空かした子供には一際優しかった……私はその優しさに付け入った、弟子になりたくて来たと、両親もなく遠い国から来たのだと。あの時の奴の顔を思い出すと、腹がよじれるほどおかしくなるっ涙ぐんでいたからなぁ」
シャンは、身動きの出来ない身体の中で、熱い怒りの炎が燃え上がったのを感じた。シャン自身を献身的に守ってくれたダルタ、慈しんでくれたダルタ、どんな者にも優しかったダルタ。たった一人、自分を見つめ続けてくれていた、愛情深いダルタの誠意と優しさを踏みにじるジードが許せなかった。
目の前が真っ赤になるほど怒りが込み上げてきた。その時、腕輪がカッと熱くなった。そっと目をやると、闇の霞が消えていく。
『守ってっ』
ジードとシャンの間に、銀色の壁ができた。
「っち、どういう事だっ、守りの力は封じたはずなのにっ何をしくじった……」
シャンは、重たくて仕方ない口をやっと開けて言った。
「しゃべリ過ぎっ、……ダルタの……ふぅ〜ここ、ろを笑うっ……なっ」
そこまで言って、シャンは力尽きたように目を閉じる。また意識が朦朧としてきたシャンは、……気を失っても、この銀の壁は自分を守ってくれるだろうかっと、不安になった……
銀の壁に守られながらも、一人であることが不安だった。